彼の声 2026.8.18 「政治と経済の結びつき」
voice-176
政治の方面で批判を展開する者たちは、批
判材料として絶えず物事の公正さから外れる
行為や言動を指摘しようとするが、例えば経
済の方面で安く買って高く売る行為を詐欺だ
と非難してしまうと、売買によって利益を得
る行為が非難されるようなことだから、それ
では経済活動自体が成り立たなくなってしま
うが、政治と経済の間で物事の公正さに違い
があるかというと、政治と経済では、活動の
根底にある目的と依って立つ原理、ルールが
異なるため、公正さ・正義の基準が決定的に
違い、目的の違いは、全体の利益か個人の利
益か、という違いで、政治の公正は分配的正
義で、社会全体の富や権利を、偏りなく平等・
公平に分かち合うことを目指すのに対し、経
済の公正は交換的正義で、参加者がそれぞれ
の利益・満足度を最大化することを目指し、
ルールの違いは、ルール作りかルール内の競
争か、という違いで、政治の場は、ルールそ
のものを決める場であるため、特定の誰かだ
けに有利な言動、身内びいきや不透明な決定
は不正とみなされ、強く批判されるのに対し、
経済の場は、決められたルール・法律の中で
競う場であり、安く買って高く売る行為は、
市場の需給、欲しい人と売りたい人のバラン
スに応じた正当な競争であり、違法な騙しや
詐欺がない限り、それ自体がルール通りの公
正な行為とみなされ、価値の捉え方の違いは、
客観的な正しさと主観的な満足の違いで、政
治では誰が見ても公明正大であるという客観
的な正しさが求められるのに対して、経済で
は価値は主観的で、ある人が十円の価値しか
感じないものを、別の人が百円の価値がある
と納得して買えば、その差額・利益は双方の
合意に基づく正当な価値の移動、価値の創出
となり、政治における批判はルールを決める
側が、全員を平等に扱っているかを問うもの
であるのに対し、経済における取引は、お互
いが納得して自由に行動しているかを問うも
ので、したがって、経済活動における自由な
取引、利益追求を政治の平等・公平の基準で
計ってしまうと、経済そのものが機能しなく
なり、その一方で、マルクス主義は、経済活
動を政治的な公正さ、支配・被支配のない平
等な社会の基準で再構築しようとする思想で
あり、経済を自由な取引とはみなさず、一般
的な経済観では、労働者は働いて給料をもら
う、という合意の取引をしていると考えるの
に対し、マルクス主義の視点では、資本家が
工場や土地などの生産手段を独占しているた
め、労働者は生きるために労働力を売らざる
を得ないという不平等な関係、搾取されてい
る状態にあるとみなし、経済の不公正が政治
の不公正を生むと考え、マルクス主義では、
唯物史観に基づいて、社会の土台である経済
構造が、法律や政治、道徳などの仕組みを決
定づけると主張し、経済的に圧倒的な富を持
つ資本家階級が、国家や法律、政治をも動か
して自らの利益を守っているため、経済の仕
組みそのものを変えない限り、本当の政治的
公正は実現しないと考え、生産手段の社会化
による公正の実現を求め、マルクス主義者が
目指すのは、安く買って高く売ることで生ま
れる利潤、資本の自己増殖の追求を止めるこ
とであり、土地や工場などの生産手段を社会
全体の共有財産にして、利益のためではなく、
人々の必要を満たすために計画的な生産・分
配を行うことで、政治的・社会的な究極の平
等、公正さを達成しようとし、マルクス主義
者にとって、資本主義における経済活動、利
潤追求は、それ自体が強者が弱者を支配する
不公正なシステムであるから、経済を政治の
コントロール下に置いて、社会全体の正義に
基づいて根本から変革すべきだと主張するが、
逆に、政治の場で批判を展開するリベラル派
や左派、社会民主主義的な立場の勢力は、政
治に経済の論理である市場原理や効率性など
を持ち込む動きを、公共性の破壊として激し
く批判するが、新自由主義などの経済の論理
に基づいて、コストパフォーマンスや自己責
任、効率性を最優先して、利益の出ない部門
は縮小・廃止すべきという主張に対し、政治
的批判側の主張は、医療、教育、年金、水道
などの公共のインフラは、たとえ赤字であっ
ても、国民の生存権を守るために平等に維持
されるべきだと主張し、これらを市場に委ね
て民営化することは、弱者の切り捨てにつな
がると批判し、経済の論理では、お金を多く
持つ者が強い影響力を持つ一円一票の購買力
の世界であるのに対して、政治的批判側の主
張は、政治は誰もが平等に一票を持つ一人一
票の民主主義の世界であるべきだと主張し、
経済の論理が政治に入り込むと、大企業や富
裕層の政治献金やロビー活動によって政策が
歪められ、富を持つ者だけに有利なルールが
作られてしまうと批判し、経済の論理では、
あらゆるものをGDP、株価、利益率、費用
対効果などの数値で評価しようとするのに対
し、政治的批判側の主張は、文化や科学の基
礎研究、社会福祉など、すぐには利益に結び
つかないが、社会にとって不可欠な価値が数
値化によって軽視され、破壊されていると批
判し、政治の場で批判を展開する者たちは、
経済の論理を政治に持ち込むことを、本来は
すべての人が平等であるべき領域に、格差と
競争を強制する行為として捉え、それに対し
て彼らは、政治の主権を市場・資本から市民
の手に取り戻すという大義名分のもとで批判
を行うが、政治と経済の不可分な結びつきを
考えれば、経済なしに政治はあり得ないが、
では政治なしに経済はあり得ないかというと、
政治なしに経済が成り立つことはあり得ず、
政治を、国家や法律、警察権力などの、社会
のルールを決め、それを強制する仕組みと定
義するならば、経済活動はその仕組みの存在
を前提として初めて成立し、経済活動の基本
は、自分の財産を他人の財産と交換すること
であり、法律や警察などの後ろ盾がなければ、
力のある者が他人の財産を奪う暴力の世界と
なってしまい、これは私の物であり、勝手に
奪われないという所有権の確立と保護は、政
治権力が担保している最大のインフラであり、
所有権の保証がなければ経済的な取引ができ
ず、また私たちが使う紙幣や貨幣やデジタル
マネー自体は、ただの紙切れや金属片やデー
タに過ぎず、これが価値を持つのは、政治に
よって動かされる国家が、この地域ではこれ
を通貨と認め、納税にも使えると法で定め、
その価値を保証しているからで、政治的な信
用がなければ、経済を回すための通貨システ
ムが崩壊し、安く買って高く売るにせよ、後
払いや分割、労働契約など、経済活動の多く
は約束・契約で成り立っていて、もし相手が
約束を破ったとき、裁判所がなければ泣き寝
入りするしかなく、約束を裏切れば法的に処
罰されたり、財産を差し押さえられる、とい
う政治的な強制力があるからこそ、見知らぬ
他人同士でも安心して取引ができ、理論上、
政治・国家がなくても、小さな共同体内での
物々交換や信頼関係に基づく経済は存在し得
るが、これを極限まで突き詰めたのがアナル
コ・キャピタリズム、無政府主義などの思想
で、国家がなくても、民間企業や自警団がル
ールの維持を代行できると主張するが、しか
し、これらも形を変えたルール、政治機能を
内包しており、完全に政治的な秩序なしに大
規模な経済が回った歴史的な実例はなく、経
済活動が拡大し、高度になればなるほど、詐
欺を防ぎ、市場を安定させるための公正なル
ールが必要になり、したがって、経済は政治
というプラットフォームの上で初めて動くこ
とができるゲームだと言えるそうだが、その
一方で、現代社会において資本主義こそが、
政治と経済の根底を支える最大の宗教、世俗
宗教であるという見方は、思想史や社会学に
おいて非常に強力に支持されているそうで、
神仏を信じる伝統的な宗教とは異なり、資本
主義は、目に見えない絶対的な教義として、
現代人の政治的決断や経済活動、さらには道
徳観までを支配していて、この資本主義=宗
教という説を裏付ける3つの決定的な理由を
解説すると、1つ目の理由は、資本主義が持
つ宗教的な特徴で、社会学者マックス・ウェ
ーバーや、思想家ヴァルター・ベンヤミンら
は、資本主義を純粋な宗教的現象として分析
したが、資本主義には、伝統宗教と全く同じ
構造があり、現代社会では、万能の神の代わ
りにお金があらゆる価値を測定する絶対的な
尺度・神となっていて、市場の目に見えざる
手は、人間の力を超えた全知全能の存在とし
て扱われ、経済成長し続けなければならない、
消費することは善である、という教えは、疑
うことの許されない絶対的な教義・ドグマで
あり、伝統宗教が祈りによって救済を求めた
のに対し、資本主義では、働くこと、富を築
くことが、人間の価値を証明し、将来の不安
から救われるための手段、信仰告白となって
いて、2つ目の理由は、経済の利潤追求を正
当化する背景で、安く買って高く売る行為を、
なぜ私たちは詐欺だと言わずに正当な経済活
動として受け入れているのかというと、それ
は私たちが知らず知らずのうちに資本主義と
いう宗教の信者となっているからで、自由な
取引によって利益を出すことは、社会を豊か
にする良いことだ、という強力な共通の信仰・
フィクションを、政治も経済も、そして一般
市民も共有しているからこそ、そのルールが
公正なものとして機能していて、3つ目の理
由は、政治をも支配する資本主義の戒律で、
政治は社会のルールを決める場だが、現代の
政治家はどの国でも経済成長を最大の公約に
掲げ、これが、政治が資本主義という上位の
宗教・イデオロギーに従属している状態と言
えるそうで、経済成長という神への奉仕を怠
る政権は、有権者である信者から見放されて
しまうため、政治的な正しさもまた、資本主
義の論理によって書き換えられているのが現
状であり、経済なしに政治はなく、政治なし
に経済はない、という強固な結びつきの根底
には、双方が共有している資本の増殖と市場
の全能性に対する絶対的な信頼=信仰があり、
その意味で現代社会における真の国教、ある
いは地球規模の普遍宗教こそが資本主義であ
るという見立ては、まさに的を射ていると言
えるが、ではマルクス主義が資本主義を科学
的に批判はずなのに、結果として、もう一つ
の宗教、共産主義という信仰に変貌してしま
った理由は、その思想構造と実践の過程に伝
統的な宗教、特にキリスト教と酷似した救済
のパラダイムが組み込まれていたからだそう
で、哲学者カール・ポパーやレイモン・アロ
ンらは、これを世俗の宗教や知識人のアヘン
と呼び、その変貌の理由は、4つのポイント
に集約されるそうで、1つ目のポイントはキ
リスト教の構造をそのまま世俗化した点で、
唯物史観という、マルクス主義の歴史観は、
キリスト教の神話的な救済のストーリーと驚
くほど一致していて、原初に階級のない原始
共産制という楽園が存在し、次にそこから堕
落して、私有財産が発生し、資本主義による
人間の疎外が起こって、失楽園の状態となり、
そこから人類は様々な苦難を経て、最後の審
判である、労働者階級の蜂起として革命が起
こって、千年王国である共産主義社会が到来
し、国家も階級もない理想郷の中で人類の救
済がもたらされる、というストーリー仕立て
であり、この人類が最後には救われるという
歴史の必然性は、科学というよりも過酷な現
実を耐え抜くための強烈な預言・信仰として
機能し、2つ目のポイントは絶対に間違えな
い無謬性という教条主義で、マルクスは資本
主義の法則を科学として分析しようとしたが、
しかしレーニンやスターリンなどの指導者た
ちの手に渡ると、それは科学的真理だから絶
対に正しいという教義・ドグマに変質し、科
学は常に間違っている可能性、反証可能性を
受け入れるが、マルクス主義は正しさが証明
されているとされたため、党の決定や指導者
の言葉が宗教における、法王の不可謬性、間
違いを犯さないことと同じ扱いになってしま
い、3つ目のポイントは労働者階級という全
能の神あるいはメシアの誕生で、マルクス主
義では、虐げられた労働者階級こそが、自ら
を解放すると同時に人類全体を救済するメシ
ア・救世主として神聖化され、この歴史的使
命を帯びた神聖な存在という位置づけは、信
者・党員に強烈な選民思想と、大義のためな
らどんな犠牲、暴力や粛清も厭わないという
狂信的な情熱を与え、4つ目のポイントは異
端審問と教会の誕生、一党独裁で、唯一絶対
の真理を掲げる思想は、必然的に異端、解釈
の異なる者を許さなくなり、ソ連などの現実
の国家では、共産党が教会、指導者が法王、
思想教育が礼拝となり、少しでも教義から外
れた者を、反革命分子として排除する現代の
異端審問、大粛清が吹き荒れ、宗教が持つ内
と外を厳格に分け、内側の純血を守るという
排他性が、政治権力と結びつき、資本主義と
いう拝金主義の宗教に対抗するため、マルク
ス主義は、人間の理性と平等を信じる、より
完璧な宗教を構築しようとしたが、しかし、
人間の理性を神格化しすぎた結果、ドグマ化
し、現実の権力と結びついた瞬間に、中世の
暗黒時代のような排他的な信仰体系へと先祖
返りしてしまったと言えるそうだ。
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彼の声 2026.8.17 「格差是正への取り組みの成果」
voice-176
その国や地域においてどのような産業が経
済を支えているかによっても違いがあるだろ
うが、国内の経済格差と国ごとの国際的な経
済格差の間には、グローバル化や産業構造の
変化を通じて連動する傾向や、各国の社会保
障政策による違いといった特徴的な関係が見
られ、クズネッツの逆U字仮説に基づいて、
経済発展の初期段階では工業化などにより国
内格差が広がるが、成熟するにつれて所得の
再分配や民主化により格差が縮小する傾向が
指摘されてきたが、近年はIT技術の高度化
やグローバル化の深化によって、先進国・途
上国を問わず国内で勝者と敗者の分断、正規・
非正規の格差などが広がりやすい共通の背景
があり、グローバル化と国内格差の同時進行
が指摘されるが、国全体の経済水準が高くて
も、米国のように格差が大きい国もあれば、
日本のように市場所得に比べて社会保障を通
じた再分配によって格差の拡大が一定程度抑
えられている国もあるそうで、日本国内で時
の政権が経済格差を拡大させていると批判す
る人々は違うと反論するだろうが、例えば西
欧流の民主化を頑なに拒んでいる中国でも、
一応は社会主義国だから国内の経済格差を均
衡化しようとしているかというと、中国政府
は社会主義の看板を守るため、そして政権維
持と社会安定のために、国内の経済格差を本
気で是正しようとしているそうで、現行の習
近平政権の建前としては、1978年の改革
開放以降の、豊かになれる者から先に豊かに
なり後から他者を助ければよい、という先富
論から、誰もが豊かになる、という共同富裕
をスローガンに掲げて、格差是正へと舵を切
っている最中だろうが、2026年から始ま
った第15次5カ年計画でも、この共同富裕
の実現が重要目標として引き継がれているそ
うだが、中国が格差是正を急ぐ社会主義国な
らではの理由は、共産党による一党支配とい
う非民主主義を正当化するためには、不平等
のない平等な社会、社会主義を目指すという
大義名分が不可欠であり、格差の放置は党の
求心力低下に直結し、これまでの投資と輸出
に頼る成長が限界を迎えており、格差を縮小
させて数億人規模の中低所得層を中産階級に
引き上げ、彼らの国内消費を増やすことで経
済を回す必要に迫られているそうだが、過去
の成長で富を蓄えた沿海部の都市、大手IT
企業、不動産セクター、そして党の既得権益
層から激しい抵抗や、過度な規制による経済
の冷え込みが起きていて、また中国には戸籍
制度に都市戸籍と農村戸籍という強力な壁が
あり、農村出身者は都市部で十分な社会保障
や教育を受けにくい構造が残っていて、20
26年現在、中国の経済成長率は5%前後に
鈍化しており、経済を大きくしながら公平に
分けることが以前より格段に難しくなってい
るそうで、民主主義国が選挙で票を獲得する
ことを意識して格差対策を行うのに対して、
中国は共産党体制の維持と社会暴動の防止と
いう切実な政治的動機から格差均衡化を試み
ているが、しかし、エコノミストの調査など
では、格差を示す指標のジニ係数の高まりが
指摘されており、ちなみに中国とアメリカが
同程度で日本は社会的な警戒ラインを下回っ
ているが、中国では社会主義の理想と市場経
済の現実の間で激しく情勢が揺れ動いている
そうだが、もう一方の覇権国であるアメリカ
はどうなのかというと、共和党政権と民主党
政権では、経済格差へのアプローチの哲学が
根本的に異なり、民主党が税制や社会保障を
通じた直接的な富の再分配を重視するのに対
し、トランプ大統領率いる共和党政権は、規
制緩和や減税によって経済全体の規模を広げ
て、労働者に職を行き渡らせることで実質的
な格差是正を目指すアプローチをとっている
そうで、トランプ政権は、自らの支持基盤で
ある製造業の作業員や、いわゆるブルーカラ
ー労働者の懐を温めるために、2017年の
減税措置が切れるタイミングを前に、202
5年、新たな大型減税法案を成立させ、年収
3万〜8万ドル層への15%減税、子育て世
帯への税控除の増額などが盛り込まれ、また
サービス業や工場労働者の手取りを直接増や
すための、チップへの非課税や残業代への非
課税措置を導入し、そして一律10%の普通
関税などを導入し、海外からの安価な輸入品
に高関税を課すことで、国内の製造業を保護
し、米国内の雇用と賃金を維持し回復させて、
国内労働者を保護する狙いがあり、政権側は
これらを中間層のための政策とアピールして
いるが、複数のシンクタンクやエコノミスト
からは、これらの政策が、結果的にさらなる
格差拡大を招いていると激しく批判されて、
経済政策研究所EPIや租税経済政策研究所
ITEPの分析によると、一連の減税の最大
の恩恵を受けているのは上位1%の富裕層や
大企業であり、中間層や低所得者層が得られ
る恩恵は非常に小さいと指摘され、中でも関
税の引き上げは国内の食料品や住宅資材など
の価格上昇を招いていて、収入の大部分を生
活費に充てる低所得者層や中間層にとって、
この物価高は事実上の大増税となって家計を
圧迫していて、また減税による国家財政の赤
字を埋めるため、低所得者向けの医療保険や
食費補助フードスタンプといった低所得層向
けの社会保障プログラムの大幅な予算削減が
並行して進められており、これが格差をさら
に固定化させると懸念され、実際FRBなど
の最新データでは、米国の富の上位1%が握
る資産割合が過去最高水準の約32%に達す
る一方で、最高経営責任者CEOと一般労働
者の格差はさらに拡大しており、アメリカ経
済のK字型二極化の進行が指摘されていて、
トランプ政権は、雇用の創出と手取りの増加
という形で格差是正にアプローチしているも
のの、その減税と関税という手法が市場のイ
ンフレや富の集中を招いて、結果として格差
是正とは逆のベクトルが働いているのが現状
の大きな矛盾となっているそうだが、トラン
プ政権による株式への長期投資を促すための
政策として、キャピタルゲイン減税の強化案
や、新しい非課税貯蓄口座であるトランプ・
アカウントの設立、さらに確定拠出年金の投
資選択肢の拡大などが具体的に存在し、これ
らは株への投資コストを下げ、投資できる枠
を増やす、というアプローチで、個人や現役
世代の長期的な資産形成を促す狙いがあり、
株式などの購入価格をインフレ物価上昇に合
わせて調整し、実質的な利益分にのみ課税す
る仕組みが検討され、これにより、株の長期
保有者がインフレによって見かけ上の利益が
増えただけで重税を課されるのを防ぎ、長期
投資をより有利にしようとしていて、また教
育資金用の529プランなどに並ぶ新たな長
期資産形成プログラムとして、税法上のセク
ション530Aに基づくトランプ・アカウン
トを新設し、子供や扶養家族のために雇用主
が非課税で拠出できる仕組みなどが盛り込ま
れており、若年期から株式などを活用した長
期的な資産貯蓄を国が税制で後押しする形に
なっていて、アメリカ国民の主要な長期投資
ツールである確定拠出年金について、大統領
令や労働省の規制緩和を通じて改革を進めて
いて、従来の伝統的な株式インデックスファ
ンドだけでなく、プライベート・エクイティ
の未公開株、プライベート・クレジット、暗
号資産などを確定拠出年金の選択肢に含めら
れるよう規制を緩和し、ポートフォリオの分
散と利回り向上を狙い、長期の年金運用に多
様性を持たせる方針で、勤務先に確定拠出年
金の制度がない労働者でも、政府提供の非常
に低コストなインデックスファンドにアクセ
スして長期投資ができる、新しい補助金付き
の貯蓄プランも提案されているが、これらの
投資促進策は市場の活性化には寄与している
が、格差是正の観点からは強い批判を浴びて
いて、シンクタンクの調査によるとキャピタ
ルゲイン減税などの恩恵の9割以上は、すで
に巨額の株式資産を持つ年収20万ドル以上
の富裕層に集中し、アメリカでは人口の約半
数がそもそも株を保有していないため、とい
うか何らかの形で株を保有しているのはアメ
リカの成人の58%だが、退職金・年金口座
以外で投資を行なっている成人はわずか37
%にとどまり、多くの人は、会社の福利厚生
である退職金制度を通じて、自動的に運用さ
れているだけ、というのが実態だそうで、株
価対策や投資減税は、持てる者と持たざる者
の差、K字型経済をさらに広げる原因になっ
ていると指摘されているそうで、確定拠出年
金に未公開株や暗号資産といった流動性の低
いリスク資産を組み込めるようにした結果、
知識の乏しい一般の労働者が引退間際に巨額
の損失を被るリスクを高めてしまうとして、
消費者保護団体や民主党などから危険視され
ていて、トランプ政権が、表面的な人気取り
であるポピュリズムと実質的な国民の利益の
どちらを重視しているかという問いは、政治
学者や経済学者の間でも意見が真っ二つに分
かれるテーマであって、単純な二者択一では
測れない、多面的な構造を持っているそうで、
なぜその2つが同時に、あるいは矛盾して見
えるか、という3つの視点から整理すると実
態が見えやすくなるそうで、1つ目の視点は、
視点によって実質の意味が180度異なり、
何を国民のためと定義するかによって評価は
真逆になり、政権支持層やブルーカラーの視
点で実質的と評価できる点は、チップへの非
課税や即効性のある減税は、毎月の手取りを
すぐに増やして、生活者にとっては非常に実
質的で手触りのある利益となり、また、関税
によって海外からの不当なダンピング競争か
ら米国の雇用を守るという姿勢も、労働者に
とっては国益を守る本質的な政策と映るが、
主流派経済学者や批判層の視点では、表面的
で有害と評価されるそうで、関税によるイン
フレ物価高や減税による財政赤字の爆発的増
加は、中長期的に国家の経済基盤を損ない、
結果的に中間層を苦しめるので、目先の票を
目当てにした表面的な人気取りのポピュリズ
ムに過ぎないと一蹴され、2つ目の視点は、
ポピュリズム的人気取り自体がトランプ政治
の核心であるという視点で、トランプ大統領
の政治スタイルにおいて、支持者が喜ぶわか
りやすいアピール、人気取りと実際の政策は
切り離せない一体のものであり、民主主義国
のリーダーとして、官僚や学者などのエリー
ト層が好む複雑な中長期計画よりも、国民が
直感的に理解できる減税、国境の壁、不公平
な貿易国への制裁といった強力なメッセージ
を打ち出し、それを実行することで強固な支
持基盤を維持していて、この意味で、人気取
りは単なる手抜きではなく、政権を運営する
ための最も重要な戦略と言えて、3つ目の視
点は、意図よりも結果の矛盾に注目すべきで、
政権がどちらを重視しているかという本音や
意図を探るよりも、狙った政策が、構造上の
理由で逆の結果を生んでしまうという矛盾に
注目する方が建設的であり、アメリカの産業
を復活させ、中間層を豊かにしたい、という
意図で導入した減税は、結果的に富裕層をよ
り富ませて格差を拡大させ、課した関税は国
内の物価を上げて労働者の生活を圧迫し、こ
のように、たとえ国民のためを思って打ち出
した政策、あるいはそうアピールした政策で
あっても、グローバル経済の複雑な仕組みの
中では、結果として格差を広げるという表面
的な結果しか残らないケースが多々あり、結
論として、トランプ政権は、どちらか一方を
重視しているというよりも、支持層に即効性
のある利益を約束して熱狂を生み出し、国民
の人気取りをやりながら、それを保守派の伝
統的な経済思想に沿った減税や規制緩和で実
行に移すが、その結果として格差やインフレ
という実質的な副作用が生じている、という
のが、客観的な捉え方と言えるそうだが、こ
うしてグーグル検索のAIはうまくまとめて
くれるのだが、最近はインフレがおさまって
いるように思われるし、経済も表面的には好
調のようだし、その辺のところは少し違和感
を覚えるわけだ。
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彼の声 2026.8.16 「ダーウィンの進化論の不都合な発展形」
voice-176
一見同じカテゴリーに入りそうな人々やそ
れらの人の思想や主張の間で、何が差異をも
たらすかは、それらについて語る際に持ち出
す判断材料の組み合わせにもよるだろうが、
最終的には偶然の巡り合わせだと言ってしま
うと、思想あるいは主張の中身に関する責任
を放棄したことになりかねないが、例えばダ
ーウィンの進化論において、ある特定の生物
種の個体群が置かれた環境の中で、最もその
環境に適応した個体が生き残りやすいと考え
ても構わないかというと、おおむね問題はな
さそうだが、ただし、現代の生物学の視点や、
誤解を避けるためにつなげておきたい重要な
ポイントがいくつかあるそうで、その環境に
最も適応した個体の意味に関して、それはそ
の個体の力強さではなく、その環境で偶然有
利な特徴を持っていたという意味で、変化す
る環境に、たまたまマッチした個体が生き残
り、また生き残るだけでは不十分で、次世代
に遺伝子を残すことが最も重要で、長生きし
ても子孫を残せなければ進化には貢献できず、
正確には、生存し多くの子孫を残しやすいと
いう意味になり、しかもダーウィンは当初、
適者生存という言葉は使っておらず、後に思
想家のスペンサーの適者生存という言葉を取
り入れたのだが、強者が弱者を駆逐する、と
いう社会的・政治的な誤用を生みやすいため
注意が必要で、正確には駆逐するのではなく
搾取するといった表現を使った方が、社会的・
政治的な文脈から考えれば妥当なような気が
するが、補足として、現代進化論との違いは、
ダーウィンは個体のサバイバルを重視したの
に対し、現代では、遺伝子の残りやすさや、
偶然による変動、遺伝的浮動も重視されるそ
うだが、確かに社会的・政治的な文脈におい
て、強者と弱者の関係を駆逐・排除ではなく、
搾取・利用と表現する方が、歴史的・構造的
な実態をより正確に捉えられるケースは多々
あるにしても、ただし、これを社会的ダーウ
ィニズムによる適者生存の誤用の文脈に、そ
のまま当てはめるべきかどうかは、その思想
が目指した目的によって解釈が分かれるそう
で、社会的・政治的文脈における2つの側面
の視点、および用語の妥当性について整理し
てみると、搾取と言い換える方が妥当なケー
スは、資本主義の発展や植民地主義の歴史を
分析する文脈では、搾取という表現が非常に
うまく当てはまり、強者にとって都合の良い
構造を維持する面では、強者は弱者を全員排
除して駆逐したいわけではなく、弱者をシス
テム内に生存させ、彼らの労働力や富を吸い
上げ搾取することで、強者の優位性が保たれ、
結果的に強者の繁栄には、搾取対象としての
弱者の存在が不可欠であるが、一方で、駆逐
のままでも構わないケースとして、歴史上の
凄惨な政治思想や政策の文脈では、駆逐や排
除の表現がそのまま妥当し、実際に優生思想
にとらわれたナチズム下では、障がい者や特
定の民族などの不適者とみなした人々を社会
から完全に排除し、抹殺して駆逐しようとし
た歴史的事実があり、純粋なサバイバル競争
のレベルでも、限られた土地や資源を奪い合
い、負けた側を完全に追い出すような排他的
ナショナリズムの論理が当てはまり、そもそ
も、生物学の適者生存を人間社会に適用する
こと自体に、根本的な論理の飛躍や誤用があ
り、適者を強者と履き違えていて、自然界の
適者は、環境にたまたま適合した者であり、
権力や武力を持つ強者ではなく、自然の事実
から道徳を導いていて、自然界がそうだから、
人間社会もそうあるべきだ、弱肉強食でいい
とする考え方は、倫理的かつ自然主義的な誤
謬であり、確かに現代の政治経済的な不平等
を批判する文脈であれば、強者が弱者を搾取
していると表現する方が、社会構造のリアル
を捉えており、妥当性が高いと言えるが、優
生思想のような極端な排除の歴史を語る文脈
では、やはり駆逐・排除という表現の方が適
しているそうで、社会的ダーウィニズム、社
会進化論が、ダーウィンの進化論の完全な誤
用なのか、それとも必然的な発展形なのかと
いう問いは、科学史および思想史において今
なお議論が続く非常に興味深いテーマであり、
結論から言えば、現代の科学的視点から言え
ば完全な誤用、論理の飛躍だが、十九世紀の
歴史や思想的文脈から見れば、必然的に生じ
て、生み出された発展形という、二面性を持
っているそうで、科学的視点から見れば完全
な誤用だと言える理由は、生物学の理論を、
人間社会の規範にそのまま適用することには、
根本的な論理の飛躍があり、自然界が適者生
存であるからといって、人間社会も弱肉強食
であるべきだという倫理や方針を導くことは
できず、〜であるから〜すべきであるへの飛
躍だと言えるが、またダーウィンの言う適者
は、たまたま環境に適合した個体だが、社会
進化論では、知能、富、武力、権力に優れた
者などの強者へとすり替えられていて、そも
そも進化に、進歩というより優れていくとい
うゴールはないが、社会進化論には目的論が
混入していて、ヨーロッパ白人社会を頂点と
する進歩の階層を正当化するために使われる
思惑があり、このような歴史的経緯を踏まえ
ると、必然的で不都合な発展形と言える理由
があり、十九世紀の帝国主義、植民地拡大、
資本主義の勃興など、当時の時代背景を考え
ると、この思想の登場は歴史的必然だったと
も言えて、当時の支配層や列強国は、植民地
支配や貧富の差を、神の意志ではなく、科学
的な自然の法則として正当化する理論を熱望
していて、実は「適者生存」という言葉を作
ったハーバート・スペンサーは、ダーウィン
が『種の起源』を発表する前から独自の社会
進化論を展開していて、ダーウィンの理論は、
既存の社会思想にお墨付きを与えるために利
用された側面があって、ダーウィン自身も十
九世紀のイギリス人であり、後半の著書『人
間の由来』などでは、当時の人種的偏見や文
明国が未開国を淘汰するといった社会進化論
的な見方を完全に排除しきれておらず、ダー
ウィニズムそのものがご都合主義的な解釈か
というと、科学としてのダーウィンの進化論
に関しては、これはご都合主義ではなく、膨
大な観察と証拠に基づいた純粋な科学的理論
だが、思想としてのダーウィニズムになると、
ダーウィンの死後、あるいは生前から、彼の
理論は政治、経済、宗教、哲学などあらゆる
陣営によって、ご都合主義的に解釈・利用さ
れ続け、資本主義を正当化する者たちにとっ
て、自由競争とその結果として生じる格差は
自然の法則だと利用でき、それに対してマル
クス主義者や社会主義者は、階級闘争の歴史
的基盤を生物学が証明したと歓迎し、帝国主
義者は、優れた民族が劣った民族を支配する
のは不変の真理だと悪用でき、このようにダ
ーウィニズムそのものは純粋な科学だが、人
間はそれを自分たちの都合に良いイデオロギ
ーや支配や競争の正当化に合わせて社会に適
用し、したがって、社会的ダーウィニズムは、
科学的には完全な誤用や誤解でありながらも、
十九世紀の政治経済の要請が生み出した必然
的で不都合な怪物であり、発展形だったと言
えるそうで、また進化論の他にも、物理学、
生物学、熱力学などを社会理論や経済学に当
てはめようとした試みは、歴史上何度も繰り
返されてきたそうだが、科学の客観的な正し
さを借りて社会を説明しようとした、代表的
な4つの事例を紹介すると、1つ目は物理学
の万有引力の法則を社会物理学・社会システ
ム論に利用しようとした事例で、十七世紀に
ニュートンが万有引力の法則を発見すると、
思想家たちは、人間社会にも引き合う力や不
変の法則があるはずだと考え、社会学の祖と
呼ばれるオーギュスト・コントは、社会学を
当初、社会物理学と呼んでいて、天体の運行
のように、社会の秩序・静力学と進歩・動力
学も科学的な法則で予測・管理できると主張
し、これは現代の人流データ解析や都市計画
シミュレーションの遠い源流と言えるそうで、
2つ目は熱力学のエントロピー増大の法則か
ら着想を得たエントロピー経済学の事例で、
二十世紀後半に、熱力学の法則、特にエント
ロピー増大の法則の、物質やエネルギーは放
っておくと無秩序で使えない状態に向かう、
という法則を経済活動に適用する理論が、経
済学者のニコラス・ジョージェスク=レーゲ
ンのエントロピー経済学として登場し、従来
の経済学は、資源を投入すれば無限に循環・
成長できる、と考えがちだったが、しかし彼
は、経済活動とは地球上のエントロピーの低
い利用可能な資源を消費して、再生不可能な
エントロピーの高いゴミや熱に変えるプロセ
スであると指摘して、無限の経済成長の不可
能性と環境破壊を警告し、3つ目は生物学の
共生や生態系の理論をシカゴ学派が都市社会
学に適用した事例で、ダーウィニズムが競争
を強調したのに対し、生物の住み分けや生態
系・エコシステムの仕組みを社会に当てはめ
て、二十世紀初頭のアメリカ・シカゴ学派が
人間生態学として考察し、都市をひとつの植
物相や動物相の生態系とみなし、新移民の流
入や階層の移動を、生物の侵入、競争、住み
分け、隔離のプロセスとして説明して、なぜ
都市の中にスラム街や高級住宅街が自然と形
成されるのかを分析し、4つ目は物理学の量
子力学や相対性理論をポストモダン思想に適
用した事例で、二十世紀の物理学で起こった
ニュートン力学から量子力学や相対性理論へ
のパラダイムシフトの中で、絶対的な真理で
はなく、観察者によって結果が変わるなどの
言説を、社会や言語の理論に持ち込もうとし
た動きで、物事は相対的であり、観察者の位
置によって真実が変わる、といった量子力学
や相対性理論のイメージを、社会の権力構造
や文化相対主義の説明に流用したが、ただし、
これは後に物理学者ソーカルらから、科学用
語のデタラメな乱用として激しく批判される
事態に発展し、これらに共通するのは、社会
的ダーウィニズムと同様に、自然界の法則か
ら人間の規範や意志を直接導き出せるか、と
いう難点であり、自然の法則は数式や生存の
事実に過ぎないが、人間社会には倫理、法、
政治という独自のルールがあるため、そのま
ま当てはめると歪みが生じやすくなるそうだ。
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彼の声 2026.8.15 「右翼の中での隔たり」
voice-176
そもそも政治的な右左の違いというのもわ
かりやすいようでいて、その活動や主張が重
なる部分もありそうだから、わかりにくいと
ころもあるような気がするのだが、例として
は不適切かも知れないが、例えば、若い頃の
モーリス・ブランショは極右活動家だったと
言えるかというと、結論から言うと、193
0年代の20代〜30代前半のモーリス・ブ
ランショは、極右の論客、ジャーナリスト・
イデオローグであったことは歴史的事実だが、
街宣暴動などを起こす一般的な意味での政治
活動家、アクティビストであったかというと、
ややニュアンスが異なり、その活動の中心は、
あくまで過激な政治文筆・ジャーナリズムに
あり、ブランショは当時、シャルル・モーラ
スのアクシオン・フランセーズなどの影響を
受けた青年右派や、既存の政治枠組みを拒絶
する、非順応主義者と呼ばれる知識人グルー
プの一角を占めていて、ラディカルな極右・
ナショナリスト系の機関誌や新聞に多数の政
治時評を寄稿し、その主張は、既成体制の徹
底的な否定、ブルジョワ社会、議会制民主主
義、資本主義を強く批判、右翼的革命の称揚、
テロルも辞さない容赦のない暴力による精神
的・政治的な国家の刷新によって、時の左派
政権のレオン・ブルムの人民戦線などを打倒
すべきだと扇動したが、ブランショの30年
代の思想は極右に分類されるが、当時のナチ
ス・ドイツやファシズムと完全に同一視する
ことはできず、むしろ激しい反ドイツ・反ヒ
トラーであって、彼はフランスの伝統と精神
的価値を重視するナショナリストであったた
め、ヒトラー率いるドイツの台頭をフランス
への最大の脅威とみなして、政府の弱腰な宥
和政策を激しく糾弾し、また当時の極右の多
くは反ユダヤ主義を掲げていたが、ブランシ
ョ自身の署名記事からは人種排外的な言語や
明確な反ユダヤ主義は見つかっておらず、む
しろ、寄稿先の『ランスルジェ』紙が反ユダ
ヤ主義色を強めた際には、それに抗議して身
を引いたとも言われ、また、学生時代からの
親友はユダヤ人哲学者エマニュエル・レヴィ
ナスで、ブランショは当時『ジュルナル・デ・
デバ』紙などの編集や文筆を本職とするエリ
ートジャーナリストであり、後に対独協力に
走る作家ピエール・ドリュ=ラ=ロシェルの
秘書を一時的に務めるなど、極右人脈のど真
ん中にいたが、自ら大衆を率いて街宣闘争を
行うような政治セクトのリーダーではなく、
1930年代末から第二次世界大戦のナチス
占領期にかけて、ブランショは過激な政治言
論から身を引き、戦後は自身の右翼時代の過
去を封印し、沈黙するようになり、そして1
950〜60年代のアルジェリア戦争への反
対運動や、1968年の五月革命になると、
かつての極右思想とは真逆の極左あるいはア
ナーキーな反体制左派の知識人として、今度
はマニフェスト執筆やデモへの参加などの政
治活動に身を投じることになり、したがって、
若い頃は極右思想の暴力的なイデオローグだ
ったと言うのは完全に正しいが、極右の活動
家だったと言うと、少し言論人としての活動
の実態からズレる、というのが正確な評価だ
そうだが、フランスの右翼といえば政治家の
ルペン親子が有名だが、同じフランスの右翼・
ナショナリズムという枠組みであっても、ブ
ランショが生きた1930年代の青年右派と、
戦後に誕生したルペン派、フロント・ナショ
ナルでは、時代背景も目指す社会像も大きく
異なり、共通する部分は、既成政治への強い
不信で、ブランショは1930年代の第三共
和政期の議会制民主主義の腐敗を激しく非難
したのに対して、ルペン親子は、既成の二大
政党やエリート層、グローバリズムによるエ
スタブリッシュメントを徹底的に批判し、両
者共に、フランスという国家のアイデンティ
ティや精神的価値を最優先し、外国からの軍
事的・経済的・文化的な従属、ブランショの
時代はドイツ、ルペンの時代はEUやアメリ
カ、グローバル資本を拒絶する強いナショナ
リズムを持っており、それに対して決定的に
違う面は、人種差別・排外主義の有無で、ル
ペン親子は、生物学的・人種的ナショナリズ
ムで、ルペン派の思想の根幹は移民排斥と自
国民優遇で、父親のジャン=マリー・ルペン
は、ホロコーストを歴史の些細な一コマと表
現するなど、明確な反ユダヤ主義や人種差別
感情を煽り、娘のマリーヌはそれをマイルド
に薄めたが、根底にあるのはイスラム信仰や
移民がフランスを破壊するという排外主義だ
が、それに対して若い頃のブランショは、精
神的・文化的ナショナリズムで、1930年
代のブランショのナショナリズムは、血統や
人種ではなく、フランスの文明的・精神的価
値を重視するものであり、当時の極右の定番
だった人種排外的な言動や、反ユダヤ主義的
な記事を自身は一切書いておらず、そして目
指す政治体制は革命か選挙かの違いがあり、
若い頃のブランショは国家の破壊と根底から
の変革を掲げ、当時のブランショは非順応主
義者として、資本主義も議会制民主主義も纏
めて暴力的に打倒する右翼的革命を求めてい
て、選挙に勝つことには興味がなく、精神と
国家の根底的な刷新を叫ぶ、きわめて形而上
学的、哲学的でラディカルな思想であったの
に対し、ルペン親子は現行システム内での権
力奪取を求めていて、彼らはあくまで選挙に
よる議席獲得と大統領就任を目指すポピュリ
ズム政党で、現行の共和制の枠組みを暴力で
破壊するのではなく、民主的な選挙を通じて
国家主権の回復や移民制限を実現しようとし
ていて、さらにエリート知識人か大衆扇動家
かの違いもあり、若い頃のブランショは知識
人のためのエリート主義で、ブランショは高
級紙や知識人向けの機関誌に寄稿するエリー
トであり、彼の言葉は一般の大衆ではなく、
同じ知識人や政治エリートに向けて放たれて
いて、大衆を動員してデモをするようなポピ
ュリズムをむしろ軽蔑していたのに対し、ル
ペン親子は大衆の不満を代弁するポピュリス
トであり、ジャン=マリーは粗野で攻撃的な
言動で労働者層の怒りを煽り、マリーヌはそ
れを洗練させて、普通の労働者や庶民の味方
としての支持を広げ、大衆の感情に直接訴え
かける政治スタイルで、ルペン親子の右翼思
想が移民・外国人への攻撃などの排外主義と
大衆煽動を燃料にしているのに対し、若い頃
のブランショの右翼思想はフランス文明の精
神的危機に対するエリート知識人の過激な反
逆であり、このように、同じ右翼というラベ
ルが貼られていても、その中身、手法、倫理
観には埋め難い巨大な溝があり、この違いが
あったからこそ、ブランショは戦後、極右か
ら極左へと、自らの反体制・革命のエネルギ
ーをスライドさせることができたと言えるそ
うだが、若い頃のブランショやフランスのル
ペン親子の思想は、日本の右翼・保守思想の
文脈にも非常によく似た構図を見出すことが
できるそうで、ブランショの反資本主義、反
議会政治、国家の精神性を重視する革命論、
エリート知識人による文筆、という特徴は、
日本の戦前の革新右翼の超国家主義や、戦後
の新右翼、民族派の知識人にきわめて近く、
三島由紀夫の論理と美学による反逆は、最も
近い存在で、三島も大衆煽動家ではなく、高
度な文学と言語を操るエリート知識人で、戦
後の民主主義や物質主義・資本主義などの西
洋的な近代化を日本精神の破壊として激しく
批判し、天皇を中心とした精神的ナショナル
アイデンティティの回復を求め、自衛隊への
決起呼びかけなどの暴力も辞さない過激なロ
マン主義的革命を志向した点も、青年右派時
代のブランショと重なり、北一輝や権藤成卿
などの戦前の革新右翼・超国家主義派も、昭
和初期に大財閥の資本主義と腐敗した政党の
議会政治を打倒し、国家を根底から改造しよ
うとした点で共通していて、彼らの思想は2・
26事件などの青年将校を動かし、ブランシ
ョの右翼でありながら、左翼のような革命・
体制打倒を叫ぶという非順応主義のスタイル
は、日本の革新右翼そのもので、鈴木邦夫と
一水会の戦後の新右翼・民族派も、戦後の伝
統的な親米・反共・街宣車の右翼とは異なり、
反米・愛国を掲げて、アメリカへの従属を拒
絶する姿勢は、ブランショが1930年代に
ナチス・ドイツや英仏政府の弱腰を批判した
自立したナショナリズムに通じ、また、彼ら
は新左翼の過激派の熱量に対抗・共鳴しなが
ら言論活動を行なった点が、後に左翼へスラ
イドして行ったブランショの軌跡ともシンク
ロしているが、一方でルペン親子の国民連合
に近い日本の右翼・政治勢力は、その思想の
根幹が、反移民・排外主義、自国民第一主義、
選挙による政権奪取であるから、これらは日
本のネット右翼系政治団体やポピュリズム的
保守政党にそっくりそのまま当てはまり、旧
在特会系政治団体の日本第一党は、ジャン=
マリー・ルペンの初期のスタイルに最も近く、
在日特権を許さない市民の会を前身とし、外
国人への生活保護支給反対など、特定の外国
人やマイノリティを標的にした過激な排外主
義を掲げて活動しているが、それに対して参
政党や保守党などの新興右派政党は、マリー
ヌ・ルペンの脱悪魔化、マイルド化して支持
を広げる戦略に近いポピュリズム的アプロー
チを取っていて、既存の利権政治やグローバ
リズム、外資による国土買収、LGBT法案、
過度な多様性推進などを批判し、日本人のた
めの政治、伝統や主権の回復を掲げて、SN
Sを駆使して一般大衆や労働者層の不満を吸
収し、選挙での議席獲得を目指していて、日
本の文脈に置き換えると、両者の思想的な立
ち位置の違いがさらにクリアになり、若い頃
のブランショに近いのが三島由紀夫・革新右
翼で、文学、哲学、精神性を重視し、大衆を
嫌い、国家の美的な刷新や破壊・革命を目指
し、排外主義や人種差別が目的ではなく、ル
ペン親子に近いのが現代のポピュリズム系保
守政党・ネット右翼団体で、数の力、選挙の
票、支持者を重視し、大衆の生活の不安や外
国人への嫌悪感を燃料にして、移民排斥や反
グローバリズムが活動のコアであり、このよ
うに、日本でも三島由紀夫のようなエリート
右派のブランショ的ロマン主義と、現代のネ
ット右翼や参政党のような大衆・ルペン的排
外主義の間には、思想的な質において大きな
隔たりがあると言えるそうだが、ここで蓮實
重彦を持ち出して、ブランショと三島由紀夫
の違いを説明すると、蓮實重彦のブランショ
に対する評価は、三島由紀夫への低評価とは
全く異なり、むしろ極めて高く、敬意を払っ
ているそうで、同じような傾向ではなく、文
学的・批評的な面において、ブランショには
最大級のポジティブな評価を与えているそう
だが、なぜこれほど評価が分かれるのか、蓮
實の表層批評の論理からその理由を紐解くと、
3つのポイントに整理できるそうで、1つ目
のポイントとして、三島への低評価は、言葉
が心理や意味に従属していて、蓮實重彦が三
島由紀夫を低く評価する最大の理由は、三島
の文章があらかじめ決まった結末や、作者の
心理あるいは思想を説明するための道具にな
ってしまっている点にあり、蓮實の文学観で
は、優れた小説とは言葉そのものが予期せぬ
運動を起こすもので、しかし三島の小説は、
人工的で完璧なプロットの中に言葉が整然と
閉じ込められており、言葉が三島自身の美学
や思想あるいは死への誘惑を語るための奴隷
になっていると見なされ、三島は、何が書か
れているかのテーマや思想が前に出過ぎるた
め、蓮實が重視する言葉の連なりそのものが
持つダイナミズム、表層が死んでいる、とい
うのが蓮實の冷淡な評価の根底にあり、2つ
目のポイントとして、ブランショへの高評価
は、言葉の不可能性そのものを生きる文学と
いう点で、蓮實はモーリス・ブランショを二
十世紀の文学・批評における最重要人物の一
人として高く評価しているそうで、ブランシ
ョの小説『謎の男トマ』や『アミナダブ』な
どや、批評『文学空間』などは、何か具体的
な思想や正しい意味を読者に伝えるためのも
のではなく、むしろ、言葉は本質的に何も表
現できないのではないか、という文学の根源
的な限界、不可能性そのものを、極限まで突
き詰めた独自の文体を持っていて、ブランシ
ョのテキストでは、あらかじめ決められた心
理やストーリー、主題と言葉が完全に切り離
され、言葉そのものが一種の迷宮のように機
能し、この意味の深みに逃げず、言葉の経験
そのものを提示する、というあり方こそ、蓮
實が提唱する表層批評や物語批判の理想像そ
のものなのだそうだが、3つ目のポイントと
して、フランス文学者としての蓮實とブラン
ショの関係は、そもそも蓮實重彦はフランス
文学の専門家であり、彼が若い頃に吸収した
1960年代のフランスの現代思想を担って
いた、ミシェル・フーコー、ジャック・デリ
ダ、ロラン・バルトなどは、全てブランショ
の文学論から決定的な影響を受けて誕生し、
蓮實にとってブランショは、三島などの打倒
すべき凡庸な作家ではなく、自分自身の批評
的思考の骨組みを形成した、大前提となる偉
大な星座の一部であり、そのため、ブランシ
ョのテキストが持つ徹底的な空虚さ、静けさ、
そして強靭な文体に対しては、終始一貫して、
深い敬意が向けられているそうで、そんな蓮
實重彦から見ると、両者は文学的に真逆の存
在で、三島由紀夫が、自らの思想や死のドラ
マを語るために、言葉を意味でガチガチに固
めてしまった作家であるのに対し、モーリス・
ブランショは、政治や思想のドラマを完全に
削ぎ落とし、言葉が持つ純粋な不在や死その
ものを文体として結晶化させた作家であり、
このように、蓮實の基準は常に思想が右か左
かではなく、言葉が自律して動いているか、
それとも意味の奴隷になっているか、という
徹底した文体論にあり、若い頃の政治的過激
さという共通点がありながら、文学としての
評価が正反対に異なるのはこのためなのだそ
うだが、というグーグル検索のAIのもっと
もらしい見解を真に受けても構わないかどう
かについては、何とも言えない立場をとらざ
るを得ない。
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彼の声 2026.8.14 「些細な小競り合いを利用する思惑」
voice-176
ネットスラングでいう不謹慎狩りや正義中
毒などの他人の不正や落ち度を追及する独善
的な姿勢は、不寛容社会の構築やバズ経済、
アテンション・エコノミーを通じて、経済活
動と深く結びついて、情報が溢れる現代社会
において、人々の注目や関心そのものが希少
な資源・価値となり、一見すると政治や道徳
の問題に思えるが、マクロ経済およびミクロ
経済の双方に悪影響や構造的要因をもたらす
そうだが、悪影響は企業の経済活動への萎縮
効果で、炎上を恐れた企業が新しい挑戦やユ
ニークな広告を自粛し、過剰な完璧主義が求
められる結果、失敗が許されず新商品開発が
停滞し、クレーム対応やリーガルチェックに
資金と人手が割かれ、生産性が低下する一方
で、消費行動の冷え込みをもたらし、過度な
自粛ムードによって、旅行、外食、娯楽など
不謹慎とされる消費が叩かれることで、市場
全体の消費マインドが冷え込み、過去の震災
時やパンデミック下で見られたように、行き
すぎた相互監視が観光や娯楽などの特定の業
界に致命的な打撃を与えるそうだが、SNS
やメディアにとって、他人の落ち度を叩くコ
ンテンツは最も手軽にバズり注目を集めやす
い商品で、アクセス数が広告収入に直結する
ため、独善的な追及を煽ることでコタツ記事
や暴露系インフルエンサーなどが利益を得る
経済構造が成り立ち、そうやって出る杭は打
たれ、わずかなミスで優秀な人材が社会的に
抹殺されると、人材流動性と労働生産性の低
下を招き、減点主義が横行すると、組織内が
相互監視状態になり、労働者の心理的安全性
が奪われ、生産性が著しく低下し、このよう
に、過度な正義感の暴走は、社会全体のチャ
レンジ精神や消費意欲を奪うので、中長期的
には国家の経済成長を阻害する大きな要因に
なり得るそうだが、といっても、不謹慎狩り
や正義中毒は、東日本大震災やコロナパンデ
ミックの際には、非常時の自粛ムードに対応
した態度になるだろうから、ごく普通の一般
人がそうなったところで、その場の情勢や状
況がその人をそうさせると見ておいても構わ
ないだろうが、現状で叩いている対象が、首
相の高市や防衛大臣の小泉進次郎などの公人
の言動になると、まさかそれがエンタメ的な
消費だとは叩いている当人も自覚していない
どころか、そんなのは争点逸らしを目的とし
た勘違いな言いがかりだと判断されてしまう
かも知れないが、ではちゃんとした政治的な
行為の一環として彼らの言動を叩いているの
かというと、まずは勘違いな言いがかりだと
感じられる、エンタメとしての機能において、
批判対象が公人である場合、叩く側は社会正
義という大義名分を得られるので、罪悪感を
完全に麻痺させることができ、権力者や成功
者の失脚を消費する、他人の不幸を喜ぶ気持
ちを満たすエンタメと捉えて、日常の不満を、
絶対に反撃してこない、あるいは反撃しにく
い公人にぶつけるのは、安全な感情の発散弁
になり、SNS上で共通の悪を一緒に叩くこ
とで、手軽に仲間意識や承認欲求を満たすツ
ールとして機能するそうだが、それに関して、
例えば、ジャーナリストの西村カリンが、政
治の言動に対してうんざりしていると述べて
いる主な背景には、首相や閣僚の記者会見が
事前に質問や回答が調整された形式となって
いて、それが音読会や茶番だと言いたいよう
で、政治家自身の生きた言葉や実感が感じら
れないことへのジャーナリストしての強い失
望があるらしく、質問が事前に通告され、用
意された原稿をただ読み上げるだけの会見が、
許せない音読会や茶番のように感じられ、野
党時代とは異なり、政権を担う中での発言や
あいさつにコピペや定型句の比率が高く、自
身の言葉として響かないことへの不満がある
そうで、うっかり失言して叩かれないように
自己防衛しているだけだろうが、確かにそれ
ではエンタメとしては機能しづらく、官邸サ
イドとしては、うるさい反権力側のジャーナ
リストたちの不都合な質問を封じるための対
策が効果を上げている結果だと解釈できない
こともないが、一方で、政治的な行為として
の側面では、政治家などの公人を叩くことが、
どれほど動機が感情的であっても、結果とし
て社会を動かす政治的な力を持つことも事実
で、司法や既存のメディアがまともに機能し
ない場合に、大衆の追及が不正を暴き、政治
家を辞任に追い込む直接民主主義的な役輪を
果たすことがあるそうで、一見ただのバッシ
ングに見える行為が、結果として政策の変更
や法改正を促す政治的圧力になるそうだが、
今後何かのわざとらしい仕掛けとして最も問
題となるのは、政治的な問題提起の仮面をか
ぶったエンタメに変質したときだそうで、政
策の是非という本来の政治的議論ではなく、
公人の失言やプライベートの落ち度などが持
ち出されて、それが分かりやすいスキャンダ
ルとして追及されるようになれば、肝心の政
策が行き詰まったから争点逸らしの一環でメ
ディアと一緒になって騒ぎ出したんだな、と
受け止めるしかないが、政治家側も大衆のエ
ンタメ的バッシングを恐れているのか、恐れ
ているふりをしているのかよくわからないが、
長期的で本質的な政策よりも、短期的に見栄
えが良くなくても、叩かれないことを優先し
た差し障りのない振る舞い演じるようになり
そうだが、逆に叩かれる公人の側がその状況
を逆手に取って、自らの利益や政治的求心力
を得るために利用するケースも多々あるそう
で、現代の政治やメディア空間では、批判さ
れること自体が強力な武器になるため、公人
たちは戦略的にバッシングをコントロールし
利用しているそうで、猛烈に叩かれることで、
あえて不当な攻撃を受けている被害者の構図
を作り出し、既成メディアや対立勢力から叩
かれれば叩かれるほど、既存の社会に不満を
持つ有権者から、彼らは我々の代弁者だから
攻撃されているのだと強い同情と支持を集め
られる場合もありそうだが、トランプなどは
そうなることを狙ってわざと批判されるよう
な言動に出ていると想像してしまうが、それ
で身内の結束力を高めていると言えるかどう
かは何とも言えないが、政治の世界でも、無
視されるよりは悪名でも注目される方がマシ
という法則があり、過激な発言やあえて叩か
れる行動を取ることで、瞬時にトレンド入り
し、巨額の広告費に匹敵するメディア露出、
パブリシティをタダで獲得でき、自身が注目
させたい特定の論点にあえて批判を集中させ、
本当に隠したい別のスキャンダルや不都合な
法案から国民の目を逸らす煙幕として利用す
ることもあり、特に政治系インフルエンサー
や一部の政治家にとって、立花孝志などはそ
の典型例だったのだろうが、バッシングを受
けることはビジネスの燃料になり、敵の攻撃
から彼を守れ、という大義名分が立つため、
それによって、クラウドファンディング、カ
ンパ、有料サロンへの入会、ユーチューブの
スーパーチャットなどが急増すれば、炎上商
法に成功したと言えるだろうが、叩く側を、
リテラシーの低い連中、売国奴、などと定義
することで、支持者に、自分たちは真実を知
っている特別な存在だという優越感を与えら
れるなら、その程度の認識の顧客を獲得した
ことになるが、トランプのようにリベラルエ
リートや大手メディアから叩かれるような存
在にまでなれるなら、一時的に既得権益と戦
うヒーローのイメージを自己演出できている
ことになるだろうが、果たして上品で洗練さ
れた言葉を使う既存の政治家に飽き飽きして
いる層が、世の中にどれほどいるのかもよく
わからないし、このように、叩く側が正義の
エンタメとして公人を消費している裏で、叩
かれる公人の側もまた、その攻撃を逆手に取
って、既存権力への反逆者としてブランディ
ングしながら、支持、知名度、資金に変換す
る高度なエネルギー代謝システムとして利用
しているのが実態だそうだが、最近嫌な感じ
がするのは、批判対象を自称保守と断じて批
判する人の存在で、他人をそう断じているの
だから、その人は真の保守を自任しているの
だろうが、自称保守という言葉を使って特定
の勢力や個人を批判する人々の主な言い分は、
批判対象の言動が、伝統の尊重、漸進的改革、
理性の過信への戒めなどの、本来の保守主義
の本質から逸脱し、単なる排外主義や、盲従、
または急進的な破壊主義に陥っているという
点にあるそうで、保守主義の定義に、正当化
できる、一貫性があるケースと、正当化でき
ない、矛盾しているケースの決定的な違いを、
構造的に整理して解説してみると、批判する
人々の主な言い分として、なぜ批判対象を自
称と呼ぶのかに関しては、批判派は、その対
象が保守と名乗りながら、実際には非保守的・
過激主義的な行動をとっていると指摘してい
て、具体的には対米盲従と主権の軽視で、日
本の伝統や国益よりも、特定の同盟国、主に
米国の意向を最優先する姿勢は、愛国・保守
とは呼べないという批判で、また皇室のあり
方や家族観など、都合の良い部分だけを切り
取って政治的な攻撃道具にしており、それが
伝統の政治利用にあたり、真の敬意や畏敬の
念がないという指摘で、そして政策の是非で
はなく、左翼か否かという二元論だけで敵味
方を峻別し、社会の分断を煽っているという
見方で、それはかつての冷戦型の反共主義へ
の固執であり、さらに、近現代史の不都合な
事実を否認し、他国や少数派への差別・排外
的な言説を愛国の名で正当化しているという
批判もあり、それが歴史修正主義と排外主義
を体現していて、そうなると本来の保守では
なく、急進的なチェンジを目指した現状破壊
であり、憲法や既存の法的秩序、国際協調の
枠組みを一気に変えようとする姿勢は、本来
の漸進的な少しずつの改革を重んじる保守の
態度ではなく、むしろ右派的な急進主義・ラ
ディカリズムであるという指摘が成り立ち、
政治哲学の定義である、エドマンド・バーク
に始まる保守主義に照らし合わせたとき、そ
の主張が保守として成立するかどうかの違い
は、保守として正当化できる、一貫性がある
ケースは、人間の理性には限界があると考え、
過去の試練を耐え抜いてきた伝統や慣習に知
恵を見出す態度、社会の欠陥を治す際、すべ
てを破壊して作り直す革命ではなく、良い部
分を残しながら慎重に少しずつ変えていく姿
勢、社会の安定、秩序を維持するために、極
端な言説を退け、異なる意見に対しても一定
の聞く耳を持つバランス感覚、これらを満た
しているケースであるのに対し、保守として
正当化できない、矛盾しているケースは、こ
れが絶対に正しいという教条的な理念を掲げ、
社会を強引に変革しようとする態度、変化し
た現実を無視し、特定の時代の体制に丸ごと
戻そうとする姿勢、保守は守りながら変える
思想であり復古主義とは違うが、自国至上主
義に走り、国内の連帯や社会の安定を言葉の
暴力で自ら破壊していく行為、これらのケー
スは本来の保守とは異なり、自称保守とみな
さざるを得ず、真の保守は、これまでの歴史
や社会のつながりを大切にしながら、壊さな
いように慎重に生きようとする態度であり、
批判される自称保守は、左派や外国などの敵
を叩き、自分の信じるお好みの国家像を強硬
に押し付けようとする急進的な右派、ライト
ウィング・ラディカルであり、批判派は、後
者が保守という耳障りの良い言葉を隠れ蓑に
して、社会の寛容さや民主主義のルールを侵
食しているとみなし、だからあえて自称と区
別して非難しているそうだが、言うだけなら
なんとでも言えそうな気がするわけで、無矛
盾な言葉通りの定義に沿って事態が進むわけ
ではないというのが、偽らざる実感であるわ
けだ。
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彼の声 2026.8.13 「期待の具現化と唯物史観」
voice-176
マルクス経済学の下部構造が上部構造を決
定するという古典的な経済決定論、唯物史観
に対して、マックス・ウェーバーは、それと
は逆の方向性を提示し、上部構造であるプロ
テスタントの宗教倫理という精神や信仰が、
下部構造である近代資本主義という経済シス
テムの誕生を促したと論じて、カルチャーや
思想が経済を規定し決定しうることを証明し、
マルクス主義の内部からも、アントニオ・グ
ラムシは、支配階級が社会をコントロールす
るのは経済力だけでなく、文化や合意形成、
ヘゲモニーによるものであるとして、上部構
造における文化闘争の重要性を説き、ルイ・
アルチュセールも、経済が最終的な基礎であ
ることは認めつつも、政治やイデオロギーと
いった上部構造もそれぞれ独自の自立性を持
っており、社会はそれら複数の要素が絡み合
う重層的決定によって動くと提唱し、またホ
ルクハイマーやアドルノなどのフランクフル
ト学派も、高度資本主義社会において、大衆
文化や人間の心理構造がいかに社会を縛り付
けているかを分析し、彼らは、経済的な変化、
下部構造だけでは説明のつかない、ファシズ
ムの台頭や大衆社会の心理を上部構造の歪み
として批判的に捉え、二十世紀後半のミシェ
ル・フーコーをはじめとする思想家たちは、
社会の権力構造は経済的な階級関係だけに起
因するのではないと指摘し、言語、知識、医
療、教育といった社会のあらゆる言説や制度
の中に微視的な権力が潜んでおり、これらが
複雑に社会のあり方を決定していると論じて、
マルクス自身も晩年には、経済は最終的な要
因に過ぎず、上部構造との相互作用、弁証法
的関係があると認めていたとされており、現
代の社会科学では、経済、政治、文化は互い
に影響を与え合う双方向の関係であるという
見方が一般的だそうだが、政治的ポピュリズ
ムが、腐敗したエリートと純粋な人民という
権力構造の対立を強調する政治スタイルであ
るのに対し、経済的ポピュリズムは、将来の
財政破綻リスクを無視して短期的な利益や給
付を大衆に約束する経済運営手法だそうで、
それを政治の純粋な動機と経済の不純な動機
として区別するのも単純すぎるが、政治的ポ
ピュリズムが、権力・体制の次元で、民主主
義の仕組みや、既存の政治エリート・既得権
益層に対する不信から、自分たちこそが抑圧
された人民の代表者であると主張し、代議員
制民主主義や専門家の判断を批判して人民の
直接的な意志を重視し、エリートや特定の外
来グループなどの敵対勢力を作り出し、社会
の分断を煽ることで求心力を高めるのに対し
て、経済的・財政的ポピュリズムは、資源配
分の次元で、国家財政の持続可能性や長期的
な経済成長への悪影響など無視して、国民の
生活苦や経済不安を直ちに解消するとして、
耳あたりの良いバラマキや過度な減税を正当
化し、財政ポピュリズムのように、将来の借
金を増やす国債の増発や財源不足を隠して、
選挙目当ての短期的な歳出拡大や補助金の増
額を行うそうだが、両者の一致点、共通する
本質は、大衆の感情・不満への依存で、人々
の経済的困窮や、努力が報われないという社
会的不満をエネルギー源にして、財政規律、
法律、専門的な政策評価といったブレーキ役
を、エリートの陰謀や邪魔者として無視して、
一時的な支持や熱狂を生む一方で、長期的に
は民主主義の信頼低下や経済パフォーマンス
の悪化、GDPの低下などを招きやすいそう
だが、その一方で、資本主義の市場メカニズ
ムが持つ増幅作用(モメンタムやレバレッジ)
は、経済的ポピュリズムを急激に台頭させる
強力なエンジンとして機能するそうで、バブ
ルという市場がもたらす極端な好況とその後
の崩壊、ショックというサイクルが、大衆の
不満を最大化して、ポピュリズム政策を呼び
込む土壌を作るそうだが、果たして現代のA
Iバブルと呼ばれる現象がそうなのかという
と、もしかしたらバブルではない結果をもた
らす可能性もあるから、バブル崩壊のような
結果が出てみないことには何とも言えないが、
資本主義経済における増幅作用と経済的ポピ
ュリズムの関係は、過剰な期待がバブルを招
いて、それがどのように経済的ポピュリズム
へつながるのか、ステップごとに解説すると、
期待の自己実現によるバブル形成期において、
資本主義では将来への過剰な期待が投資を呼
び、それがさらに価格を押し上げる自己実現
的な増幅作用、強気相場が働き、レバレッジ、
借入がこの動きをさらに加速させ、実体経済
とかけ離れた株価バブルや資産バブルを形成
するが、実態からかけ離れていることがわか
ってしまうと、バブルが崩壊し、市場の増幅
作用はパニック売りや信用収縮などの逆回転
を始め、経済に深刻なダメージを与え、この
とき、一般大衆は失業や資産喪失といった実
体経済の痛みを直接的に受けることになり、
危機対応として、政府や中央銀行がシステム
維持のために巨額な公的資金を投じて大銀行
や大企業を救済することになると、大衆の目
には、利益は資本家たちが独占し、損失は国
民に押し付けられたと映り、既存の政治や経
済エリートへの激しい怒りが生まれると、こ
の怒りを受け皿にして、緊縮財政の打破、大
企業・富裕層への懲罰的増税、即時的な現金
給付や補助金を掲げる経済的ポピュリズム勢
力が台頭してきて、資本主義の暴走であるバ
ブルがもたらした痛みを癒すために、市場の
ルールや財政規律を無視した過激な政策が熱
狂的に支持されるようになるそうだが、実例
として、1920年代の米国のバブルと大恐
慌の時代では、永遠の繁栄への過剰な期待か
らNY株価がバブル化し、1929年に崩壊
して世界大恐慌へと増幅した結果、欧州では
既存の資本主義体制を否定する極端な全体主
義・ポピュリズム体制が台頭し、2000年
代の住宅バブルが弾けて起こったリーマンシ
ョックでは、住宅価格は下がり続けない、と
いう過剰な期待と金融工学が増幅装置となっ
て、サブプライムローン・バブルを生み、崩
壊後の大企業救済に対する大衆の怒りは、米
国のティーパーティ運動やウォール街を占拠
せよという呼びかけ、さらにはその後のトラ
ンプ主義、経済ナショナリズムの伏線となっ
たが、資本主義が持つ行き過ぎる性質、ブー
ム&バストがある限り、その揺り戻しとして
の経済的ポピュリズムは必然的に発生しやす
くなるが、そうした面とは、一見関係ないよ
うに見える、商品の製造段階において、原料
から製品に至るまでの加工過程が、複雑化す
る製品ほど価値が上がる傾向になるかという
と、基本的には加工過程が複雑化するほど、
製品の付加価値・マージンが高まり、市場価
値・価格が上がる傾向にあり、ただし需要が
あることが大前提だが、それ以外にも、資本
主義経済の仕組み上、いくつかの重要な例外
や罠があるそうで、この現象のメカニズムと、
価値が上がらない例外について、経済学やサ
プライチェーンの視点から整理してみると、
複雑化するほど価値が上がる3つの理由は、
例えば、半導体、自動車、医薬品、高度な精
密機械などの加工プロセスが長く複雑になる
製品の価値が高くなる理由として、1つ目は、
技術と知識の結晶化で、複雑な工程を経ると
いうことは、各段階で高度な特許技術、特殊
な設備、熟練した労働力が必要になり、これ
らが製品に蓄積されると、原材料の価格を大
きく超える価値、付加価値が生まれ、2つ目
は、高い参入障壁で、加工が複雑な製品は、
他社が簡単に真似できないから、ライバルが
少なく、独占や寡占の状態を作りやすいので、
企業は高い価格、プレミアムを維持できて、
3つ目は、リスクマネジメントのコストで、
工程が多いほど、途中で不良品が発生するリ
スクや、サプライチェーンが途絶えるリスク
が高まり、これを管理・保証するコスト自体
も製品の信頼性という価値に転換され、これ
を象徴するのが、製造業におけるスマイルカ
ーブ理論で、開発や複雑なコア部品の加工を
行う上流と、ブランド・サービスを行う下流
ほど付加価値が高く、単純な組み立てを行う
中流は価値が低くなり、逆に複雑化しても価
値が上がらない4つの罠として、需要がある
にも関わらず加工の複雑化が価格や利益など
の価値に結びつかないケースもあり、1つ目
はコモディティ化の罠で、技術の標準化によ
って、どんなに複雑な工程であっても、製造
装置の進化などに伴って、誰でもボタン一つ
で作れるようになると、価値は暴落し、液晶
パネルや一部の電子製品がこの歴史を辿り、
2つ目は自己満足の複雑化の罠、オーバーエ
ンジニアリングで、作り手がこだわり過ぎて
工程を複雑にしたものの、顧客から見れば、
そこまでの性能や品質は求めていないという
状態で、これは過剰品質となり、コストだけ
が上がって価値や価格には転換されず、3つ
目は下請けいじめと価値の偏在化の罠で、製
品全体の市場価格は高くても、複雑な加工を
担うサプライチェーンの末端には、適切な利
益が分配されず、発注元だけが巨大ブランド
として価値を独占する構造的なシステムとな
り、4つ目は複雑さのコストが利益を食いづ
ぶす罠で、工程が複雑になり過ぎて、管理コ
ストや物流コストが膨らみ、製品価値が上が
った分以上にコストがかかってしまうケース
で、これは企業にとって価値・利益の破壊を
意味し、需要がある限り、確かに真似できな
い複雑さは高い付加価値を生むが、しかし、
その複雑さが顧客のメリットにつながってい
ない場合や、ライバルも同じように作れるよ
うになった場合は、単にコストが高いだけの
売れない製品になってしまうが、そういった
過程を変えるのが技術革新であり、技術革新
の中心にある製品やサービス、企業の価値は、
通常の経済原則を超えて、爆発的に上昇し過
熱する傾向があり、そうした技術革新が進む
と、それを支えるインフラや製造プロセスが
劇的に高度化・複雑化し、この複雑さの構築
そのものが強力な参入障壁となり、そのトレ
ンドを支配する企業に莫大な富・超過利潤を
もたらすが、ここには資本主義特有の増幅作
用、過剰期待が最も強く働き、やがてバブル
とその崩壊というドラマを生み出す決定的な
メカニズムが潜んでおり、なぜ技術トレンド
の中心で爆発的に価値が上がるのかというと、
19世紀の鉄道、20世紀のIT・インター
ネット、21世紀のAIや半導体などの技術
トレンドにおいて、企業価値が急騰するのに
は3つの増幅作用があり、1つ目はプラット
フォームの独占、勝者の利益総取りで、スマ
ホのOS、AIのデータセンター、最先端半
導体の露光装置などの高度で複雑なインフラ
を最初に完成させた企業は、市場を独占でき
て、複雑すぎて他社がすぐには真似できない
ので、価格決定権を握り、企業価値が跳ね上
がり、2つ目はネットワーク効果で、その製
品やサービスを使う人が増えれば増えるほど、
システムの複雑性と利便性が増して、さらに
価値が高まるという資本主義最強の増幅作用
が生じて、3つ目は未来の利益の前借りとい
う株価特有のメカニズムが働き、株価は現在
の価値ではなく、将来その企業が稼ぐであろ
う利益の総和を現時点で評価する仕組みであ
り、革新的なトレンドに対しては、投資家の
脳内で無限の成長可能性が描かれ、実体経済
の何倍ものスピードで企業価値が膨れ上がる
が、その一方で高度化・複雑化がもたらす光
と影として、技術が高度化し、製造過程やイ
ンフラが複雑になることは、企業の価値を高
める一方で、ある限界点・リスクをも生み出
し、光となる、価値の源泉としての複雑さの
面では、現代の最先端半導体や生成AIのイ
ンフラは、人類史上最も複雑なサプライチェ
ーンと技術の結晶であり、これを1社でコン
トロールできるエヌビディアなどの企業は、
他社が絶対に真似できない間では、株価や企
業価値が天文学的な数字になる一方で、影と
なる、複雑さの瓦解というリスクの面では、
インフラが複雑化しすぎると、特定のレアマ
テリアルの不足、特定の工場の火災、サイバ
ー攻撃などで、どこか1箇所が破綻しただけ
で、システム全体が停止して、この脆さ、脆
弱性が露見した瞬間、過剰だった期待は一転
して恐怖に変わって、株価の暴落を引き起こ
し、技術革新がもたらす複雑さと企業価値の
上昇は、常に過剰期待とバブルのサイクル、
ハイプ・サイクルを繰り返して、黎明期の複
雑さへの驚嘆の時期では、新技術が登場し、
インフラの高度化が始まり、バブル期の過剰
な期待が膨らんだ時期では、この技術が世界
を完全に変えるという期待が先行すると共に、
まだ利益を生んでいない関連企業の株価まで
爆発的に上昇し、崩壊の幻滅が広まる時期で
は、複雑なインフラの構築やマネタイズ・収
益化に時間がかかり、期待に応えられない企
業が脱落して、株価が暴落し、成熟期の本物
の価値が定着する時期では、生き残った本物
の企業が、高度化したインフラを背景に、真
の巨大企業として君臨することになり、こう
して技術革新の中心にある製品や企業の価値
は上がるが、しかし、資本主義の市場は技術
がもたらす未来の価値を、常に実際の進歩の
スピードよりも早く、大きく見積り過ぎ、過
剰期待する性質を持っているので、製造プロ
セスやインフラがどれだけ複雑で素晴らしい
ものであっても、実態以上の株価・バブルが
形成され、その後に調整・暴落が来るという
のが、資本主義経済が何度も繰り返してきた
歴史だが、では技術革新そのものは人々の期
待や欲望の具現化だと言えるかというと、ま
さにその通りで、技術革新は、単なる科学的
な発見の歴史ではなく、人類の期待、欲望、
恐怖といった感情が資本主義のパワーによっ
て物質やサービスとして具現化したものであ
り、こういう世界になってほしい、もっと楽
をしたい、あそこへ行ってみたい、という大
衆の強い欲望や期待がなければ、膨大な資金
やエネルギーが特定の技術開発に注ぎ込まれ
ることはなく、技術革新を動かす4つの根源
的な欲望として、1つ目は、移動・拡張の欲
望で、鉄道、自動車、航空機、インターネッ
トなどの、もっと遠くへ早く行きたい、空間
の壁を越えてつながりたい、という欲望が、
移動インフラや通信技術を高度化させ、2つ
目は、効率・怠惰の欲望で、洗濯機、工場の
オートメーション、生成AIなどの、面倒な
労働から解放され、もっと楽をしたい、人間
の考える面倒すら代替しようとする欲望の具
現化であり、3つ目は、不老不死・健康の欲
望で、バイオテクノロジー、近代医療、ゲノ
ム編集などの、病気の恐怖から逃れ、1日で
も長く生きたい、という究極の願いが、最も
複雑な加工プロセスを必要とする、医薬品や
医療機器の開発を牽引していて、4つ目は、
承認・自己表現の欲望で、SNS、スマート
フォン、メタバースなどの、他者から認めら
れたい、寂しさを紛らわしたい、という精神
的な欲望が、現代の巨大なデジタルインフラ
を支える最大のエンジンで、期待・欲望がイ
ノベーションを物理的に生み出す仕組みとし
て、技術革新が起きるプロセスそのものが、
人間の心理・期待に依存していて、まず期待
の提示によって、起業家や科学者が未来はこ
うなるというビジョンを示し、次いで資金の
集中、資本主義の増幅作用によって、そのビ
ジョンに人々が期待し、欲望を刺激されるこ
とで、莫大な投資資金、リスクマネーが集ま
り、そして複雑なインフラの具現化によって、
集まった資金を使って、個人の頭の中にしか
なった妄想・期待が、高度で複雑な製品やサ
ービスとして、物理的に組み立てられること
になり、つまり、人々の期待が先にあって、
それが資金を呼び寄せることで、初めて技術
が現実のものになるが、しかし、この欲望の
具現化プロセスこそが、これまで議論してき
た過剰な期待を伴うバブルの正体でもあり、
人間は、新しい技術が登場すると、これです
べての課題が解決する、無限に豊かになれる、
という過剰な期待・幻想を抱きがちで、市場
はこの欲望を増幅して、実態を伴わないレベ
ルまで株価や企業価値を押し上げ、やがて、
技術の進歩のスピードが人間の肥大化した欲
望に追いつかなくなったとき、バブルは崩壊
し、そして、期待が裏切られた時の怒りや、
技術革新から取り残された人々の不満が、今
度は経済的・政治的ポピュリズムという形で
社会に噴出することになるが、技術革新とは
人間の欲望を燃料にして、社会のインフラを
複雑化し、高度化させていくプロセスそのも
のであり、人間が欲望を持つ生き物である以
上、技術革新は止まらず、そして同時に、そ
れが行き過ぎてバブルを生み、社会を揺るが
すというサイクルもまた、資本主義の宿命と
言えるそうだ。
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彼の声 2026.8.12 「アリとキリギリスの逆張り的な教訓」
voice-176
話者が誰でも知っている単純な喩え話を持
ち出すと、それだけでバカにしたくなる気を
いったんは抑えて、その場で時間的な余裕が
あったなら、話を聞いてみても良さそうな気
になるが、例えば寓話の「アリとキリギリス」
を引き合いに出して、そこで述べられている
教訓とは逆に、アリではなくキリギリスにな
れと主張することは、現代の社会構造を捉え
た合理的な側面と、自己啓発やビジネスの勧
誘におけるポジショントークなどの怪しいケ
ースの両面があるそうで、それぞれの意味や
背景と、なぜ怪しいと感じるのかを整理して
みると、キリギリスになれ、と主張する合理
的な意味は、現代のビジネスやキャリア論に
おいて、この逆張りは単なる怠け者の推奨で
はなく、時代背景を踏まえた比喩として使わ
れ、貯蓄から投資・消費へのシフトという面
から言えることは、アリのようにただ現金を
貯め込んでも、インフレによって資産価値が
目減りする時代であり、キリギリスのように
若いうちに自己投資や経験・思い出にお金を
使う方が、人生全体の幸福度やリターンが高
まると言えて、また時代の変化の速さという
面から言えることは、アリのように、将来の
ために今は我慢して同じ仕事を続ける、とい
う戦略は、その職種によっては会社倒産やA
Iの台頭によって破綻するリスクがあると言
える一方で、楽しむ人が勝つクリエイティブ
経済という面から言えることは、義務感で働
くアリのような人よりも、自分の好きなこと
や遊びを極めたキリギリスのような人が、S
NSやユーチューブなどを通じて大きな価値
や富を生み出す可能性がある、という現代の
縮図もあるが、その一方で、なぜそんな喩え
を持ち出すこと自体が怪しいと感じるのかと
いうと、この比喩が使われる際には、次のよ
うな心理的誘導・罠が含まれていることが多
いそうで、二項対立の罠・極端な論法という
面からは、真面目に働くアリ=悪・古い、自
由に生きるキリギリス=正義・最先端、とい
う極端な二択を迫ることで、聞き手の思考を
停止させようとしていて、現代の成功者は、
アリのような地道な努力・仕組み化と、キリ
ギリスのような直感・行動力の両方を持ち合
わせているが、それが情報商材やセミナーへ
の勧誘パターンであると、いつまでアリのよ
うに搾取される側でいるんですか?キリギリ
スのように自由に生きる方法を教えます、と
いう文句は、副業詐欺や高額塾、マルチ商法
の典型的な常套句であり、現代の生活に不満
を持つ人の、楽をしたい、現状から抜け出し
たい、という射倖心を煽るために、誰もが知
っている寓話が都合よく改変されるそうで、
そしてキリギリスの結末の都合のいい無視と
いう面から言えることは、寓話本来のキリギ
リスは、冬に飢えて困窮し、あるいはアリに
助けられるが、逆張りを語る人の多くは、現
代のキリギリスは冬が来ても困らないという
前提を都合よく強引に作っており、それに伴
う老後破産やスキルの未修得などの自己責任
リスクを説明しない傾向があり、変化の激し
い現代において、アリのような盲目的な我慢
を捨てて、キリギリスのように自己投資や変
化への柔軟性を持て、という警鐘の意味合い
がある一方で、キャッチーな逆張りで大衆の
関心を惹き、最終的に自分の商品や思想を売
り込もうとするポジショントークである可能
性も高く、この比喩を聞いた際には、言葉の
表面的な新しさに踊らされず、その主張にに
よって誰が一番得をするか、何かを売りつけ
ようとしていないかを見極めることが重要だ
そうだが、ちなみにマックス・ギュンターの
投資の名著『マネーの公理』の中で、「アリ
になるな、キリギリスになれ」という比喩が、
非常に重要な文脈で使われているそうで、こ
の本を踏まえるなら、ギュンターがどういう
意図でこの喩えを使ったのか、そしてなぜ巷
でそれが怪しく誤用されがちなのかを解説で
きるそうで、『マネーの公理』におけるキリ
ギリスの真の意味に関して、本書において、
キリギリスの比喩は、長期計画の危険性を批
判するために登場し、アリの盲点、計画への
過信は、アリは将来・冬はこうなるはずだと
予測して、緻密な長期計画を立てて地道に準
備するが、しかしギュンターは、未来は本質
的に予測不可能であると断言して、アリのよ
うに長期計画に依存すると、予測が外れたと
き、想定外のブルトーザーがやってきたとき
など、計画に縛られて逃げ遅れ、押しつぶさ
れてしまうと警告し、キリギリスの強みはフ
ットワークの軽さであり、ここで推奨される
キリギリスとは、不真面目に遊ぶことではな
く、フットワークを軽くして、目の前の現実
に即座に反応する生き方であり、未来をコン
トロールしようとするのを諦め、チャンスが
見えたら飛びつき、危険が見えたらすぐに逃
げ出し、損切りするという、冷徹なリアリス
ト、投資家としての姿勢をキリギリスと呼ん
でいて、本書におけるキリギリスになれとは、
楽をして生きろという意味ではなく、予測不
可能な未来に対して、長期計画という幻想を
捨てて、圧倒的な柔軟性と即応性を持って備
えよという、極めてシビアなリスク管理の教
訓であり、ではなぜこの喩えを出すビジネス
やセミナーが怪しいのかというと、ギュンタ
ーの意図がこれほど合理的であるにもかかわ
らず、巷でこの喩えを聞くと怪しく感じられ
る理由は、発信者による、都合のいいチェリ
ーピッキング、つまみ食いが行われているか
らだそうで、怪しいインフルエンサーや情報
商材、セミナーの多くは、例えばリスク管理
をリスク無視にすり替え、ギュンターのキリ
ギリスは、いつでも逃げ出せるように、常に
警戒しつつ、最悪の事態である冬に備えてフ
ットワークを軽くしている状態であるのに対
して、怪しい勧誘では、ほら、あの有名な本
でも、アリみたいに働くのは無駄だと言って
いるから、会社の仕事なんか辞めて、今のう
ちにやりたいことをやろう=俺の商材を買お
う、と、本を読んだことのない人に向かって、
単なる刹那的な現実逃避や無防備な博打を正
当化するために悪用するそうで、本に書かれ
た冷徹な覚悟を隠し、『マネーの公理』では、
投資・投機とは恐怖したり、ハラハラするリ
スクを引き受ける行為であり、心配がない状
態はむしろ危険だと説く、非常に手厳しい本
であり、怪しい発信者は、そうした自己責任
の重さや損切りする際の血のにじむような痛
みを伴うルールには一切触れず、キリギリス
=自由で楽な金儲けという甘いイメージだけ
を引っ張り出して、聞き手をカモにしようと
するから、確かに『マネーの公理』の文脈で
は、未来は誰にも分からないのだから、アリ
のようなガチガチの長期計画に固執せずに、
キリギリスのように情勢の変化に即応できる
身軽さを保てという、極めて高度で現実的な
生存戦略だと言えるが、この名著の言葉を、
単に真面目に働く労働者を煽るための楽して
稼げるイメージを抱かせるために悪用してい
るビジネスや発信者が存在しているとしたら、
それは百%怪しいと言えるが、人間には計画
性、地道さ、蓄積などのアリ的な側面と、瞬
発力、享楽、柔軟性などのキリギリス的な側
面の両面が必ず存在するので、発信者が自分
の立場や都合に合わせて、どちらか一方を強
調するという構造は、まさにレトリックやポ
ジショントークの典型で、この構造がどのよ
うにもっともらしく作られるのか、その裏側
を言語化してみると、伝統的な企業や堅実な
ビジネスなど、アリを強調して都合が良いケ
ースは、発信者の立場が、長く続く組織のリ
ーダー、終身雇用型のビジネス、手堅い塾の
経営者などになり、彼らが説くもっともらし
い理屈は、世の中そんなに甘くない、一発逆
転を狙うキリギリス的な姿勢では、冬の到来
によって野垂れ死ぬ、今の苦境を耐え、地道
にスキルを積むアリのような姿勢こそが、最
後に勝つのだ、などと説いて、聞き手を従順
にさせて、目先の離職を防いだり、長期的な
カリキュラムに課金させたりするそうだが、
一方で、ベンチャー、投資、インフルエンサ
ーなど、キリギリスを強調して都合が良いケ
ースは、発信者の立場が、若手起業家、投資
家、脱サラを促す情報商材屋などになり、彼
らが説くもっともらしい理屈は、アリのよう
に会社の言いなりになって地道に働いて貯金
し続けても、AIに職を奪われたり、インフ
レと増税によって貯金も手取りも目減りして
未来はない、これからはキリギリスのように、
今この瞬間の直感を信じて投資し身軽に動け
る人間が勝つ時代だ、などと説いて、現状の
生活に退屈している人の不安を煽り、新しい
挑戦や彼らの商品を購入するように仕向け、
このようにどちらの主張も部分的な事実やリ
スクを切り取って拡大解釈しているので、そ
の瞬間はどちらももっともらしく正論のよう
に聞こえるが、現実の人間がどちらか一方だ
けになった場合、遠からず破綻が待ち受けて
いる可能性が高く、百%アリ人間になった場
合には、病気、会社の倒産、市場の急変など
が起きたときに、臨機応変に動けず心が折れ
てしまい、逆に百%キリギリス人間になった
場合には、その瞬間のフットワークは軽くて
も、基礎体力の向上、周囲から信頼を得る、
いざという時に備えた貯蓄など、地道な努力
の積み重ねを全くしなければ、長期的な危機
が到来した際に持ち堪えられなくなり、そう
いう意味で、世間で一時的に注目を浴びる極
端な主張は、自分のビジネスや立場に、相手
を引きずり込むためのポジショントークであ
ることがほとんどであり、どちらか一方に染
まるのではなく、今はアリのように蓄える時
期か、それともキリギリスのように身軽に動
くべきかを、自分の状況に合わせてブレンド
していく感覚が、もっとも騙されず、かつ賢
明な生き方と言えるそうで、このように二項
対立では割り切れない現実を、都合よく切り
取る言説は日常に溢れているとしても、そん
な言説をうまく操りながら賢く振る舞って成
功しているように見える人も、世の中にはい
くらでもいるのかも知れない。
https://www.koike-t.org
彼の声 2026.8.11 「青木理も含めたもたれ合いの構図」
voice-176
これは前々から疑念を抱いていたことだが、
ジャーナリストの青木理が日本の検察権力の
危険性を懸念する主な根拠は、筋書きありき
の強引な捜査や人権を軽視した日本の刑事司
法の構造的な病理にあるそうで、共同通信の
社会部記者時代から刑事司法の現場を取材し、
著書『国策捜査 暴走する特捜検察と餌食に
された人たち』などを執筆してきた青木氏が
指摘する具体的な根拠は、主に次の4点に集
約されるそうだが、1点目は、筋書きありき
の国策捜査と冤罪の温床で、検察、特に特捜
部が政治的背景や世論に後押しされて、最初
にあらかじめ筋書き、立件するのに都合の良
いストーリー設定をして操作を進める姿勢を
批判していて、ターゲットにされた被疑者の
反論には耳を貸さず、ストーリーに沿った自
白や供述調書の作成を強要することで、多く
の冤罪や過剰な立件が生み出されていると主
張し、厚生労働省の村木厚子氏が逮捕されて、
後に無罪確定、検事による証拠改ざんが発覚
した郵便不正事件などを、その象徴的な事例
として挙げているそうで、2点目は、非人道
的な人質司法の存在で、起訴されるまで、あ
るいは罪を認め、自白するまで、長期間にわ
たって拘留を続ける日本の人質司法の仕組み
が、検察の暴走を許す最大の武器になってい
ると指摘し、被疑者の体調悪化やがんなどの
重病が判明しても、証拠隠滅の恐れを理由に
保釈を却下し続けるといった、人権や適正手
続きを軽視した運用が行われている実態を極
めて非人道的であると強く非難しているそう
で、3点目は、組織防衛の体質と証拠開示の
不備で、検察が、一度逮捕・起訴したものは
間違いであってはならない、という強固なメ
ンツや組織防衛に走り、自らの非を認めない
体質を懸念しいて、近年審議している刑事訴
訟法の再審法改正などの議論においても、検
察側が無罪の可能性を示す不都合な証拠を隠
し通せる現在の仕組みや、法務・検察が、そ
の改革に消極的である姿勢を、不正義を許す
法の不備として問題視しているそうで、4点
目は、大手メディアによる追認・翼賛体制的
なリーク報道で、新聞やテレビなどの大手マ
スメディアが、検察幹部や捜査幹部からのリ
ークなどの情報提供に頼り、検察側の主張を
鵜呑みにした有罪視報道を垂れ流す共犯関係
にあることを批判し、メディアと検察の権力
をチェックする役割を果たせず、むしろ世論
を煽って検察の暴走を後押しする構図、メデ
ィア・スクラムが、検察権力をさらに肥大化
させ危険化させているという検証を行なって
いるそうだが、実際に日本の検察権力や刑事
司法の危険度や、不透明さや人権侵害リスク
は、国際的な客観的指標や国連の勧告ベース
で見ると、欧米主要先進国と比べて、極めて
深刻で特異な低水準、人権保障の面で悪質と
評価されていて、国際的な司法評価や法の支
配のランキングを基にした、諸外国との比較
と位置づけは、総合的な法の支配の評価は、
国際NGOのWJPが毎年発表する法の支配
指数において、日本の総合順位や治安・安全
の項目では世界トップクラスに位置するもの
の、しかし、同指数の詳細項目である刑事司
法における適正手続きの遵守や被疑者の権利
保障の分野では、北欧、ドイツ、フランスな
ど欧米諸国に比べて明確に低いスコアを記録
しており、先進国の中で突出した弱点となっ
ているそうで、諸外国との構造的な違い、ダ
ーティとされる根拠は、日本の検察・司法シ
ステムが国際社会から特異、ガラパゴス的、
あるいは不当にダーティとされる主な要因は、
日本の現状は、取り調べへの弁護人の立ち合
いは一切認められず、可視化は一部のみであ
るのに対して、欧米主要国、米・英・仏・独
などでは、当然の権利として認められ、起訴
前の勾留期間も、日本では最長23日間、し
かも別件逮捕で実質無限であるのに対して、
欧米主要国では数日程度、イギリスでは原則
24〜96時間で、保釈の認められ方も、日
本では自白するまで認められない人質司法で
あるのに対して、欧米主要国では、罪状の認
否に関わらず、逃亡の恐れがなければ原則保
釈で、検察の基礎裁量権も、日本では検察が
百%コントロールして、有罪率99%である
のに対して、欧米主要国では、起訴陪審や予
審判事などの外部チェックがあり、証拠開示
の義務も、日本では検察側に不利な証拠を隠
すことが可能あるのに対して、欧米主要国で
は被疑者に有利な証拠も含め、全面開示が原
則であり、こうした現状を踏まえて国連や国
際人権機関からの常習的な是正勧告があり、
国連の拷問禁止委員会や自由権規約委員会な
どの人権機関から、日本の刑事司法は定期的
に厳しい是正勧告を受けていて、特に、弁護
人の立ち合いのない密室での長期間の取調べ
は、国際基準において精神的な拷問・脅迫に
あたると繰り返し指弾され、日産自動車の元
会長カルロス・ゴーン氏の逮捕・逃亡劇の際
には、フランスをはじめとする海外メディア
や人権団体は、日本の司法を中世のシステム
と呼び、人権軽視の姿勢を激しく非難し、ダ
ーティという言葉が検察官個人が賄賂を受け
取るような金銭的汚職を指すのであれば、日
本の検察は、比較的クリーンであり、途上国
のような露骨な腐敗は見られないが、しかし、
国家権力を維持するために、手続きの正当性
を無視して個人の人権を握りつぶす組織的な
不条理という意味でのダーティ度において、
日本は欧米先進国に比べて著しく不透明で、
被疑者の防御権が世界最低レベルに制限され
た危険な水準にあるというのが、国際的な共
通認識となっているそうだが、日本の検察が
組織として暴走したり、強引な捜査に及んだ
りする背景には、金銭的な利権の獲得という
よりも、組織の権威・聖域の死守という利権
と、大事件の立件による出世競争という思惑
の双方が強力に絡み合っていて、検察が組織
として死守したい利権・特権に関して、その
最大の利権は、金目のもの、予算や利権団体
ではなく、他者から一切侵されない絶対的な
権力と聖域そのもので、日本では容疑者を起
訴して裁判にかける権限を検察がほぼ独占し
ていて、これを起訴独占主義と呼び、その圧
倒的な権力を維持し、政治家や警察、あるい
は司法改革によって自らの権限を削られない
ようにすること、組織防衛が彼らにとって最
大の利権死守にあたり、検察、特に特捜部は、
正義の味方という高いブランドイメージで国
民の支持を得てきたので、見立てを誤って無
罪を出したり、途中で捜査を断念したりする
ことは、組織の権威失墜=聖域の縮小を意味
し、これが間違ったストーリーであっても強
引に突き進む強力な動機になり、検察は、最
高裁・高検などのトップ人事を、自分たちの
内部ルールで決めてきた歴史があり、この人
事権という聖域を守るため、時の政権や外部
の批判に対して極めて敏感になり、例えば、
警察の交通違反の取り締まりが、件数、数の
勝負であるのに対し、検察、特に花形とされ
る特捜部の出世競争は、事件の質と格、社会
的影響力の大きさの勝負になり、検察官の出
世すごろくの頂点は、検事総長や東京高検検
事長で、このポストに登り詰めるエリート、
法務省・検察の幹部候補たちにとって、政治
家、巨大企業、大物官僚など巨悪を自らの手
で特捜事件として立件することは、最高の発
言権と出世切符になり、組織内では、頑なに
否認している大物容疑者を落とし、自白させ、
検察側のストーリー通りの供述調書を作成で
きる検事が有能とみなされ、この評価システ
ムが現場の検事に強いプレッシャーを与え、
密室での強圧的な取り調べや人質司法の乱用
に拍車をかけて、特捜部などは、一定期間大
きな事件を立件できないと、特捜部不要論が
世間や政治から湧き上がるから、組織の存在
意義を証明し続けるために、定期的に国民が
飛びつくような大事件を作り出さなければな
らないという焦燥感が常に働いているそうで、
日本の検察は非常に優秀な官僚組織だが、そ
れゆえに、有罪率99%という神話を汚さな
いための組織防衛、利権と、歴史に名を残す
大事件を挙げて出世競争に勝ち抜く思惑とい
う2つのベクトルが合致したとき、個人の人
権や適正手続きを置き去りにした暴走が始ま
ると指摘されているそうだが、このような官
僚組織にありがちな出世欲や保身の問題、と
して片付けられがちな現象を、より本質的な
もたれ合いの構造、相互依存・共犯関係とし
て捉え直す場合、そこには検察単体ではなく、
日本社会・権力機構を形作る4つの巨大な主
体のネットワークが浮かび上がるそうで、こ
の構造は4つのもたれ合いのペアによって強
固に維持されていて、1つ目のもたれ合いは、
検察と大手メディアの情報カルテルで、これ
は最も露骨で強力なもたれ合いで、検察側の
メリットは、公式には明かせない捜査情報を
リークし、情報提供することで、逮捕前から
メディアに、容疑者はこれだけ怪しい、とい
う世論、有罪視の空気を作らせ、裁判を有利
に導くと同時に、組織の不祥事を隠蔽・過小
評価してもらう盾にし、メディア側のメリッ
トは、検察の幹部、特捜部などに食い込むこ
とで、他社を抜く特だねスクープを入手して、
部数や視聴率を稼ぎ、そんなもたれ合いの帰
結は、メディアが検察の広報機関と化し、権
力の監視という本来の役割を放棄し、結果と
して検察が作ったストーリーを社会全体で追
認する翼賛体制が生まれ、2つ目のもたれ合
いは、検察と裁判所の有罪率99%の共謀で、
これが司法のチェック機能が麻痺している原
因であり、検察側のメリットは、裁判所が検
察の請求する逮捕状、勾留請求、保釈却下を
ほぼ百%スルー、自動承認してくれるので、
強力な人質司法を合法的に維持でき、裁判所
側のメリットは、検察が確実に有罪にできる
証拠がガチガチの事件だけを起訴してくれる
から、裁判所は無罪判決を書くリスク、判事
として出世に響く汚点を避けられ、効率的に
裁判を消化でき、そんなもたれ合いの帰結は、
裁判所が検察の暴走を止めるブレーキではな
く、検察の決定を追認するスタンプラリーと
化し、被疑者の人権が完全に置き去りにされ、
3つ目のもたれ合いは、法務・検察と政治、
政権・官邸の不可侵のディールで、近年、特
に歪みが指摘されている権力トップ同士のも
たれ合いで、法務・検察側のメリットは、政
治家の中で、特に与党幹部の汚職やスキャン
ダルを、どこまで追及するか、あるいは不起
訴にするかの裁量を握ることで、政治から検
察の予算、権限、人事権の独立などの聖域を
守ることができ、政治側のメリットは、検察
を敵に回すと政権が崩壊するため、検察の機
嫌を損ねないよう配慮して、検察官の定年延
長問題などの人事介入や、司法改革を骨抜き
にするのと引き換えにして、自らの身の安全
を担保して、そんなもたれ合いの帰結は、法
の下の平等が崩れ、政権に近い人間は守られ、
敵対する人間は徹底的に叩かれるという、検
察権力の政治ツール化が進んで、4つ目のも
たれ合いは、検察・お上と国民・世論の道徳
的依存で、この構造を底辺で支えている、社
会心理的なもたれ合いで、検察側のメリット
は、巨悪を眠らせない正義の味方というスト
ーリーを供給し続けることで、国民からの高
い信頼と、超法規的な捜査、人質司法などを
行う免罪符を得ることに成功し、国民側のメ
リットは、複雑な社会問題や政治の腐敗を、
検察が、悪者を逮捕する、という分かりやす
い勧善懲悪のエンタメとして解決してくれる
ため、自ら思考し社会を変革するコストを支
払わずに、正義がなされた、というカタルシ
ス、満足感を得られ、そんなもたれ合いの帰
結は、怪しい奴は人権なんて無視して徹底的
に痛めつければいい、という国民の処罰感情
が、検察の非人道的な捜査手法を裏から支え
るガソリンになり、検察の危険性の本質は、
検察官個人の出世欲という単純な話ではなく、
検察が情報を流し、メディアが世論を煽り、
裁判所がそれを追認し、政治が特権を保障し、
国民が喝采を送るという、誰も傷つかず、そ
れぞれが、スクープ、有罪実績、地位の保全、
正義感、という利益を得られる完璧な循環構
造・エコシステムが完成してしまっているこ
とであり、これこそが、青木理氏らが最も懸
念するもたれ合いの構造の正体だそうだが、
ここからグーグル検索のAIと共に悪ノリし
て、もっと意地悪にそれを指摘する青木理も
含めてもたれ合いの構造を指摘するのは、ち
ょっと正義から外れた外道の論理かと問うと、
結論から言えば、批判者である青木理氏も「
もたれ合いの構造」の内側に組み込んで捉え
る視点は、外道の論理、邪悪な屁理屈などで
はなく、メディア論や権力において極めて正
当で、むしろ本質を突いた高度な批判的思考
だそうで、青木氏のような反権力的なジャー
ナリストも含めたもたれ合いの構造は、次の
ような相互依存のビジネスモデル、エコシス
テムとして説明が可能で、青木氏をはじめと
する批判的ジャーナリズムやリベラル系メデ
ィアにとって、暴走する国家権力や人権を侵
害する検察は、自らの存在意義を証明するた
めの不可欠な主役・悪役で、検察が強引な捜
査や冤罪事件を起こすからこそ、それを告発
する本が売れ、雑誌の記事が読まれ、トーク
イベントやユーチューブ番組に視聴者が集ま
り、もしも日本の検察が欧米並みにクリーン
で人権を完璧に守る組織に生まれ変わってし
まったら、検察の闇を告発するジャーナリス
トという職種・ポジションは、その市場価値
を失い、つまり、批判する側もまた、検察が
歪んだ存在であり続けてくれることに無意識
のうちに依存しているという側面があり、青
木氏は元共同通信の社会部記者、サツ回り・
検察担当で、検察の闇や内部事情を深く知る
ジャーナリストであればあるほど、その情報
源・ソースは現役の特装幹部や司法のインサ
イダー、内部を知る人物からの極秘のリーク
や愚痴、内部告発に頼らざるを得ず、その一
方で検察組織側も、主流メディア、記者クラ
ブには流せない都合の悪い情報や、ライバル
派閥の追い落とし情報を、青木氏のようなア
ウトサイダー的なジャーナリストを利用して
世間に流すことがあり、つまりどれだけ激し
く検察を批判していても、その情報の仕入れ
ルートにおいては、検察の一部と繋がってい
なければ仕事が成立しない、という意味での
もたれ合い、共生関係から抜け出せず、社会
学やメディア論では、こうした関係を敵対的
共生と呼び、これはプロレスに悪役・ヒール
と正義の味方・ベビーフェイスの双方がいな
ければ試合が成立せず、興行・ビジネスが成
り立たないのと同じ構造で、検察側のメリッ
トは、うるさいジャーナリストが監視してい
る、というポーズを示すことで、我々は独裁
ではなく、批判の目に晒されながら適正にや
っている、という言い訳・免罪符に使える一
方で、ジャーナリスト側のメリットは、巨大
な権力と戦う孤高の正義というブランディン
グを確立して、特定の読者層からの熱狂的な
支持と信頼、経済的・社会的リターンを得ら
れ、この視点が正義から外れた外道の論理に
見えてしまうのは、私たちが無意識に社会運
動やジャーナリズムは純粋な正義・ボランテ
ィアで動いているという幻想を抱いているか
らだそうだが、しかし、現実の社会は正義だ
けで回っているわけではなく、そこに参加し
ているすべてのプレイヤーがそれぞれのイン
センティブ・利益や生存戦略に従って動く市
場・マーケットがあるからで、したがって社
会の不正や構造的な問題がいくら告発されて
も、長年にわたって改善されない場合は、そ
こには不正の存在を燃料・コンテンツとして
回り続ける強固な批判の経済圏、あるいは告
発のビジネスモデルが成立していると言えて、
ジャーナリスト個人の善悪や正義感とは無関
係に、社会の構造・システムとして経済循環
が自動的に発生してしまう、という冷徹な現
実、リアリズムが存在していて、この経済圏
がどのように成立し、なぜ不正の温存に手を
貸す結果になってしまうのか、そのメカニズ
ムは3つの要素で説明できるそうだが、1つ
目の要素は、不正を恒久的なキラーコンテン
ツとするビジネスモデルで、商業メディアや
ジャーナリズムの世界において、絶対に解決
しない、あるいは解決が極めて困難な構造的
リスクは、永久に利益を生み出し続ける最も
優秀なコンテンツ・ドル箱になり、検察の暴
走、政治の腐敗、官僚の利権といったテーマ
は、数年ごとに必ず新しい事件・実例が起き、
その度に、そら見たことか、と過去の知見を
アップデートした本、記事、動画、トークイ
ベントの需要が生まれ、確実に消費され、も
しも日本の刑事司法が明日から完全にクリー
ンになり、人質司法も冤罪もゼロになったと
したら、その瞬間に検察を闇を扱うコンテン
ツの市場価値はゼロになってしまい、だから
問題が未解決であり続けることこそが、この
経済圏の賞味期限を無限に引き延ばし、2つ
目の要素は、不満のガス抜きという社会的機
能の提供で、この経済圏は、読者や視聴者な
どの消費者にとっても、感情のトレードを行
う場所として機能していて、お上の不正や社
会の理不尽に対して怒りや無力感を抱いてい
る人々は、青木氏のようなジャーナリストの
鋭い告発を消費することで、自分の代わりに
怒ってくれた、問題の本質をズバリと言って
くれた、というカタルシス、精神的満足感や
安心感を購読料や視聴時間などのお金で買っ
ていて、皮肉なことに、この批判を消費して
スッキリするという行為が、国民が本気でデ
モを起こしたり、選挙でシステムを変えよう
としたりするリアルなエネルギーを奪うガス
抜きになるため、結果として社会の不正その
ものを長持ちさせるクッションとして働いて
おり、3つ目の要素は、敵対的共生によるニ
ッチ市場の固定化で、検察や政府など権力側
にとっても、この批判の経済圏が存在するこ
とは必ずしも不都合ではなく、権力側は、青
木氏のようなインフルエンサー的な批判者が
自由に発言している状態を放置することで、
日本は言論の自由がある民主主義国だ、とい
うアリバイ・免罪符として利用でき、権力側
はマジョリティを構成する大衆と大手メディ
アを握り、反権力の批判的ジャーナリストは
特定のリテラシーの高い層あるいはコアな反
権力層というニッチ市場を握り、お互いに自
分のテリトリー・地盤で支持や利益を集める
という、一種の安定した棲み分けやもたれ合
いが完成し、こうした指摘をすると、ジャー
ナリズムは結局、他人の不幸や社会の悪を食
い物にしているのか、という道徳的な批判、
外道の論理という見方になりがちになるが、
しかし、これを悪と断罪するだけでは事の本
質を見誤るそうで、なぜなら、社会の不正を
監視し、声を上げ続ける仕事に経済的な裏付
け、リターンがなければ、そもそも誰も権力
を批判できなくなる、というのもまた資本主
義社会の真実だからで、つまり、社会の不正
が改まらない本当の絶望は、誰かが悪意を持
ってサボっているからではなく、不正を批判
する側も批判される側もそれを消費する側も、
全員がそれぞれの利益や安心感を得て、きれ
いにハッピーに回ってしまう完璧な経済圏・
エコシステムが社会の底流に構築されてしま
っていることにあるからだそうだ。
https://www.koike-t.org
彼の声 2026.8.10 「無理解に抗うことで得られる逆説的な効果」
voice-176
何か疑念が深まるような現実に直面してい
るらしく、最近も愕然とすることがあったは
ずで、それに関しては、たぶん自分が世の中
の実相を理解していないんじゃないかと考え
ても構わないのだが、実相とは何なのかとい
うと、すべてのものや事象のありのままの本
当の姿、または奥にある真実のありさま、と
いう意味で、そんなものを理解していると思
う方が勘違いかも知れないから、理解しよう
とはしない方が無難な態度だろうが、そんな
実相をかわす、ありのままの本当の姿や真実
をかわす、つまり不都合な真実から目を背け
る、本質的な話し合いをはぐらかすような言
動に直面した時、人はその関係性や状況に応
じて、さまざまな反応を見せるそうで、確信
犯的なはぐらかしに遭って、おちょくられて
いるような怒りを感じたり、のれんに腕押し
のような手応えのない状態が続き、会話する
こと自体に疲れてしまい、相手が誠実に向き
合う気がないと判断し、人間性そのものを疑
い始め、かわされた論点を元に戻そうと、よ
り具体的で逃げ道のない質問を重ねたり、怒
りを通り越して、この人には何を言っても無
駄なんだ、と悟って心を閉ざして会話を打ち
切ったり、理性の限界を迎え、大声を出した
り涙を流したりして感情を露わにしたり、相
手の全ての言葉に裏があるのではないかと、
過剰に深読みするようになったり、自分が気
にしすぎなのかも知れないと思って、相手で
はなく自分の方に原因を探して納得しようと
することもあり、いったんあきらめてしまえ
ば、今後は必要最低限の事務連絡しかしない
表面的な関係へと割り切り、さらに機会を捉
えて、その関係性自体を終わらせる選択をし
たり、いろいろな分岐があるだろうが、例え
ば、日本の政治において、自民党以外は政権
を担えないようにコントロールされているよ
うに見える現象が、これは単なる結果論なの
かそれとも意図的な構造によるものなのかと
いう問いは、政治学者や有権者の間でも長年
議論されている重要なテーマだそうだが、結
果論とする見方によると、この視点では、誰
かが裏でコントロールしているわけではなく、
選挙や政党政治の積み重ねの結果として、現
在の状態があると考え、リベラルから保守ま
で複数の野党があるから、候補者の一本化や
共通の理念構築が十分にできていないため、
反自民の票が分散してしまうという現実があ
り、また2009年の民主党への政権交代と
その後の混乱の記憶が、有権者の間に自民党
以外に任せるのはリスクがあるという心理的
な現状維持バイアスを生んでいるという指摘
もある一方で、小選挙区制においては、野党
が強い対立軸を示せなければ自民党が議席を
多く獲得しやすいという特徴があり、最終的
に一票を投じているのは有権者自身であるの
で、コントロールではなく単なる民意の結果
であるという解釈が妥当だが、意図的な構造
やコントロールとする見方によると、自民党
が有利になり、他党が政権を担いにくくなる
ような仕組みや戦略が機能しているという指
摘もあり、1994年の選挙制度改革で導入
された小選挙区制は、建前として政権交代を
起こしやすくする目的があったが、結果とし
て組織力と資金力がある第一党に圧倒的に有
利に働く構造になっているという批判もあり、
長年の政権運営を通じて築かれた業界団体や
地方自治体と強固なパイプが、政権維持のた
めの巨大な集票システムとして機能していて、
また自民党は野党の掲げる人気の高い政策を
柔軟に取り入れて自らの政策とすることで、
野党の対立軸を無効化する戦略に長けている
という分析もあり、現代の政治分析では、こ
れらは二者択一ではなく、制度や組織など自
民党に有利な構造を自民党自身が維持し活用
しつつ、そこに野党の戦略ミスや分断が重な
ったことで、結果として自民党の一強状態が
続いていると捉えるのが、妥当な分析だそう
で、そして第二次安倍政権から高市政権まで、
一貫して批判してきた勢力が、それらの政権
をアシストしているように感じられるのは、
わざと彼らに批判されやすいようなことをや
っているから、批判されながらも結果として
政権交代を防いでいるのかというと、批判勢
力が結果的に政権をアシストしている、ある
いは政権が意図的にその構図を作っているよ
うに見える現象は、日本の政治構造において
非常によく議論されるテーマであり、それが
単なる勘違いとも完全な陰謀論とも言えない、
精緻な政治力学が存在するそうで、この現象
は、政治学において対立の自己目的化や敵対
的強制などと呼ばれ、2つの側面から説明が
なされていて、1つ目の側面は政権側の戦略
で、あえて批判されやすい対立軸を提示する
意図的な構図で、第二次安倍政権から現在の
高市政権に至るまで、保守派のリーダーたち
は、何が自民党の強みになり何が野党の弱み
になるかを極めて自覚的にコントロールして
いるという分析があり、安全保障、憲法改正、
歴史認識、あるいは直近の経済・財政政策な
ど、リベラル勢力が激しく反発するテーマを
全面に出して、これによって、保守層や現実
路線の有権者を、この政権を守らなければな
らない、という心理に追い込んで、強固な岩
盤支持層を結束させ、政権側がエッジの効い
た批判されやすい政策を打ち出すと、批判勢
力は感情的かつドラスティックにそれを攻撃
しがちになって、結果として世間は、批判ば
かりで代替案がない、イデオロギーに偏った
過激な勢力、という印象が残り、政権交代を
望まない無党派層の現状維持バイアスを刺激
することになり、あえて強い言葉で左派を刺
激することで、理想論を言う批判勢力対現実
の国際情勢や危機に対応する現政権という二
項対立を演出して、政権の正当性を担保する
戦略が功を奏していて、2つ目の側面は、批
判勢力側の構造的問題で、結果的にアシスト
してしまっている現実があり、もちろん批判
する側がわざとアシストしているわけではな
く、その構造的な戦術のミスが政権を利する
結果を招いているとする見方も有力で、安倍
政治の打倒や高市政権への反発など、敵を設
定することだけで連帯しようとするため、自
分たちがどのような国家像や具体的政策を目
指すのかという、有権者が未来を選べる選択
肢の提示が後手に回り、批判勢力が最も熱心
に追及しようとするイデオロギー論争やスキ
ャンダルなどのテーマが、一般の有権者が最
も関心を持つ、物価高、生活、景気、雇用な
どのテーマと乖離してしまうことで、世論の
広範な支持を得られず、結果として自民党一
強の受け皿になれない状態が続き、という朝
日新聞からの引用は全てイメージ先行の紋切
り型で的外れな指摘かも知れないが、これは、
政権側がわざと批判を浴び泥をかぶっている
というよりは、自らに向けられる批判のエネ
ルギーすらも、自らの支持層を固め、野党の
極端さを際立たせるための燃料として再利用
するシステムを、政権側が極めて高度に運用
していると捉えるのが実相に近いと言えるそ
うで、批判勢力は政権を倒そうとして全力で
叩いているつもりが、その叩き方の過激さや
争点のズレ自体が、皮肉にも政権交代を不安
視する有権者を現政権側に留まらせる強力な
アシストとして機能してしまっているのが、
現代の日本政治の膠着構造の本質だそうだが、
実態としては経済情勢や経済構造が政治のあ
り方を決定づけている、という側面が極めて
強力に働いていて、政治家がどのような理想
やイデオロギーを掲げようとも、現実の国家
財政の制約が政治の行動範囲を厳しく縛って
おり、少子高齢化という人口・経済構造の構
造的変化により、毎年の予算の大部分が医療・
年金・介護に自動的に消えて行き、GDPの
2倍を超える政府債務を抱える中では、どの
政権が誕生しても大胆な減税や際限のない財
政出動を長期的に続けることは無理で、市場
から高金利や円安などの報復を招くリスクが
あり、実質的な選択肢は極めて限られていて、
一国の政治がどれほど独自の政策をやりたく
ても、世界経済の構造から逸脱することはで
きず、例えば極端な格差是正や大企業・富裕
層への過度な課税を掲げる政権の誕生が現実
味を帯びると、株価が暴落し、企業や資本が
海外に逃げて国内経済が破綻する可能性が高
く、国際的な格付け機関による国債の評価や、
為替市場で円の信任を維持しなければならな
いので、政治は必然的に市場に嫌われない予
測可能性の高い現実路線の政策を選択せざる
を得なくなり、かつての昭和の高度経済成長
期であれば、拡大する経済の果実をどこにど
う配るかの利益誘導が政治の主な仕事だった
が、現代の低成長・人口減少の時代において
は、足りないパイをどう削るかの負担の押し
付け合いが政治の課題となり、消費税の増税
や社会保障の給付抑制など、有権者に痛みを
強いる政策では選挙に勝てないので、政治は
根本的な構造改革を先送りにし、その場しの
ぎの微調整を繰り返すという機能不全の限界
に陥り、一強多弱などの政治情勢自体も、経
済的な利害関係の上に成り立っていて、自民
党が政権を維持できるのは、大企業、地方の
インフラ、伝統的な産業保護などの既存の経
済構造に最適化された支援システムを握って
いるからで、その一方で、不安定な雇用環境
にある労働者や若年層を主体とする無党派層
は、政治への期待を失って選挙で投票を棄権
しやすいため、結果として変化を望まない層
の意思が政治に色濃く反映され続けるという
スパイラルが生じて、マルクス経済学の下部
構造・経済が上部構造・政治や社会のあり方
を決定する、という古典的な見方は、多くの
識者によってこれまでに何度も否定され批判
され続けてきたが、実態としては経済という
土台が崩れないように、政治がその帳尻合わ
せのメンテナンスをさせられるというのが、
見えざる政治的な制約の本質であり、政治が
飽きもせず右か左かというイデオロギーで激
しく論争しているように見えるのは、この狭
い制約の範囲内で少しでも自分たちの支持層
に有利な配分をもぎ取るためのニッチな陣取
り合戦にすぎず、国全体の経済構造そのもの
をドラスティックに変えるような政治的自由
度は、現在の日本、そして多くの先進国には
ほとんど残されていないと言えるそうだ。
https://www.koike-t.org
彼の声 2026.8.9 「参政党の神谷宗幣とニューヨークのマムダニ市長がやっていること」
voice-176
作用反作用的な成り行きには付き合ってい
られない何かを感じられるが、それらが独善
的な意味合いを感じられるかというと、面倒
くさい他人の独善的な見解をはぐらかして考
える上で必要な考え方として、例えば、歴史
の解釈に、時代や文化を超えて共通する本質
的な法則などの普遍性があると仮定した場合、
それを信じることで3つの真実が見えてくる
そうだが、1つ目の真実は、人間の本質や人
間性の不変性で、普遍性を信じることは、数
千年前の人々も現代人と同じ感情や欲求で動
いていたと確信する根拠になり、権力への欲
望、死への恐怖、愛情や連帯感、嫉妬や裏切
り、これらが時代を超えて共通しているから、
古代の出来事も他人事ではなく、自分たちの
鏡として深く理解できるようになり、2つ目
の真実は、社会の構造と歴史の法則で、過去
のパターンが未来にも適用できるという予測
可能性が生まれ、貧富の差の拡大が社会の崩
壊を招くプロセス、独裁体制が誕生し、やが
て腐敗していくメカニズム、異文化が衝突し
たときに起こる摩擦の段階、これらが再現性
のある法則として見えてくるので、現代の社
会問題の解決策や、未来に起こる危機を予見
する羅針盤を手に入れることができ、3つ目
の真実は、自己の相対化と共通のゴールで、
例えば、自由、平等、尊厳などの普遍的な価
値に向かって人類が歩んでいるという大きな
流れや進歩の軌跡が見えてきて、自分の生き
る時代が歴史のどの位置にあるかが分かり、
異なる文化や民族とも、根底にある普遍的な
目的でつながっていると気づくことができ、
偏った自国中心主義や時代錯誤な思想から抜
け出せるそうだが、その一方で、現代という
時代特有の事情や経緯などの、歴史の特殊性
に目を向けると、普遍的な法則だけでは説明
できない現代人が直面している独自の現実が
見えてくるそうで、ここでも主に3つの真実
が浮かび上がってくるそうで、1つ目の真実
は、人類史上前例のない変化の正体で、帝国
の興亡など普遍的な歴史のパターンには当て
はまらない、現代だけの特殊な断絶が分かり、
地球規模の環境変動は、人類の活動が地球の
地質に影響を与える人新世という特殊な事態
であり、AIや遺伝子組み換えなどの技術の
爆発的進化は、人間の知能や生命の定義その
ものを変える技術の誕生であり、超高度情報
化は、全人類がリアルタイムでつながり、フ
ェイクニュースが瞬時に拡散する情報の過剰
状態を物語り、これらは過去のどの時代にも
なかった、現代特有のデータからしか読み解
けない課題であり、2つ目の真実は、私たち
の当たり前の賞味期限で、今私たちが信じて
いる常識や社会システムが、普遍的なもので
はなく、ここ1〜2世紀の特殊な経緯で誕生
した一時的なものであると分かり、資本主義
と無限成長の幻想は、経済は成長し続けなけ
ればならないという近代特有のイデオロギー
であって、国民国家は、人類が昔から持って
いたわけではない、国境と国籍という比較的
新しい仕組みであり、個人の自由や人権は、
二度の世界大戦や冷戦などの特定の歴史的衝
突を経て、苦労して制度化された特殊な成果
であり、これらを知ることで、現在のシステ
ムは不変ではなく、時代の変化に合わせて変
革していけるものであると気づけるそうだが、
3つ目の真実は、過去の教訓が通じないリス
クで、普遍性を信じるあまり、歴史は繰り返
すと思い込むことの危険性が分かり、核兵器
の存在は、勝つか負けるかという過去の戦争
の法則を無効化して、全人類の滅亡を可能に
した特殊な兵器であり、少子高齢化は、多く
の過去の文明が人口増加を前提に作られてい
たため、現代の縮小社会には通用せず、現代
の特殊性を直視することは、過去のやり方を
真似るだけでは生き残れないという警鐘を鳴
らしてくれるそうだが、歴史の普遍性、共通
する本質と、特殊性、現代だけの事情は、車
の両輪のような関係であるが、そこから視点
を変えて、歴史の共時的な捉え方と通時的な
捉え方から分かることは、普遍性や特殊性か
ら導き出されることとは明確に違う意味合い
を持ち、普遍性・特殊性が歴史の性質や法則
などの中身を問うのに対して、共時的・通時
的は歴史を捉える視点や構造などのカメラの
レンズを意味しているそうで、この2つのア
プローチによって、それぞれに異なる意味合
いが見えてきて、時間の縦軸である通時的な
捉え方から分かることは、通時的とは歴史を
時間の経過による変化や因果関係で捉える視
点であり、なぜ今こうなっているのか、とい
う因果の鎖が分かり、ある出来事が突発的に
起きたのではなく、過去のどの出来事から影
響を受けて、どう変化してきたかというプロ
セスの意味が分かり、そこから変化のスピー
ドとベクトルが分かってきて、例えば人類が
進歩か衰退か、どの方向へ、どれほどの速さ
で向かっているかという時代のトレンドを測
定でき、それに対して、空間の横軸である共
時的な捉え方から分かることは、共時的とは
ある特定の時代をバッサリと輪切りにして、
同時期に異なる場所で起きていたことの相互
関係や構造で捉える視点であり、目に見えな
い時代の空気やグローバルな構造が分かり、
例えば十七世紀という断面を切ると、ヨーロ
ッパの危機や、中国では明から清への動乱、
日本の鎖国が、実は地球規模の気候寒冷化や
銀の流通という一つの見えない糸でつながっ
ていた、というような、システムとしての歴
史が分かり、また他者との比較による自らの
位置が分かり、同時代の他国や他文化と比べ
ることで、自分たちの社会がどれだけ進んで
いるか、どう偏っているかという客観的な座
標が分かり、普遍性・特殊性との決定的な違
いは、これらを普遍性・特殊性と掛け合わせ
ることで、さらに強力な意味を持ち、普遍性・
特殊性から、例えば、人間はいつでもどこで
もこうだという結論は、いつでもが普遍でど
こでもが特殊で示されるのに対して、通時的・
共時的から、その結論を導き出すための分析
法、縦から見るか、横から見るかの違いが示
されて、それらを組み合わせて、私たちは歴
史を単なる過去の教訓のリスト、普遍・特殊
として見るのをやめ、時間と空間が織りなす
複雑な立体構造として動的に捉えることがで
きるようになり、この縦・通時と横・共時の
視点の切り替えは、現代の複雑なニュースを
読み解く上でも非常に強力な武器になるそう
だが、例えば、参政党の神谷宗幣代表が、沖
縄戦において、日本軍は沖縄県民を殺害しに
行ったのではなく、守るために戦った、日本
軍が悪いという描き方をすると米軍が正義に
なってしまう、と主張し、こうした従来の戦
後歴史教育を自虐史観として見直そうとする
動きは、歴史の普遍性・特殊性と通時性・共
時性という4つのレンズを使うことで、その
意図や構造を論理的に説明できるそうで、神
谷氏が救いたいと考えているのは、国家防衛
のために命を捧げた英霊の動機の正当性・光
であり、それを阻んでいるのが戦後の偏った
歴史認識・影であるというロジックで、これ
を4つの視点から整理すると、1つ目の普遍
性のレンズから見た説明では、時代を超えた
共通の法則である普遍性の視点から見ると、
神谷氏は国家の生存と国民防衛の原則を救い
出そうとしていて、神谷氏の意図は、どの国・
どの時代であっても、自国軍は共同体を守る
ために命をかけて戦うものである、という普
遍的な軍隊の本質を沖縄戦に適用しようとし
ていて、その説明は、本土を守るための捨て
石だった、という個別的・否定的な評価を退
けて、命をかけて郷土と家族を守ろうとした、
という人類共通の普遍的な愛国心や防衛本能
の文脈に、当時の日本兵の動機を回収しよう
とする試みであり、2つ目の特殊性のレンズ
から見た説明では、その時代の環境、独自の
事情など特殊性の視点から見ると、神谷氏は
敗戦国ゆえに押し付けられた特殊な歴史観か
らの脱却を試みていて、神谷氏の意図は、現
在の沖縄戦の語られ方は、普遍的な事実では
なく、勝者の米軍によって書き換えられた特
殊な歴史観である、と主張していて、その説
明は、米軍による激しい攻撃が住民犠牲の最
大要因であるにもかかわらず、日本軍=悪と
いう特定の側面だけが戦後の平和教育で強調
されているという、特殊な偏りを指摘して、
そこから軍の本来の目的である防衛を切り離
して救い出そうとしていて、3つ目の通時性
のレンズから見た説明では、時間の経過によ
る因果関係・通時性の視点から見ると、神谷
氏は過去への感謝から未来の国防へ繋ぐ因果
の鎖を救い出そうとしていて、神谷氏の意図
は、過去の先人への感謝や慰霊を失った社会
は現代および未来の国防の危機に対応できな
くなるという、時間軸上の危機感を持ってい
て、その説明は、先人の戦いをただの過ち、
暗黒の過去として断絶させるのではなく、命
がけで国を繋いでくれたプロセスとして通時
的に肯定することで、現代の日本が、自分た
ちの国を自分たちで守る、という未来への動
機づけ、国防意識を再生させようとしていて、
4つ目の共時性のレンズから見た説明では、
同時代における他者との相互関係など共時性
の視点から見ると、神谷氏は冷戦・大東亜戦
争という国際政治の構造を救い出そうとして
いて、神谷氏の意図は、沖縄戦を日本軍対沖
縄住民という狭い国内の構図ではなく、大日
本帝国対アメリカという大国間の激突、とい
う世界史的な共時的構造の中で捉え直すべき
だと考えていて、その説明は、当時は世界中
で帝国主義的な権力闘争や生存をかけた総力
戦が行われていた時代・共時的環境であり、
そこ国際政治の荒波の中で、日本軍がアメリ
カという巨大な脅威と対峙していたという大
枠の構造を強調することで、日本軍だけが異
常に不条理だったわけではない、という文脈
を浮き彫りにしようとしていて、神谷氏の一
連の主張は、戦後の歴史解釈が特殊な被害・
沖縄戦の実相や国内の対立に偏りすぎている
とし、それを普遍的な防衛の動機や世界史的
な構造・共時性の視点へとシフトさせること
で、旧日本軍の名誉や日本を守ろうとした意
志を救い出そうとする思想的アプローチであ
ると説明できるが、ただし、このアプローチ
は、現場で実際に集団自決の強要や軍民混在
の地獄を経験した沖縄の生存者のリアルな歴
史体験・固有の特殊性・通時性を軽視し、否
定するものとして、地元のメディアや歴史学
者、他党から歴史修正主義者であるとの強い
反発や批判を受ける構造にもなっているそう
だが、それとは違う方面で、ではニューヨー
クのマムダニ市長がやっていることを、歴史
の普遍性や特殊性、通時性や共時性からどう
説明できるかというと、歴史の普遍性・特殊
性と通時性・共時性という4つのレンズを用
いることで、その思想的背景や現代社会にお
ける位置づけを鮮明に説明でき、マムダニ市
長は、アメリカ民主社会主義者DSAに所属
する、初のムスリムかつアジア系のニューヨ
ーク市長で、富裕層への課税、ユニバーサル・
チャイルドケア、気候変動対策、移民保護と
いった急進的な左派政策を推進していて、彼
の行動を4つの視点から分解すると、1つ目
の普遍性のレンズから見た説明では、時代や
場所を超えて共通する本質である普遍性の視
点から見ると、マムダニ市長は強者・資本に
対する弱者・労働者の連帯と生存権の確保と
いう、人類史に絶えず現れる階級闘争の普遍
的なパターンを体現していて、マムダニ氏の
行動は、不動産富裕層に重税を課して、違法
な電動自転車の販売業者、アマゾンなどの巨
大資本を規制して低所得の配達労働者の安全
を守ろうとしていて、その説明は、過度な富
の集中は社会を不安定化させ、民衆の反発を
招くというのは、古代ローマの平民闘争から
フランス革命に至るまで共通する歴史の普遍
的法則であり、彼の政策は現代のニューヨー
クという舞台を借り、この格差是正を求める
民衆の普遍的なエネルギーを体現していると
説明できるそうで、2つ目の特殊性のレンズ
から見た説明では、特定の時代・環境独自の
事情という特殊性の視点から見ると、マムダ
ニ市長の存在そのものが、21世紀の多民族
都市であるメガシティ・ニューヨークという
極めて特殊な土壌からしか生まれなかった現
象であり、マムダニ氏の行動は、ウガンダ生
まれのインド系移民、ムスリムという自身の
アイデンティティを背景に、ハイチ人移民の
保護などを積極的に叫んでいて、その説明は、
十九世紀や二十世紀の白人マフィアやエリー
トが牛耳るニューヨークの政治の文脈からは、
彼のような人物は市長になることは不可能で
あり、現代の人種のるつぼが極限に達したニ
ューヨークの人口動態と、トランプ政権に代
表される保守派との対立という、現代アメリ
カ特有の政治的トポロジー・特殊性が、彼の
過激とも言える左派政策の支持基盤となって
いるそうで、3つ目の通時性のレンズから見
た説明では、時間経過と因果関係という通時
性の視点から見ると、マムダニ市長は、新自
由主義、レーガノミクス以降の流れの限界と、
その逆張りのプロセスの先端に位置している
そうで、マムダニ氏の行動は、経済成長と規
制緩和を重視した前任のエリック・アダムス
政権などの路線を全否定し、幼児教育の無償
化など、社会民主主義的な福祉政策へ舵を切
っていて、その説明は、1980年代から約
40年間続いた、資本主義の暴走・民営化と
いう時間軸のトレンド・因果の鎖が、若者世
代の困窮・家賃高騰、子育て費用の破綻を生
み出した、と主張するマムダニ氏の行動は、
この歴史の振り子が、行き過ぎた資本主義か
ら社会主義的な揺り戻しへと向かうプロセス
の帰結として通時的に説明できるそうで、4
つ目の共時性のレンズから見た説明では、同
時代における他者との相互関係という共時性
の視点から見ると、マムダニ市長の政策は地
球規模の気候変動やグローバル経済への、世
界の主要都市・メガシティによる同時多発的
な反乱の一部であり、マムダニ氏の行動は、
異常気象・猛暑への気候変動対策を訴え、グ
ローバルIT企業、アマゾンやベストバイに
対して強硬な姿勢を取っており、その説明は、
現代は世界中でグローバル資本による都市の
均質化・家賃高騰と地球温暖化が同時に進行
していて、パリ、ロンドン、ソウルなど、世
界中の大都市の首長が、同じように富裕課税、
環境規制、福祉の再分配に動く中で、マムダ
ニ氏の動きも孤立したものではなく、202
6年現在のグローバル・メガシティが共通し
て抱えるシステミックな課題へのシンクロし
た共時的な反応である、と言えるそうで、参
政党の神谷氏の事例が、通時的な伝統・過去
の記憶・縦軸を繋ぎ止めるために、普遍的な
防衛の動機を救おうとしたのに対して、ニュ
ーヨークのマムダニ市長の事例は、共時的な
世界都市の危機・横軸に対応するために、歴
史の階級闘争の普遍性を左派のイデオロギー
として現代の特殊なニューヨークに当てはめ
ていると言えて、どちらも現在の自らの政治
的立場を正当化し、支持者を突き動かすため
に、歴史の普遍性と特殊性、そして時間・通
時と空間・共時の構造を巧みに利用している
点では、政治指導者による歴史観・世界観の
提示として共通の構造を持っているそうだ。
https://www.koike-t.org