彼の声 -2ページ目

彼の声 2024.8.8 「慣れた感覚」

voice-164

 現状がこうなったからといって何が裏切ら
れたわけでもないし、こうなることはある程
度は事前に予想していたわけだから、予想の
範囲内で何とでも言えるようなことなのだが、
ではこうなった状態の中で何か対処できるこ
とがあるのかというと、今が対処している最
中だから今後もそれを続けて行くしかなく、
実際にどうなったのかといっても、誰もが知
っている範疇に入ること以外で、これといっ
て誰も知らない秘密などあるわけでもなく、
知らないことを知ろうとしているのは、いつ
もの想像力が作用して勝手に妄想しているに
過ぎないが、何を今さら悔やんでみても、後
悔先に立たずな成り行きの範囲内でそう思っ
ているわけだから、それが自然の成り行きだ
と思っていればいいようなことでしかないが、
何も不思議には感じられない程度で、確かに
ちょっと驚くようなことが起こったのに、そ
れが起こった後の状況の中ではそれほど深刻
には思われない程度の状態を保っているわけ
で、まさか感覚が麻痺しているからそう感じ
るのかと自らの実感を疑っているわけでもな
く、信じるしかないと頑なに思い込むような
信念などないから、それに関連して信仰の類
いを軽んじている限りで、どっちつかずな状
況なのかも知れず、自分の失敗を失敗だとは
思っていないのは、ある程度失敗は避けよう
がなく、避けられないことだからそれを頑な
に認めないわけにもいかず、そう思われるよ
うなことではなくても、それもある程度は失
敗を前提として物事が推移していて、結果的
にそれを成功に持って行くつもりで活動して
いるから、しかもそれも失敗に終わっても構
わないようなことなのかも知れず、そういう
意味では絶えず失敗していないと活動が持続
しないような失敗中毒に陥っているわけでも
ないのだが、普通は失敗すればそこで活動が
終わってしまうと思いたいのだが、逆に失敗
していないと困るわけでもないのだが、失敗
に対処することが活動そのものとなっていて、
まずは失敗してそれに対処することによって
活動が成り立つようなことなのかも知れず、
それに関して例えばアベノミクスが失敗に終
わったと主張したい人などいくらでもいる世
の中になっていること自体が、なぜかアベノ
ミクスの成功を物語っているとも思えないだ
ろうが、狙いとしてはそういうことなのであ
り、何かアベノミクスが失敗に終わったこと
を前提として活動が成り立っているようなら、
そういう活動そのものが間違っているような
気がしてしまうこと自体が、自分の勘がそう
思わせることの真実なのであり、それで構わ
ないようなことなのだが、結局はうまく行か
ないから何とかしなければならないと思いな
がら活動しているわけで、それが人の活動の
本質であり実態なのだとしても、果たしてう
まく行かないことが何かのきっかけからうま
く行き始めて、それが成功だと言えるような
成果を伴ってくれば、確かに満足感を得るに
至るのだろうが、それではまずいと思うなら、
ではどうなればいいのかと自らの感性を疑っ
てみるわけにも行かず、ない物ねだりになら
ない程度で、現状の傾向とは違う方向で模索
しなければならないことが出てくるとも思え
ないが、たぶんそういうところで自らの感性
が試されていると思うしかなく、それが具体
的に何なのかといっても、今のところはよく
わからないし、死ぬまでわからないかも知れ
ないが、真に模索すべきだと思っているのは
経済的な何かという面では、そこからちょっ
とずれるようなことかも知れず、その辺のと
ころで思うように思考が定まらないから、何
も導き出せずに終わってしまう可能性もなき
にしもあらずだが、終わるということがどう
いうことなのかといっても、単に自らの死以
外に何かそれなりの結果がもたらされるとし
ても、それが何に結びつくわけでもなく、そ
れで構わないようなことなのかも知れないが、
それなりの形態を伴ったことにでも結びつけ
ば儲け物なのだろうが、今のところはそんな
兆候は微塵も感じられないから、今後とも何
がどうなって行くわけでもないのかも知れな
いし、気が向いた方面へと言語作用を働かせ
ていれば、それなりの分量の言葉の連なりが
もたらされて、それをどう解釈してみてもこ
れといって肯定できそうな意味や意義が伴っ
てくるわけでもなさそうだが、人の有り様と
いうのが、その場の情勢や状況に合わせて肯
定的に感じられたり否定的に感じられたりす
るのを、何かその中で普遍的な価値観を幻想
してみたところで、それが何を示していると
も思えないなら、何かのまやかしに過ぎない
ことかも知れないが、まやかしを導き出すた
めに文章を構成しているとも思えないなら、
何やら現状の中でもっともらしく思われる理
屈や理論に基づいた考えや認識や解釈の類い
を提示したいのかも知れず、それがどんな状
況や情勢の中でも恒常的に成り立つようなこ
とでもないとすれば何なのかといっても、ど
うにも答えようのないことになってしまうの
だが、誰もが試されていることが危機的な状
況や情勢の中でどう行動したりどのような言
動を繰り出すかだとすれば、たぶんそんなこ
とにはお構いなくそうではないような方面へ
と逃げ出したくなってしまい、逃げ足の速さ
が競われるような状況や情勢が果たして危機
的な事態なのかというと、たぶんそれもそう
ではないと思われて、成り行き的にはそこに
踏みとどまっていることが逃げ遅れたと判断
されるかどうかも怪しいところで、どう考え
ても理性的に振る舞うことが求められている
のに、それがどういうことなのかわからない
人たちがいくらでもいて、それがわかってし
まっては困るような状況や情勢なのかも知れ
ず、それがわからない人が大勢いることを前
提として世の中で多くの様々な活動が成り立
っているわけで、それをこれだと特定できな
いような成り行きがもたらされているから、
その中で多くの人々が右往左往しているよう
な状態なのかも知れないが、そうなっていな
いと活動が成り立たないのかというと、では
これといって理性的に振る舞っている実態が
あるのかというと、それもよくわからないか
ら、あれこれと振る舞い方を試しながらも、
実際にはぎくしゃくしたみっともない動作と
なっているとしても、そういうことの範疇で
人の振る舞いが一応はそれなりに成り立って
いるように見えるわけで、それで構わないわ
けではないのだろうが、構うも構わないもそ
んなふうにしか振る舞えないわけだから、他
人の振る舞いを見てそれを妥当な振る舞いだ
とは感じらない限りは批判や非難の対象とな
ってしまうわけだ。

https://www.koike-t.org

彼の声 2024.8.7 「日本システムの機能」

voice-164

 日銀が金利をわずかに上げたぐらいで日本
が滅びるとは思わないが、そういうことを言
う人がまともなのかというと、世の中にはそ
ういうことを言わざるを得ない立場というの

がありそうで、そんなことを言っている人の

立場というのがそうなのかというと、その種

の人たちがそういう立場を作り上げて、その

立場を死守したいから、今ここで日銀が金利

を上げたら日本が滅びると言わざるを得なく

なっていると解釈しておくのが無難なところ

かも知れないが、それとは少しずれるわけで

もないが、山本太郎がここ数年で作り上げて

きた立場というのが、消費税が日本を滅ぼす

という主張を成り立たせる立場なのかも知れ

ないし、そういう主張が正しいように思わせ

るデータや理屈を使ってそういうことを言っ

ているわけだが、日銀が金利上げたら日本が

滅びるとか消費税が日本を滅ぼすとか、その

種の主張の利点や欠点は何かと考えたいわけ

ではないものの、滅びるとか滅ぼす対象とな

る日本とは何かと考えたいわけでもなければ、
そういうことをまともそうな人に言わせるシ
ステムが作動しているような気がするわけで、
それをシステムと呼ぶのも制度だと見なすの
も、そう考えると頭がこんがらがってくるよ
うな気がしてしまい、ちょっと物事をひねっ
て考え過ぎな感じもしないではないが、さら
にひねったことを述べるなら、例えば日本と
いう言葉の代わりに世界という言葉を入れて
みると、日銀が金利を上げると世界が滅びる
とか、消費税が世界を滅ぼすとか、そんなの
はどう考えてもおかしいと思うはずだが、そ
の対象が世界になってしまうと明らかにおか
しいのに、それを日本に限定するともっとも
らしく感じられる何かがありそうで、その何
かがそれをもっともらしく感じさせるシステ
ムとか制度とかだと断定できるかというと、
果たしてそれがどんなシステムであり制度な
のかということに関して、それをもっともら
しく説明できるかにかかってきたそうだが、
どうもうまくは説明できないような気がする
から、いい加減でインチキ臭い話の内容にな
ってしまうかも知れないが、まずはシステム
と制度のどちらを使った方がしっくりくるか
というと、それに日本という言葉を当てはめ
てみるとシステムの方がしっくりきそうで、
では日本システムと世界システムの違いは何
かと問うなら、一つの国家に限定されるか否
かにかかってきそうだが、アメリカのFRB
が金利を上げたり下げたりすると、日銀とは
違って、それが世界金融システムに少なから
ず影響を及ぼすのに、日銀が金利を上げたり
下げたりするだけでは、世界金融システムは
びくともしないように思われるということが、
日本とアメリカの国力の違いだと説明できそ
うで、それが円とドルが世界システムへと及
ぼす影響力の強さにも表れてきそうだが、少
なくとも投機筋から円売りを仕掛けられて、
円安に歯止めがかからなくなってきたから日
銀が金利を上げざるを得なくなったという背
景がもっともらしく説明されているのだから、
そういうことを考慮に入れるなら、日銀が金
利を上げたら日本が滅びるのではなく、この
ままでは円安に歯止めがかからなくなるから
金利を上げざるを得なくなったと解釈するの
が自然だが、結果的に株の暴落を招いたと判
断するなら、そら見たことかと日銀が金利を
上げたのを非難できるわけだから、それが時
宜を捉えた非難の仕方にふさわしいかという
と、そういうレベルではそう思うにしても、
もっと長い目で見れば、この辺で株を暴落さ
せておいた方が何かと都合が良さそうにも思
われて、それが何の都合なのかが今ひとつわ
かりかねるにしても、よくわからないことに
関してはあまり勝手な臆見に基づいて判断し
ない方が良さそうだが、そんな思考を成立さ
せる世界では通用しないローカルな日本シス
テムとは何なのかというと、日本だけで通用
する日本特有の思考や思想をもたらすシステ
ムには違いないわけだが、そういったシステ
ムの信奉者が、それを世界でも通用させたい
のかというと、日本の工業技術やスポーツ選
手などが世界で通用した際には、それが世界
で通用したように主張したいのだろうが、ま
たそれに対していちゃもんをつけてくる人や
勢力などに対しては反日というレッテルを貼
って排除するのかも知れないし、反日という
レッテルを貼ることも日本システムの機能に
含まれてくるのかも知れず、そういうのはシ
ステム全般から見れば枝葉末節な部類に入り
そうだが、ではシステムの主要な部分では何
が機能しているのかといえば、日本そのもの
を否定的に見るように仕向けていて、しかも
否定的に見た者を排除するように仕向けてい
るから、それが二重の罠なのかも知れず、罠
にかからないようにするには、日本の現状を
否定的に見ている者の主張には賛同しないよ
うにしなければならず、それを支持したりそ
れに賛同したりすると、反日のレッテルを貼
られて排除の対象となってしまうから用心す
る必要があるわけで、そういう意味では日銀
が金利を上げたら日本が滅びるとか、消費税
が日本を滅ぼすとかいう主張が、日本の現状
を否定的に見ているのだから、そんな主張を
支持したりそれに賛同してしまうと、反日の
レッテルを貼られて排除の対象となってしま
うのかというと、なぜかそうではなく、そこ
でも微妙なさじ加減から注意深く成り行きを
見守る必要があるかも知れないから油断がな
らないわけで、そういう主張を支持したりそ
れに賛同するような人にも日本システムの中
で機能している人たちが含まれていて、そこ
で機能している微妙なさじ加減に気づかない
と、日本システムによって騙されてしまうわ
けではないにしても、何か見当外れな方面へ
と誘導されてしまうわけで、そこで機能して
いる人たちが実際に何をやっているのかとい
うと、従来からある紋切り型の体制批判とは
違うと共に、従来からある反体制批判も批判
しているわけで、そこが微妙にずれてくると
ころであり、体制も批判するし反体制も批判
するから、どちらにも属さない第三勢力だと
認識してしまうとそれが勘違いのもととなっ
てしまうから、そこでも用心しなければらな
いわけだが、結果的に何を利するようなこと
になっているのかをよく考えてみる必要があ
るわけだが、それが日本システムとして世界
の中で特有の機能を果たしているのではない
か。

https://www.koike-t.org

彼の声 2024.8.6 「言いたいことが何かある」

voice-164

 たぶん今ここで新たな事態が起こっている
最中なのだろうが、確かに何かが起こって、
事態がそれなりに動いたわけで、それが何で
もないことの繰り返しではなく、簡単に言う
なら通常のマネーゲームの延長上で比較的振
れ幅の大きいことが起こったわけだが、それ
に関してもっともらしい意見を述べている人
たちにとっては、それなりに言いたいことが
色々とある中で、それが以前から述べている
持論の延長上で述べているに過ぎなければ、
今ここで新たに起こっていることを見逃して
いたり見落としていることになるかというと、
それが指摘されない限りはそうでもなく、折
りに触れて述べてきた範疇で説明できるよう
なことであれば、それで構わないのかも知れ
ず、特に目新しいことは何も起こっていない
と思うなら、そんなことはなくても、それが
大して重要だとも思われなければ、無視して
も構わないような些細なことかも知れないし、
それが重大だと思うようなことであれば、そ
れについて触れないわけには行かないだろう
が、重大でも重要でもなく、普通に考えて暴
落によって金融資産が目減りすれば、それだ
け世の中の貧富の格差が縮まったと考えても
いいのかというと、そうでもありそうでもな
いようなことが起こっていて、暴落に乗じて
投資できるだけの余裕のある者だけが、さら
に資産を増やす機会をものにして、投資でき
ないと資産が減って富裕を目指す競争から脱
落すると考えても構わないかというと、単純
にそうなるとも限らないし、その場の運にも
やり方次第にも左右されるところだろうし、
投資の目的が富裕になる以外にもあるなら、
それが金融資産の暴落に乗じて行うことでも
なければ、それとは別の機会に行うことであ
ったり、そもそも機会を捉えて行うようなこ
とでもないのかも知れないし、積立投資のよ
うに定期的に少しずつ行うことになるなら、
暴落が起ころうと起こるまいと関係のないこ
とになってしまうが、そういうことをやって
いる人には暴落に乗じて述べるようなこれ見
よがしな意見に対しては、それほど世間的に
話題になる程度以上には関心が向かないのか
も知れないし、ただ淡々とやるべきことをや
るだけなのかも知れないし、全面的にそれだ
けにかかりきりとなっているわけでもなけれ
ば、部分的に行なっていることになるだろう
から、他にも色々と手がけている中で、特に
これといってこだわっているわけでもなけれ
ば、適当にいい加減な感じでその場の気分次
第で、気が向いた時に行えばいいようなこと
かも知れず、そんなことで済んでしまう限り
でそれなりに心理的にも資産的にも余裕があ
り、それとは対照的に暴落によって大損して
多額の負債を背負ってしまった人ほど事態を
深刻に受け止めているはずだろうが、果たし
てそんな人がそれほどいるのかというと、普
通は余剰資金で投資している人が大半なのだ
から、暴落しようがしまいがどうということ
はなく、ごく一部の本気になっている人以外
は、運良く資産がちょっと増えれば儲けもの
ぐらいの気持ちで投資しているのかも知れな
いし、投資を煽っている証券会社や銀行の宣
伝文句とは裏腹に、それをそのまま真に受け
るほど愚かな人もあまりいないような世の中
なのかも知れず、株価が暴落したぐらいで政
府の責任を追及するようなことを述べている
人ほど、勘違いも甚だしいような気もするの
だが、では他に何か言いたいことがあるのか
というと、投資で大損こいた人は自己責任だ
から放っておかれても文句は言えないが、自
然災害で被災して生活に困っている人が放っ
ておかれるのはまずいような気はするが、そ
ういうところでも政府のやっていることを支
持できるか否かが、世間の常識の範囲内で判
断しなければならないことになってくるはず
だが、次第に常識が通用しない世の中になっ
てきているとすれば、それが今ここで起こっ
ている新たな事態なのかも知れないし、絶え
ず過去からの延長上で物事を捉えようとして
しまうと、そういうところが見逃されたり見
落とされたりすることだと言いたくもなるが、
それも大抵は不満を溜め込んでいる人や集団
であれば、過去からの延長上で織り込み済み
の常識が通用しなくなってきているからそれ
が不満だと、自分たちの感知しないところで
新しい常識がまかり通ってしまうと、それが
原因で自分たちが不利な立場や境遇に追い込
まれてしまうことを恐れるあまり、頑なに保
守的な価値観を保持して、そんな価値観に凝
り固まってしまうかも知れず、それが世界の
どこでも顕著になってきていると考えるなら、
そうなる原因を取り除くべく人や物や情報の
受容や移動を制限したくなるわけで、都合の
良い人や物や情報だけ受け入れて、都合の悪
い人や物や情報を拒否したり排除しようとす
るのだろうが、そういう傾向は世界共通だか
ら、新たなことをやろうとしたり、自分でも
気づかないうちに新たな慣習や生活習慣を取
り入れていたり実践する人にとっては、何か
しら周囲から圧力が加えられて息苦しくなる
経験をするかも知れないし、そういった同調
圧力のようなものを跳ね除けながら生きて行
けるか、それとも同調圧力に屈したり、屈し
なくても屈したふりを装いながらも、戦略的
な振る舞いに及んで、一定の譲歩や妥協を伴
いながらも、それなりに生きている人も結構
いるかも知れないが、そうなるのにも限度が
あるから、何かの限度を越えると暴動が発生
したり、凶悪な犯罪が立て続けに起こったり
するのかも知れず、それが大規模な自然災害
がきっかけとなってそうなったりする場合も
ありそうだが、その一方で果たして株価の一
時的な暴落を原因として何が起こるかといえ
ば、愚かな人ほど暴落に巻き込まれるわけで
もなく、愚かな人ほど損失額が大きくなるわ
けでもなければ、人の愚かさとは関係のない
ところで何かのバランスが作用して、結果的
には損得や収支に起因する一喜一憂がもたら
されるとしても、ただ淡々と事態が推移した
後に、これまでの行き過ぎがある程度は是正
されて、その後始末のようなことが行われる
のかも知れないが、それが何の後始末になる
のかが、それに関わってくる人によっても立
場によっても受け止め方が変わってくるだろ
うが、暴落の際にうろたえていい加減なこと
を言い放ってしまった人ほど、その後始末に
苦慮することになるのではないか。

https://www.koike-t.org

彼の声 2024.8.5 「めったにないチャンス」

voice-164

 めったにないチャンスを逃すとは、危険を
犯さないことと同義かも知れないが、果たし
てここで賭けに出る必要があるのかというと、
果たしてチャンスを逃さないためには危険を
犯して賭けに出る必要があるのかないのか、
そんなことはそんなことをやる人の勝手だろ
うが、何かその是非を巡ってヒントとなるよ
うな兆候が起こっているのかというと、事情
通と呼ばれるカテゴリーに入る人たちが実際
にその兆候が見られるから警告を発している
わけだが、そういう意味ではそのチャンスで
もありチャンスでもないような状況なのかも
知れず、誰にとってもチャンスとも言えない
だろうから、自分にとってチャンスだと思っ
て手を出せば、それが見込み違いの場合は窮
地に陥る可能性が高いということかも知れな
いし、逆に危険を冒してチャンスをものにす
る人もわずかに出てくるなら、事情通という
人たちの見込み違いだったかというとそうい
うわけでもなく、多くの人たちにとってはチ
ャンスでも何でもなく、ただの危険な兆候に
過ぎないはずだが、だから多くの人たちが怖
がって手を出すのをためらっているうちに、
ごくわずかの向こう見ずな人たちが手を出し
て、その中からさらにごくわずかな人たちが
チャンスをものにするような機会なのかも知
れず、確かにそういう意味では多くの人たち
にとってはチャンスであるどころかただの危
険に過ぎないが、多くの人たちにとってそう
であるから、ごくわずかの人たちにとっては
そこがチャンスだと考えることが、果たして
現状に照らし合わせて妥当なのかと問われて
いるわけではなく、そういう逆張り的な思考
こそが間違っていると言えそうで、世の中の
現実を舐めていると感じられてしまうかも知
れないが、それがいきり立った不良が喧嘩相
手に向かって、ナメてんじゃねえぞ!と脅し
をかける際に使う舐めていることでもなけれ
ば何なのかというと、世の中の現実を舐めて
痛い目に遭った方がいいんじゃないかと思わ
れる程度の舐めている感覚なのかも知れず、
逆張りしたければすれば良いから、逆張りし
た中からごくわずかの成功者が出てくるよう
ならそれでも構わない状況なのかも知れない
が、その成功者が自分になるとは限らないの
はもちろんのこと、逆張りした者が誰も成功
しない方が怖がっている多くの人たちにとっ
ては安心できるわけで、逆張りして痛い目に
遭った愚か者に向かってざまあみろと言い放
ちたいわけで、人の言うことを聞かないから
痛い目に遭うんだと説教したくなるだろうし、
これからは物事の道理をわきまえて真面目に
働けと言われて、いきり立った愚か者が意気
消沈すれば、してやったりとなりそうなのだ
が、そんな成り行きに当てはまりそうな愚か
者が果たしてこの世の中にいるのかというと、
それがこれからわかるかも知れないし、わか
ったところでどうということはなく、そんな
のは愚か者の知ったことではないとしたら、
愚か者の方が道理をわきまえているつもりの
わけ知り顔の知ったかぶりに勝利することに
なるだろうが、それもあり得ない話に思われ
るとすれば何なのかというと、その種のフィ
クションを絡めた想像力にも限界があって、
絶えず人の想像を裏切るようなことが起こる
とも限らないし、起こらないとも限らないが、
どちらであっても構わないし、どちらでなく
ても構わないにしても、そんなことにはお構
いなく、そういったチャンスと呼ばれる機会
を通り過ぎてから、何かもっともらしくも説
得力のあることが言えるようになり、そうな
った時がわけ知り顔の知ったかぶりが勝利す
る機会がやってきたことになって、ここぞと
ばかりに怖がってチャンスをものにできなか
った小心者たちやチャンスだと思って手を出
して痛い目に遭った愚か者たちを小馬鹿にす
る機会に恵まれるわけだが、だからといって
それでわけ知り顔の知ったかぶりが世間から
認められて尊崇されることになるかというと、
中にはうまく立ち回ってそうなる者も出てく
るかも知れないが、そこでも誰もがそうなれ
るわけではなく、ごくわずかの尊崇されるチ
ャンスをものにできた者が実際に尊崇される
かも知れず、その方面の権威として愚か者た
ちから崇め奉られるかも知れないが、そこで
もそんな奴を崇め奉るような者たちこそが愚
か者だと言われるかも知れないから、安易に
他人を小馬鹿にしたり賞賛したり崇め奉って
はまずいのかも知れず、それ以前に自分で考
えて自分の判断に基づいて行動して、行動し
た結果から教訓やら反省点を導き出せたら、
それをまたその後の行動に活かせば良いのだ
ろうが、やっていることがうまく行けば自分
が優秀で有能だからと思い込むのも愚かなこ
とかも知れないし、うまく行かなければそれ
を他人のせいにするのも愚かなことかも知れ
ないから、自分も他人もある程度は愚かであ
ることを前提として行動しなければならない
し、愚かだからこそ不用意に慎重さを欠いて
行動できるのかも知れないし、それで構わな
いようなことになるとしたら、運が良かった
と思うしかないのかも知れず、少なくとも現
状の中だけでうまく行くための答えを求めた
りせずに、過去の歴史や経験から学ばなけれ
ばならないとしても、未来から学べるわけで
もないし、自分にとっては未知の経験となる
が、これから実際に体験することになるから、
そうなると学ぶよりも優先して何かをやらな
ければならず、その何かというのが誰もがわ
からないし気づかないことになるだろうが、
それが実際に今ここでやっていることになる
わけだから、そんなのはわかりきったことだ
と思ってみても差し支えないのだが、わかり
きったことがわからないとも思わないし、気
づいていないはずがないわけだが、それに関
しても絶えず自分の意図や思惑から外れた方
面から何らかの作用や影響を及ぼされている
と考えておくのが妥当なのかも知れないし、
そういう作用や影響を及ぼされていることに
は気づいていて、ある程度はわかっているは
ずなのだが、だから自分の意図や思惑に気づ
いていないしわかっていないというと、何の
ことやらさっぱりわからなくなってしまうか
も知れないが、この先何か結果のようなこと
に気づいたりわかってしまったりしても、そ
んな結果に動揺したり困惑したりするだろう
が、そうなるように何かが仕向けているとも
言えないし、そういう先回り的な思考を跳ね
除けるような思いがけない出来事が起こるか
ら、それに動揺したり困惑したりすると思っ
ておくしかないのかも知れない。

https://www.koike-t.org

彼の声 2024.8.4 「後悔できないこと」

voice-164

 そうなってしまうことに関しては特に何か
信じられる理由があるわけでもないのだが、
それでもなぜか自分でも信じられないことを
やってしまうと、なぜそうなってしまうのか
よくわからないのだが、それで構わないよう
な気がして、すぐには自分がやってしまった
ことを理解できずにうろたえてしまうが、何
かに導かれながらそんなことをやっているよ
うな他力本願な気分となって、そういう成り
行きに身をまかせていればいいような気がす
るから、そうなるがままになって、実際にこ
こまでやってきたわけだが、具体的に何をや
ってきたとも思えないのだから、何もやって
いないのと同じではないものの、何かこれと
いって提示できないようなことでもあるから、
結果として何がどうなったにしても、何かが
どうにかなってしまったことについてはそう
いうことでしかないわけだが、その何かとい
うのが自分には今ひとつ理解できないことだ
から、どう評価すればいいのかもわからない
まま、自分の知らないところで結果的に何か
がどうにかなっているのかも知れないから、
そういうことに関しては何とも言えないとこ
ろだが、今後何かしら結果が出て、それを理
解できたところで自分なりに評価してみれば
いいことであるから、そうなった際にそんな
ことをやってしまったことの良し悪しを判断
するにしても、それを否定的に捉えるか肯定
的に捉えるかは、その場の状況や情勢にもよ
るが、そんな判断を下してみたところで、そ
の頃にはもう過ぎ去ったことでもあるだろう
から、大して痛手を被っているとも思えない
わけで、それを今から予想しているわけだか
ら、いい加減で当てにならない予想でもある
わけで、そんな予想を果たして信じられるか
というと、自分で予想しているのに信じてい
ないわけだが、自分が信じてもいない予想に
基づいて行動するとなると、絶対に間違えそ
うだが、そんな自分が自分を騙すようなこと
で構わないのかというと、そうでもしないと
なかなか行動に結びつかないのかも知れない
し、わざと間違えるようなことをやらないと、
それによって活動がうまく行かなくなるとし
ても、それで構わないような活動内容なのか
も知れず、要するにそんな活動などやめてし
まえばいいから、わざと間違えて活動をやめ
るきっかけを作っているらしく、そうやって
そんなどうでもいいような活動からの離脱を
目指しているのかも知れないが、そう考える
のも勘違いだとしたら何なのかというと、も
しかしたら間違いでも勘違いでもない可能性
もあるから、とりあえず今は自らが囚われて
いる成り行きに身をまかせるしかなく、身を
まかせていればそこから離脱できるわけでも
ないにしても、その中で行動していれば成り
行きも自ずから変わってくるだろうから、自
分がそこから離脱するというよりは、成り行
きが変わって行くのに合わせて自分の行動も
変わって行くように仕向けていればいいのか
も知れず、果たしてそんなうまく事が運ぶと
も思えないが、途中で成り行きと行動が合わ
ずにぎくしゃくして、それなりに摩擦や軋轢
も生じるだろうが、そうなっても構わないわ
けで、そうなる以前にすでに勘違いでいい加
減な予想に基づいて行動しているわけだから、
うまく行くはずがないと思っていればいいわ
けで、そういうところで何か確信を抱くよう
なことになると、その確信に裏切られた時が
窮地に陥る時でもあるから、それに関しては
今までの経験を踏まえて、歴史的な経緯も踏
まえるなら、どうせこれから信じられないよ
うなことが起こって、誰もが予想だにしなか
った結果がもたらされるのが見え見えだと思
われるような成り行きに誰もが囚われている
と思っておけばいいわけで、そんなことまで
考慮に入れるような成り行きでもないとして
も、用心しておくに越したことはないし、現
状の中でも信用できる人の予想が裏切られる
ようなことが起こる可能性が高いと情勢を見
ているわけだが、果たしてそれが勘違いでい
い加減な予想なのかといえば、そうであって
もなくてもどちらでも構わないのだが、どち
らにしても結果と言えるような結果が出れば、
そんな結果に一喜一憂するだろうが、だから
といってそれによって身の破滅をもたらすよ
うなことでもなければ、どうということはな
いわけで、それが思いがけず身の破滅をもた
らすような結果になっても、それに対処して
いるうちは生きているだろうから、それが気
休めや気晴らしや焼け石に水程度の対処だと
しても、やっている最中ではそれが自身の活
動となっているわけだから、そういうことを
やっているうちに成り行きが変わってくる可
能性もあるわけで、そうなるのを今ここで予
想するのもいい加減な勘違いになってしまい
そうだが、つい先日も日銀が金利をちょっと
上げたぐらいで、日本はもうお終いだと思っ
ている人がいるなら、それ以前に異次元の金
融緩和を継続している時点で、日本はもうお
終いだと思っていた人もいるだろうし、さら
にそれ以前に不動産バブルが崩壊した時点で
も、日本はもうお終いだと思っていた人もい
るだろうから、その延長上で今後もいくらで
も、日本はもうお終いだと思う機会がやって
くるのかも知れず、そういうお終いならいく
らでも気が済むまでそう思っていればいいこ
とに過ぎないとしても、そう思ってしまうこ
とが真の意味でのお終いという状態を裏切っ
て、要するにお終いの価値がインフレぎみに
下がっているわけだが、果たしてそういう価
値の下がったお終いを真に受けても構わない
かというと、真に受けても構わないだろうし、
お終いとはその程度のことだとたかを括って
も構わないが、どこの誰が日本がお終いだと
言っているのかも、その際には考慮しておか
ないとならないし、日頃から何かとその種の
言動を繰り返し述べている人がそんなことを
言っているなら、またかと思うだけで、大し
て気にならないが、果たしてそれ以外の人が
そんなことを言い放っているかというとそう
でもなく、そうであるなら今回もその程度の
こととして日本はもうお終いだと思っていれ
ばいいことに過ぎないが、それ以外で何か気
になる兆候でも察知しているのかというと、
どうも自分の勘違いな勘を信じるなら、今回
はそれとは真逆の成り行きになるような気も
しているわけだ。

https://www.koike-t.org

彼の声 2024.8.3 「やめられない衝動」

voice-164

 ほどほどのところでやめておくには、何事
もやり過ぎないことが肝心だが、どこまでや
ってもやり足りないような気がしてしまうか
ら、大抵は何事もやれるだけやってしまって、
それが結果的にはやり過ぎな事態を招いてし
まうとしても、何もやらないよりはやった方
がマシだという実感と、過ぎたるは及ばざる
が如しという格言との比較で、どちらがどう
だというわけでもないが、その場の成り行き
に応じて何かしら思うことも色々と出てくる
にしても、できればちょうど良い加減という
のが目指すべき状態なのだが、結果的にはそ
うはならないことの方が多いだろうから、そ
こからさらに余計なことをやらざるを得なく
なって、それをやってしまったばかりに、そ
れまでにやってきたことが台無しになれば後
悔するだろうし、またやるのを躊躇してしま
うと、あともう一押しが足らないから、成功
の一歩手前で引き返すようなことになってし
まっても後悔するだろうから、どちらにして
も結果次第で何とでも言えるようなことだか
ら、結局帯に短し襷に長しの中途半端で役立
たずな状態の中で的外れな不満を抱いている
ぐらいがちょうど良いのかも知れないし、不
満があるからその不満を解消するために、よ
せばいいのにまた余計な何かをやろうとして、
しかもそのやろうとしてしまうことが結果的
に蛇足となってしまえば、ますます不満が増
幅されるような事態となってしまい、さらに
余計なことをやらざるを得なくなって、そう
やってどんどん自業自得気味に自滅へと向か
って突っ走って行った先に、自らの死が待ち
構えていれば、これにて一件落着な結末とな
るかも知れないが、今はまだその途上にある
のだから、いくら先回りして気休めに悲観的
な未来を予想してみても、まだまだ先が長い
ような感じがする限りで、何かそれが勘違い
なのかも知れないから、最近K2で滑落して
遭難してしまった登山者の成り行きがその種
の自滅を体現していると言い放つつもりもな
いが、たぶんそういうこれ見よがしな結果を
回避するには、自力で何とかする以上にその
場での運も味方してくれないと避けられない
事態だろうから、危ないところには近寄らな
いでは、虎穴に入らずんば虎子を得ずな結果
には違いないが、そうではなく大抵は何でも
ないようなことを金儲けに結びつけるような
やり方に落ち着くわけで、そういうやり方で
成功した人がそれなりに優秀で有能なのはわ
かりきったことだとしても、そういう人が人
人の尊敬の対象になるかというと、どうもそ
うではないことも世の多くの人が承知してい
て、人から尊敬されたくてそんなことをやっ
ているわけではなく、結果的にそこで行われ
ている競争か何かの中で努力が実って金儲け
に成功するようなことになったのだろうから、
それが何でもないようなことだと思われる限
りで、実際に何でもないことだと思っておけ
ばいいわけで、それでもたぶん大金を稼いだ
結果を過大評価したくなるのだが、何でもな
いようなことによって過大な成功を手に入れ
ようものなら、それもやり過ぎな範疇に入る
ようなことかも知れず、そんな身の程をわき
まえないアンバランスな成功が身の破滅をも
たらしても、メディア的にも大した話題にも
ならずに、ひっそりとこの世から消えてしま
うような結果がもたらされて、それがどうし
たわけでもないことにもなりかねないし、た
ぶんそれで構わないようなことだから、誰も
そんなことには大して注目もしないわけだが、
気休めに観る対象としてそんな成り行きの一
部始終を提供するのがユーチューブには違い
ないのだが、暇にまかせてそれを観ているわ
けだから、少しはそれを興味深く感じている
はずで、少しは内容がおもしろいとも思って
いるから、観続けているのだろうが、そのお
もしろい程度というのが暇つぶしにはちょう
ど良い程度だからこそ長続きするわけで、そ
ういう成り行きが深刻な事態をもたらすとも
思えないのだが、その一方でそれとこれとを
比較するわけにも行かないこととして、現状
の世の中が深刻な事態になると騒ぎ立てるよ
うな動画も、観ている途中で嫌になるとそこ
で観るのをやめてしまう程度のこととして断
続的に観続けている実態もあるわけで、一応
は興味を抱いて観ようとするのだが、いつも
途中で見るのをやめてしまうのだから、それ
がつまらなくて興味を惹かない内容でもない
のだが、そこで述べられていることに違和感
を覚えたり反感を抱くのが刺激になるから観
ているようなものなのかも知れないが、嫌な
のに観ざるを得ないことが精神的にある程度
の苦痛をもたらしているとしても、その一方
で何でもないようなものも普通におもしろが
りながら観ているわけだから、どちらが良い
か悪いかを判断するなら、何でもないような
ものが良くて違和感や反感を覚えるようなも
のが悪いと単純に評価できるかというと、そ
れでも構わないわけだが、どうしてもたとえ
否定的な刺激をもたらすものでもそれを嫌な
感じを受けながら観ているわけだから、それ
だけ観ている自分に強い作用や影響を及ぼし
ているはずだが、その一方で何でもないよう
に感じられるどうということはないものの方
が、それだけ無関心という悪影響をもたらし
ている可能性もあるかも知れないし、それが
何に対して無関心になるように仕向けている
かといえば、実際に世の中で嫌なことが起こ
っていることに無関心になるように仕向けて
いるようにも思われるわけだが、そんな嫌な
こと忘れるための憂さ晴らしとして何がある
のかというと、誰もがそれを知っていて、し
かも誰もがそれを憂さ晴らしや気晴らしとし
て体験しているはずで、そんな世の中だから
こそ、わざと嫌になるようなものを観せて、
多くの人々がそこへと関心を向けるように仕
向けているのかも知れないが、そういうこと
が行われていること自体が余計なお世話のよ
うに感じられるとしたら、すでにそういうこ
とをやり過ぎな状態がもたらされていると認
識しておいても構わないだろうし、そういう
意味では世の中の多くの人々の精神が絶えず
四六時中過剰なメディア攻勢にさらされてい
て、そういったメディア支配に屈している現
状もありそうだが、だからといって嫌な世の
中だと思う反面、こうなっている以外にはあ
り得ないことも誰もが承知して受け入れてい
る現状もあるのではないか。

https://www.koike-t.org

彼の声 2024.8.2 「見せかけの演技」

voice-164

 それが演技なのか何なのかは、自らの勝手
な思い込みを信じるなら演技だと見なしても
構わないし、演技でないなら何なのかと問い
たいわけでもないのだが、そこで何が見せか
けられているとしても、それが起こってから
すかさずそれに対して反応しているのだろう
が、その反応がその人が日頃から唱えている
主義主張にぴったりと一致するようだと、そ
の主義主張に合わせた反応を演じているわけ
で、それでは何か驚きに欠けているというか、
そこで起こったことをそのまま伝えていない
ように感じられてしまい、そういう反応に関
してわかりやすい例として、日本で典型的に
見かけられるのが共産党の人たちの反応とな
るだろうが、共産党の人たちは昔からそうだ
から、何かの風物詩のようなものとして何と
も思わないのだが、共産党の人たちとは主義
主張が正反対とまでは言えないとしても、野
党的な反応というか、こんな人たちまでがこ
んな反応なのかと感じられるような反応が世
の中に蔓延しているわけでもないのだが、そ
れに気づいて軽く驚いてしまって、そういう
反応に感じられてしまうような反応を示す人
たちの述べている内容が信用できないという
か、そうなるとそこから遡ってなるほど昔か
ら共産党の人たちが述べていることを信用し
ていなかったのかと改めて気づいてしまって、
何かそれが逆説的に納得してしまうから、そ
れがおもしろく感じられたわけだが、だから
といって共産党の人たちの主義主張に賛同で
きないわけではなく、いつももっともらしく
も正しい意見を主張しているわけだから、別
にその主義主張の内容に反対したいとも思え
ないが、そういうことに関してはその通りだ
が、それとは別の方面から共産党の人たちが
言わないことから、彼らが絶対に言わないし
主張できないようなことまで含めると、何か
違うような気がするわけで、そこから微妙に
ずれているというよりは、共産党の人たちが
公式の場では絶対に言わない本音のような内
容を石丸伸二やトランプなどが普通に言うか
ら、それを本音だと思い込んでしまう若者た
ちがその種の演技としての本音の吐露や暴露
に騙されてしまうわけでもないのだろうが、
少なくともその種の内容がその人が培ってき
た感性に合うから彼らの支持者になるわけだ
ろうが、演技が悪いとも思えない一方で、果
たしてそれがその人の本音だと思われるよう
なことまで公式の場で言い放っているのかと
いうと、それがどうもそうではないような気
がしてしまうから、何が信用できないのかが、
たとえその内容を信用できないとしても、そ
れがわざとらしい演技だと感じられても、共
産党の人たちが絶対に言わないし言えないこ
とをこれ見よがしに言い放つことが英雄的な
言動なのかというと、たぶんそう思われるか
らそういうことを言い放つ人の支持者がそれ
なりに生じてくるのだろうが、その一方でそ
ういう英雄的な言動の人について行くような
人たちではない部類に入ってくるのが、自分
のような何事にも煮え切らない態度に及んで
しまう優柔不断なひねくれ者なのかというと、
それなりにそうだとも言えないこともないが、
日頃から唱えている主義主張に忠実な言動を
心がけていても、あるいは〇〇反対という公
式的なきれいごとに異を唱えるような本音を
言い放つことが英雄的な行為だと思っても、
絶えず言行不一致な面を考慮に入れるなら、
言うことも行いに含まれるから、その不一致
を強調し過ぎるのもちょっと違うのだろうか
ら、それはそれで一定のもっともらしさが伴
ってくる限りで少しはそんな言動に及んでし
まう人を勇気ある行為だと讃えても構わない
が、その一方で〇〇反対という公式的なきれ
いごとにも一定のもっともらしさが伴ってい
るから、昔からそういうことを主張する共産
党の人たちにもそれなりに支持者がついてい
るのだろうが、たぶんどちらにしても部分的
で一面的なある意味で一方的な主張なのかも
知れず、そんな人たちには言わせておけばい
いのだとしても、果たしてそれを真に受ける
人がどれほどいるのかと疑念を抱いているわ
けではなく、どちらも言い放てないような中
途半端な状況の中で誰もが生きているとも思
えないが、言い放つこと自体は容認できるが、
そういう言い放つ行為を受け流して聞き流し
ている人もいくらでもいる世の中なのかも知
れず、言いたい奴には勝手に言わせておいて、
それ自体を無効化させようとするわけでもな
いし、まるでその種の言い放った声がスポン
ジのように吸収されてしまう防音壁のような
ものがどこに設置されているわけでもないの
だろうが、まともに響いてこない世の中に暮
らしているようにも思われるから、その種の
言動には全く共感も共鳴も起こらないわけで
はなく、彼らも少しは民衆の心に響くような
ことを述べているのだろうから、自分の心に
も全く響かないわけではないとしても、むし
ろそれなりにもっともらしいと感じられて少
しは共感できる面もあるのだが、だからとい
ってそんなことを述べている人を熱烈に支持
する気にはなれないというか、それに関して
自らの言行不一致を認めざるを得ないから、
〇〇反対というきれいごとを主張する人に選
挙で投票しても構わないわけで、逆に功利的
な欲望や感情や損得勘定に心を支配されて、
しかも言行が一致してしまう人たちが公的な
政治に携わってしまってはまずいような気も
するから、そういう人たちの主張にも一定の
説得力があっても、そういう言動に賛同する
人たちを味方につけたくて、パフォーマンス
としてこれ見よがしなことを言い放つわけだ
が、言っていることがそればかりな人が政治
的な実権を握ってしまうと、世の中できれい
ごとが通用しなくなってしまってまずいのだ
としても、それもどうもそういう二項対立に
気を取られてしまうとまずいような気がする
わけで、そういう二項対立自体も世の中の実
態を反映していないし、経済的な弱者を救う
ようなことを主張している人たちの中にも、
〇〇反対というきれいごとを主張する人たち
に憎しみの感情を抱いていたり、そんな主張
を小馬鹿にしたり嘲笑するような人も大勢含
まれている一方で、逆に経済的な強者の富裕
層に含まれるような人たちの方でも、〇〇反
対というきれいごとに傾倒している人もいく
らでもいるから、それを単純に言行不一致だ
と見なすのもちょっと違うわけだ。

https://www.koike-t.org

彼の声 2024.8.1 「嘘の程度」

voice-164

 勘に頼って語ると、思ってもみなかった奇
妙な内容になってしまって、これが自分の本
音なのかと思って愕然としてしまうが、何か
嘘をついているようでいて、部分的には真実
に近づいているようにも思われるのだが、そ
の一方で語るべきでない内容まで含まれてい
るようにも思われて、それがやましさを覚え
るというとちょっと違うとしても、それが何
だかわからないが、何かを裏切っているよう
にも思われて、その裏切りが許せないかとい
うと、そうでもないようにも思われてくるか
ら、どうということはない程度の内容になっ
ているのかも知れないし、たぶんそれで構わ
ないのであり、感触としては自らの力量に見
合った分相応でいい加減なことを述べている
らしく、そこからさらに現状でわかっている
つもりの事実に基づいて語りたいのだが、部
分的な範囲内でうまく行っている活動であれ
ば、それが合法的な範囲内で何も問題がない
わけではないにしても、それなりに現状の中
で活動が成り立っていると言えるだろうが、
部分的にはそうであっても全体として辻褄が
合っているのかというと、それがわからない
のだから、やっていることが正しいか間違っ
ているかで物事を判断できないし、法律に照
らし合わせて合法か非合法かで判断が可能だ
が、それも法律を守るべきだと思っている範
囲内で可能な判断だから、非合法なことでも
正しいと思われてしまうと、合法か非合法か
で判断するのが無意味とは言えないにしても、
それよりも優先させる事情や経緯が出てくる
のかも知れないし、場合によっては嘘をつい
てでもやらなければならないことになってく
れば、客観的に考えてもやましいことをやっ
ているはずなのだが、果たして他の何にもま
して自由を優先させることがそういうことな
のかというと、自由だからそうなるのではな
く、逆に不自由だからこそ、法律など無視し
てやらなければならないことが出てくると思
われるのだが、その辺で自由と不自由とを取
り違えていることになるわけでもなく、法律
を無視する自由や法律を破る自由などなく、
法律を無視できない不自由があるし、法律を
破れない不自由もあると考えるとしっくりき
そうで、法律を無視したり破ったりしたこと
がばれると、実際に罰せられるから、できれ
ば法律を無視せずに法律を破らない範囲内で
活動を成り立たせたくなってくるのだろうが、
ばれない限りは法律を無視したり破ったりで
きるかというと、その場の状況や情勢の中で
それができるかできないかが決まってきそう
だが、その場では可能だとしても後からばれ
る可能性も出てくるだろうから、そういう意
味でも法律に抵触するようなことはやらない
方が身のためではあるのだろうが、現状のメ
ディア上で話題となっているのが自民党の国
会議員が違法行為をやっていたことが発覚し
た程度のことである限りで、それでも自民党
を支持している人が世の中には大勢いるだろ
うから、その程度のことなのだが、それが小
池百合子が嘘をついていたのがばればれなの
に、選挙となればそんなのは無視して小池百
合子に投票する人が大勢出てくるのと大して
変わらないと思いたいが、それらの何が問題
なのかと考えてみたところで、それがどうし
たわけでもなく、そんなのは大したことでも
ないと思われてしまうことが問題なのだろう
が、自分にとっても大したことでもないから、
無視しても構わないようなことなのかも知れ
ないが、ではそれ以外で何か無視できないこ
とがあるのかというと、これといってすぐに
思いつくようなことでもないが、それが嘘で
あり、実際にはどうするべきか迷っているこ
とがあり、それが他人にとってはどうでもい
いことであるのはわかりきったことなのだが、
自分にとっても無視しても構わないし、むし
ろ無視していた方が無難に思われることなの
だが、妙に気になってしまって、それがもと
で無駄に金を使ってしまうことが見え見えな
のに、なぜか決断を迫られていて、決断しな
くても構わないし、決断を先送りにしたまま
忘れてしまった方が、かえって事態をこじら
せずに済むような気もするわけだが、それで
もどうしようかと未だに迷っていて、それを
やるかやらないかを決めかねているのだが、
そういうところが矛盾しているというか、頭
の中で物事の優先順位がこんがらがっていて、
やるべきことをなかなかやらない一方で、や
らなくてもいいことを無性にやりたくなって
しまうから、それが失敗の原因となると共に、
それがきっかけとなって思わぬところから何
かがどうにかなってほしいとも内心期待して
いるわけだから、結果的にはいい加減なこと
をやっている現状があるわけで、すでにそう
いう方面ではやっていることがうまく行って
いないはずなのだが、なぜかそれで構わない
と感じられてしまうから、自分が思っている
こととやっていることが一致していないよう
な気もして、その言行不一致のようなずれた
感じが自らの現状を構成していて、それでは
まずいような気がしているのに、自身を取り
巻く物事の成り行きがそんな言行不一致をも
たらすような方向へと否応なく進んで行って
しまって、それが抗い難くそうなって行くよ
うに感じられるから、そのままでも構わない
ような気がしてしまうのだが、そういうこと
の延長上で世の中で様々な種類や傾向の人た
ちも活動していて、結果的に違法行為や嘘を
ついたりする羽目に陥ってしまうことも百も
承知で活動しているから、そういうことまで
考慮すれば、自民党の議員の違法行為も許さ
れるかというと、結果的に違法行為がばれた
のだから、そういう面は許されないだろうか
ら、裁判で有罪認定された後にそれ相応の罰
を受けるのかも知れないが、そんなのは知っ
たことではない人たちが自民党を支持し続け
るのだろうから、そんな人たちの頭の中では
違法行為など大したことでもないはずだが、
もちろん自民党と敵対する勢力の議員などが
違法行為を犯そうものなら、ことさらにそれ
を問題視してそれを非難するかも知れないし、
そういう面では功利的な判断からそうなって
しまうのだろうから、そういう判断が他の何
にも先んじて優先されるべきなのかも知れな
い。

https://www.koike-t.org

彼の声 2024.7.31 「まやかしの対立」

voice-163

 なぜか嘘っぽいことを語るなら、まやかし
としての積極財政と緊縮財政の対立になるだ
ろうが、何がまやかしなのかといっても、い
つものようにそれがうまく説明できないし、
うまく説明できないなら語らなければいいの
に、なぜか勘に頼ると語らざるを得なくなっ
てしまい、そういうところが合理的な理屈を
伴って説明できないから、嘘っぽい内容とな
ってしまうのだろうが、別にそれで構わない
ならそういうことだと受け流すしかないのだ
が、すでに数年前の欧米で積極財政政策が大
大的に行われた後の時代に突入しているわけ
だから、なるほどああいうものだとわかった
わけで、今さら対立を煽ってみても流行遅れ
の時代遅れな感じがしないでもなく、またパ
ンデミックなどが起これば財政的に余裕があ
る範囲内で積極財政政策をやればいいような
ことだから、それも相対的な程度で各国が各
各でやるようなことかも知れず、それなりに
国際的な連携も可能かも知れないし、財政の
大盤振る舞いをやってインフレになったから、
今度は金利を上げて財政の引き締めをやって、
そこから景気後退になったらまた金融緩和を
やる段階に差しかかりつつあるわけで、そう
いう一連の成り行きの中で積極財政政策と緊
縮財政政策が交互に繰り返されて行くわけだ
ろうから、対立を装うこと自体がまやかしに
過ぎないわけだが、そういう意味では積極財
政派の化けの皮がすでに剥がれていて、それ
をなかったことにはできないし、普通にここ
数年の世界情勢を理解している人には積極財
政派の主張が嘘っぽく感じられるかも知れな
いが、嘘っぽく感じられる範囲内で積極財政
派の主張を受け流して聞き流しておくだけで
も、BGM的な印象操作効果を期待できるか
も知れないし、それが何なのかと理解する必
要もないことであるなら、では他に何を理解
しなければならないのかといえば、一つの政
策を金科玉条の如くに主張するのではなく、
その場の状況に合わせて様々な方面からやれ
ることをやるしかなく、十年前ぐらいの政策
の誤りを未だに言い募るのもおかしいし、そ
の当時はその政策が効果を上げたように感じ
られたわけだから、それはそれでそういうこ
とで、その後始末をまだやっている段階だと
理解しておくだけでも、それなりに前向きに
なって現状で起こっている事態にも取り組め
るはずだが、その取り組んでいることに絡ん
で対立を煽っているわけだから、そういう対
立がまやかしなのかといえば、確かにそうい
う面もありそうだが、対立点を見るのではな
く、対立できない点を見ておくだけでも、現
状で起こっている中でまやかしではない部分
に注目できるかも知れないし、そのまやかし
でない面や部分が何かといえば、そのまやか
しでない面や部分に人々の目を向けさせない
ようにしておくために、まやかしの対立が仕
掛けられているとも言えるわけだが、果たし
てそれが経済活動そのものだと言えるかとい
うと、誰もが目を向けているのも経済活動そ
のものだから、まやかしの対立そのものがう
まく機能していないようにも感じられるのだ
が、ではそういう仕掛けが失敗に終わってい
るのかというと、それほど失敗しているわけ
でもないから、ある程度はまやかしの対立を
真に受ける人もいるのかも知れないし、経済
活動そのものが人々の生活に直結しているか
ら目を向けざるを得ないし、それに対してま
やかしの対立を仕掛けている人たちの方でも
経済活動に目を向けざるを得ないとしても、
何かそれが解決の手段や方法を提示している
ように装われているから、そこから幻想が生
じてくるのだとしても、それが幻想でしかな
いことに気づけない人たちがまやかしの対立
を真に受けていると感じられて、まやかしの
対立では解決できないし、解決の手段や方法
がまやかしでしかないから、そういう手段や
方法を提示する人たちを信用できないと思わ
れるわけだが、それが信用できないからとい
って支持や支援をできないわけではなく、信
用していないのに支持していたり支援してい
るつもりになれるから、何か欺瞞や偽善に囚
われていることを意識せざるを得ないのだが、
要するに対立を仕掛けるように仕向けること
が肝心なのかも知れず、そうやって結果的に
対立を仕掛けた人や勢力が時流に乗って踊ら
された挙句に梯子を外されて自滅するように
持って行っていると解釈しておくだけでも気
休め的な効果を期待できるわけだが、それが
経済的な効果と連動させるならバブルを起こ
して経済的な富を消尽させるやり方になるわ
けで、かつての日本がそんなことを仕掛けら
れて自滅して、現代では中国が仕掛けられて
自滅している最中だと思われているわけだが、
アメリカでも自ら仕掛けて富を消尽させてい
る最中なのかも知れないし、それが結果的に
はAIバブルとも呼ばれている現象には違い
ないのだが、その中でも生き残る人や企業も
出てくるから、現状の中でも誰がどんな企業
が生き残るかが注目されていて、日本の人や
企業も生き残るなら、結果的にはそれで構わ
ないようなことになってしまうだろうが、果
たして現状の日本で積極財政と緊縮財政の対
立を仕掛けている人や勢力がその中に含まれ
るか否かということ自体が問題外なのかも知
れず、日本政府の財政状態が日本の経済情勢
に左右されるようなことだから、現状の日本
で富を消尽させるようなバブルが起こってい
るかというと、まさにバブルが起こるように
仕込んでいる最中でもあるから、アメリカの
AIバブル崩壊の隙を突いて何か仕掛ける力
もまだないだろうし、都市の再開発や観光地
の整備をやって世界の富裕層の注目を集めよ
うとはしているのだろうが、現状の傾向から
言えることは、人々がそれを好むと好まざる
とにかかわらず、新自由主義的な未来へと邁
進しているように感じられて、最近の東京都
知事選挙にもそんな傾向が顕著に現れている
ように思われるのだが、人々の意識の中で左
翼やリベラルな傾向を好んでいるとしても、
現実の経済的な成り行きが新自由主義的な方
向へと突き進んでいるわけだから、それが政
治と経済との間でバランスとして機能してく
れるとありがたいわけだが、日本では欧米や
周辺国とは違い左翼やリベラルが嫌われる傾
向にあるわけだから、バランスを欠いた新自
由主義に政治も経済も覆われてしまうのでは
ないか。

https://www.koike-t.org

彼の声 2024.7.30 「妥当な財政政策」

voice-163

 自分たちを積極財政派だと自称する人たち
が批判の対象としているのが、緊縮財政派だ
と見なしている人や勢力になるのはわかりき
ったことだが、そういうのとは別の方面から
何かもっともらしいことが言えるかというと、
それがもっともらしいと感じられるかどうか
が、それを受け止める人の考え方次第になる
かというと、ではどう考えればそれをもっと
もらしく感じられるのかということになりそ
うだが、たぶん大ざっぱな感触として、自国
の経済規模に応じた国家予算になりそうな感
じがするだろうし、そんなことは積極財政派
だろうと緊縮財政派だろうとわかりきった範
囲内でそう感じられることになるだろうが、
現状では政府が絶えず慢性的な財政赤字に苦
しんでいることも確かで、それをすぐには黒
字化できないまでも、財政赤字を減らす努力
をしつつも破綻しない範囲内で均衡を保って
いればいいような感じになりそうで、それが
財政運営として真っ当な考え方になるはずだ
が、そういうのを違うと批判されてもおかし
いような気がするから、感覚としては積極財
政派の主張には無理がありそうなのだが、そ
れが実態としてはどうなのかと考えてみると、
無理を押し切って財政赤字が膨らむ方向へ進
んでしまいがちになるだろうから、そういう
面では積極財政派の主張にも一理ありそうな
気もするのだが、そういうところで物事の良
し悪しを判断するのもちょっと違うような気
もするから、政府の予算が何に使われている
かが問題となってきそうで、立憲民主党など
が国会で予算の使われ方についてはもっとも
らしいことを質問しているわけだから、それ
を真に受けるなら立憲民主党に政権をまかせ
て、ちゃんとしたところへと予算が振り向け
られるようにしてほしいとは思うが、そうな
ってしまうと困る勢力も色々といるらしく、
そうならないように様々な妨害工作を仕掛け
ているのかどうかも何とも言えないところだ
が、少なくとも積極財政派から緊縮財政派だ
と非難されている人たちが立憲民主党の中で
は主導権を握っているらしいから、それも少
しは政府の財政赤字を減らす努力はしそうな
雰囲気を感じさせている限りで、立憲民主党
に政権担当能力があると見ておけばいいのだ
ろうし、それでは積極財政派としてはまずい
だろうから、立憲民主党が政権政党になるの
を是が非でも阻止しなければならないだろう
が、そういうところで有権者である国民の良
識や常識が試されていればそれで構わないよ
うな感じがするのだが、要するに立憲民主党
の首脳陣が積極財政派を自称する勢力から緊
縮財派だと批判されているうちに、立憲民主
党が政権を取らないとまずいような気がする
わけで、逆にそうならないと積極財政派を自
称しているれいわ新選組なども勢力を伸ばせ
ないような気もするわけだが、その辺のとこ
ろも理屈にもなっていないようで、何かこん
がらがっていてわかりにくいだろうが、すで
に自民党政権のままだと何か不都合を感じて
しまうからこんなわけのわからないことを述
べているのだが、その一方でどうしても立憲
民主党が政権を取ってしまわないように様々
な方面から妨害工作の類いが仕掛けられてい
るわけでもないだろうが、それにしては石丸
伸二とか泉房穂とかが新党を作ったところで
自民党に代わる選択肢になるとも思えないし、
良識あるまともな心理状態の国民が増えてく
れば立憲民主党が普通に政権政党になるだろ
うし、そうなると民主党政権のアメリカや労
働党政権のイギリスなどと同じ程度にもなる
から、少しは安心できるはずだが、もちろん
現状ではそんなことになってしまうと困る人
たちが、盛んにそうならないようにメディア
を使って国民を騙そうとして、様々な方面か
ら働きかけを行なっているとも思えないし、
また立憲民主党の中でも誰が党首であっても
構わないような体制ができていることにも早
く気づいてほしいわけだが、ここが政権交代
を実現する最後のチャンスというわけでもな
いし、それに関して的外れなことを述べてい
る人もいくらでもいるとしても、そういう雑
音の類いもどうでもいいようなことなのかも
知れず、今のまま自民党政権が続いて行った
ところで大して困らない人もいくらでもいる
だろうから、そうなればそうなったで日本が
すぐに今以上に加速度的に衰退するとも思え
ないが、少しは多くの国民がみっともない国
情に気づいてほしいからこんなことを述べて
いるのであり、気軽に政権交代もできないま
まの日本がみっともないと思うなら、さっさ
と政権交代するように国民が持って行かない
と、いつまで経っても政権交代ができないま
まとなってしまうから、それがどうしたわけ
でもないと思うならその通りに過ぎないこと
だが、少しは良識が世の中で通用しないと、
資本主義経済の中で金儲けに成功した嫌な人
や集団ばかりがのさばったままとなってしま
って、多くの人たちが嫌な思いをするかとい
うと、それもそんな状態の中で多くの人々が
それをどう感じるかでしかないのだが、まさ
かそのリトマス試験紙としての役割が小池百
合子をどう感じるかにもかかっていたわけで
もないのだが、実際に選挙で多数の人たちが
小池百合子に投票したわけだから、ああいう
人を嫌だとは思わない人が大勢いたことが証
明されて、蓮舫に投票した自分には凄い嫌な
感じに思われてしまったのだが、なるほどこ
のまま自民党政権が続いて行っても何とも思
わない人も世の中には大勢いるのかと推測さ
れてしまって、結局は立憲民主党が政権を取
る可能性もそれだけ少なくなって、その代わ
りに石丸伸二だの泉房穂だのがメディアでも
てはやされて、なし崩し的には自民党が安泰
となるような仕掛けなのかと落胆したわけだ
が、もちろん本気でそう思っているわけでも
なく、将来を悲観しているわけでもなく、自
民党政権が続くか否かの判断基準が、みっと
もないか否かでしかないわけだから、大した
ことでもないとしか言えないようなことなの
だが、どうしても切実にはそうは感じられな
いようなどうということはない現状なのでは
ないか。

https://www.koike-t.org