私には、
「母と離れたい」から
「母を捨てたい」に変わったキッカケがある。
それは、
生活費に不安を抱えながらも
宗教へのお布施をし続けてることが分かったとき。
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まともな親に育てられたかった・・・
母は、私が子どもの頃から負担でしかない
母は一時期、
私の家で同居してたんだけど
お互いに一緒にいることにストレスを感じ
双方合意のもと、
母は私の家を出た。
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今は
近くのアパートに住んでいる。
私と別居して
1年半が過ぎたころに、
貯金額が半分になったらしい。
何に使ったか?というと…
そう、
宗教へのお布施。
前に「やめる」って言ってたから
お布施をやめたのかと思ってたんだけど、
やめるのは
先祖供養をやめるだけで
自分の救済はやめないらしい。
それを知ったとき、
「離れたい」から「捨てたい」に変わった。
もう、こいつはどうしようもねぇ。
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貯金額が半分になり
その不安から
スマホ代を安くならんか?って
聞いてきたから
プラン変える手続きを私がした。
母は自分で
医療保険の減額手続きしてる。
生活費のランコスを減らしてでも
宗教へのお布施はやめないそうな。
もう、こいつはどうしようもねぇ。
その宗教が出してる本を、
私も読んだことがある。
(読むことを強制された)
その本には
生活を切り詰めてでもお布施しろ
とは一言も書いてない。
母は、
お布施する金額や回数が多い信者ほど
「良い信者」で
お布施できない信者は
「悪い信者」だと思い込んでる。
「良い信者」でありたいから
お布施はやめられない。
やめると宗教から見離される
とかも思ってそうだな。
自分はここまでで十分だ
って満足するってことができない。
(毒親育ちの特徴よね)
だから
感謝するってことを
真の意味で理解してない。
(これも毒親育ちの特徴よね)
宗教を信じる、信じないの前の
人としての生き方の問題ね。
私は、
生活に不安があるんなら
お布施はやめてほしい。
その宗教を
信じることをやめてほしいワケじゃない。
信じることで
心が安心・安定するんなら
どうぞ信じてくださいなって思う。
でも、
母はそうじゃなくって
お布施をすることで
心が安心・安定した気分になってるようにみえる。
私からみたら
お金さえ払えば救われるって思ってる、
ゆがんだ信仰にしかみえないもん。
でも私は、
こういう私の価値観を
母には絶対に言わない。
言っちゃいけない。
言ったら
母が私を傷つけてきたように
私が母を傷つけることになるから。
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どこまでも
私が母に分かってほしいことは
母は理解しようとしないし、できない。
こんな母を
母が死ぬまで
私は世話せないかんのやろか?
と思うことがある。
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母が
宗教へのお布施をやめたら
私は
母を捨てたいまで思わなくなるのかもしれない。