百済の古都と茶畑を訪ねて 2023年
12 順天
一夜明けると雨雲はすっかり東へ移動していて、空気が程よく清々しい。6時過ぎにホテルを出て、宝城の中心部まで歩いてゆく。すると、商店街の中に、昨夕は気が付かなかったダイソーを発見した。もちろん、開店前である。
毎日市場は、さすがに市場だけあって開店準備が整っているようだ。ただし、まだお客はいない。
この町の中心部にはパン屋が3軒もあって、うち1軒は全国チェーンのパリ・バゲットで、あとの2軒は個人経営の店である。個人経営の方はもう店を開けていて、商品も棚に揃っている。そのうちの1軒、グリーン・ハウス・ベーカリーで朝食用のあんぱんを買ってから駅へ向かう。
宝城駅舎は愛想のない鉄筋コンクリート2階建ての駅舎である。駅の開設は1922年、現在の駅舎ができたのは1979年だと案内板が出ている。駅前広場の一部がペンキも色あせた噴水になっていて、これは茶の葉をかたどっているのだそうだ。片隅に道路元標と彫られた短躯のオベリスクもあって、これには解説がないから何でここにあるのか分からない。
窓口で次の目的地であるハドン(河東)までの切符を求めると、順天ですぐに乗り継ぐのか、直通かなど色々聞かれる。今や、韓国国鉄の切符はどこで買ってもレシート状の紙っぺらで、これもまた味気ない。
しかしながら、構内踏切を渡ってホームに上がれば、そこはかとない旅情が感じられる。遠くの踏切を、体をゆすって渡る路線バス、ディーゼル機関車に牽かれた客車列車同士の交換風景、こんなものですら今の日本では見ることがでくなってしまった。
順天では1時間あまりの乗り換え待ちとなるので、駅の周辺をぶらぶらする。駅前広場の正面には旅行者安心通りなるアーチがかかっている。近年、近くにある干潟を訪れる外国人も多いらしい。駅右手には、その干潟へ行くピンク色のバスが停車しているし、待合室でも欧米人の旅行者を多く見かける。
駅から右手の方へ行く。この一帯には、住宅地化したかつての歓楽街といった趣がある。インターネット・カフェの看板に描かれた花札の小野道風の服装がどことなく韓国風に見えてしまう。イチョウ並木の通りを進むと川に出た。土手には桜が植えられているのに、対岸には高速道路の高架があって、風情を損ねている。
踵を返して、駅の左手側へ行く。こちらには市場があり、アーケードやパラソルの下に店が出ている。土地柄、海産物は豊富で、特に銀色の太刀魚がずらりと並べられているのは壮観だ。もちろん、昨晩に食べたコマク(灰貝)も売っていた。それほど大きな市場ではないが、なかなか賑わっていて頼もしい。ここだけは昔と変わっていない気がした。
駅に戻って釜田行きムグンファ号に乗る。目的地、河東までは3駅。高速化が完了しているせいもあって25分しかかからない。河東は全羅道と慶尚道の境をなすソムジンガン(蟾津江)の東岸に位置する町であり、韓国においては宝城に次ぐ茶の生産量を誇っている。しかし、何かと対立が言われる両道の境を越えるからか、宝城、或いは順天と河東を結ぶ路線バスは走っていない。列車も本数が少ないのに大してお客は乗っていない。
順天を出た列車はトンネルをいくつも抜けて、クァンヤン(光陽)駅に停車した。現在でも田園地帯の面影を残しているが、周囲を囲む山並みの裾には高層アパートが何棟も並び、いずれは市街化の波に飲み込まれてしまいそうだ。
途中のジンダン(津堂)駅のホーム待合室には、ちゃんと「待合室」と表示が出ていた。
どの駅も乗車客はひとりか、せいぜい二人。降車する人数の方がずっと多い。

















