ワインは素敵な恋の道しるべ -126ページ目

ワインは素敵な恋の道しるべ

白ワインは天使の如く貴方の心を解き放ち、赤ワインの真紅のグラスの底には悪魔が潜む。そして貴方は天使の如く大胆に、悪魔の如く繊細に、新たな恋の道を歩み始める。

11月中旬のこと、博多在住の友人を訪ねることに。

 

久し振りの羽田空港国内線第二ターミナル。

人が驚くほど多い。

 

出発階には大きなクリスマスツリー。

ここで、しづちゃんと待ち合わせ。

そう言えば、しづちゃんと一緒に旅行するのはコロナ前、2019年7月の高知以来。

 

その時の記事はこちら。

 

 

ツリーの横には、恐竜博士。

 

順番待ちの子供たちの列に並び、しづちゃんに写真を撮ってもらう。

ちょっと逆光。

 

チェックインを済ませると、ANAのラウンジで一休み。

現役時代はスイートラウンジ(ファーストクラスラウンジ)を利用していたが、引退した今は普通のラウンジ(ビジネスクラスラウンジ)。

ANAのライフタイムゴールドのステイタスを持っているので、今でもラウンジを利用することが出来るのはありがたい。

 

ラウンジに入る前に、食べ物を調達。

フライトが昼を跨ぐので、搭乗前に食べておくことにした。

 

時間はまだ午前10時だが、ビールで乾杯。

この生ビールはアサヒスーパードライ。

スイートラウンジにはワインがあるが、残念ながらここには無い。

 

ヒレカツサンドと穴守おこわ稲荷。

どちらもとても美味い。

 

二杯目のビールは、キリン一番搾り。

こうして飲み較べをすると、違いがとてもよくわかる。

しづちゃんは一番搾りが好み、私はスーパードライが好み。

 

三つ目の食べ物は、サンドイッチの詰め合わせ。

 

生ビールを二杯飲んだ後は、機内で眠れるようにスピリッツも飲むことにする。

 

メーカーズマークをオンザロックスで。

 

しづちゃんは三杯目の生ビール、キリン一番搾り。

 

食後はコーヒー。

ナイトキャップを飲んだ後に眠気覚ましのコーヒーを飲むという不可解な行動となってしまった。

 

下ろされていたシェードが引き上げられると、青空が広がっている。

 

今日のフライトはトリプル7。

B777が就航した時にはそのスマートな機体に魅了されたが、それはもう随分以前のこと。

今となっては結構古い機材だ。

 

パピュ~ンと飛んで着いたのは、福岡空港。

快適なフライトだった・・・、と思う。

二人ともほとんど寝ていたので、記憶は曖昧。

 

博多在住の友人、遊歩さんは空港に迎えに行くと言ってくれたが、しづちゃんも私も福岡にはそれなりに知見があって移動に困らないので、宿泊ホテルで待ち合わせることにした。

 

福岡空港は街の繁華街に近く、空港から博多駅まで地下鉄で僅か三駅。

 

福岡空港から博多駅に移動し、今日の宿泊先に向かう。

筑紫口駅前のクリスマスツリーが場違いに見える。

何故ならこの日は強い陽射しが照り付け、11月中旬にもかかわらず最高気温は27℃。

バンコクで過ごした暑いクリスマスを思い出した。

 

宿泊先は「クリオコート博多」。

実は今回、フライトの予約もホテルの予約もとても苦労した。

何とか取れたフライトは、行きは午前の便が満席で昼を跨ぐ時間となり、帰りは夜遅い時間となった。

 

「クリオコート博多」は初めて泊まるホテル。

何だか部屋の造りが面白い。

博多での常宿は、ハイアットのゴールド・メンバーシップを持っているので、「グランド・ハイアット」か「ハイアット・リージェンシー」だが、調べてみるととても高額だった。

 

そこで全国旅行支援が始まる10月11日まで待って、1万円弱で泊まれるここを予約したが、旅行支援は開始前とのこと。

驚いたことに、11日からのはずの旅行支援が、福岡県を始め多くの県で13日からだったのだ。

 

でも事前の予約でも13日に適用申請できると書かれていたので、13日に支援申請をしようとすると、適用外の表示。

何と、事後支援申請が可能なのは10月10日以前の予約で、11日、12日の予約は対象外なので13日以降に改めて予約を取り直せとのこと。

そこで新規に予約をしようとすると、このホテルの部屋代も2.5~3万円に高騰しており、旅行支援を受けても遥かに高額となっていた。

 

窓の外には、博多駅筑紫口。

実はこの後に乗ったタクシーの運転手さんによると、この土日は博多は旅行者で溢れているそうだ。

何故なら、土曜の夜には福岡ドームで4万人が集まる桑田佳祐ライヴが開催されるとのこと。

そして翌日の日曜日には14,000人のランナーが参加する福岡マラソンが開催され、更に大相撲九州場所の初日を迎えるのだ。

何とも大変な週末に来てしまった。

道理でフライトもホテルも満杯な訳だ。

待ち合わせ時間となったのでロビーに下り、遊歩さんと合流する。

三人での、楽しい博多の街の食べ歩き飲み歩きの始まりです。

 

 

 

 

 

 

12月初旬のウォーキング。

 

空を横切る飛行機雲。

時間が経ち、鋭い線がほぐれてきた。

この雲を観て、鰻の骨煎餅を思い浮かべるのは、お腹が空いているせいだろうか。

 

この黄色い花は、ミントマリーゴールド。

別名は、ニオイマンジュギク。

キク科コウオウソウ属(マンジュギク属、マリーゴールド属)の多年草で、原産地はメキシコ、中央アメリカ。

育てやすく花付きが良いので、人気の植物だ。

 

葉にタラゴンに似た香りがあり、タラゴンの代用のハーブとして使われ、

また花はエディブルフラワーとして使われている。

マリーゴールド全般の花言葉は、”勇者”、”可憐な愛情”、”嫉妬”、”絶望”、”悲しみ”。

肯定的な花言葉と否定的な花言葉の両方を持つが、これはいずれも太陽神アポロンの神話に由来する。

水の妖精クリスティはアポロンに恋し、アポロンの恋人のレウトコエを策略を持って死に追いやってしまう。

それを後悔したクリスティは9日間アポロンを見つめ続け、その身体は太陽(アポロン)に向かって咲くマリーゴールドに変わってしまった。

 

白い小振りの花を付けたツバキ(椿)を見付けた。

これは江戸時代からある品種で、白侘助。

日本原産のツバキ科ツバキ属の常緑高木。

 

花言葉は、”控えめな優しさ”、”控えめな素晴らしさ”、”気取らない優美さ”、”誇り”。

 

八重の美しい花は、サザンカ(山茶花)。

ツバキ科ツバキ属の常緑低木で、日本原産。

 

山茶花には約300もの品種があり、見分けるのは難しい。

真っ白な八重咲の花は、恐らく富士の峰という品種。

 

椿と山茶花はそっくりだが、一番簡単な見分け方は花が散る時に、丸ごと落ちるのが椿で、花びらが散るのが山茶花。

花が無い時は、葉で見分けることができる。

葉の縁の鋸歯が浅いのが椿で、深いのが山茶花。

また、葉の裏の葉脈に毛が無いのが椿で、毛があるのが山茶花。

 

このピンクの花は、敷島、または姫光輝だろうか。

 

山茶花の花色は、白、ピンク、赤、またはこの三色の複色なので、赤の写真もアップ。

 

この花は、飯野桃のようだ。

花言葉は、”ひたむきさ”、”困難に打ち克つ”。

 

大輪の菊作りに情熱を注がれているお宅を見付けた。

秋と言えば、菊。

キク科キク属の一年草。

春の桜と並び、日本を代表する花で、皇室の紋にも使われている。

日本には国花の制定は無いが、一般的には桜と菊と言われている。

 

でも、原産地は中国。

この大輪の菊は古典菊と呼ばれ、地域名を冠して江戸菊、嵯峨菊、美濃菊等に分類されている。

小輪の花を沢山つけるスプレーギクやピンポンマムなどの菊はイギリスを中心に欧米で開発されたもので、洋菊と呼ばれている。

花言葉は、”高貴”、”高潔”、”高尚”。

 

ベランダ菜園のジャンボスナップエンドウの収穫は、6本。

植えた1株からの収穫は、これで23本となった。

 

今夜はオ-ストラリアのシラーズを開栓。

また私の顔が写り込んでしまった。

 

南オーストラリア州、バロッサ・ヴァレーのグラント・バージが造る、gb56 シラーズ、2020年。

バロッサ・ヴァレーはシラーズの聖地といえる産地。

 

グラント・バージはバロッサ・ヴァレーで1855年からワインを作り続ける、5代続く老舗のワイナリー。

輸入元はエノテカ。

南オーストラリア州は大好きなワイン産地。

南オーストラリア州のパーティーには毎年参加している。

 

昨年の参加記事はこちら。

 

 

色合いは濃いガーネット。

熟したプラムやカシスの香りに、樽由来のバニラ香が混じる。

 

口に含むと、ダークチェリー、プラム、ビターチョコレートのニュアンスに、スパイスのヒント。

タンニンは強いがシルキー。

樹齢50年を超えるぶどうを使い、熟成はアメリカンとフレンチのオークの古大樽で10ヶ月間。

大好きな南オーストラリア州のシラーズを楽しんだ、今夜のお家ワインでした。

 

 

 

 

 

 

銀座の『シンガポール・シーフード・リパブリック』で彼女と過ごす楽しいランチの続き。

 

サラダ、前菜を食べた後は、ガッツリ肉料理。

まずは蒸し鶏。

 

ソースは、ジンジャーソース、チリソースもあるが、ダークソイソースを選ぶ。

 

実はこれは単独の鶏料理ではなく、ライスの上に乗せて食べる海南チキンライス。

ライスは、チキンスープで炊いたジャスミンライス。

でも、ライスはスキップ。

 

渡り蟹のブラックビーンズ炒め。

これは好物なのでたっぷり皿に取る。

 

サンバル・フィッシュ。

 

シュリンプフライドライス。

 

「渡り蟹をそんなに沢山取ってきたの」と彼女。

「だって大好きだし、ほとんどが殻で食べられるところが少ないからね」と私。

 

飲んでいるワインは、ボルドー、グラーヴの、ミッシェル・リンチ、レゼルヴ、ブラン、2019年。

 

アッサムカレー。

スパイスとタマリンドの野菜たっぷりカレー。

 

お腹がいっぱいになってしまうので、ジャスミンライスもカレーも控えめ。

このアッサムカレー、とても美味い。

 

ヌードルバーでは二種類のヌードルを注文することが出来る。

 

私はラクサヌードルを注文。

彼女はポークヌードルを麺半分でお願いしている。

 

薬味は四種類。

フライドガーリックとフライドオニオンをトッピング。

 

ココナッツベースのピリ辛スープが麺によく絡んだ美味い。

でも、量がたっぷりなのでお腹がいっぱいになってしまう。

彼女が麺ハーフで注文したのは正解。

 

「カレーが新しくなったわよ」と彼女。

このカレー、とても気に入ったので私もお付き合いしてお代わり。

 

少しだけのつもりが・・・。

ソルトペッパーシュリンプをトッピング。

 

お腹はいっぱいでもスイーツは別腹。

 

フルーツも少し食べることにする。

 

こちらにはローカルスイーツ。

 

飲み物はコーヒー以外にも数種類置かれている。

 

フルーツの盛り合わせ。

 

そしてスイーツ。

奥は、モンブランとマンゴープリン。

手前はカノムモーケン(タロイモココナッツケーキ)とさつまいものパウンドケーキ、もう一つは何だったか忘れた。

 

〆の飲み物は、オレンジジュースとコーヒー。

もう満腹で動きたくない。

でもランチ営業が終了する15時になるとレジが混雑するので、少し早めに店を出ることにする。

 

ここの歴代店長とは仲良くしていたので、今の新しい店長さんと先輩店長さんたちの話題で盛り上がる。

でも今の店長さんのお名前は聞き忘れた。

 

店長さんに見送られ、店をあとにする。

12時に入店したので、2時間40分も食べていたことになる。

道理でお腹がはち切れんばかりにいっぱいになるはずだ。

 

「マロニエゲート銀座1」は一階にDIESELが入ったので色彩が鮮やかになった。

 

先程まで食事をしていたフロアーを見上げる。

窓の色が違っている10階~12階の3フロアーがレストラン階で、『シンガポール・シーフード・リパブリック』は角の11階~12階を吹き抜けで使っている。

 

お腹がいっぱいなので、マロニエ通りを散策。

マックスマーラのショーウインドーの色調を抑えたディスプレーはお気に入り。

 

ルイ・ヴィトンは冬の装い。

彼女と過ごす、銀座での楽しいランチでした。

 

 

 

 

 

 

11月中旬の平日、銀座のお店で彼女とランチの約束。

午後休を取るので一緒にランチをしたいと連絡があったのは三日前。急いでランチが美味しいお店を予約した。

 

銀座駅から松屋銀座の地下道に入る。

ニューヨークの昔のメトロの駅をイメージしたこの地下道が何気に好きだ。

 

佐藤卓氏のデザインで、使われているのは美濃焼のタイル。

 

銀座通りからマロニエ通りに入ると、V88ビル(旧デビアス銀座ビル)の路面スペースに、新しくお店が入居していた。

 

世界最大のダイヤモンド会社、デビアスとは私も現役時代に係わったことがあるので、懐かしいビル。

デビアスの社長が来日すると華麗なパーティーが開催され、招待されるのが楽しみだった。

 

デビアスがここから撤退したあと長く閉じられていたが、MCMが入居し、マロニエ通りが一層明るくなった。

 

今日のランチのお店は、「マロニエゲート銀座1」の中。

 

ここに来ると何時も10階の『ブラッスリー ポール・ボキューズ 銀座』なのだが、今日は11階のお店。

 

予約しておいたお店は、『シンガポール・シーフード・リパブリック 銀座』。

ここでは活きマッドクラブを自分で選び、好きな調理法で食べることができる店だが、マッドクラブはランチには提供されていない。

ここには前身の『チャイナ・ホワイト』の時代から合わせて30~40回は来ているが、今回は久し振りの訪問。

 

平日のランチ時間ということで混んでいるのではと思ったが、仕事の合間に食べるランチとしては価格が合わないようで、割と空いている。

私達は静かなスペースでのんびり食事をしたいので一番奥の広い丸テーブルを選んだが、窓側の座席は客で埋まっていて賑やかな話声が聞こえる。

 

ランチはブッフェ・スタイル。

平日は時間無制限なのが嬉しい。

まあ、無制限と言っても、料理の提供は14時30分までで、ランチ営業は15時に終了する。

 

このお店が好きな理由は、料理が美味しいだけでなく、良いワインが揃っていること。

シーフードなので、白ワインのボトルを選ぶ。

 

ボルドー、グラーヴの、ミッシェル・リンチ、レゼルヴ、ブラン、2019年。

ぶどうは、ソーヴィニヨン・ブランとセミヨン。

 

柑橘系の爽やかな香り。

口に含むと、豊かな果実味。

酸とミネラルのバランスも良い、美味いグラーヴだ。

 

9種のサラダ。

 

ドレッシングは、プラム・ドレッシングとオニオン・ドレッシング。

 

奥は、干し蝦と白木耳のハーバルサラダ。

手前は、バーミセリサラダ、ナンプラー風味のヌードルサラダ。

 

スパイスチキンフリット。

 

甘海老のフリット、ソルトペッパー炒め。

 

シンガポールフライドヌードル。

撮影時は量が少なかったが、直ぐに満杯の新しい皿が届いた。

 

最初の皿は、サラダ。

プラム・ドレッシングを選んだ。

 

第二の皿は、干し蝦と白木耳のハーバルサラダ、バーミセリサラダ、スパイスチキンフリット、甘海老のフリット・ソルトペッパー炒め、そしてシンガポールフライドヌードル。

 

料理が美味しく、ワインが進む。

私が写真を撮影している間に、彼女はお皿三枚にたっぷりの料理を取っている。

彼女と過ごす、『シンガポール・シーフード・リパブリック 銀座』での楽しい午後は続きます。

 

 

 

 

 

 

東京都美術館で開催された「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展」を鑑賞した後、上野広小路の一軒家イタリアン、『アルヴィーノ』で、ちぃさんと過ごす楽しい夜の続き。

 

ここの名物料理、ウニのクリームコロッケ。

 

ここに初めて来て、この料理を注文した時のこと。

二人に取り分けようとウニを殻ごと持ち上げた時、「痛い。ウニの棘が指に刺さった」と私。

すると、「コロッケだけ取ればいいのに」と冷静なちぃさん。

 

今回はコロッケだけを小皿に取ったので、痛い思いをせずに済んだ。

 

薬味は、ワサビ。

 

ドメーヌ・デ・グラス、エステート、シャルドネ、2021年の二杯目。

 

濃厚なウニ味のクリームコロッケにワサビが良く合って美味い。

 

真鯛のアクアパッツァ。

鯛がそのまま一尾使われているとは驚き。

 

私が取り分けたあとに残った、鯛の頭と骨。

大塚店長がこれを見て、「随分綺麗に取り分けされましたね」と感心してくれた。

 

大きな鯛なので、半身を取り分けると皿から溢れ出そうになる。

身の上に乗っている白くて丸いのは鯛の目玉。

ちぃさんが要らないと言うので、私が二個ともいただく。

 

白ワインは三杯目。

 

宮崎県産和牛ランプのロースト。

 

この焼き色が食欲をそそる。

 

付け合わせの野菜は、ジャガイモとカブ。

 

おろしにんにくソースを掛けて食べる。

これは最高に美味い。

 

肉に合わせるのは、ドメーヌ・デ・グラス、エステート、カベルネ・ソーヴィニヨン、2021年。

 

ここではパスタはメイン料理のあとに出される。

アサリのアーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ。

 

厨房からニンニクの良い香りが漂ってくると思ったら、この料理だった。

たっぷりのニンニクがホクホクで美味い。

アサリもたっぷり入っている。

 

ニンニクが効いたパスタには、カールスバーグの生ビール。

 

ドルチェはカッサータ。

お腹はいっぱいでも、冷たいドルチェは美味しく完食。

 

フリーフローのワインとは別に、スパークリングワインを注文。

チェヴィコがエミリア・ロマーニャで造る、ラルス、スプマンテ、ブリュット。

ぶどうは、トレッビアーノ。

 

この表面張力が素晴らしい。

抜栓したばかりなので、泡立ちも勢いがある。

 

ひと口啜った後に、乾杯。

今夜の料理にも満足。

やはり『アルヴィーノ』は好きだ。

満腹で気持ち良く店を出ると、私達が角を曲がって見えなくなるまで、店の前で見送ってくれる。

 

上野の街には至る所に”エゴン・シーレ展”の広告。

とても充実した展示だった。

 

上野駅から地下鉄で帰途に就く。

後ろを振り返ると、アメ横の灯りが輝いている。

ちぃさんと、”エゴン・シーレ展”鑑賞と、『アルヴィーノ』でのイタリアン・ディナーを楽しんだ、上野での半日でした。

 

 

 

 

 

 

東京都美術館で開催された「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展」を鑑賞した後は、ディナーのお店に向かう。

 

上野のお山の出口には、満開の河津桜。

 

もう薄暗いので少しくすんだ色になってしまったが、桜の花を観ると春の喜びを感じる。

 

途中、こんな案内を見付けた。

蝦夷鹿を買うことができるとは嬉しい。

日を改めて買いに来ることにしよう。

 

向かったのは、上野広小路の広小路横丁。

 

予約しているのはお気に入りのイタリアン、『アルヴィーノ』。

 

今回もまたこの立て看板を撮影してしまう。

 

ここは鰻の寝床の二階建ての一軒家。

 

一階は9席のカウンター。

二階はテーブル席。

予約しているのはもちろんカウンター席。

 

イケメンの大塚店長を撮影。

右側からの横顔に自信があるのだそうだ。

 

「エゴン・シーレ展」鑑賞で喉が渇いたので、まずはビールでちぃさんと乾杯。

ここの生ビールはカールスバーグ。

 

ストゥッチキーノは、ゼッポリーニ、プロシュートのせ。

 

目の前の黒板には今夜のお薦めメニュー。

 

ベーコンサラダ。

たっぷりのチーズが嬉しい。

 

二人に取り分けるのは私の役目。

厚切りベーコンが何枚も入っている。

 

最初の一杯は二人とも瞬殺。

もう一杯カールスバーグを飲むことにする。

 

アンティパストミストが届く。

 

これはカポナータだと思うが、ここでは何時もラタトゥイユと説明される。

 

生タコのマリネ、サラダ仕立て。

 

テット・ド・モワンヌと鴨ハム。

 

「これはスイスのチーズで、専用の削り器でくるくると歯を回して削るとこんな花のようになるんですよ」と私。

ここの鴨ハムはねっとりと熟成し旨みが凝縮されている。

でも大塚店長によると、残念なことにもう作らないのだそうだ。

 

アンティパストに合わせ、白ワインで乾杯。

今夜はフリーフローでお願いしているので、ワインのボトルは撮影しなかった。

 

ボトルを見せてもらうと、チリのドメーヌ・デ・グラス、エステート、シャルドネ、2021年。

なかなか良いワインを出してくれた。

ちぃさんと過ごす、上野の一軒家イタリアン、『アルヴィーノ』での楽しい夜は続きます。

 

 

 

 

 

 

上野の東京都美術館で開催されている「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展」で、ちぃさんと過ごす楽しい絵画鑑賞の続き。

 

第9章   エゴン・シーレ 風景画

ここだけは撮影可。

 

シーレが風景画を描いているとの認識はあまり無かったが、1911年にウィーンを離れ、母親の故郷、南ボヘミアの町クルマウに移住したことを機に、風景画を積極的に描いている。

 

「すぐにでもウィーンを離れたい。ここは何と嫌なところだろう。僕は一人になってボヘミアの森に行きたい」(1910年、シーレからアントン・ペシュカに宛てた手紙より)。

1911年、シーレはクルマウに移り住むが、戸外でヌードモデルを描いたことや、奔放な生活が周囲から非難され、失意のうちに約3ヶ月で街を退去している。

 

「至高の感性は宗教と芸術である。自然は目的である。しかし、そこには神が存在し、そしてぼくは神を強く、とても強く、もっとも強く感じる」(1910年、エゴン・シーレの詩、「芸術家」より)。

シーレは詩作も残している。

ここには自然に対するシーレの考え方が表されている。

 

エゴン・シーレ「吹き荒れる風の中の秋の木(冬の木)」(1912年) レオポルド美術館蔵

これは風景画と言って良いのだろうか。

「シーレは風景画において、自然を擬人化して解釈し、あるいはそこに人間のかたちと感情を刻み込み、人物画に匹敵するほどの表現へと到達した」のだそうだ。

 

エゴン・シーレ「丘の前の家と壁」(1911年) レオポルド美術館蔵

ここに描かれた家はクルマウに実際にある光景から切り取られたものだが、シーレはこうしたモティーフを自由に組み合わせ、架空の風景を作り出している。

 

エゴン・シーレ「小さな街Ⅲ」(1913年) レオポルド美術館蔵

シーレにしては珍しく、おとぎ話の街のような可愛い絵だ。

 

エゴン・シーレ「モルダウ河畔のクルマウ(小さな街Ⅳ)」(1914年) 

シーレは退去後も度々クルマウを訪れて絵を描いている。

モルダウ川に面したクルマウの家並みを描いているが、建物の配置や色の一部はシーレによって自由に表現されている。

この絵の下には、1910年に描いた風景と自画像を組み合わせた図像が隠されていることが1960年代に発見されている。

 

エゴン・シーレ「ドナウ河畔の街 シュタインⅡ」(1913年) レオポルド美術館蔵

街の背景はドナウ川。

中世の街並みが残るドナウ河畔の街シュタインをモティーフに、一連の大型絵画を制作している。

 

エゴン・シーレ「荷造り部屋」(1917年) レオポルド美術館蔵

1914年の第一世界大戦勃発後、軍に召集され、兵役中に描いた作品。

前線には送られず、絵画制作もある程度認められていた。

この時代になると、表現主義的な画風から、自然主義的で写実的な画風へと変化している。

 

第10章 オスカー・ココシュカ ”野生の王”

ココシュカは、クリムト、シーレと並び、近代オーストリアを代表する画家の一人。

長くなり過ぎるので、鑑賞記は省略。

 

第11章 エゴン・シーレと新芸術集団の仲間たち

シーレが1909年にウィーン美術アカデミーを自主退学し、友人達と結成した新芸術集団の画家たちの作品の展示。

ここも省略。

 

第12章 ウィーンのサロン文化とパトロン

シーレはパトロンにも比較的恵まれていた。

その内の一人が、ブロンシア・コラー=ピネル。

彼女自身、ウィーン分離派や表現主義の画家たちと交流した画家で、二点の作品(いずれも個人蔵)が展示されている。

 

第13章 エゴン・シーレ 裸体

シーレにとって、裸体は自画像と並んで主要なテーマだった。

しかしシーレが描く裸体は当時の公序良俗には反しており、クルマウを追い出された後に移り住んだノイレンバッハでは少女の誘拐(後に疑いは晴れる)と猥褻画の頒布の罪で逮捕され、三日間の禁固刑を受けている。

 

しゃがむ裸の少女 - シーレ、エゴン (1890-1918) - 1914 - 黒チョーク、グワッシュ、紙 - 31,5x48,2 - レオポルド美術館、ウィーン 作: エゴンシーレ

エゴン・シーレ「しゃがむ裸の少女」(1914年) レオポルド美術館蔵

(写真はMEISTERDRUCKEからお借りしました。)

シーレのヌードモデルのポーズは独特。

伝統的な裸婦像は立っているか横たわっているかだが、シーレの裸婦像は身体をねじったり、うずくまったり、膝を抱え込んだり、そのポーズは多様。

決して美しいとは言えない裸婦像だが、こちらを見据えるような眼が鋭く存在感がある。

 

エゴン・シーレ「頭を下げてひざまじく女」(1915年) レオポルド美術館蔵

(写真はアート名画館からお借りしました。)

このポーズは一層大胆で挑発的。

モデルを務めた女性は大変だっただろう。

ひざまずいた姿勢から前につんのめったような姿勢、舞い上がったスリップと露わになった太腿、シーレ独特のエロティックな表現で、躍動感のある絵だ。

 

第14章 エゴン・シーレ 新たな表現、早すぎる死

1915年、シーレはエーディト・ハームスと結婚。

第一次世界大戦に召集されるが、戦時下でも作品発表の機会を得て国際的評価が高まる。

 

レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才 ...

エゴン・シーレ「縞模様のドレスを着て座るエーディト・シーレ」(1915年)レオポルド美術館蔵 

(写真はブレーンからお借りしました。)

結婚した年の妻の肖像画。

この頃からシーレの画風が挑発的な表現主義から写実的な画風に変わり始めていることがわかる。

 

【エゴン・シーレ】の作品に渦巻く自己愛との画像_9

エゴン・シーレ「横たわる女」(1917年) レオポルド美術館蔵

(写真はSPUR.JPからお借りしました。)

妻のエーディトをモデルとして描き、顔だけは変えている。

とてもバランスの良い美しい作品だが、性の表現は大胆。

元々は女性器が描かれていたが、分離派展に出品するにあたり、手が加えられたと考えられている。

1918年に開催された第49回分離派展にシーレはメインの画家として招待され、50点の作品を出品し、大成功を収めている。

 

30年ぶりのエゴン・シーレ展が東京都美術館で開幕。レオポルド ...

エゴン・シーレ「しゃがむ二人の女」(1918年)-未完成- レオポルド美術館蔵

(写真は美術手帳からお借りしました。)

展示を締めくくる絵は最後の年、1918年に描かれた未完の作品で、シーレのサインが入っていない。

この二人の女性に込められたメッセージは何だったのだろう。

純粋な表情の二人の女性は、シーレの死への旅立ちを安らかに見送る存在なのかもしれない。

1918年の秋に大流行したスペイン風邪に夫婦ともに感染し、妊娠6ヶ月の妻は亡くなり、シーレもその三日後の10月31日に死去。

享年28歳。

 

会場を出ると、撮影可能なパネルが置かれている。

シーレは実際に詩作も残している。

 

戦争が終わり、今から活躍の場というところで、行くのではなく逝ってしまった。

しかしシーレの言葉どおり、シーレの絵は世界中の美術館に展示されることとなった。

これで”レオポルド美術館 エゴン・シーレ展”鑑賞記は終了。

ちぃさんと上野で過ごす楽しい午後は続きます。

 

 

 

 

 

 

3月初旬のこと、ちぃさんと上野で待ち合わせ。

またまた時系列を飛び越えての時事ネタのアップ。

 

春の足音はすぐそこまで来ているが、落葉樹はまだ裸のまま。

でも枝先を観察すると、新芽は着実に膨らみつつある。

 

上野公園には花が絶えることがなく、よく維持管理されている。

 

向かったのは、東京都美術館。

 

今回鑑賞するのは、「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展」。

ポスターに使われている絵は代表作の一つ、「ほおずきの実のある自画像」(1912年)。

 

東京都美術館に来ると、どうしてもここで撮影してしまう。

この球体は、彫刻家の井上武吉氏の作品、”my sky hole 85-2 光と影”。

 

いよいよ館内に入場。

 

館内には別のポスター。

これも代表作の一つ、「母と子」(1912年)。

 

「エゴン・シーレ展」は、1月26日から4月9日まで開催されている。

この自画像、実は本人にそっくり。

まさにナルシストの面目躍如といった自画像だ。

 

エゴン・シーレ展の概要は、こちらをご参照ください。

コロナ前、最後の海外への旅は、ウイーンとドゥブロヴニクだった。

オーストリアは14回目、クロアチアは3回目の訪問。

ウィーンでは美術史博物館やベルヴェデーレ宮殿で絵画鑑賞をしたが、レオポルド美術館には訪問していないので、今回は嬉しい企画展。

 

ウィーンでの絵画鑑賞記事はこちら。

 

 

 

 

今回の展示は、14の章で構成されている。

エゴン・シーレの作品が50点も出品されているだけでなく、同時代を代表するウィーンの画家たちの絵を含め、120点という充実の展示。

でも残念ながら、第9章の風景画を除き、撮影は禁止。

 

第1章   エゴン・シーレ ウィーンが生んだ若き天才

エゴン・シーレは1890年オーストリア生まれ。

 

展示の始まりは1906年、エゴン・シーレ16歳。

(写真はTokyo Art Beatからお借りしました。)

若くして絵画の才能を発揮し、16歳の若さで特別扱いでウィーン美術アカデミーに入学。

 

エゴン・シーレ「レオポルト・ツィハチェックの肖像」1907年 豊田市美術館蔵

(写真はJBpressオートグラフからお借りしました。)

14歳で父親を亡くしたシーレの後見人となった叔父の肖像画。

17歳の若さで描いた作品とは驚き。

 

第2章   ウィーン1900 グスタフ・クリムトとリングシュトラーセ

ここでは1900年前後のウィーンを代表する画家たち、コロマン・モーザー、グスタフ・クリムト、カール・モルの絵が紹介されている。

 

第3章   ウィーン分離派の結成

ここでは、主としてウィーン分離派の画家たちが描いた「ウィーン分離派展」のポスターが展示されている。

1907年、シーレはクリムトにその才能を認められる。

シーレ「僕には才能がありますか」。

クリムト「才能がある? それどころかありすぎる」。

 

エゴン・シーレ「装飾的な背景の前に置かれた様式化された花」(1908年) レオポルド美術館蔵

(写真はアート名画館からお借りしました。)

この時代の絵にはクリムトの影響が色濃く感じられる。

 

第4章   クリムトとウィーンの風景画

ウィーン分離派にとっても、風景画は重要な画題の一つだった。

 

第5章   コロマン・モーザー 万能の芸術家

ウィーン分離派の一人、コロマン・モーザーに焦点を当てた展示。

コロマン・モーザーは絵画、グラフィック、工芸、ファッション、家具、舞台美術、装幀、お札などで幅広く活躍。

 

洞窟のヴィーナス - モーザー、コロマン (1868-1918) - c. 1914 - キャンバスに油彩 - 75,5x62,7 - レオポルド美術館、ウィーン 作: コロマンモーザー

コロマン・モーザー「洞窟のヴィーナス」(1914年頃) レオポルド美術館蔵

(写真はMEISTERDRUCKEからお借りしました。)

ここで展示されている6点の中の1点で、代表作の一つ。

 

第6章   リヒャルト・ゲルストル 表現主義の先駆者

リヒャルト・ゲルストルはウィーン分離派のスタイルに飽き足らず、精神の内面を表出した表現主義的作品を描いた。

作曲家、アルノルト・シェーンベルクの妻と不倫関係となったが、妻がシェーンベルクの元に戻ったことから、1908年に25歳の若さで自殺している。

 

μonet on Twitter: "1883年9月14日 [訂正] リヒャルト ...

リヒャルト・ゲルストル「半裸の自画像」(1902/1904年)レオポルド美術館蔵

(µonetさんのTwitterからお借りしました。)

この表現主義的自画像は、エゴン・シーレに大きな影響を与えたのだろう。

 

第7章   エゴン・シーレ アイデンティティーの探求

「僕の粗野な教師たちは僕にとって常に敵だった。今僕は自分の人生に命を吹き込まねばならない!」(1910年7月、手稿より)。

 1909年、美術アカデミーの旧態依然とした体質に反発して自主退学したシーレは、友人らと「新芸術家集団」を結成する。

「新しい芸術家というのはごくわずかしかいない。それは選ばれし者にほかならない」(1914年のシーレによる新芸術集団の宣言)。

 

エゴン・シーレ「ほおずきの実のある自画像」(1912年)レオポルド美術館蔵

「僕はクリムトを知り尽くした。それはこの3月までのことで、今の僕はその頃と全く違っていると思う」(1910年11月、シーレからヨーゼフ・ストルツィゴウスキーに宛てた手紙より)。

シーレはクリムトの影響から脱し、自画像を描くことにより、自身の苦悩や葛藤をカンヴァスの上にぶつけて描く、表現主義的な画風を確立していく。

生涯に描いた自画像は200点以上、様々なポーズをとり、自己表現を追求した。

 

エゴン・シーレ「自分を見つめる人Ⅱ(死と男)」(1911年)レオポルド美術館蔵

(写真はアート名画館からお借りしました。)

自身の後ろに居るのは、もう一人の自分、それとも死神、または背後霊なのだろうか。

内省的な自己表現、それとも死への恐れ。

 

叙情詩人(自画像)」(1911年)エゴン・シーレ | ART de DATE

エゴン・シーレ「叙情詩人(自画像)」(1911年)

(写真はART de DATEからお借りしました。)

実はこの絵が好きだ。

強烈な自己表現であると共に、ナイーヴさを感じる。

そしてクリムトの影響から脱したと言いながら、まだクリムトへの郷愁を感じることができる。

 

第8章   エゴン・シーレ 女性像

シーレの作品の中で、自画像と共に女性像が重要な地位を占めている。

 

エゴン・シーレ「悲しみの女」(1912年) レオポルド美術館蔵

(写真はMUSEYからお借りしました。)

シーレは1911年から1915年まで、4歳年下のワリー・ノイツェルという女性と同棲し、彼女をモデルに多くの作品を制作している。

しかしシーレはワリーが労働者階級の母子家庭育ちだったことを問題視し、献身的に尽くしてくれたワリーを捨て、結婚相手には良家の子女エーディト・ハルムスを選んだ。

シーレの酷い裏切りのあと、ワリーは赤十字の看護師になるが、1917年に猩紅熱を患いこの世を去ってしまう。 

モデルのワリーの後ろには、シーレの顔が描かれている。

この絵は二人が出会った翌年に描かれたもので、赤毛のワリーが黒髪に描かれ、黒髪のシーレが赤毛に描かれているのは、二人の内面的な繋がりの強さを表現しているのだろうか。

しかしこの後のストーリーを知った目で見ると、シーレがいけ好かない自己中心的人物に見えてしまう。

 

エゴン・シーレ展が開幕 時代の転換期 引き裂かれた心に焦点 ...

エゴン・シーレ「母と子」(1912年) レオポルド美術館蔵

(写真はasahiからお借りしました。)

もう一つ目を引くのが、この絵。

母と子というキリスト教の聖母子を連想させる構図でありながら、母親は外界を遮断するように強く目を閉じ、子供は何かに怯えたように目を見開いている。

広げられた手にも緊張感が漲る。

シーレの絵は見る者の心をかき乱し、不安感を抱かせる力を持っている。

この絵は筆ではなく指で描かれていて、一部にシーレの指紋が残っている。

 

エゴン・シーレ「母と二人の子どもⅡ」(1915年)

(写真はJBpressオートグラフからお借りしました。)

この絵も心穏やかに観ることはできない。

キリストを抱く聖母マリア、ピエタの構図を取りながら、母も膝の上の子供も死者のような蒼白な顔。

伝統的なキリスト教社会への挑戦なのだろうか。

そしてもう一人の子どもには”どこでもドア”から抜け出してきたような違和感があり、生命、生まれ変わりを表現しているようにも見える。

上野の東京都美術館でちぃさんと過ごす、絵画鑑賞の楽しい午後は続きます。

 

 

 

 

 

 

 

11月下旬のウォーキング。

 

これは不気味な深海魚の頭。

大きな目が光り、下顎は頑強そうだ。

 

黄色い花が密集して咲いているのは、イソギク(磯菊)。

キク科キク属の多年草で、日本原産。

磯に自生するので、この名が付けられている。

 

花の数が減る晩秋から初冬に開花するので、花壇でも人気の花だ。

花言葉は、”感謝”、”大切に思う”、”清楚な美しさ”、”静かな喜び”。

 

皇帝ダリアはあまりに背が高いので逆光となってしまい、花の写真を上手く撮れない。

背丈は3~4m、良く成長したものは6mにも達する。

 

曇りの日に少し背が低い皇帝ダリアを見付け、なんとか花の形がわかる写真を撮ることが出来た。

キク科テンジクボタン属(ダリア属)の多年草で、原産地はメキシコ、中米。

花言葉は、”乙女の純潔”、”乙女の真心”。

 

皇帝ダリアの背丈があまりに高く花期も短いので、皇帝ダリアと園芸ダリアを交配させて開発されたのが、皇帝ダリアハイブリット ガッツリア。

 

背丈が1.5mほどと手頃で、皇帝ダリアよりも2~3ヶ月早く開花し花期も長い。

 

ピンクの可愛い花はポリゴナム、和名はヒメツルソバ。

タデ科イヌタデ属の多年草で、原産地はヒマラヤ地方。

 

耐暑性が強く匍匐して成長するので、グランドカバーとして人気がある。

花言葉は、”気が利く”、”愛らしい”、”思いがけない出会い”。

 

ピンクの美しい花は、ネリネ、別名ダイヤモンドリリー。

ヒガンバナ科ヒメヒガンバナ属(ネリネ属)の多年草で、原産地は南アフリカ。

 

花色はこのピンクの他に、白、赤、オレンジ、紫、複色と多様。

花言葉は、”また会う日を楽しみに”、”華やか”、”忍耐”、”箱入り娘”。

 

ここからは現在のベランダガーデニング。

冬の間部屋に取り込んでいたデンマークカクタスのキングレッドが開花した。

 

デンマークカクタスはクリスマスカクタスの別名があるように、クリスマス前の寒い季節に咲く植物なのだが、春にも少しだけ開花する。

今年の春の開花は18輪。

 

大空を飛翔するピンクの鳳凰のような花が美しい。

 

これは昨年冬の開花時の写真。

花数は200輪を超えていた。

 

冬の間は地表部は枯れていたオオベンケイソウの新芽も出てきた。

まるで緑の薔薇の花のようで、この時期が一番可愛い。

 

こちらはベランダ菜園のサニーレタス。

直径は40cmくらいで、手前に葉が少ないのは鳥に食べられてしまったため。

既に少しとう立ちしてきたので、そろそろ収穫して食べようと思う。

 

そしてジャンボスナップエンドウの収穫は4本。

一株しか植えていないが、これで収穫総数は17本となった。

 

今夜は、新潟県長岡市の朝日酒造が醸す、朝日山 純米吟醸を飲むことにする。

 

朝日酒造は久保田で有名な蔵。

私は長岡には10回あまり行ったことがあり、料亭『久保田』で何度か食事をし、最上級の久保田を飲んだことがあるが、酒蔵を訪問したことは無い。

先日、みんみんさんが蔵の訪問記事をアップされたので興味深く読ませていただいた。

その時の記事はこちら。

 

 

使用米は新潟県産米と言うだけで銘柄は非公開、精米歩合は55%。

 

朝日山は白ワイン用のグラスで飲むことにする。

 

吟醸香は控えめ。

日本酒度は+2とのことだが、それよりもはるかに辛口に感じる。

純米吟醸だが、冷酒だけでなく、冷ややぬる燗で飲んでも美味い酒だ。

新潟の辛口の吟醸酒を楽しんだ、今夜のお家日本酒でした。

 

 

 

 

 

 

『ブラッスリー ポール・ボキューズ 銀座』でフルコースのフレンチとワインを楽しんだ後、有楽町の『NOMUNO』で彼女と過ごす楽しい夜の続き。

 

スパークリングワインの次は、日本ワインの白を見付けたので飲むことにする。

シャトー・メルシャン、萌黄(もえぎ)、2021年。

 

ぶどうは、シャルドネと甲州。

シャルドネは長野県と福島県産、甲州は山梨県産。

柑橘系の爽やかな香り。

優しい果実味と酸、和食に良く合う白だ。

 

続いては、ニュージーランドのオーバーストーン、マールボロ、ソーヴィニヨン・ブラン、2021年。

マールボロのソーヴィニヨン・ブランらしく、柑橘系の白い花の香がふわりと漂う。

 

こちらは赤ワインのコーナー。

 

彼女がピノ・ノワールを飲みたいというのでグラスに注ぐ。

 

でもよく見ると、フランスのピノではなく、驚いたことにドイツのピノ。

ラインラント・ファルツのジョセフ・ドラーテンが造る、ピノ・ノワール、2021年。

ドイツであればシュペートブルグンダーと表記されるはずだが、これは輸出用のエチケットなのだろうか。

 

続いては、イタリアのオーガニックワインを飲むことにする。

 

プーリア州のアマストゥオーラが造る、アマ・ロッソ・プーリア、2018年。

しっかりした果実味を持つフル・ボディで、アルコール度数は14%と高い。

ぶどうはプーリア州では珍しい、メルロー100%。

EUのオーガニックの認証マーク、ユーロリーフが付いている。

 

続いては、アルゼンチンのカサ・モンテスが造る、アンパカーマ、マルベック、2021年。

思ったほど濃くはないが、綺麗なバランスのミディアム・ボディ。

 

アメリカのジンファンデルも飲んでみる。

カリフォルニアのドン・セバスチャーニ&サンズが造る、ペッパーウッド・グローヴ、オールド・ヴァイン・ジンファンデル、NV。

 

ブラックベリーやダークチェリーなどの黒系果実の香りに樽由来のヴァニラ香。

ミディアム・ボディのジンファンデルだが、アルコール度数は14.5%と高い。

セパージュは、ジンファンデル90%、プティ・シラー5%、テンプラニーリョ3%、メルロー2%。

 

今度はドイツ語表記のピノ・ノワール。

ロバート・ヴァイル・ジュニア、シュペートブルグンダー、2019年。

ロバート・ヴァイルは1868年にラインガウで創業した名門で、ドイツのワイン評価誌で最高評価を得ている造り手。

1988年からサントリーの傘下に入っている。

 

これはロバート・ヴァイルが手掛ける人気のジュニア・シリーズの一つ。

赤い果実のニュアンスを持つ、綺麗なバランスのミディアム・ボディ。

 

飲むワインは、とうとう8種類目。

オーストラリア、南オーストラリア州のワインインクが造る、ワイン・メン・オブ・ゴッサム、シラーズ、2019年。

ユニークなワイン名とエチケットだが、これはイギリス、ノッティンガム地方の村、ゴッサムの逸話、”ゴッサムの賢者(Wise men of Gotham)”をもじったもの。

税金を逃れるため、村人全員が馬鹿者のふりをしたというお話。

”Wise men of Gotham”が、”Wine men of Gotham”になっている。

このワイナリー、ちゃんと納税しているのだろうか。

 

南オーストラリア州のシラーズは好きだ。

黒果実の凝縮感、バラやスパイスのニュアンスを持つ、強いボディー。

このワインを飲んで賢人になれるのであれば嬉しい限りだ。

 

9種類目のワインは、南アフリカ、ロバートソンのアシュトン・ワイナリーが造る、カベルネ・ソーヴィニヨン、2019年。

 

黒果実の香り。

豊かな果実味と程よいタンニン、樽のニュアンスも心地よい。

フレンチオークの新樽で8ヶ月間熟成されているのだそうだ。

 

『NOMUNO』の運営会社、株式会社ノムノの青木執行役員が来られていたので、ワインの話しに花が咲く。

青木さんは客として『NOMUNO』を訪れているうちにすっかり気に入ってしまい、とうとう入社してしまったとのこと。

昨今のワインの急激な値上がりで、このシステムを維持するのは大変なのだそうだ。

話が弾み、この価格を維持してくれていることへの応援を兼ねて長居をしてしまう。

 

青木さんに見送られ、店をあとにする。

今夜も『ブラッスリー ポール・ボキューズ 銀座』と『NOMUNO』をハシゴして飲み過ぎてしまった。

彼女と過ごす銀座の夜は楽しく更けていきました。