《前編》 より

 

【癒しより喜びを】
魂に刻み込んだ“苦しい傷の記録”をほじくりだして、そこを癒すのも現実体験の一つですが、それはもうずいぶん繰り返してきたのではないでしょうか?
そこはキリがないのです。
地球での過去世の傷も無数にあるし、宇宙人のときの傷もあるし、先祖の傷もあるし、全人類の傷も刻まれています。

傷を癒すというゲームは、全くクリエイティブではないのです。
それをやるよりも、新しい「たった今」のあなたをゼロから決め直していくほうが楽しいです。
新しい「たった今」は、いつどこのあなたとも全く違う唯一無二の瞬間です。

ですから、傷癒しをするよりも、弥栄の喜びの方を体験していく意識になってください。
さらなる繁栄する喜びに意識が向かうとき、傷は本当に一瞬で消えてしまいます。
もう“問題さがし”“傷さがし”はやめませんか? (p.62-63)
 昨年あたりから、スピ系の皆さんが、共通して「癒しよりも喜びを」というスタンスになっているような気がする。おそらく地球に届く波動が変わり、光の側が優勢になってきたから、それを捉えてこの様に語るようになったのだろう。
 ヒーリング自体が無効になったという事ではないけれど、喜び体験に注力した方がより効果的な時代になっているということ。

 

 

【「プログラマーX」と純粋に中立な“愛”】
宇宙も自然界も、機械的なシステム、機械的なプログラムにのっとって作動しています。
そして宇宙は人間の視点の数だけ存在し、人の解釈の数だけ存在するので、各人各様がバラエティーに富んだ機械的なシステムやプログラムを持っています。
つまり、あなたの宇宙や現実空間は、“あなた独自の視点のプログラム”によって作動し続けているのです。(p.82)


仮にプログラマーXと呼ぶ存在がいて、あなたの肉体に「これを意識する」「こう行動する」「こう考える」「こう感じる」「このように予期する」という情報データを流し込んでいくと、あなたの肉体は自動的にそこに反応していきます。

この肉体のシステムには、あらゆる情報が常にプログラマーXによって流し込まれています。
・・・(中略)・・・
あなたという意識は、その反応を観察していきます。だから観察意識です。
では、このプログラマーXとは誰のこと?
もうおわかりですよね? 「あなた」という観察意識がプログラマーXです。
この肉体は、常に“今”情報データが起動ONされて、各人各様の反応を行っていくのです。
このデータ・システムにこよなく興味を持ち、関心をいだき、その仕組みを喜んで知っていこうとする状態を“愛”と呼びます。

つまり、純粋な中立な“愛”とは、観察して知りたい思いのことなのです。
人間生命体のベタベタした愛情や執着は“愛”ではないのです。 (p.83-84)
 この文脈の中で、最初に“愛”という単語を見たとき、一瞬、「???」と思ってしまったけれど、冷静に考えれば、確かにそうである。
 私たちはみな、自分自身を知りたいがために観察意識(プログラマーX)を備えて、全体意識から分離してきた存在なのだから、そのエネルギーの発電機は、「自分自身を知りたいという思い(好奇心)」だということになる。そして、畢竟するに、自分自身を知りたいという自己探索のターミナル(終着点)は「全体意識への回帰」になるのである。
 アルファでありオメガである「全体意識」という一元性世界は、“神=光=愛”そのものである。故に、好奇心をダイナモとして、アルファからオメガへと至る間の、自己探索している過程が、“愛”でないはずがない。

 

 

【思考と「意」、外と内】
外を何とか変えようとして、外に意識を向けて46時中アレコレと思考を使う。
それでは変わらない。
外側はもうできあがってしまった結果だから。
・・・(中略)・・・ いったん作ってしまった現実結果に、感情に浸かったままで、何かそこを変えようとしても無理なのです。
そこは、そういうバイブレーションですから、あなたは全く別の新しい現実空間を開くしかありません。
古い現実結果を、いったん、あなた自身が自ら創ったものとして感情と共に受け入れて、それを認めることで、逆にすんなりと完了できるのです。
そのあとすぐに新たな他の現実に気持ちを向け、それを選ぶ「意」を持てばいいのです。
別の現実空間を選択する気持ちになればいいのです。(p.113-114)
 外に意識を向けて思考を使うのは無駄。
 新たな他の現実に気持ちを向け、それを選ぶ「意」を持てばいい。
 そう言っている。
あなたの内側に意識を向け、「意」(決意・意宣り)を変えることです。
思考は無駄に「外」へ流れ、「意」は内側に満ちていきます。
思考はエネルギーのロスであり、「意」はエネルギーの内部充電になっていきます。

そして、思考とは、一つの枠の中にあなたを閉じ込めてしまう“制限”のことなのです。
時間的な制限、場所的な制限の中に閉じ込められてしまいます。
思考を超越するとき、時空間を超越できます。
そして、あなたの「意」は、思考を超越しているものなのです!

「意」は選択して決意したことです。
思考(=情報)の中から自由に好きなものを選ぶことが「意」です。
だから、「意」は思考を超越しているのです。
どんな思考も、それ自体を選んで楽しむのが「あなた」であって、あなたが思考に振り回されるなら本末転倒です。

選択、宣言、いのり、決める、意識する、人生は100%「意」だけで充分。
それ以外はしなくていい。あとは宇宙が行うから、任せておけばいいのです。(p.114)
 これを読んで思い出したのが、仏道修行で用いられる「発願なきは菩薩の魔事なり」という修行指針のような言葉。「発願」とは、とりもなおさず「意」である。
 そして、もうひとつ、脳科学者が言うところの「サーボ機能」という用語。
   《参照》   『「並の人生」では満足できない人の本』 ロベルタ・シェラー  三笠書房
             【サーボ機能】

 この地上世界では、「思考力のある人は『頭のいい人』」みたいな共通した思い込みがあるだろうけれど、地球よりはるかに高度な社会を築いている宇宙存在たちは、意識を解明し、その実用化が高度に発達しているから、創造において、「思考」などという回りくどくかつ遅いものなんて、到底、実用性はないと分かっている。「意」一つで充分である。
   《参照》   『神との友情 (下)』 ニール・ドナルド・ウォルシュ (サンマーク出版)
            【思考と存在】

 また、「思考とは、一つの枠の中にあなたを閉じ込めてしまう“制限”のことなのです」とあるけれど、これは、思考する時に使われる言葉自体が、すべて「呪(しゅ)」になっているからだろう。

 

 

【飢え過ぎた獣が豊饒の女神に・・・】
ある日、『その飢え過ぎた獣を、自分の崇高な魂よりも“上”におくように!』と強いメッセージが届きました。
“獣”の部分を自分の神聖なる王冠にしろ、と言われたのです。
そのとき私が見させてもらった“執着のエネルギー”は、まさに豊饒の女神アバンダンシアやラクシュミそのものの姿でした。
獣を王冠にしてしまうと、とんでもない暴走をするのでは? と私も最初は不安だったのです。
でも、全く逆でした。
嫌って逃げたり、それと戦おうとするから、暴走させてしまうのだと知りました。
あなたが意識的に心から受け入れてあげるとき、“飢え過ぎた獣”はあなたを振りまわさなくなるのです。
受け入れて、感謝することで、飢え過ぎた獣が豊饒の女神に変わるのです。(p.186) 
 今現在、世界覇権をかけて抗争している貪欲な諸国家を「飢え過ぎた獣」に例えて、どの国を日本の王冠の上に置けばいいのだろか? などと考えてしまったのだけれど、どの国でも、頭からパクリとやられそうなイメージしか湧かなくって笑ってしまった。
 でも、まあ、「嫌って逃げたり、それと戦おうとするから、暴走させてしまうのだと知りました。」という記述は役に立つだろう。
 “飢え過ぎ”を「受け入れる」ということは、あなたがそれを主人にして言いなりになるということとは別です。
 あくまでもあなたが主人で、飢え過ぎた部分のあるがままを受け入れていくのです。(p.186)

 

 

【ハートの平等】
どんな人にとっても、どんな瞬間においても、最も満足が行く法則は、“ハートの悦び”に従うことなのです。
これが最高のスケジュールになります。

たとえばこういうことです。
ここに10人の人がいて、10杯のお茶がポットに入っているとします。
「頭」が考える“平等”は、常に均等割りすることが平等なのだと信じ込んでいますから、当然10人に対して1杯ずつのお茶を注いでいきます。

でも、毎瞬毎瞬、人のエネルギーは変わっています。欲求も変わっています。
ですから、「頭」ではなく、「ハート」からの思いで、正直に喜べる分量のお茶を飲めば良いのです。
すなおにハートの欲求に従うことです。
そうすると、ある人は2杯半、ある人は半分、ある人は3杯、ある人はまったく飲みたくない・・・。
そんなふうに正直にお茶が飲まれていくと、ちょうどポット10杯のお茶がきれいになくなります。
誰も文句はありません。
全員にバランスよく・・・です。
これが「ハートの平等」であり、ワンネスであり、生きた平等なのです。(p.214)
 日本文化は、常に「頭の平等」=「結果の平等」を基にしてきた。だから、これに付随して「謙虚さ」とか「慎み」とか「遠慮」という言葉が、美徳として語られてきたのだろう。しかしながら、これって、決して「ハートの悦び」状態ではない。明らかに「抑制」ないし「抑圧」を要とした文化である。これでワンネスをめざしたら、宇宙全体が絶対に歪む。
 欧米文化は、たいてい「機会の平等」を基にしてきた。それを「フェアー」という用語で語ってきたのだけれど、とんでもない格差社会を実現してしまった。「飢え過ぎた獣」たちは野放しにされ、個々の国民が「主人」であることなど最初から念頭になかったどころか、自分らが主人(支配者)であると確信犯罪にいそしんでいたのである。「飢え過ぎた獣の悦び」は、世界各国の文化を破壊しつつ、ワンネスではなく、NWO(新世界秩序)という標語の元、ワンワールド実現(全世界一極完全支配)を目指してきた。
 「ハートの平等」は、やはり魂のレベルが、ある程度近しい者同士でないと実現しない。
 四次元を拠点として進化の止まっているレプティリアンと、多次元に進化しうるヒューマノイド形人類の並立・並存は、魂の輝度からいってやはり相応しくない。というより完全に無理。両者は別の星系に住み分けるべき。

 

 

【“愛され感覚”を磨く】
内的な豊かさとは、愛され感覚が十分発達している状態のことです。
そこで、日々、“愛され感覚”を磨いてください。
“愛され感覚”を感じる練習をして、もともとが愛されていた存在であったことを思い出していくようにしてください。

日常のなかで。あなたの周囲のものから愛のまなざしが向けられていることを感じる習慣をつけていってください。
これは本当に大切な習慣なのです! (p.226)
下記リンクに書き出し済のことだけれど、繰り返し強調するに足る大切なことなので、あえてまた書き出しておいた。
   《参照》   『空 舞い降りた神秘の暗号』 Mana (三楽舎)
            【愛され感覚】

 

 

【エッチの時も、発火装置は「愛され感」】
愛され感(=受け入れられ感)を感じて味わってください。
これこそが最も大切なことなのです。 (p.229)
すると、ある日ある瞬間、愛され感が満杯になって、突然“谷間のオーガズム”がもたらされる!
恩寵(おんちょう)という言い方で表現する人もいるかもしれません。
今まで頭が思い込んでいた頂上なるものが、“谷間”にあったことに気がつくでしょう!
そしてそれは、山の一瞬のオーガズムなど及びもつかないくらい、すばらしい永続的なオーガスムなのです! (p.230)
 下記リンクを辿った先で、千賀一生さんが「絶対的なゆだね」と表現していることを、この本では「愛され感」と表現している。読む人それぞれに、受け入れやすい方で理解すればいい。
   《参照》   『タオの法則』 千賀一生 (ヒカルランド) 《前編》
            【玄牝(げんぴん)の門】