ザカフカス旅行記  2026年

2 ディリジャン パノラマハイキング

 

 さて、ディリジャンのラウンドアバウトで車から降りた。国境では両替できなかったので、少しはアルメニア・ドラムの現金を手に入れておきたい。

 下車した場所のすぐそばに銀行の派出所があり、キャッシュディスペンサーも備え付けられていた。だが、この機械では手持ちのクレジットカードを受け付けてくれない。窓口の人に聞くと、ここで両替はできないとのことだ。

 

 

 谷間に位置するこのラウンドアバウトはディリジャンの交通拠点ではあるのだが、街の中心はここではなく、もっと高い所にある。派出所のそばから階段を上がって500メートルあまり歩くと、その中心街に着いた。スーパーマーケットが2軒あり、歩道で野菜を売る人などもいて、それなりに人通りがある。

 元は役所だったような、広場を従えた建物が今はアメリア銀行になっている。ここでようやく両替ができたのだが、手数料が非常に高かった。だが、現金が全くないのもさすがに不安なので、これはいたしかたあるまい。

 

 

 スーパーマーケット内のパン屋で昼食を仕入れて、歩道のベンチで腹ごしらえとする。パン3つで633ドラム(320円)。果物の砂糖漬けをくるんだデニッシュがおいしい。

 

 予約してある宿のチェックイン時間まで間があるので、近場でハイキングを使用と思う。

 ディリジャン中心街から東へ直線距離で約3キロメートルの、パノラマと名付けられた手頃なコースがある。

 

 

 スーパーマーケットの先から脇道にそれ、坂を上ってゆく。左右は緑の濃い住宅街で、その中を貫く通りにはほとんど人影がない。

 何しろ非常に暑いのだ。ディリジャンの標高は1200メートルもあるから、爽やかな高原の空気を期待して来たのに、とんでもない。

 

 

 そんな白っ茶けた街路を元気に走り回っているのは、子どもだけだ。既に夏休みに入っているのだろう。

 その子たちが、歩道に店を広げていた。自分たちで描いた絵を売っているのである。1枚500ドラム(250円)と商魂逞しい。さすがはアルメニア商人のたまごたちである。

 

 

 家並みが途切れると、だんだんに視界が開けてきた。この地方はアルメニアの中でも雨の多い地方だそうで、山なみの様子は、信州あたりの風景とよく似ている。

 

 

 

 このあたりからは、概ね等高線に沿った道になる。小さな原っぱが開けたところは花盛りだ。ハマナスのような花も咲いている。

 

 

 沿道には農家が点在していて、牛を放牧していた。柵などはないのだが、おとなしい牛で怖くはない。

 

 

 

 いくつか沢を横切る。渡るための設備はなにもない。だが、水量は少なく、運動靴でも問題なく渡れた。

 

 

 やがて道は下り坂になり、小川の徒渉点に出た。川を越えてもう少し先まで行ってみるが、森の中の道が続くばかりであまりおもしろくない。引き返して、往路の一段下を通る道に入った。

 

 

 

 こちらの道には、古い墓石があったり、打ち捨てられたキャンプ場の設備が残っていたりした。

 

 

 

 

 牧場の主な設備もこちらにあるようで、車の轍が深く、泥道になってしまっているところが何カ所かあった。

 

 

 往きに通った住宅街まで戻ってきた。ここから街の中心には向かわずに、もうひと踏ん張り坂を上って、街の背後にある展望マークの場所まで行ってみた。

 そこからは、さっき車を降りたラウンドアバウトや、そのそばにあるモニュメントが見下ろせた。

 谷を挟んだ向かい側の斜面にも、建物が並んでいる。地図上では、街路の配置は別荘地のように思われる。予約したホテルはこの地区のどこかにあるはずだ。

 

 

 地図を見ながら、街の中心へ向かって森の中を下る小径に入る。地図上ではいくつもの経路があるはずなのだが、実際にたどれる道はそんなにないようだ。オーストリア国旗みたいな赤白赤のマークが木の幹にペイントされているが、それも途中でわからなくなってしまった。

 そんな道でも、ハイカーやバーベキューをする人たちと何組か出会う。結局、だいぶ回り道をして、なんとか麓まで降りることができた。

 

 

 

 とにかく喉が渇いた。崖の縁に位置するピッツェリアに入る。眺めのいいテラス席に座ると風が心地よい。

 軽やかなステップで注文をとりにきたウエイトレスは、中学生くらいの女の子だった。夏休みで家業を手伝っているのだろうか。

 

 

 ナチュラルジュースなるものを頼んだら、昔懐かしい、牛乳瓶に入って売られていたリンゴジュースと同じものだった。

 

 

 

< に続く>

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ザカフカス旅行記  2026年

1 アルメニアまで

 

 今年の夏休みにはザカフカス地方に行きたいと思った。だが、この地域への旅行者はそれなりにいるはずなのに、旅行情報は少ない。「地球の歩き方」でも未だにロシア編の一部に含まれているに過ぎないくらいだ。(だから、ずっと更新もされていない。)

 しかも、日本から行くなら中東での乗り継ぎが便利なのだが、中東情勢は不穏なままだ。

 

 そう思っていたある日、東京からソウル経由、エア・アスタナでトビリシまで通しのチケットをエクスペディアで発売しているのを見つけた。

 予約時点では、往路がアルマトゥイ、復路はアスタナ経由だったのだが、直前になって復路便に時刻変更があって乗り継ぎができなくなってしまった。というわけで、往復ともアルマトゥイ経由となった。

 

 今回の旅行は、日程の都合でアゼルバイジャンには行けない。調べたところ、アゼルバイジャンに関しては、飛行機での入国でなければアライバル・ビザの対象にならないし、陸路だと今のところ出国はできても入国はできないのだ。

 アルメニアには行く予定だが、鉄道には乗れないし温泉にも入れない。

 グルジアではカフカス山中のアッパー・スヴァネティへ行きたかったのだが、これも、航空便が夏休みというのに運休で不可。

 そんなわけで、何かと満足のいかないプランでとなってしまったのだが、この地域が気に入ったらまた行けばいいと思うことにする。

 

 

 羽田から仁川へはアシアナ航空の夜行便である。現代のムーンライト号だなと思いつつ、改めて時刻表をくくると、大韓航空の便も雁行して飛んでいる。 ピーチが飛んでいるのは知っていたが、いつのまに3便も飛ぶようになったのだろう。

 

 待合室のイスで搭乗を待つ。家で50分ほど仮眠をとってから来たにもかかわらず、やはり眠い。しかし、 天井のスピーカーから流れるアナウンスがうるさくて眠れない。まあ、今回に限っては眠れなくてよいのだが。

 

 搭乗時間がきて、A330型機の窓際席におさまる。隣は空席だったので快適、快適。

 わずか2時間40分の飛行時間でも、フルサービス・キャリアだから機内食が出る。ボックスランチしか出ない昼間の便よりもしっかりした内容だ。この時間に出されても有難迷惑のような気もするけれど、おなかはすいているので食べておく。

 

 

 短いフライトが終わり、仁川空港に着いた。ここでの乗り継ぎ時間は7時間もあり、何とも中途半端な時間だ。早朝のことでもあり、空港内で過ごすことにする。

 アシアナ航空の利用ターミナルが第2に移ってしまったので、シャトルを乗り継ぎ第1ターミナルへ向かった。

 まずコンビニエンスストアCUで朝食を確保しておきたいと思う。だが、意外に品ぞろえが少なく、特にパン類が全然ない。炒り玉子のおむすびを購入しておく。明日の朝食用にクルミ饅頭も買っておく。

 

 続いて、無料休憩所であるNAPゾーンへ。時間帯からして空きが出ると予想したとおり、寝椅子から立ち上がった人がいたので、そのあとにすべり込む。少しだけ寝られた。

 

 

 

 エア・アスタナ910便、アルマトゥイ行きも隣は空席だった。

 アルマトゥイ時間の10時、食事が出る。ちょっと辛い焼きビーフン、生の小エビがのった糸こんにゃくサラダは酢醤油味、パンに塗るのはクリームチーズ、そしてチョコレートムース。どれも機内食っぽさがなくておいしい。緑茶のティーバッグはロシアのTESSだった。

 

 

 食事が終わって窓の外を見ると、地面はすっかり沙漠になっていた。銀川の北方あたりを飛んでいるようで、その先も中国領の乾燥地帯が延々続く。

 沙漠を貫く高速鉄道の線路が見える。涸れ川には橋を架け、山脈はトンネルで抜けているのが上空からでもわかる。並行して少しうねった線も見えるのは、旧線なのだろうか。

 

 

 街の周りには耕地が広がり、分れた支線が小さな貨物駅で終わっているところもあった。

 

 12時30分、ウルムチ上空に達した。ふたつのスタジアム、それらよりも大きな銀色に光る鉄道駅。ドミノ倒しみたいに並んだ郊外の団地群が何だか気味悪い。市街地のさらに外側は青い屋根の工場群が占めている。

 

 

 ウルムチを過ぎると、地表はかなり高い山塊に変わった。山脈の中央部には雪が残り、カールした氷河が何本も見える。これは天山山脈の支脈で、ボロホロ山脈というらしい。

 

 

 山なみを越えた先は、乾燥地帯ではなく、緑色の大草原や耕地が広がっていた。中国とカザフスタンの国境がどこかは不明だが、これは紛れもなくカザフの大地だ。

 

 

 

 アルマトゥイでの乗り継ぎ時間は4時間。

 910便では食事が1回しか出なかったのでおなかが空いた。だが、この空港内の店はどこも値段が高い。ケーキがひとつ1200円、500ミリリットルのペットボトルが300円と、市中の店の3倍以上するのでは、買う気になれない。

 さっき買ったクルミ饅頭をひとつつまんでおく。

 

 

 

 

 アルマトゥイからトビリシへもエア・アスタナで飛ぶ。さっきの便ではスチュワーデスが安全デモンストレーションをしたのだが、この便ではビデオである。だが、これはただのビデオではなかった。こんな感じである・・・

 

 シートベルトを締めると、ユルトの前でベルトを使って綱引きをする

 

 酸素マスクが天井から出てくるのはメデウ(アルマトゥイ近郊にあるスキーリゾート)のゴンドラの中

 

 松明に照らされた通路の奥にある扉を開けると、戦士たちが城からの退却方法を検討している。その城は飛行機の形・・・非常口の説明だった

 

等々・・・真っ当なビデオでは、たとえ正しくわかりやすい映像であっても誰も見ない。このビデオなら、何回でも見てしまうだろう。

 

 

 さて、この便の夕食はクリームチーズがけのヴァレニキだった。マイソクというカップ入りのデザートがついている。食べてみると、甘いクスクスみたいなものであった。調べてみると材料はキビとのことで、クスクスとの印象は当然のことだった。

 

 

 

 トビリシ空港での入国審査は何と言うこともなく通過した。

 バス337系統に乗って予約してあるゲストハウスに向かう。

 下車する停留所名はもちろんわかっている。だが、車内の表示器は故障しているし、バス停に停留所名の表示もない。それでもスマートフォンの位置情報に頼るまでもなく、経路の右折左折から判断して、目的の停留所で降りることが出来た。

 

 道すがら、まだ開いている商店を覗く。だが、素朴なパンくらいしか買うものがない。中央アジアで言うところのノンを買っておく。

 

 ゲストハウスは、低層の住宅街にあった。

 バスを降りたときから感じていたのだが、夜になったというのに大変に蒸し暑い。

 このゲストハウス周辺は、地形が谷になっているからよけいに熱気がこもっている気がする。窓を開けたまま寝てしまう。

 

*       *       *

 

 

 朝6時起床。この時間はさすがに涼しくて、長袖シャツを着こむ。

 仁川空港で買ったクルミ饅頭をかじって、ゲストハウスを出た。

 

 

 今日はアルメニア北部のディリジャンという街まで移動する。

 トビリシとアルメニアとを結ぶバスは、INFOBUSなるサイトでチケットを購入でした。運行会社はいくつかあり、朝7時発の便が一番安かった。

 

 そもそも、トビリシではバスターミナルがいくつかに分散していて非常にわかりにくい。ところが、この会社はバスターミナルすら使わず、ショッピングモールの裏手にある駐車場から発車するという案内である。

 ゲストハウスから10分ほど歩いてその駐車場に着いた。裏通りに面した関係者駐車場のようなところで、バス停を示す表示など何もない。しかし、リュックサックを背負った人がいて、通りがかりの人に何やら訪ねているから、ここで間違いはないらしい。

 

 発車時間が近づくと、三々五々、乗客が集まってきた。皆、不安げな表情である。

 発車時間になった。いつのまにか現れた運転手が、駐車している車を指し示す。バスではなく、2台の乗用車に分乗するのであった。

 車体には「Poputi.AM」の文字が見える。アルメニアでは大手のライドシェア・サービス提供会社だそうだ。

 

 トビリシを出て1時間弱。アルメニアとの国境、サダフロに着いた。

 ところで、トビリシではあらゆる看板が独特のカルトリ文字で書かれていた。何でも法律で義務付けられているとのことだが、外国人の旅行にはかなり困難を伴う。

 それでも国境が近づくと、古いロシア語の看板が残っているのが散見されるようになった。

 さらに、国境を越えアルメニア側に入ると、かなりの割合でアルメニア語とロシア語が併記されるようになった。

 

 さて、アルメニア側の入国審査も難なく通過し、車が通関するのを待つ。ここには売店やトイレ、そして保険会社の出張所があった。両替所やキャッシングマシンの類はない。

 最近、グルジア入国には一定額以上の保険加入が義務付けられるようになったので保険の窓口が設けられているのだろう。だが、仁川空港の搭乗口では確認されたものの、トビリシ空港の入国審査では何も聞かれなかった。

 

 車が通関するのをしばらく待ち、ようやく車に乗り込んでいざ出発!と思ったら、数百メートル走ったところのミニ・スーパー前で停車した。車に充電するため、20分あまりの休憩とあいなる。この車、中国・紅旗の電気自動車なのだった。

 

 

 充電が終わり、9時15分、出発する。

 この国境からディリジャンへの道は西回りのM6号線経由と、東回りのH58号線経由とがある。この車は、東側の道をとった。

 地図を見るとこちらの道はアゼルバイジャンとの国境に沿って走っている。いや、沿うどころではない。地図が精確ならば、何か所かは国境を跨いでアゼルバイジャン側に入り込んでいるではないか。

 

 やがて、問題の国境線が見えてきた。丘の中腹を鉄条網が斜めに這い上がり、高みには、それぞれが巨大な国旗を立てて自己主張している。自然の地形とは無関係なようで、なぜあんなところが国境に?と思わないでもない。

 カーブした道の外側に、頑丈なコンクリート壁がそ不自然にそそり立っている場所もある。アゼルバイジャン領がアルメニア側に食い込んでいる先端である。

 地図によれば、この近辺にはアゼルバイジャンの飛び地が2か所あるはずなのだが、それらはアルメニアに接収されてしまったのだろう。

 

 ところで、この国境地帯、外務省の海外安全ホームページでは危険レベル4、退避勧告となっている。しかし、交通機関は普通に動いているし、少なくとも通過するだけなら何の問題もない。

 過度に危険を強調するのは、情報への信頼度を低下させ、かえって逆効果ではなかろうか。

 

 

 予定より25分も早い11時20分、車はディリジャンの街なかに入った。どこかの駐車場かターミナルで停まるのだろうと思う。しかし、車はラウンドアバウトを回って、エレバン方向への道を走り出してしまった。

 運転手にここで降りると言うと、舌打ちしてUターンし、先ほどのラウンドアバウトまで戻った。どうやらオペレーターの伝達ミスだったらしく、トランクの荷物を取り出した後、運転手は深々と頭を下げた。

 他の乗客たちは、エレバンまで乗って行く。

 

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船旅汽車旅ヒンドスタン  1994年

19 カトマンズ(5)

 

 カトマンズの最終日。街の西側にあってホテルの屋上からも見えているスワヤンブナートへ行くことにする。

 

 

 宿を出てダルバール広場から坂を下り、ヴィシュヌマティ川に架かる橋に出た。橋の上にはみかんの露店が出ている。

 

 

 橋を渡り歩いて行くと、軍営のむこうに丘の上のストゥーパが見えてきた。

 

 

 ストゥーパに向かって軍営の角を曲がると、チベット寺院があった。鉄筋コンクリート造で何だか学校の建物みたいだ。

 

 

 チベット寺院のそばには絨毯の工房もあった。織り子は4人の少年たちである。

 

 

 スワヤンブナートの登り口に着いて階段を見上げる。さしたる高さではないが、扇の勾配である。つまり、上に行くほど傾斜が急なのだ。だから、段数のわりに息が切れる。

 

 

 

 頂上には大きな目玉ストゥーパのまわりに小ストゥーパが並び、それらのあいだに絵葉書のラックなども置かれている。観光地化されてしまっていると言えばそれまでだが、賑やかな境内ではある。

 

 

 

 境内には見習僧のような子どもや青年が何人もいて、蹴鞠やバックギヤモンに興じている。ゲームなどをたしなんでいると言う事は、あまり戒律が厳しくないのだろう。

 

 

 

 境内には犬もいれば猿もいる。猿の方は、金剛杵の上などに座って超然としていたが、犬の方は地面に干された穀物を漁ったりしていて、浅ましい・・・と思っていたら、猿が子どもの手にしていたリンゴをひったくって逃げて行った。子どもの方は大泣きである。

 

 

 

 スワヤンブナートは高台だからもちろん眺めがよい。街の中心と思しき方向へ目を凝らすと、王宮の高い塔をスモッグの中でも見分けることが出来た。視線を北側に向ければ、はるかな雪山が望まれる。

 

 

 

 帰りは別な道を通ってヴィシュヌマティ川のほとりに出た。粗末な沈下橋が架かっていて、両岸は古羊毛の集積所である。

 

 

 川の東岸には三重塔を擁する寺院が建っていた。塔の装飾はなかなかに派手で、軒先に並んだドクロが圧巻だ。角のところだけは、ドクロでなくヒゲオヤジなのも何だか可笑しい。

 

 

 さいごに、都心の東側にあるモスクを見てから、空港行きのバスに乗る。「エヤルポルト!」と呼ばわっている車掌は、半分に折ったお札と25パイサ硬貨をたくさん手に握っていた。運賃は2.25ルピーなのである。

 

 空港ビルは開放的なつくりで、搭乗ゲートへは壁のない渡り廊下を伝って行く。ゲート自体も屋根があるだけの、バス停のようなところであった。

 

 

 往路と同じタイ国際航空のエアバス機に乗り込む。機体が上昇し、盆地に立ち込めたスモッグの上に出ると、ヒマラヤ山脈の峰々が白く輝いて見えた。

 

[ 船旅汽車旅ヒンドスタン おわり ]

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船旅汽車旅ヒンドスタン  1994年

18 カトマンズ(4)

 

 

 

 カトマンズには露天商が多い。寺院やストゥーパの周囲にできたちょっとした空地にも、寺院の基壇にも、大きな籠にじゃがいもや果物を積み上げて売っている。

 

 

 

 

 ダルバール広場周辺の寺院などは国宝級のものだと思うが、おかまいなしに店を広げている。
 

 

 

 獅子の彫刻やマニ車と露天商が同居する風景は、他の国ではあまり見られないだろう。

 

 

 

 このような場所の道には、天秤棒で荷物を運ぶ人、自転車にサイクルリキシャが行き交い、時にはクルマも通過するし、それらのあいだに牛も混じっていたりする。

 

 

 

 

 食材が豊富なのは良いとしても、これほどの商品が全て売れるのだろうか。

 これらの店の人たちは、トイレに行かないのだろうかとも思う。

 

 

 

 

 店舗を構えた一般の商店ももちろんあるのだが、よく見ると元は寺院であったり、1階が商店で2階が寺院だったりするところも少なくない。

 

 

 

 街じゅうが市場のようなカトマンズであるが、「店」が集まった市場らしい市場もないわけではない。その市場は、ダルバール広場の先、裏通りからさらにゴミだらけの小路を入った先の袋小路の広場で開かれていた。

 薄汚くも殺風景ななかで、トマトの赤や葉物野菜の緑が鮮やかだ。通路を走り回る子どもたちの服も、ここではひときわみすぼらしい。

 

 

 

 

 

 地面に座り込んでゲームをする大人たち、子守りの少女、そして、何だかわからないけど街角にたむろする男たち。

 

<19 カトマンズ(5) に続く>

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