百済の古都と茶畑を訪ねて 2023年

13 双渓寺

 

 

 河東駅で降りたのは自分ひとりだけだった。駅舎を出ると左前方にバスターミナルがある。というより、駅とバスターミナルの他には何もない。周囲は田んぼが広がるばかりである。鉄道の高速化によって駅が移転し、バスターミナルも一緒につくられたと見える。

 そのバスターミナルに入ると、真新しいターミナルなのに券売機はボロボロであった。テープで投入口がふさがれ、キャッシュカード以外使えなくなっているのだ。そのかわり、窓口には係員が座っている。

 茶園があるのはここからバスで蟾津江を遡上し、さらに支流の谷に入ったあたりである。幸いなことに双渓寺(サムゲサ)という名刹があるので比較的にバスの本数が多い。とはいえ、インターネット上では時刻がさっぱりわからない。韓国はIT大国のように言われているが、どうも旅行するには不便なことばかりだ。

 

 

 双渓寺行きのバスの乗客は、qqq自分を入れてたった二人だった。発車して数百メートル行くと高架橋で旧線を越える。まだレールも残っており、現役路線と区別がつかない。鉄筋コンクリート造りの旧駅も見えた。

 河東の町は宝城よりもずっと大きな町であった。中心部の市場も比べ物にならないくらい大きい。そして、停留所に着くと老人たちが大挙して乗り込んで来て車内は満員になった。

 始発から乗っていたもう一人の女性は乗客ではなかったようで、老人たちを甲斐甲斐しく世話している。

 道が蟾津江に沿い始めると、周囲は梨園になった。梨はこのあたりの名産品らしく、集荷施設や直売場が道に並んでいる。

 やがて、バスは蟾津江を離れて支流の大きな谷へ入って行った。登り詰めたところで転回して、今度は谷の反対側を下ってゆく。こちら側は一段、高い所を道が通っているので、さっきすれ違ったバスが同じ方向に走っているのが家並みの間に見え隠れしている。地図を見ると、3キロメートルあまりも迂回している。わざわざ回り道をしただけのことはあって、河東の中心街で乗り込んだ爺様、婆様たちが次々と降りてゆく。

 

 さて、バスが支流の花開(ファゲ)川に分け入り、双渓寺が近づいてくると、対岸の斜面に大きな茶畑が見えて来た。あのあたりは寺に参拝した後で歩くつもりでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 河東から1時間以上もバスに揺られて辿り着いた双渓寺は、いい寺だった。参道を登ってゆくと門がいくつもあり、それぞれに一風変わった像が納まっている。スキンヘッドの黒人のような風貌のオッサン、若い頃ギターかぶれだったオッサン、目がにやけた白象など、何だかユーモラスだ。

 

 

 

 

 この寺への訪問者はほとんどなく、拝観料もとらない。撮影禁止の表示も見かけることはなく、あってもごく控えめである。

 

 

 

 

 本堂である大雄殿の隣には羅漢殿があり、静かに語り合っているかのような羅漢さんたちが、妙にリアルだ。

 

 

 

 

 

 

 

 本堂の横手に回ると、石垣の上に八相殿や金堂などの区画があった。夏の日射しのもと、芭蕉などが植えられた境内で建物全体が瑠璃色に輝いている。

 

 

 

 

 

 さらに山道を登ってゆく。灰色の衣を着た僧侶が「道が悪いよ」と言いながらすれ違う。一昨日来の雨のせいか、確かに道に水があふれている。

 それでも数百メートルで奥の院とも言える国師庵(クンスアム)に到達した。涼しい風が谷川を渡って来るので、座敷に上がって少し休憩させてもらう。

 

 

 この国師庵には、実は車道も通じている。そちら側に出ると、小川に石のアーチ橋がかかり、カラシ色に塗られた壁の建物に通じている。何の建物かと思って近寄って見たらこれは化粧室であった。

 

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