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 『神との対話』 三部作の最終巻。第3巻で、新たな内容が語られている場合もあれば、三部作内で繰り返し語られる重要なこともり、語り方の視点を変えて我々に気付きを与えてくれることもある。
 著者と神との対話が、三作目になってやけに親密になっているのが分かって面白かったりもする。
 この 『神との対話』の三部作 は大人向け、 『アミ』の三部作 は子ども向けに記述されているけれど、気付きに至るヒントや、未来社会の様子が語られている内容は、ほとんど同じである。
 キチンと読んだ人は、人類が造って来た迷妄の枷を脱して、間違いなく進化することだろう。


【外からの承認】
 他人にどう思われるかを心配しているかぎり、あなたは他人のものだ。外からの承認を求める必要がなくなるときはじめて、あなたはあなた自身のものになる。(p.23)
 “外からの承認を求める” 態度を別な表現に変えれば、 “人に対する期待” であろうか。
 「人に期待しなければ、あなたは自由だ」
 ダンマパダ(法句経)だったろうか、仏典の中にそんな記述があった。
 ブッダも当然のことながらHEB(Highly Evolved Beings : 高度に進化した存在)だったのである。

 

【男社会と神の概念】
 ひとは神を、嫉妬深く要求がましい神を愛したほうがいい。それも、この神だけを愛するべきだ。さもないと! 男性は最も力の強い種族で、神々は最も強い男性だったから、反論する余地はほとんどないように見えた。神々に反抗し、敗れた者たちの物語ができ始めた。神々の怒りが生まれた。
 まもなく、神性についての考え方が一変した。すべての愛の源である存在から、すべての不安と恐れの源である存在になった。愛のモデルはだいたいが女性的だった。母親が子どもにいだく限りなく寛容な愛から、あまり賢くはないが役に立つ男性に対して女性がいだく愛まで。これが、不寛容で要求がましい神がいだく、嫉妬深く怒りっぽい愛にとってかわられた。劣る者に容赦なく、いいかげんなものを許さず、どんな反抗も見逃さない神だ。限りない愛を経験し、おだやかな自然の法則に従う楽しげな女神の微笑みが、あまり楽しくはない神の厳しい面差しにとってかわられた。自然の法則すら凌駕すると宣言し、どこまでいっても愛に制約を加える神だ。
 これが、現在あなたがたが崇める神であり、こうしていまのような事態になったのだ。(p.88-89)
 今日の世界に流布している “怒りの神” という概念は、男性優位社会がもたらしたものであると言っている。欧米圏の “力は正義である(power is justice.)” という概念は、愛である神から外れた男たちによる概念の詐術であった。
 怒りの神が世界を席捲する以前、紀元前の世界には、豊穣の女神像が多くあり、多数の遺跡が確認されているのである。怒りの神を創出した男たちは、力は正義であるという価値観を定着させつつ、男根形状のロケット、ミサイル、飛行機、列車を考案し、世界を支配してきたのである。
 男性の本能(力)と男性の知性がタイアップすると、現在の地球のように終局的に文明を行きずまらせる。
 女性の本能(愛)と男性の知性がタイアップしたら、世界は永続的に発展・進化することだろう。

 

 

【時間という幻想:身体を離れてみれば】
 思考と創造のあいだにある 「時間」 のずれ(何日、何週間、何カ月、あるいは何年かもしれないが)、それが、ものごとは自分が起こすのではなく自分の身にふりかかるのだという幻想のもとだ。この幻想のために、自分自身がものごとの原因であることを忘れる。 ・・・(中略)・・・ 。
 そこで、身体を離れ、自分の思考と創造のあいだに瞬間的で明確なつながりがあるのを知ると、仰天する。最初は衝撃を受けるが、やがてとても楽しくなる。自分は経験を創造する原因であって、結果ではないことを思い出すからね。 ・・・(中略)・・・。
 時間という幻想の中で生きているからだ。身体を離れると、思考と創造のあいだにずれがなくなるのは、時間というパラメーターからも離れるためだよ。(p.109)
 どうして、身体の中に宿っているときは、時間が存在するのですか? という質問に対して、「時間」 という現象は視点の問題なのだ。と答えている。
 現在という視点に入りこんで、その視点で見るからだ。(p.110)

 

 

【思考のコントロールと祈り】
 視点が思考を創り、思考がすべてを創るという事実さえ覚えていれば、それに、身体を離れる前にこの事実を思い出せば、あなたの人生はがらりと変わる。

 ―― 思考をコントロールするには、視点を変えればいい。

 そのとおり。視点を変えれば、考えが変わる。この方法を覚えれば、思考をコントロールできる。経験を創造するには、思考のコントロールこそがすべてだ。これをつねに祈ることだと言うひともいる。(p.119)
 時間と空間の視点に制約されている科学者は、祈りの効力を速やかに認知することはできない。しかし、時間と空間に制約された今日の地球の科学的視点など、いっさい眼中にない人々の祈りは、直ちに経験を創造する原因となって効力を発揮している。

 

 

【死んだら・・・】
 死者は悼んでほしいなどとは、さらさら思っていないよ。
 彼らが自らの高度な選択によってどこへ行ったのか分かっていれば、彼らの出発を悼んだりはすまい。あなたが言う 「あの世」 を一瞬でも体験し、自分と神についてのもっと偉大な考えにふれることができれば、葬儀のとき心から微笑むことができるだろうし、心は喜びに満たされるだろう。(p.161)
 チャンちゃんは 「あの世」 を体験したことなどないけれど、昔から、死によって肉体の制約から離れることができるという認識だけで、充分喜びに値すると思っているから、「なんで悲しむの?」 といつも思っている。
 ただし、地獄だとか煉獄だとかいう世界を信じてしまっている人が死んだら、その思いが直ちに経験を創造する原因となってしまうから、自ら過酷な状況の世界を創造してその中に住むようになってしまう。気の毒だけれど、男たちが編み出した恐怖の神学を頭から信じ込んでしまい、生きている間に真実を学んでおかないとそういうことになるのである。

 

 

【未来の経済】
 あなたがたは、忘れている(forgetting)が、人生は得るためにある(for getting)のではない。生命とは、与えるために(for giving)あるし、そのためには、ひとを赦す(for-giving)必要がある。とくに、期待したものをくれなかった相手を許さなければならない。そうなると、あなたがたの文化の物語は一変するだろう。現在の文化でいう 「成功」 は、どのくらい自分が 「得た」 かで測られている。どのくらいの名誉や金や力や所有物を蓄積したかで測られているのだ。新しい文化では、「成功」 はどのくらいひとに 「蓄積」 させたかで測られる。
皮肉なことに、ひとに蓄積させればさせるほど、あなたも苦労なく蓄積することになる。「契約」 も 「合意」 も 「取引」 も 「交渉」 も、与えるという 「約束」 の履行を強制しあう訴訟も法廷もなくなる。
 未来の経済では、個人的な利益めあてではなく、個人的な成長を目的にものごとを行うようになる。それが自分の利益だからだ。自分が大きく立派になれば、物質的な 「利益」 はあとから自然についてくる。(p.344-345)
   《参照》   『超☆幸福論』 船井幸雄・佳川奈未 (ダイヤモンド社)
            【ギブ・アンド・ギブ】