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 1年程前に読み終わっていた本なので、全体感は思い出せないけれど、隅が折り返してあった頁を読み返して読書記録を書いておいた。2013年7月初版。

 

【「神である自分」を知り続ける旅】
 あなたという「空」意識は、「自分は何者?」ということを知りたくて、「観察ゲーム」を開始しました。
 自分が創った現実を観て、それを確実に自らが創ったことを受け入れて「自分が何者か」を知っていく(=叡智にする)ゲームです。

 創造性というものが、私たちの【意識】の本質であり原点であり、純粋な意図です。
 この創造性という本質を高次の状態まで拡大させること、つまり神の心になって創造していくことがあなたの深い満足につながります。
 すべてを可能とする「神である自分」を知り続ける旅、それが人生なのです。
 不可能だと思い込んでいたことを、可能だったと発見する旅が人生なのです。(p.24-25)
   《参照》   『空 天翔ける歓喜の弥栄』 Mana (三楽社) 《後編》
            【創造主としての自立と責任】
「神である自己の豊かさ」を知っていくことを抜きにしては、本気で「自他共に栄えていこう!」「弥栄で生きよう!」などと、宣言できるはずがありません。 (p.38)
 「神は超越的なものであり、自分とは全く関係ないもの」などというトンデモナイ煤けた宗教的洗脳に今でも支配されているなら、とっとと捨て去るべき。そのままでは意識の進化が甚だしく遅れてしまう。
 まずは、「自分=創造者=神」であることを理解し受け入れるのが先。

 

 

【我がままの意味】
 自分が中心になるというより、「神としての自分」を中心にするということが「我がまま」の意味です。「我が思いのままに」が、我がままの意味です。(p.43)
 神のごとき“我が思いのまま”という「創造性」を失った人間たちは、「愛」を「必要性」という言葉にすり替えて、自らの欲求に従わない他者を「自己中な、我がままである」と、ここでも意味をすり替えて、相手を裁くようになったのだろう。

 

 

【結果が出ないのは、外側を変えようとしているから】
A 「嘘をつかないでね」
B 「嘘つきにならないでね」

A 「裕福になってね」
B 「裕福な人であってね」

 A,Bの言い方、あなたはどちらが心に響きますか? じつはちゃんと統計で結果が出ていて、Bの方が達成されやすいということなんです。
 なぜでしょうか。
 Aは、その人自身より、それ以外のことに重点を置いています。Aは、外側を目指し、外側のことを達成しようとしているのです。
 Bは、ただ自分自身を変えるだけですから、外側を変える必要はなく、ある意味、すごく楽なのです。内なる自分自身を、ただ「神」として決めるだけです。(p.47)

 

 

【いかり】
 感情的になって被害者意識から腹を立てる、という怒りではありません。
 本来の【いかり】は、“い”が駆けるという意味で、“い駆り”なのです。
【いかり】は、“い”が活動開始することです。
 この場合の“い”は、意であり、いのちであり、息であり、意宣りであり、息吹であり、弥栄への意思なのです。
 したがって、【いかり】とは、本当の心が躍動することなのです、
 こういう【いかり】を感じるとき、そこからは爆発的なエネルギーが出て、クリエイティビティ(創造性)が発揮されます。(p.58)
 このような【いかり】は、神意識として本質的なものです。みなさんも湧いてきたときには、大いに活用してください。(p.59)
 岡本太郎さんが、「芸術は爆発だ!」 と言っていたのは、「創造は、“い駆り”だ!」ということなのだろう。
 ところで、怒りの感情に満たされると、物すごく頭が活性化して冴えるけれど、そんな「怒り」を利用して「い駆り」の創造に転用することも可能なんじゃないだろうか。
 また、火山の爆発って、地球再創造に関わるエネルギーの噴出なのだから、「い駆り」のエネルギーの顕れという意味で取れば、そんなにヤバイことではない。

 

 

【この世で最強の現実を創る力】
 この世で(もちろんあの世でも)、【最強】なものって、何だかご存知ですか?
 それは・・・・。
 まず御自身の内なる神に問いかけてください(答えは最後に書きますので)。

「高次の神の情報」をちゃんと感じとれない人に共通しているのは、「全員でともに栄えていくことに心からの誠意を尽くします」という、意宣(いの)りをしていないこと。
 意宣りがないのは人生の羅針盤がないのと同じ。
 フラフラしていくだけの日々になります(それが悪いのではなく、神としては不自然だということです)。
「私の人生を改めます! 弥栄に心からの誠意を尽くします!」 という意宣りがあれば、どんな素晴らしい情報でもキャッチできます。
 【弥栄に心からの誠意を尽くす自覚】をしっかりさせていると、全体と調和したインフォメーションや栄える方向のインフォメーションしか来ません(問いかけるとすぐにやってきます)。
 そして、弥栄に心からの誠意を尽くす自覚を抜きにしては、他者に貢献することも、本当のヒーリングもできません。透視もチャネリングもできません。
 弥栄は技法ではないからです。
「私の人生を改めます! もっと全員で栄えていきます!」 と本気で決めるだけで、悩みも問題も起こらなくなるのです。本気度の問題です。
「愛」は情ではなく「天意」、です。つまり、「天の意向」のことです。それは人類全員が最高に満ち足りる経験を「全員で創り出す」という意思のことです。 (p.59-60)
 ということは、最高の現実創出法は、「か・な・ら・ず、最後に愛は勝つ~~~~」という「高次の神の情報」=「意宣り」に同化すること、になる。
    《参照》   『深・古事記 神ながらの道』 真名(Mana) (三楽舎) 《前編》
              【「やさか」と「いやさか」】
 神道的なる教えに従って「弥栄」の言霊を何度繰り返していても、このことをきちんと理解していないなら、意味がない。ほとんどの神道系宗教団体は、「弥栄」の意味すらきちんと教えずにやっているのだから、そこに何年属していたって、言葉が意味する本質すら分かっていないのである。
 最高の現実創出法を仏教系の表現で言うなら、「請願なきは、菩薩の魔事なり」になるだろうか。この場合の菩薩の「請願」とは、「弥栄への誠意」だろう。

 

 

【宇宙は「栄える意宣り」しか応援できない】
 欲望がないとか、わからないということは、「自分への愛」「宇宙への愛」がないことになります。しかも、もっとまずいことに、欲がない=【今そのもの】にも満足していないことのあらわれです。
 本当に「今」を満足しきっていたら、必ずその状態に【飽きて】、「全体繁栄」への次なる欲が湧くのが自然だからです。
 宇宙は「栄える意宣り」しか応援できません。 ・・・(中略)・・・ 。
 でもね・・・・。

A 会社がいやだから辞めたい、というネガティブな意宣り。
B ○○がいやだから避けたい、というネガティブな意宣り。
C 実家がいやだから、結婚するか独り暮らしをしたいという意宣り。

 これらはまことの願望ではないし、弥栄なる意宣りでもありません。
 宇宙はそういう願いや意宣りをサポートできません。
 それは、そこには何かを否定する動機があるからです。
 宇宙は「全体が栄える」ことしか応援できない。
 だから常に“意宣りなおし”が必要なのです! (p.89-90)
 「“否定する動機なき”意宣り」とは、「愛(=天意=天の意志)に則した弥栄の思い」に順ずる「いのり」のみ。
 御利益やオネダリのような「祈り」に応じてくれる存在もないわけではないけれど、それは愛(天意)に従って行動する高次元存在たちの役割ではではない。願いがかなわない時は、気づきや向上が必要な時。即ち“意宣りなおし”が必要な時。

 

 

 

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