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 アメリカで出版された気づきの書籍なのでキリスト教文化が背景になっているけれど、日本人にとっても分かりやすく有用な書籍である。
 この書籍内容がすんなり理解できるのは、むしろアメリカ人より日本人のほうが多いのではないだろうか。但し、日本人の中でも、神道系以外の宗教団体に属して認識体系がドグマに汚染されている人々は、この書籍内容を理解できない傾向が強いはずである。

 

 

【愛がその対極とともに存在する理由】
神が完璧であって、完全なる愛であるならば、どうして神は伝染病や飢餓、戦争、病気、地震や竜巻、ハリケーンといった天災、深い失望、世界的な災厄などを作ったのか。
この質問に対する答えは、宇宙のさらに奥深い神秘と人生のさらに高い意味のなかにある。
わたしは神のすばらしさを示すために、あなたがたのまわりを完璧ずくめにしたりはしない。神の愛を実証するために、人間が愛を実証する余地をなくしたりしない。
既に説明したように、愛を示すには、まず愛さないということが可能でなければならない。完全無欠の絶対世界はべつとして、それ以外では対極の存在なしには何も存在しえない。(p.48)

一元制の絶対世界(神)を知るには、二元性という相対世界に身を置いてみるしかない、と言っている。

 

 

【輪廻転生する魂の目的】
 完璧な愛とは色のなかの完璧な白のようなものだ。多くのひとは白とは色がないことだと考えているが、そうではない。あらゆる色を含んでいるのが色だ。白は存在するあらゆる色が合体したものだ。だから、愛とは感情 ――― 憎しみ、怒り、情欲、嫉妬、羨望など ――― がないことではなく、あらゆる感情の総和だ。あらゆるものの集合、すべてである。
だから、魂が完璧な愛を経験するには、「人間のあらゆる感情」 を経験しなければならない。
自分が理解できないことに、共感できるだろうか。自分が経験しなかったことについて、他人を許せるだろうか? そう考えれば、魂の旅がどんなに単純で、しかもすごいものかがわかるだろう。そこでようやく、魂が何をめざしているのかが理解できるはずだ。
人間の魂の目的はすべてを経験すること、それによってすべてになりえることだ。(p.113-114)

輪廻転生する魂の目的、それは、全てを経験し尽くすこと。

 

 

【聖なる「三位一体」】
絶対のなかでは知識があるだけで、体験はない。知っているというのは神聖な状態だが、最大の喜びは、何者かで 「在る」 ということのなかにある。 「在る」 ことは、体験してのちにはじめて達成される。 「知る」 こと、「体験する」 こと、何者かで 「在る」 ことの順に発達し、進化する。これが聖なる三位一体、神の三位一体である。(p.48)
聖なる三位一体とは、「知る」 こと。「体験する」 こと。何者かで 「在る」 こと。
あなたがたは、三層から成り立っている存在だ。<身体と精神と霊魂>とでできあがっている。これは<肉体、非肉体、超肉体>と呼んでもいい。この聖なる三位一体はいろいろな名前で呼ばれてきた。それがあなたがたであり、わたしだ。私は三つでひとつの存在なのだ。
あなたがたの時は過去、現在、未来に分けられている。これは無意識、意識、超意識と同じものとはいえないか?
空間も三つに分けられる。ここ、あそこ、その間である。
「その間」 というのは、むずかしく、とらえどころがない。意味をはっきりさせて、説明しようとしたとたんに、この空間は 「ここ」 か 「あそこ」 になってしまう。だが、あなたは 「その間」 が存在することを知っている。それが 「ここ」 と 「あそこ」 を支えている。ちょうど永遠なる現在が 「以前」 と 「以後」 を支えているように。
あなたがたの3つの要素は、実際には3つのエネルギーである。それを思考、言葉、行為と呼んでもいい。この3つが合わさって結果が生じる。あなたがたはそれを、感情とか経験と呼んでいる。(p.101-102)

 3つのエネルギーである、思考、言葉、行為は、密教でいうところの三密、即ち「身(行為)・口(言葉)・意(思考)」に相当する
聖なる三位一体を思い出しなさい。霊と精神と身体。思うことと創造することと経験。あなたがたのシンボルを使って、思い出しなさい。
聖霊はインスピレーションであり、思い描くこと。
父は親であり、創造すること。
息子は子孫であり、経験すること。
息子は、父である考えの創造物を経験する。その考えは聖霊によって思い描かれたものである。
いつか、自分が神になると思い描くことができるかな?
・・・(中略)・・・ 
では言っておこう。あなたはすでに神である。ただ、それを知らないだけだ。(p.274-275)

そう、知らないだけ。
経験は概念を生み、概念は創造を生み、創造は経験を生むことを覚えておきなさい。(p.280)
経験⇒概念⇒創造⇒経験⇒・・・・・という無限ループ。
このループの中にいることをハッキリ認識しない限り、その外に出ることはない。

外に出ることで得られるものが、本当の神の視点。

外に出ることが可能なブレイキングポイントは、「概念」にある。

人類は、「神の概念」を操作されることで、進化できない状態下に置かれている。

この 『神との対話』 シリーズは、人類に掛けられた「概念」を解き放つために著されている。

 

 

【人生の質】
「行動すること」 は身体の働きである。 「在ること」 は魂の働きである。身体はつねに何かをしている。毎日、毎分、何かをしようとしている。
身体は魂に促されて何かをするか、魂に反して何かをする。人生の質はこのバランスによって決まる。(p.231)

あなたは身体によって何かを生むために、この地上にいるのではない。魂によって何かを生むために、この地上にいる。身体は魂の道具にすぎない。身体を動かす動力はあなたの精神だ。だから、あなたが地上に持っているのは、魂の要求に従って創造するための動力機械なのだ。(p.235)

本来は、魂の要求に沿って創造すべきなのだけれど、操作された「概念」を植え付けられた人類は、魂に反した行動を繰り返しながら、そのこと自体に気づいていない。

 

 

【魂が時のはじめから求めてきた課題】
 一瞬も怠らず、つねに ――― 意識的に ――― 選択を続けなければならない。このプロセスは、意識的な人生への大きな一歩だ。そう決意すると、人生の半分を無意識のまま過ごしてきたことに気づくだろう。結果を体験するまで、自分が思考と言葉と行為をどう選んでいるか、意識しないできたということだ。しかも、結果を体験しても、自分の思考、言葉、行為がそれと関係あるとは考えない。
これは、そんな無意識の生き方はやめなさいという呼びかけだ。あなたの魂が時のはじめからあなたに求めてきた課題なのだ。(p.106)

ここで言っている「無意識のままに過ごしてきた」とは、「操作された概念のままに生きてきた」ということ。

 

 

【出来事と意識】
 出来事は、あなたが選択して創り出した時間と空間のなかで起こる ――― わたしはその選択に決して介入しない。そんなことをしたら、あなたがたを創造した意味がなくなってしまう。だが、このことはすでに説明した。
あなたがたはある出来事を意図的に作り出し、ある出来事を ――― 意識的、無意識的に ――― 引き寄せている。出来事によっては ――― 大きな天災もこのなかに入るが ――― 「運命」 として片づけられるものもある。
その 「運命(fate)」ですら、「遍在するすべての考えから(from all thoughts everywhere)」 という言葉の頭文字になる。言い換えれば、地球という星の意識から生まれる。(p.145)

「運命」とは、「地球という星に遍在するすべての考えー意識ーの結果」であると言っている。

地球は、宇宙から見た場合、明らかに制限された惑星であるがゆえに、地球という星の意識自体が制限されたものとなっている。それをいいことに、地球支配者たちは、誤った神の概念を作り、これによって人類を操作してきたのである。即ち、「運命は神に握られている」、という露骨な詐術。

 

 

【プラス思考の最高のかたち】
現実を変えるためには、 ・・・(中略)・・・ 、「成功したい」 と考える代わりに、「わたしは成功している」 と考えることだ。 ・・・(中略)・・・ 。
プラス思考といっても、真実であってほしいと願うのではうまくいかない。うまくいくのは、真実であるとすでに知っていることを宣言する場合だけだ。
プラス思考の最高のかたちは、感謝の言葉だ。「人生で成功させてくれてありがとう、神さま」 そういう考え、思いを口にし、それに従って行動すれば、すばらしい結果を生む。結果が欲しいからそう言うのではなく、結果がすでに生じているとほんとうにわかっていて口にするのであればうまくいく。(p.245)

   《参照》  『神との対話 ③』 ニール・ドナルド・ウォルシュ (サンマーク出版) 《後編》

            【聖なる二分法】

 

 

【定義なき世界】
 あなたがた人間は、何でもかんでも、正しいか間違っているかを決めずにはいられない。 ・・・(中略)・・・ 。あなたがたは、物質や自分自身を定義するのに役立てようとして、正しいとか間違っているというレッテルをこしらえているのだとは、思いもつかない。
 あなたがたは(特別にすぐれた精神をもつひとたち以外)、ものごとは正しいと同時に間違っていることもあるとは考えない。正しいか、間違っているかというのは、相対的な世界でのことにすぎないのに。絶対の世界、時間のない世界では、どんなふうにもなる。 
 男性も女性もないし、以前も以後もなく、早いも遅いも、ここもあそこも、上も下も、右も左もない ――― 正しいも間違っているもない。
宇宙飛行士はそれを感じた。彼らはロケットで宇宙にのぼっていくのだと思ったが、宇宙で気づいてみれば、地球を見上げていた。それとも、地球を見降ろしていたのかもしれない! それでは、太陽はどっちにあっただろう。上か、下か? そうではない! 左側にあったのだ。そこで、ものごとは突然に、上でも下でもなく、横になった・・・ すべての定義が消えたのだ。
 それが私の世界 ――― わたしたちの世界 ――― 真実の領域だ。 すべての定義は消え、明確な言葉でその領域を語ることさえ困難になる。
 宗教というのは、言葉にならないものを語ろうという、あなたがたの試みだ。だが、あまりうまくいっていないね。(p.264-265)

 二元性の世界における認識のあり方が、「枷」であることに、まずは気づくべきである。

 

 

<了>

 

 

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