アラゴン連合王国 旅行記 2025年
2 バラとラベンダーのマドリード
マドリードの中心街に位置するレコレートス駅を出て地上に降り立った。
この街が見どころに事欠かないことは言うまでもない。だが、今日の午後にはサラゴサへ出発しなければならない。だから今日のところは、都心のオアシスであるレティーロ公園を中心に見て回る予定だ。
だが、そのレティーロ公園はどっちの方向にあるのだろう。あいにくの曇り空で、太陽の方向もわからない。
今立っているのはレコレートス通りであることは間違いない。すぐそばには、門構えも重厚な建物が建っている。紋章付きの門には国立図書館・博物館とあるから立派なのは当然としても、手持ちの地図コピーでは範囲外である。
すると、車道をチャマルティンの行先を掲げたバスが走ってきた。チャマルティン駅は都心の北側、レティーロ公園は都心の南側に位置するのだから、バスの進行方向と逆に行けば良かろう。
レコレートス通りから裏道に折れると、並木の下にカフェのテラス席が並んでいる。パン屋のショーウインドウひとつとっても趣がある。数百メートル歩いただけであっても、ヨーロッパの都市はやっぱりいいなあと思う。
前方のラウンドアバウトにはアルカラ門が見えている。観光名所のひとつには違いない。だが、ロータリーの中心に鎮座しているので、歩道から見て「ああ、これがそうか」と思うだけだ。
ラウンドアバウトまで行くと、ビルの合間に教会の塔が見えた。どことなくイスラム風の塔であり、無名の教会であっても、こうしたものの方がおもしろい。
アルカラ門の向こう側にはレティーロ公園が広がっている。東西約1キロメートル、南北1.5キロメートルほどもある大きな公園である。
まずは公園を東西に横切って、イビサ公共市場を目指す。そこでお昼ごはんを食べるか、何か仕入れて公園で食べるかしようという目論見である。
ところがイビサの市場は寂れていた。営業している店がほとんどないのである。こうした市場の2階には食事のできる店が入っていると聞いていたのだが、それもない。目を引くのは、ミカンの房のようにデコボコした形のトマトだけである。
地下に降りるとスーパーマーケットが入っていた。しかし、こちらにもサンドイッチのようにすぐに食べられるものは売っていない。
公共市場があるくらいなので、周辺は繁華な場所でモール化した通りもある。しかし、気勢をそがれたので食べたり買ったりする気にはなれず、レティ―ロ公園に舞い戻る。
レティーロ公園の北東端には「ネコたちの山」という名の丘がある。斜面にはラベンダーが植えられていて、紫色の花が盛りだ。頂上に登ると、池に浮かぶ瀟洒なキオスクが見下ろせる。漁師小屋とかいう名前がついていて、その名のとおり、壁には魚モチーフの絵が描かれていた。
池を回り込むと公園内を南北に貫く大通りに出た。もちろんクルマの通行などはできない。この道の片側には、一軒一軒に番号が振られたストールがはるか彼方まで並び、仮設の書籍市となっていた。番号を見ると200軒以上が集まっているようだ。あいにくとスペイン語はほとんどわからないので、店を冷かす気にもなれない。
ストール群の裏側にはもう一筋の並木道があるので、途中からそちらを歩いてゆく。樹はトウカエデのようだ。この樹は樹皮が剥けた姿があまり好きではないのだが、伸び伸びと枝を張っているからかそんなことは気にならない。
並木道からそれて坂を下ると、水晶宮の正面に出た。ロンドンのクリスタルパレスと同様の温室である。残念ながら工事中で板塀に囲われているのだが、樹木や噴水の向こうに建物の上半分が見えている。前面の池にはグロッタも作られていて、ご婦人方が写真を撮り合っていた。
歩き続けて、レティ―ロ公園の最南部までやって来た。バラ園があって、ここも花の盛りである。
向きを西に転じてさらに歩いて、公園南西端の門から外に出る。まっすぐ行けば、アトーチャ駅の正面に出るはずだ。この道の名はクエスタ・デ・クラウディオ・モヤノという。クエスタとは坂の意味だけど、坂に名前を付けたというより道路名の一種と言った方がいいだろう。日本以外で道路名とは別に坂に名前をつけている国があるだろうか?この坂道が有名なのは常設の古本屋街になっているからで、木造のストールには味がある。ただし、先述の書籍市にスタッフもお客も引っ張られているのか、閉じている店が多かった。
レティーロ公園とアトーチャ駅の間には、国やら州やらの政府庁舎が建ち並んでいる。どれも個性的な建築ばかりである。
イビサ市場で昼食ができなかったので、列車に乗る前に何か食べておきたい。アトーチャ駅前から街の中心に向かうアトーチャ通りなら、店を見つけるのも容易だろう。
その前に、プラド通りを100メートル程北上して、カイシャ・フォールムという展示場の広場にある「垂直の庭」を見に行く。これは、隣に建つビルの壁一面が植物に覆われているというもので、特段に珍しいものではない。ただ、ここの壁面は460平方メートルもあるのだから、平面の庭としても十分広い。
アトーチャ通りに戻り、都心方向に向かって歩いてゆく。この通りの下には地下鉄1号線が走っているのだから、マドリードにおける主要道路のひとつと言ってよいだろう。しかし、道幅は狭く上下各1車線しかない。建ち並ぶビルには美しいものもあるのだが、そうした建物に限って、歩道上の街路樹が茂っていて写真には撮れない。横丁を覗けば、人通りも少なく場末感が漂う。
そんなアトーチャ通りを数分歩くと、歩道がひときわ混雑してきた。アントン・マルティン市場に着いたのである。こちらの市場の方が先ほどのイビサ市場よりも開いている店が多く活気がある。周囲の路地にも飲食店が集まっていて賑やかな下町といった雰囲気だ。
アトーチャ通りに並ぶカフェテリアの1軒に入り、ボカディーリョとカフェ・コン・レチェを注文する。昔食べたボカディーリョはとにかくフランスパンが硬かったという記憶がある。しかし、このパンは適度な硬さで食べやすい。だが、たったこれだけで6.85ユーロもするとは、これからの旅程が思いやられる。
まだ時間があるので、アトーチャ通りをもう少し都心方向へ歩いてみると、通りの右手に長方形の広場が現れた。バス停や自転車のターミナルが散在していて、取り囲む建物も角地の劇場を除けば新しいビルばかりだ。
しかし、そこからは歩行者天国が伸びていて、かなりの人出である。その道を200メートル程も歩くと、また別の広場に出た。それがマドリードの、ということはスペインのヘソとも言うべきソル広場であった。
この広場にはさすがに観光客の団体が群れをなしていた。とはいえ、大きいだけでとりとめのない広場のようにも思える。
そろそろアトーチャ駅に向かって引き返した方が良さそうだ。小さな商店のショーウインドウを覗いたりしながら裏通りを通っていく。
角を曲がると小さな三角形の広場があって、窓が妙に大きなモデルニスモ風のビルが建っていた。この建物はシメオン・ビルと言い、元はデパートだったのだそうだ。
アラゴン連合王国 旅行記 2025年
1 エティハド航空マドリード行
ここ数年、夏は仕事が忙しくてあまり休みが取れなかったのだが、今年は久しぶりに休みが取れることになった。さて、どこへ行こうか。茶畑を見にカフカスかイランか?しかし、意外と航空運賃が高い。むしろ利用客の多い西ヨーロッパの方が、距離は遠くても運賃は安い。とりわけエティハド航空にお得感がある。(いくら安くても中国経由は勘弁してほしい)
いろいろ制約がある中で旅行先を検討するのは楽しい。結局、今年はスペインに行くことにした。アブダビ経由でマドリードに入ってバルセロナへ抜けるコースである。宿泊地は両都市の中間にあるサラゴサ、リェイダ、マンレーサの3カ所。宿泊費高騰の折、いずれもAirbnbで予約を入れた。
サラゴサは言うまでもなくアラゴン王国の都であり、リェイダとマンレーサもカタルーニャの街である。だから今回の旅行は主にアラゴン連合王国の版図を廻る旅となるわけだ。
エティハド航空801便アブダビ行きは成田発が17時40分だから、悠々と家を出ればよい。ところが、12時頃にスカイアクセス線の運行状況を確かめると大幅な遅延が生じているという。あわてて荷物をまとめて、とりあえず東京駅まで行く。八重洲口12時50分発のバスに乗れて14時には空港に着いてしまったから、余裕があり過ぎる。
搭乗時間になり機内へ。機材はA350。シートのヘッドレストが折れ曲がった位置で固定されている。座席に置かれた枕も大きい。ただし、この枕は立派すぎてお腹を圧迫する。アイマスクなどの入った袋はトートバッグになっていて、これは旅行中、便利に使えそうだ。歯ブラシのセットは入っていなかった。
五島列島のあたりで、1回目の機内食。甘辛つくね弁当のようなもので、なかなか味が良い。紅茶も香りがあって、しかも大きなカップにたっぷりと注いでくれるのがうれしい。
エティハド航空は中東御三家の航空会社の中では後発で、不利をカバーすべく工夫を凝らしているようで好感が持てる。
さて、東京から湾岸諸国への大圏コースなら北京からイスラマバード付近を経由するはずだ。しかし飛行機は西南西に飛んで、昆明やカルカッタの上空を通過して行った。
アブダビ時間の21時、ウダイプールのあたりで2回目の機内食。インド上空だからというわけではないだろうが、メニューはチキンカツカレーである。ただし、あまり辛くはない。機内では無為だし夜食としては重たいはずだが、全て平らげる。
23時30分、アブダビ・ザイード空港着。オープンしてから1年半ほどしかたっていないので、どこもかしこもピカピカだ。有機的な形態のターミナルビルは通路も広々としているし、トランスファーのセキュリティチェックでは並ぶこともない。
X線の検査場を出るとターミナル中央のホールを見下ろすテラスに出る。同様の構造を持つ空港ターミナルは多いが、なかなかいい演出だと思う。
それにしても、何ときらびやかな空港であることか。こういうワクワク感のある空間は日本の空港にはない。欠点を強いて言えば、トイレが比較的少ないことか。
マドリード行きEY101便の出発時刻は2時15分。体力的にはきつい時間帯だが、そのお陰で東京を出た翌朝にマドリード着という、ある意味で理想的な旅行ができるのだから我慢しよう。
さすがにこの時間では離陸直後の機内食はなく、飲み物のカートが回ってきただけであった。
うつらうつらしているうちにマルタ上空まで来ていた。機内食が配られ始める。朝食ではフレンチトーストを選んでみた。これはクランベリーソースとカスタードクリームのパンケーキみたいなもので、べたべたと甘ったるい。普通のスクランブルエッグとソーセージにした方が無難だったかもしれない。
やがてバレンシア付近でイベリア半島に差し掛かった。しかし、地上は雲に覆われていてほとんど見えない。それでもマドリード・バラハス空港が近づくと雲が切れ、地表の様子が伺えた。意外と耕地が多いようだが、麦畑は実りの季節でベージュや黄土色が勝っている。その上、天気が悪いせいもあってか全体に冴えない色合いだ。やはり英国などの緑したたる大地とは様子が違う。
8時5分、定刻にバラハス空港着。スペインに足を踏み入れるのは実に40年ぶりのことであるから、マドリードに来るのも40年ぶりだ。あのときはここから東ベルリン経由モスクワ行きのアエロフロートに乗ったのだった。当時のバラハス空港がどんな建物だったかは覚えていない。覚えていないくらいだから、多分、平凡なターミナルだったのだろう。今回降り立ったターミナル4の建築はデザイン性の高さで有名である。確かに入国審査場に向かう通路からして、旅先への期待感を高めてくれるものがある。
しかし、EU市民以外用の入国審査場は通路を回り込んだようなところにあり、少々わかりにくかった。審査場のブースを通り抜けた後は、エスカレーターや階段でどんどん下ってゆく。随分と深いところにターンテーブルがあるのだなと思ったら、着いたところははシャトルの駅であった。自動運転なのに運行本数が少なく、しかも本館まで5分もかかると書いてある。いずれにしても、サテライトに出入国の審査場がある構造は珍しいと思う。
この空港の地下には地下鉄と、スペイン国鉄の近郊線であるセルカニアスとが乗り入れている。空港加算料金のある地下鉄よりセルカニアスの方が運賃は安いのだが、運行頻度は30分おきと少ない。そのかわり駅が少なく所要時間が短いので、今回はセルカニアスに乗って都心を目指すことにする。
到着ロビーから斜路を下り鉄道駅のフロアへ。駅への入口は手前に地下鉄、奥にセルカニアスという配置であり、切符の自動販売機もそれぞれ並んでいる。しかし、この券売機は外国人には難物だ。
まず、言語切り替えのボタンが反応しない。だから、スペイン語と格闘することになる。続いて運賃を選ばなければならないのだが、切符の種類が多いうえにボタンの並べ方が適当なので、大人片道である「ADALT IDA」を探し出すのに苦労する。そのあとも2回画面が遷移し、それぞれ「NO」「SI」と選択しないと購入にたどり着けないのである。
そんなだから、降りる駅はレコレートスなのに、うっかりしてアトーチャまで買ってしまい、0.1ユーロ損してしまった。
ホームに降りると、奇妙なことに出発案内の類が全く見当たらない。空港駅は終点だから、やってきた電車に乗れば良い(乗るしかない)のではあるが、異国からの旅行者としては不安を覚える。
しばらく待ってやって来た電車に乗りこむ。空港連絡線にふさわしいスマートな外観に引き替え、グレーの内装は殺風景だ。なんだか自分で組み立てる安売り扇風機の内部を思わせる。
空港駅を出るとほどなく地上に出た。大都市の郊外故、美しい風景ではない。それどころか車庫に留置されている電車も、線路が敷かれた掘割の擁壁も落書きだらけである。しかも途中駅の手前で停車して、15分あまりも動かなかった。車内放送などしないから理由はわからない。なんだか不安な旅のはじまりではある。
チャマルティン駅で、別な系統の電車に乗り換える。チャマルティンはマドリードの主要ターミナルのひとつであるから、ホームが幾本も並んでいる。
降りたホームのディスプレイには系統番号と行先、ホーム番号それに発車時刻が表示されてはいる。しかし見知らぬ駅名ばかりだから、系統番号がわかっても都心方向に向かう列車なのかどうかがわからない。
それでも地図などと見比べるうち、3分後に発車のC-8系統が目的地のレコレートス駅を経由するとわかった。この車両は2階建であるが、平日の朝方だというのに乗客は1両に数人程度しかいない。
マドリードの都心部を南北に貫く地下線をのろのろ走って、地下駅のレコレートス駅に着く。電車がガラガラなのだから降車客も2~3人しかいない。集団スリにでも襲われたらひとたまりもなさそうな状況ではある。
ほぼシベリア 東北カザフスタンを行く 2024年
22 ソウル途中降機
アルマティ22時発のアシアナ航空578便に搭乗。離陸後すぐに、ラップにくるんだツナバーガー1個の配給があった。ホテルをチェックアウトする前に、スーパーマーケットで買ったタンミョンサラダとサンドイッチをつまんでおいてよかった。
ソウル時間の5時40分、北京の手前当たりで早くも2回目の食事。メインは鱈の天ぷらで、身が大きくて食べ応えがある。
定刻7時40分に仁川空港に着陸。成田行きの出発は18時40分発なので、今日はほぼ半日をソウルで過ごすことができる。ソウル駅から南山に登り、東大門方面へ下りるコースを考えている。リュックサックは預けてしまってエコバッグひとつの身軽ないで立ちである。
入国審査場は朝から長蛇の列であった。宿泊地の欄に「今日のOZ108便で出国する」と書いた入国カードを提出する。係官が「よくわかった」というふうにうなずいている。脱臼した腕を釣ってはいても、指紋登録機に何とか指が届いた。無理なら別に方法があるらしい。
入国審査で随分と待たされたようでも、8時40分発の空港鉄道に間に合った。外の気温はマイナス2度。風が頬に冷たい。だが太陽が出ているから、南山に登ったら羽織っているダウンコートが邪魔になるかもしれない。
駅の券売機でT-MONEYにチャージする。このとき「充電しています」と音声でも言うのが、何度聞いても可笑しい。音声は韓国人にも聞こえてしまうから、韓国語では微妙な意味の「チャージ」とは言わないようにしているのだろうか。
ソウル駅を出て、まずは南山の麓にある厚岩(フアム)市場を目指す。そのためには駅前を横切る大通りを向こう側へ渡りたい。しかし、地上には横断歩道もなければ、歩道橋も見当たらない。地下に潜って、狭い地下鉄4号線の通路を延々と歩いて地上に出る。現代風のビルが立ち並ぶ大通りから一歩入ると、ごく庶民的な住宅街が広がっていた。
山に登る前に、飲み物を仕入れようとコンビニエンスストアに入る。だが、500ミリリットルの飲料が軒並み2300ウォン程度はする。たまたま、とうもろこしのひげ茶が1650ウォンに割引だったので、迷わず購入した。
厚岩市場は、小ぶりの全天アーケードがかかった市場であった。但し、今では入居しているのは飲み屋ばかりである。表の片側アーケードの方が普通の商店街なのだが、さすがにこの時間では、開店準備中というところだ。
このあたりから道路が南山に向かって相当急な上り坂になる。いよいよ登り詰めたところにはエレベーターがあって、その上はもう南山公園の一角だ。
発掘された石垣に屋根をかけた漢陽都城展示館を見る。石の積み方がわざとらしく、かなり「復元」の手が入っているように思える。
登山路の階段は、その展示館の脇から始まっていた。今日は土曜日だからか、中高年者のグループがトレッキングの装備で階段を上がってゆく。欧米人の観光客も多く、彼らの中にはTシャツ姿の猛者までいる。
登るにつれ、ソウル市街の北側に連なる北岳山が見えてきた。都城壁が龍のように山腹を這いあがっているのがよく見える。いつかはあちら側の尾根も縦走したいものだ。
さらに上ってゆくと、北岳山のそのまた背後に控える北漢山の展望も開けてきた。
ソウルの都心には北側に李朝時代の王宮がいくつも並んでいるが、それらの甍も見え隠れしている。
南山タワーが近づくと、満員の乗客を乗せてロープウエイが上がって来るのが見えた。タワー周辺の展望台には、観光客よりも地元の若者たちの姿が目に付く。
南山タワーの足元を通り過ぎ、車道を少し下った先で左に逸れる。自然探勝路として歩道や階段が整備されていて、東大門方面へ下ることができる道だ。しかし、西側の登山路に比べると訪れる人ははるかに少ない。樹林の中を行くので、展望もあまり効かないからずんずん下る。
劇場などがある公園内の園路のようなところを通り抜けると、さいごは東国大学の構内に出た。学校は休みのようで、構内を歩く人が全くいない。坂を下って行けば正門に出るはずと、ここでもどんどん下る。
すると、まだ大学構内だというのに階段の上に寺があり、鐘楼には鐘もぶら下がっている。正覚院(チョンガクウォン)という名前だそうだ。ちょうど12時で、警備員の男性がやって来ると鐘を12回撞いた。
街なかに出て東大門近く、ロシア・中央アジア人街にあるロシアケーキの店に行く。この店、店名が何なのか未だによくわからない。今日は比較的すいていて、直ぐに入店。メドヴィクというハチミツのケーキを食べる。ここのケーキはとてもおいしいのだが、ケーキとアメリカーノ・コーヒーで12000ウォンもする。カザフスタンの物価に慣れた身にはちと辛いものがある。
空港に行くまではまだ時間があるので、ソウル駅方向に向かってぶらぶら歩いて行こう。中部海産物市場を横切り、昌慶路の家具屋街を瞥見し、愛想のない乙支路をさらに西へ。
だいぶ歩いたところで小さな交差点の角をひとつ曲がると、唐突に明洞の繁華街が現れた。これまでソウルに来たことはあっても、明洞に足を踏み入れるのは初めてだ。
明洞の歩道には屋台が並び、大変な雑踏であった。脇道などは入り込む余地がないほど若者が蝟集していて、これでは転倒事故が起きるのも無理はない。屋台を覗き込むと小さな蟹のから揚げなどがカップに盛られていてうまそうだ。だが、片手が不自由では食べるのに難儀しそうなのであきらめる。
屋台を冷かしつつ歩いてゆくと、前方に渡り廊下で結ばれたビルが見えてきた。地図を見ると、ロッテ百貨店だとある。
中に入ってみると、有名百貨店の本店にしては売り場面積も狭いし、天井も低くて全体に野暮ったい。建てられたのは半世紀近く前だから、当時はこれでも最先端のデパートだったのだろう。渡り廊下からは、今しがた通ってきた屋台の通りを見下ろすことができた。
ロッテ百貨店からは、古びた地下商店街を抜けて市庁駅へ。この地下道ではやけに日本語が目立つ。歩き疲れたのでソウル駅までひと駅だけでも地下鉄に乗る。ホームのディスプレイには次発、次々発列車の車両ごとの混雑度が表示されていて、これはなかなか親切だ。
ソウル駅のコンビニエンスストアで夕飯用のおにぎりを3個買い込んで仁川空港へ。空港の出発ロビーでは高校生の楽団が威風堂々を演奏していた。
成田へのアシアナ航空ではでは、思ったよりもボリュームのあるボックスランチが出た。おにぎりは1個でよかった。
[ ほぼシベリア 東北カザフスタンを行く 終わり ]
ほぼシベリア 東北カザフスタンを行く 2024年
21 アルマティ(2)
地下鉄でアルマティの中心部へ戻ろう。乗車駅はバイコヌール駅である。入口の背後にそびえ立つビルのてっぺんには、化粧品のニベアのロゴが見えている。
この街の地下鉄入口は、どの駅もあまり変わり映えがしないし、庇に「M」のマークがあるだけで、駅名も表示されていない。地下鉄は一路線しかないのだから、地元の人にとっては駅名など分かり切っているということなのだろうか。
一方、地上の素っ気なさとは対照的に、通路やホーム意匠が凝らされている。しかしながら、宇宙がテーマだというバイコヌール駅のホームは、プラスチックでできた宇宙船のおもちゃのようで、どうも安っぽい。
やって来た電車は、立客が出るほどの乗車率であった。以前、都心部区間を乗車したときにはあまりに空き過ぎていて、存続が心配になったほどだったのに意外だ。どうやらこの路線、南西の郊外部の方がよく利用されているようだ。
3駅乗って、ジベック・ジョールィ駅で降りる。ジベック・ジョールィとはシルクロードの意味で、現代カザフスタンでは大層好まれている名前である。アルマティでも最も中心的なショッピング・ストリートにその名がついている。
駅の装飾もなかなか凝ったもので、特に玄関ホールにあるタイルと陶板レリーフで構成された地図が楽しい。
地上に出たところは、ビルが立ち並び人も車も多いところだった。しばらく地図と見比べて、ゴーゴリ通りとパンフィーロフ通りの交差点であるとわかった。遊歩道になっているパンフィーロフ通りを1区画北上すると、東西に走るジベック・ジョールィ通りに出た。
幅の広い通りが歩行者専用になっている。人通りは少なく、空気は清々しい。ところどころに昔ながらの建物がきれいに化粧をされて残っている。
通りを東へ進むと、幹線道路の下をくぐり、パサージュというショッピングセンターに突き当たった。パサージュと言えば建物の中に通路が作られているのが通例だが、ここは細長い2階建ての建物が道路幅のほぼ全部を占拠してしまっている。
外観の安っぽさに引き替え、入居しているのは高級そうな店ばかりだ。だからトイレもきれいである。但し、ここでも用を足した後の紙は屑籠に捨てなければならない。
パサージュを通り抜け、キョク・バザールの一角に位置するデギルメン・エクスプレスへ。シャウルマのコンボを注文する。見かけより分量が多く、ひとつでおなかがいっぱいになった。窓外の歩道には、服や寝具の露店が並んでいる。
キョク・バザールを背にしてさらに北上すると、中央モスクが見えてきた。ちょうど雲が途切れて、金色のドームが輝いている。どういうわけか周辺の道路は大変な雑踏で、警察車両まで出動している。しかも、歩いているのはむくつけき男ばかりである。それに加えて、人出を当て込んでいるのか、こじきまで集まっている。こちらは性別、年齢とも様々だ。
何の騒ぎかと訝りつつ歩いてゆくと、モスクからアザーンが流れてきた。今日は金曜日であったと気がつく。モスクの庭には通りを向いて、礼拝に集まった男たちがびっしりと並んでいた。メッカの方向を向くならもう少し左と言いたいところだ。しかし、アルマティの街路は反時計回り方向にわずかに振れて東西南北に直交しているので、やむを得なかろう。
そのまま通りを北上して、メレイというショッピングセンターに行く。ここは、都心に近いにも関わらず、郊外型のモールのように広大な敷地を占めている。大きなスーパーマーケットもあるので、お土産を買い込む。土産物といっても普通に売っているビスケットやウエハースの類である。家に帰って旅路を偲ぶにはこういうものの方が最適だと思う。
買い込んだお菓子類をホテルの部屋に置いて、さいごに街をもうひと回りしよう。既に日は傾き、ゼンコフ教会の尖塔もオレンジ色に染まっている。
折角来たので、お参りもしておこう。以前に来たときには気付かなかった、青いタイル貼りの洗礼台らしきものが目を引く。
聖堂内の雰囲気に少し浸ってから表に出ると、嬌声が聞こえてきた。教会に隣接した広場に仮設のスケートリンクが出来ているのであった。滑っているのは子どもや若者ばかりで、中年以上の人はいない。見ていると、アルマティっ子だからといって、スケートが上手とは限らないようで、9割方は足の運びがぎこちない。
ゼンコフ教会にほど近いゴーゴリ通りにクリコフの店があるので、ちょっと休憩。 エステルハージなるケーキを頼んだら、アーモンドをたっぷり使ったケーキであった。名前からして、ハンガリーに関係しているのだろう。この店は気軽に入れて、ケーキが1000テンゲ前後、300円程度で食べられるので大変に重宝する。
夕暮れのジベック・ジョールィ通りを一瞥してホテルに戻り、荷物をまとめてチェックアウトする。空港へのバス停も至近距離にあるので便利な事この上ない。
しかし、夕方のラッシュ時にかかり、道路は大渋滞。空港行きのバスもここに来る手前で3台が団子運転状態になっているようだ。かなり待ってやってきた1台目は満員で乗れず、2台目には何とか乗れたが、運転席の横に押し込まれた状態になってしまって身動きが取れない。
空港への道路はアルマティⅠ駅とⅡ駅とを結ぶ線路に並行している。その線路をⅠ駅を出たタルゴがバスと並んで走ってゆく。バスの速度計と照らし合わせると、時速50キロメートル前後で走っているようだ。大きな交差点でバスは信号待ちの列につかまり、タルゴはテールランプを後に曳いて走り去って行った。


















































































































