彼の声 2024.8.3 「やめられない衝動」 | 彼の声

彼の声 2024.8.3 「やめられない衝動」

voice-164

 ほどほどのところでやめておくには、何事
もやり過ぎないことが肝心だが、どこまでや
ってもやり足りないような気がしてしまうか
ら、大抵は何事もやれるだけやってしまって、
それが結果的にはやり過ぎな事態を招いてし
まうとしても、何もやらないよりはやった方
がマシだという実感と、過ぎたるは及ばざる
が如しという格言との比較で、どちらがどう
だというわけでもないが、その場の成り行き
に応じて何かしら思うことも色々と出てくる
にしても、できればちょうど良い加減という
のが目指すべき状態なのだが、結果的にはそ
うはならないことの方が多いだろうから、そ
こからさらに余計なことをやらざるを得なく
なって、それをやってしまったばかりに、そ
れまでにやってきたことが台無しになれば後
悔するだろうし、またやるのを躊躇してしま
うと、あともう一押しが足らないから、成功
の一歩手前で引き返すようなことになってし
まっても後悔するだろうから、どちらにして
も結果次第で何とでも言えるようなことだか
ら、結局帯に短し襷に長しの中途半端で役立
たずな状態の中で的外れな不満を抱いている
ぐらいがちょうど良いのかも知れないし、不
満があるからその不満を解消するために、よ
せばいいのにまた余計な何かをやろうとして、
しかもそのやろうとしてしまうことが結果的
に蛇足となってしまえば、ますます不満が増
幅されるような事態となってしまい、さらに
余計なことをやらざるを得なくなって、そう
やってどんどん自業自得気味に自滅へと向か
って突っ走って行った先に、自らの死が待ち
構えていれば、これにて一件落着な結末とな
るかも知れないが、今はまだその途上にある
のだから、いくら先回りして気休めに悲観的
な未来を予想してみても、まだまだ先が長い
ような感じがする限りで、何かそれが勘違い
なのかも知れないから、最近K2で滑落して
遭難してしまった登山者の成り行きがその種
の自滅を体現していると言い放つつもりもな
いが、たぶんそういうこれ見よがしな結果を
回避するには、自力で何とかする以上にその
場での運も味方してくれないと避けられない
事態だろうから、危ないところには近寄らな
いでは、虎穴に入らずんば虎子を得ずな結果
には違いないが、そうではなく大抵は何でも
ないようなことを金儲けに結びつけるような
やり方に落ち着くわけで、そういうやり方で
成功した人がそれなりに優秀で有能なのはわ
かりきったことだとしても、そういう人が人
人の尊敬の対象になるかというと、どうもそ
うではないことも世の多くの人が承知してい
て、人から尊敬されたくてそんなことをやっ
ているわけではなく、結果的にそこで行われ
ている競争か何かの中で努力が実って金儲け
に成功するようなことになったのだろうから、
それが何でもないようなことだと思われる限
りで、実際に何でもないことだと思っておけ
ばいいわけで、それでもたぶん大金を稼いだ
結果を過大評価したくなるのだが、何でもな
いようなことによって過大な成功を手に入れ
ようものなら、それもやり過ぎな範疇に入る
ようなことかも知れず、そんな身の程をわき
まえないアンバランスな成功が身の破滅をも
たらしても、メディア的にも大した話題にも
ならずに、ひっそりとこの世から消えてしま
うような結果がもたらされて、それがどうし
たわけでもないことにもなりかねないし、た
ぶんそれで構わないようなことだから、誰も
そんなことには大して注目もしないわけだが、
気休めに観る対象としてそんな成り行きの一
部始終を提供するのがユーチューブには違い
ないのだが、暇にまかせてそれを観ているわ
けだから、少しはそれを興味深く感じている
はずで、少しは内容がおもしろいとも思って
いるから、観続けているのだろうが、そのお
もしろい程度というのが暇つぶしにはちょう
ど良い程度だからこそ長続きするわけで、そ
ういう成り行きが深刻な事態をもたらすとも
思えないのだが、その一方でそれとこれとを
比較するわけにも行かないこととして、現状
の世の中が深刻な事態になると騒ぎ立てるよ
うな動画も、観ている途中で嫌になるとそこ
で観るのをやめてしまう程度のこととして断
続的に観続けている実態もあるわけで、一応
は興味を抱いて観ようとするのだが、いつも
途中で見るのをやめてしまうのだから、それ
がつまらなくて興味を惹かない内容でもない
のだが、そこで述べられていることに違和感
を覚えたり反感を抱くのが刺激になるから観
ているようなものなのかも知れないが、嫌な
のに観ざるを得ないことが精神的にある程度
の苦痛をもたらしているとしても、その一方
で何でもないようなものも普通におもしろが
りながら観ているわけだから、どちらが良い
か悪いかを判断するなら、何でもないような
ものが良くて違和感や反感を覚えるようなも
のが悪いと単純に評価できるかというと、そ
れでも構わないわけだが、どうしてもたとえ
否定的な刺激をもたらすものでもそれを嫌な
感じを受けながら観ているわけだから、それ
だけ観ている自分に強い作用や影響を及ぼし
ているはずだが、その一方で何でもないよう
に感じられるどうということはないものの方
が、それだけ無関心という悪影響をもたらし
ている可能性もあるかも知れないし、それが
何に対して無関心になるように仕向けている
かといえば、実際に世の中で嫌なことが起こ
っていることに無関心になるように仕向けて
いるようにも思われるわけだが、そんな嫌な
こと忘れるための憂さ晴らしとして何がある
のかというと、誰もがそれを知っていて、し
かも誰もがそれを憂さ晴らしや気晴らしとし
て体験しているはずで、そんな世の中だから
こそ、わざと嫌になるようなものを観せて、
多くの人々がそこへと関心を向けるように仕
向けているのかも知れないが、そういうこと
が行われていること自体が余計なお世話のよ
うに感じられるとしたら、すでにそういうこ
とをやり過ぎな状態がもたらされていると認
識しておいても構わないだろうし、そういう
意味では世の中の多くの人々の精神が絶えず
四六時中過剰なメディア攻勢にさらされてい
て、そういったメディア支配に屈している現
状もありそうだが、だからといって嫌な世の
中だと思う反面、こうなっている以外にはあ
り得ないことも誰もが承知して受け入れてい
る現状もあるのではないか。

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