百済の古都と茶畑を訪ねて 2023年

2 公州(2) 

 

 さて、山城を歩き回っておなかが空いた。地図によれば城下の一帯は食堂街ということになっている。しかし、区画整理された道に安っぽい建物がまばらに建っているだけで、どうも入りたいような店がない。

 

 

 表通りに面して公州名産の栗を使ったスイーツの店もある。そこだけはお客が出入りしているので入ってみる。店の片隅にあるテーブルで、生クリームがたっぷりかかり、頂上に栗をのせたパンをいただく。ほとんどの人は車でやって来て、箱入り菓子を買い求めているようだ。

 

 

 午後は公州最大の見どころである宋山里古墳群を訪れよう。公山城の下から直線距離にすれば1キロメートルほどの位置なので歩いてゆく。はじめは川にかかる橋に瓦屋根がつけられたりしていい感じに思う。ところが、その先は直線のクルマ道でえらく遠い道のりに感じた。歩道に生えた雑草の感じからして歩いて行く人などいなさそうだ。

 古墳群の入口には熊津百済歴史館なる施設がゲートのように構えている。玄関を入ると、受付のおばちゃんが「日本人か?」と聞き、棚の奥から日本語のパンフレットを引っ張り出してくれた。こうした対応はこの後、多くの博物館で経験した。観光の現場の人達は、最近の政治的な動きなど何とも思っていないのだろう。

 

 

 

 

 中庭の螺旋階段で歴史館の屋上に出て、立派にしつらえられた参道を行く。石材が白っぽくてまぶしい上に暑い。料金所の先にはまたもや展示館があって、武寧王陵から出土した品々のレプリカや玄室の実物大模型が展示されている。

 展示館を突き抜けてようやく古墳とご対面と思いきや、肝心の王陵は工事中で、鋼矢板がとり囲んでいた。古墳は他にもあるので松林の中の遊歩道を一周すれば、入場料を損したとまでは言わないけれど、何もかもが過剰に整い過ぎている。慶州の街なかみたいに古墳の間を自由に歩き回れればいいのになと思う。

 

 古墳群の次は国立公州博物館を目指す。互いの敷地は隣接しており、地図上では裏手で武寧王陵連結道路なる小道がつながっているように見えたが、そちらは通行止めになっていた。

 王陵苑を裏手の方に出ると、百済五感体験館などという建物がある。トイレを借りたついでに部屋を覗いてみると、子どものお絵描きがあるだけだ。韓国にもこういう「ハコモノ」があるんだなと思う。

 

 

 そこからは妙に幅が広いだけで車もろくに通らない道を歩き、公州韓屋村を横切ってゆく。宿泊施設や飲食店、足湯まである新しい観光施設なのに、ここもほとんど人影がない。ただひとつ、馬乗りの人形だけがこの遊び韓国にもあったのかと興味をひかれた。

 

 

 

 博物館に着くと韓国人の観光客で賑わっていた。ほとんどの人が自家用車で来るのだろう。蒸し暑い日で、大人も子どももどこかで配っているらしい小さなうちわであおぎながら歩いている。

 屋外には石造物が置かれていて、碑石螭(虫偏に璃の旁)首とある絡み合った蛇みたいなものを飛鳥のどこかで見たような気がする。

 博物館本体は妙に大仰な四角い建築であった。そのわりに展示物は少なく、要するに武寧王陵から出土した金冠やら鎮墓獣やらの本物が見られるというに過ぎない。

 とはいえ、ブタの貯金箱の元祖みたいな鎮墓獣の石像で他では見たことがないし、レプリカはあまり原型に忠実でなかったから、わざわざここまで来る価値はある。日本の古墳への百済の影響というパネルがあり、江田船山古墳と並んで木更津にある金鈴塚が挙げられていた。

 

 

 

 

 博物館からの帰り道は別な道を通り、郷校を見に行った。特に観光地ではないので、太乙のついた門の隙間から内部を除くだけである。このあたりには寄棟に二つのトンガリを載せた民家が多い。背後の高みには巨大なアパートが立ち上がり窮屈な感じがする。

 

 

 

 郷校から坂を下り、橋を渡ると公州山城市場である。全天型のアーケードがあり比較的大きい市場ではある。しかしながら、あまり通行する人はいない。天蓋自体もレトロと言うより古びており、要するに寂れた市場である。お腹が空いてもいるのだが、適当な店もない。

 登城口の方へ戻りかけると、地図に「市民バスターミナル」と書かれた場所に出た。世宗市(鳥致院)などへのローカルバスが出るターミナルで、公州や論山、ソウルなどへの便は通っていない。

 

 

 公州の街はどうもあまり面白いところではないので、早々に新市街のバスターミナルに戻る。ここには何軒か軽食の店があるのは朝に確かめていた。その中の一軒でチズ・キムパを食べる。チズとは何かわからないままに注文したのだが、これは、とろけるチーズ入りということであった。4000ウォンと安いのに、味噌汁、キムチ、タクアンがついて、しかも美味しかった。

 

 今日の宿泊地、扶余へのバスに乗る。券売機を操作すると、掲示の時刻表には出ていなかった15時40分発の便がある。45席のうち41席が残っているとも表示される。宮脇俊三の時代には30分毎でも満員だった路線が、日に10便しかないのにガラガラとはわびしい。もちろんスルメ売りが乗り込むようなこともない。

 扶余までは40分しかかからないけれども、高速バス型の車両であった。しかし高速道路を走るわけではない。韓国の一般道路には車を減速させるためのハンプが多い。それはそれで結構なのだが、ハンプを越えるときはかなりの振動がある。昨晩は実質的に徹夜だったから大変に眠たい。けれども、うつらうつらするとハンプに差し掛かり目を覚まさせられる。

 

<3 扶余(1) へ続く>

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