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 この本は子どもたちのために書かれている。善悪などの二元論に対する考え方や、それぞれが特別な存在であることや、ゆるしについて学べるようになっている。登場するのは、神さまと、小さい魂と、友情あふれる魂。2001年10月初版。
 ストーリーは、下記リンク個所の内容を、分かりやすく展開したもの。
   《参照》   『神との対話 ③』 ニール・ドナルド・ウォルシュ (サンマーク出版) 《後編》
              【「善」 と 「悪」 と 「生命」】

 

 

【ぼくは誰?】
 昔むかし、まだ時というものがなかったころ、
『ちいさな魂』 が、神さまにいいました。
「ぼくが誰だかわかりましたよ!」
 神さまは答えました。
「それはすばらしいね! で、きみは誰なの?」
 ちいさな魂は、力いっぱいさけびました。
「ぼくは光なんです!」
 神様もにっこりして、大きな声で答えました。
「そのとおりだ! きみは光だよ」

 

 

【自分を体験したいな】
「ねえ、神さま、ぼく、自分が誰だかわかったから、こんどは自分を体験したいな。いいですか?
  ・・・(中略)・・・ 自分が誰だか知っていることと、自分自身を体験することとは、ちがいますよね。
ぼく、自分が光だっていうのはどんな感じなんのか、体験してみたいんです」
 神様はちょっとむずかしい表情になりました。
「ただし、ひとつだけ困ったことがあるのだが・・・・」
「困ったことって、なんですか?」
 ちいさな魂はたずねました。
「光でないものは、何もないってことだよ。わたしが創ったきみたちはなにもかもすべて光なんだ。光以外には、何もない。だから、きみ自身を体験するのは簡単じゃない。だって、きみと違うものは、何もないんだからね」
 神様はいいました。
「そうなんですか_」

 ちいさい魂はつぶやきました。なんだか混乱してきたのです。
 そこで神様は考えた。
「光の中にいたのでは、自分が光だってことを感じられないから、きみを闇で包んであげよう」
「闇ってなんですか?」
 ちいさい魂はたずねました。
「闇とは、きみではないものだよ」
 神さまはいいました。 ・・・(中略)・・・ それから神さまはくわしく説明してくれました。なにかを体験しようと思ったら、その反対のことが起こらないといけないのです。
 神さまの世界は絶対の世界だから、そこにはいかなる認識もない。
 自分自身を体験するためには、絶対の世界から相対の世界へ降り下ってゆく必要がある。
 寒さがなければ、暖かさもわからない。
 上らなければ、下ることはできない。
 遅いことがなければ、速いということもない。
 右がなければ、左もない。
 あそこがなければ、ここもない。
 あのときがなければ、いまもないんだよ。
 同様に、闇がなければ、光もない。

 

 

【特別な存在なんだよ】

「だから闇につつまれても、こぶしをふりまわしたり、大声でさけんだり、闇を呪ったりしなくていいんだ。それよりも闇に対する光でありなさい。腹を立てたりしないこと。 ・・・(中略)・・・ 光り輝いて、みんなにきみは特別なんだってことを知らせてやりなさい」
「ぼくは特別なんだ、って言ってもいいんですか?」
 ちいさな魂は、聞き返しました。
「いいとも!」
 神さまは笑いました。
 神さまは、タモリになっちゃった。
「ぜんぜん、かまわないよ! ただし、 『特別』 だというのは、 『ひとより優れている』 ということじゃない。そのことを忘れないようにしなさい。みんなそれぞれ、特別なんだからね!」
 神さまは、 『特別』 にはいろんな面があるとこを説明した。
 すると、ちいさな魂は
 「ぼく、 『ゆるす』 ということで特別になりたいな」
 という希望を聞いて、ふたたび、神さまに悩み発生。
 神さまが創ったものは完璧だから、そもそも 『ゆるす』 相手などいないのである。

 

 

【ゆるすことを体験する】
 すると、集まった魂の中から、 “友情あふれる魂” が進み出て、こう言ってくれた。
「次の人生であなたと出会って、何かあなたに 『ゆるされる』 ことをすればいいのよ」
「でも、どうして? どうして、そんなことをしてくれるの?」
 ちいさな魂はたずねました。
「だって、きみはそんなに完璧な存在なのに!」
 光の存在であるちいさな魂たちが、人生を経験するということは、明るく軽やかな完璧な光から、わざわざ波動を落とし暗く重たい不完全な存在として地上に降り下ることである。しかも 『ゆるされる』 ために悪いことまでする役割を請け負ってくれるという申し出に、ちいさな魂は
 「どうして、そんなことまでしてくれるの?」 と驚いている。
「簡単だわ」
 友情あふれる魂は、答えました。
「あなたを愛しているから
 あなただって、同じことをしてくれたのよ。忘れた?
 だって、わたしたちはどちらも、 『すべてであるもの』 だもの。

 わたしたちはこれまでも、数えきれないくらい出会ってきた。
 そして、相手がほんとうの自分を表現し、体験するための完璧なチャンスを与えてきたの」
 そうはいっても、地上で出会った時、 『ゆるす』 『ゆるされる』 というそれぞれの役割を二人とも覚えているだろうか?
「わたしが本当に自分を思い出せなかったら、あなたまで本当に自分を忘れてしまい、ふたりとも迷子になってしまうわ。そうしたら、誰か別の魂がやってきて、本当のわたしたちを思い出させてくれるまで、迷っていなければならないでしょう」
 神さまが創ったちいさな魂たちは、この地上という相対の世界へ降りてくる時、絶対の世界で交わした約束事を忘れてしまい、人生の迷宮に迷い込んだり、隘路に嵌り込んでしまう可能性が高い。
 地上におけるちいさな魂たちが、 『すべてであるもの(愛=光)』 の一部ないしそのものであるという出自を想起するのは容易ではない。多くの人々は、何度も生まれ変わる過程で、苛烈な記憶が燻されるように魂に染み込み、本来、完璧な光の存在であったことすら思い出せないのである。
「なぜ、生まれてきたのだろう?」
 という本質的な問いに対する最終回答は、
「魂を向上させて 『すべてであるもの』 に回帰するため」 となるのだろうけれど、地上世界の迷宮から出られない魂たちは、どこまでもこの世的な 「物質的繁栄」 だとか、この世的な 「しあわせ」 だとか、この地上世界にしかあり得ない形態である 「結婚」 だとかにいつまでも拘っていたりするのである。
 だとしても、そのような遠回りであったり逆行であったりする過程を 『ゆるす』 のも光を出自とする特別な存在のあり方、ということになる。

 

 

 この著作が動画になっています。
    《動画》   『小さな魂と太陽』  全編 (21分)

 

 

  ニール・ドナルド・ウォルシュ著の読書記録

     『神とひとつになること』

     『神との友情 (上)』

     『神との友情 (下)』

     『神との対話 フォトブック』

     『神との対話』

     『神との対話 ②』

     『神との対話 ③』

 

<了>