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彼の声 2024.6.9 「公正なやり方」

voice-163

 行政がやらなければならないことは公正で
なければならないと思いたいが、公正とは何
かというと、特定の人や団体を利するような
ことをやってはならないという理由を持ち出
してそれを説明できるかというと、すでに社
会の中で不利な扱いや境遇となっている人や
団体が存在するなら、積極的に行政がそうい
う人や団体を助けるための制度を設けたり法
整備して優遇すべきなのだろうが、それを不
公正だと糾弾するようなことをやるのが、そ
ういう人や団体を実際に不当に差別したり迫
害して社会の中で不利な立場へと追い込んで
いる一般的には差別主義者と言われる人たち
だが、そういう差別主義者をやっつけること
によって正義の味方を装えるとしても、果た
してそんな正義の味方的な立場が社会の中で
恒常的に成り立つかというと、成り立つとし
てもそんなやり方だけでは主流派にも多数派
にもなれないし、主流派からも多数派からも
全面的な支持や賛同を得られないが、では主
流派や多数派から支持や賛同を得られている
勢力とはどんな勢力かというと、結果的には
支持や賛同を得られていることになるだろう
が、支持や賛同を得ることが主な目的ではな
く、主流派や多数派を利用してあるいは客と
して取り込んで、商売を行うことが直接の目
的になるなら、少なくともそういうことをや
っている人や団体が正義の味方である必要は
なく、ただの営利目的の企業であっても何の
不都合も不思議もないだろうが、そういう営
利目的の企業と行政が天下りや贈収賄などに
よって癒着しているとなると、そんな行政は
著しく公正さを欠いていると言わざるを得な
いが、もちろん差別主義者と言われる人たち
がそんな行政や企業を糾弾するわけがなく、
どちらかと言えばそんな差別主義者をやっつ
けようとしている人たちが、同じようにして
そんな行政や企業も糾弾するわけで、そうな
ってくれば敵対関係や協力関係がはっきりす
るだろうが、実際には単純にそうなっている
わけではなく、差別主義者の側でもわかりや
すい単純な差別主義者の他にもそうは見えな
い差別主義者とは言えないようなわかりにく
い人たちまでいるわけで、中には単純な差別
主義者を糾弾する差別主義者までいるわけだ
から、どういう基準で差別主義者とそうでな
い人たちを区別するかで、はっきりした納得
できる基準を設定できないようなところで、
何やらもっともらしい主張を持ち出してくる
人までいるから、それらの人たちを差別主義
者だと一概に決めつけること自体が逆に差別
を助長していると主張して、差別主義者をや
っつけると称して正義の味方を気取る人こそ
が逆説的な意味で差別主義者だと糾弾されて
しまうかも知れないから、そんなふうに事態
がこじれてくるところでは、あまり差別主義
者であるかないかで正義の有無を判断するの
は得策ではないことにもなりかねないが、他
にも様々な価値基準やそれに基づいた判断が
ある中で、何を優先させればやっていること
の公正さを保てるかとなると、やっているこ
とに関わってくる人たちがそういうやり方に
納得できるか否かということにもなってくる
だろうが、それがずるいやり方とか悪どいや
り方のように感じられるなら納得できないと
いうことになるはずだが、果たして誰もが納
得できるような公正なやり方によって利益が
得られるかというと、直接そこに関わってい
る関係者の間では誰もが納得できるとしても、
直接関係のない部外者から見ると著しく公正
さを欠いたやり方というのが談合的なやり方
になるのは確かだろうが、放っておくとそう
いうやり方が横行してしまうのが行政の欠陥
と言えるかどうかも、社会の中で民主的な価
値観がどれほど行き渡っていて、そこに制度
的な裏付けもあるかどうかがものを言うのか
も知れず、そういうところからその地域を統
治する行政の体質に応じた社会の成熟度が測
られるというと、誰がそれを測っているわけ
でもなさそうだが、ただ漠然とその地域に暮
らしている民衆の実感となって返ってくるだ
けかも知れないが、それもメディアがそうい
う実感を民衆に向けて返してくるようなら、
そういうメディアは良心的なメディアだと言
えそうだが、そういうメディア上で糾弾され
るのが果たして特定の個人や企業に利益供与
してその見返りを受ける政治家や官僚になる
かというと、そんな不公正なことが横行して
いる中では、そういうことを積極的に報道す
るのがメディアの使命であってほしいだろう
が、それだけがメディアの使命ではないとい
うなら、別に使命と言えるようなものがあろ
うとなかろうとメディアが成り立っている範
囲内で、行政や癒着している企業や政治家や
官僚がメディア上で糾弾される必要はないと
は言えないにしても、不公正なやり方が社会
の中で横行していようとそれが無視されても
構わないかも知れないが、それによって不利
益を被る人や団体などが当然の権利として裁
判に訴えたり行政に対して不服を申し立てて、
そういう成り行きをメディアが報道すること
になるならそれで構わないはずだが、それを
意図的に無視して報道しないメディアがある
とすれば、そんなメディアの報道の仕方が不
公正だと思われるだろうし、そういうことか
らそれが不公正だと感じられるやり方なら誰
もが明らかになる限りでそれとすぐに気づく
はずだが、それとは逆にそれが公正なやり方
だと誰もが気づくかというと、不公正なやり
方がメディア上で糾弾されれば、そうではな
いやり方であれば公正なやり方だと見なして
も構わないかといっても、ただ単に世の中で
まかり通っているやり方が果たして公正なの
かどうかということについては、それほど意
識できないのかも知れないし、とりあえず許
容されているやり方の中には、時と場合によ
っては不快感をもたらしたり納得できなかっ
たりするやり方も結構あるわけだが、それを
どう判断するのかといっても、すぐにもっと
もらしい理屈や論理や理論を持ち出してきて
やり方の公正さを強引に主張するのもちょっ
と違うような気がするわけだ。

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彼の声 2024.6.8 「深入りしないこと」

voice-163

 何も騒ぎや混乱のどさくさに紛れて悪さを
したいわけでもなければ、できればあからさ
まにいい人ぶったことを述べたいとも思わな
いだろうが、その場に絡んでくる誰もがただ
淡々と情勢分析に励んでいるとも見えないな
ら、その人なりの意図や思惑を抱きながらも、
何かしら戦略的かつ戦術的にその場の状況や
情勢に合わせて適当なことを語っているのだ
ろうが、それを適当だとは思えないしいい加
減だとも感じられないなら何なのかというと、
そんなことを述べている人の意識がその場の
状況や情勢と共鳴している部分では、確かに
その場の状況や情勢を反映したことを述べて
いるはずだが、その一方でその場の状況や情
勢とは関係なくその人の感情や思考に宿って
いる論理や理屈から導き出される解釈の方向
性があって、それがどんな状況や情勢であっ
てもその人にとって好都合な一定の結論に持
って行こうとする意志に結びつきながら凝り
固まっていると、都合の良い部分だけを拡大
解釈したり誇張したり強調することにもなる
だろうから、語っている内容がそれ相応に歪
んでいる印象を受けるわけだが、事実を意図
的に歪曲して伝えているのかというと、それ
なりにもっともらしく感じられる部分ではそ
うとは思えないわけで、そういう部分を信用
してしまうと、それにつられて歪んでいる部
分も真に受けてしまうからヤバいような気も
するのだが、それとこれとを混同しない知性
が求められているわけでもなく、そんなこと
を語っている人が意識しないで抱いている意
図や思惑に従うふりを装うなら、もっともら
しく感じられる部分が擬似餌であると同時に、
それに引っかかってその人にとって好都合な
拡大解釈している部分や誇張したり強調して
いる部分に食いついて、それを信じて真に受
けてほしいわけだから、そういう方面へと人
心を誘導したいと想像できるし、それに引っ
かかるなと警鐘を鳴らしたい人も中にはいる
だろうが、それも功利的な面を重視するなら
素直に引っかかってしまっても構わないのか
も知れず、しかもそれが引っかかったふりを
しているとは思ってはいないとしても、結果
的にそうなってしまうならなおのこと好都合
なのかも知れないし、それが意図せずにひっ
かけようとしている側と引っかかってしまっ
たのに結果的には引っかかったふりをしてい
るだけとなってしまっている側の双方にとっ
て好都合だとすれば、客観的にはどうなって
いるのかよくわからないだろうが、案外どち
らにとってもそんなことはどうでもよくなっ
てしまうのかも知れず、何かのついでにそう
なっているだけのことであり、それほど重篤
化も重症化もしない程度に済んでいることに
なるから、知らないうちにそれに対する免疫
や耐性もついてくるから、すでに動じなくな
っているわけで、その場の状況や情勢や成り
行きが双方に対してそうなるように仕向けて
いると解釈できないこともなく、そうなって
しまうことも含めてその場の状況や情勢や成
り行きだと解釈するなら、それで構わないよ
うなことなのかも知れないが、それでは納得
できなくなると、さらに深入りして信仰の世
界へと向かう人まで出てくるとしても、功利
的な観点からすれば深入りしないに越したこ
とはなく、そんな態度では大した利益は得ら
れないにしても逆説的には功利的な観点に従
っていて、結果的に大やけどしない程度で済
んでいればそれで構わないようなことになっ
てしまうのだが、それが戦略的かつ戦術的な
効果をあげていることになるのかというと、
戦略や戦術を意識しない状態を維持できれば
そうだと言えそうで、それもどちらかと言え
ば逆説的な態度にはなるだろうが、なぜそう
なるのかと問うなら、すでにそんなことを仕
掛けている人や団体のペースに巻き込まれて
いるから、否応なくそうなってしまうという
と、そこから逃れる術がないような成り行き
が想像されてしまうが、逃れられなければで
きるだけ深入りせずに、ヤバくなったらいつ
でも逃げ出せる姿勢を保ちながら付き合って
行くしかなく、彼らが操る擬似餌に引っかか
ったように振る舞うしかないわけで、その際
には演技だと悟られないように立ち振る舞う
技量が求められるにしても、努力してそんな
技量が身につけられるわけでもないし、自然
に身についた程度の技量で済むならそれに越
したことはないわけだが、そういう面も含め
て深刻な事態にならない範囲内で可能な演技
になるが、本当にヤバくなったら付け焼きの
演技など通用しないから、全力でそこから逃
げ出さないと取り返しのつかない悲惨な結果
となってしまうのかも知れないが、それもそ
うなるまでがそれなりに面倒でややこしい紆
余曲折も伴ってくるから、大抵はそうなるに
は至らないうちにどうにかなってしまい、結
果的には取り返しのつかない事態が回避され
てしまう可能性も高いわけだが、だからいつ
も煮え切らない態度で中途半端な妥協を強い
られるような結果へ落ち着いてしまうことも
多いのかも知れないが、それが功利的な観点
からすればはっきりした成功にも失敗にも至
らないようなほどほどの程度に済ませて、現
状の延長線上で自身の状態をとどめておくた
めの秘訣だと言えなくもないにしても、それ
では絶えず不満がつきまとってくるから、身
の程知らずな誘惑にも絶えずつきまとわれて、
それが何かのきっかけから感情が爆発して思
いがけないところで暴走や逸脱などが突発的
に起こってしまうと、その先にどういう事態
が待ち受けているかは神のみぞ知るようなこ
とにもなってくるだろうが、果たしてそんな
ことまで考慮に入れながら行動したり言動が
伴ってくるわけでもないから、現状でそうは
ならない程度で済んでいるなら、それで構わ
ない状況や情勢の中で生きていることになる
のではないか。

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彼の声 2024.6.7 「悪どさの限度」

voice-163

 わざと世間の良識に逆らうようなことを述
べたいわけではないが、それでも結果的には
逆らって、世の中の広範な支持を得られない
ようなことを述べたいわけでもないのだが、
それにしてはあからさまに悪どいことをやっ
ているのがバレバレな人たちが広範な支持を
得られている現状があると、そういう人たち
を支持しているように見えてしまう大衆的な
存在が馬鹿なのではないかと思ってしまい、
それが勘違いの原因だとは思えないから、ま
すますそういう成り行きに対する疑念が深ま
ってしまうのだが、それに対して安易にそう
いう悪どい人たちには騙されるなと警鐘を鳴
らす行為も何の効果も得られないことが明白
な現状でもあるから、客観的な状況証拠があ
るわけではないのだが、世間の一般大衆がメ
ディアに洗脳されているわけでも騙されてい
るわけでもなければ何なのかというと、まさ
に悪どい人の代名詞のような人が日本の総理
大臣になったり東京都知事や大阪府知事にな
ったりする成り行きを肯定的に受け止めるこ
とは不可能だとしても、逆に清廉潔白な正義
の味方のような人がそういう役職に就いてし
まうと困るような事情があるのではないかと
間違った意味で穿った見方をするなら、それ
までにやってきた数々の悪行三昧が世間の一
般大衆から認められたからこそ、民主的な選
挙を経てそういう役職に就けると解釈したく
なってしまうのだが、もちろんいったんそう
いう役職に就いたからには、さらなる悪行三
昧に精を出して良心的なジャーナリズムから
苛烈な批判や非難を浴び続ける必要があると
解釈しても構わないのかというと、それが間
違った意味での穿った見方になってしまうか
も知れないが、結果論的にはそうなっている
理由を想像してみると、世間の良識的な価値
基準から判断するならやっては行けないこと
を、いかにして多数派から支持や同意を得な
がら、しかも良心的なジャーナリズムから苛
烈な批判や非難を浴びせられながらもやり切
ることができるかが試されていて、それをや
り切れる人がそういう役職にはふさわしいと
逆説的には見られていて、なぜそういうこと
をやらなければならないのかというと、それ
がディープステートの意向だとかの陰謀論的
な理由とはそれなりに重なる部分もあるとい
うと、さらに怪しげなことを述べるような成
り行きにとらわれてしまうが、少なくとも政
治と経済が連動している面では、良識に反す
るような悪どいことをやらないと利益を得ら
れないという事情があるかも知れず、しかも
悪どいことをやりながらも直接には罰せられ
ないグレーゾーンにとどまっていなければな
らないような微妙な立ち位置を絶えず要求さ
れ続けるから、それを誰が要求しているわけ
でもないところが、それを要求しているのが
ディープステートだと言ってしまう陰謀論者
とも、微妙に立場を異にしていることが求め
られているといっても、それも誰が求めてい
るわけでもないのだろうが、彼らを影から操
っているような黒幕的な存在を仮定してしま
うと、途端にフィクションとなってしまうか
ら、それだけ現実の世界の特性や特徴が陰謀
論的なフィクションとは微妙に違っていると
認識したいところだが、それについては何も
はっきりした確証も根拠も提示できるわけで
もないから、ただ世界の現状をそう受け止め
ているに過ぎないとしても、彼らも彼らなり
に自分たちが占めている地位や役職に何が何
でもしがみつきたいとは少しは意識している
どころか、それがありとあらゆる手を尽くし
て死守しているように見えてしまうにしても、
その姿が見苦しいのは誰もがそう感じるとこ
ろだが、それと共にそういう人たちを擁護す
るメディア関係者も見苦しいのだが、時とし
てそういう人たちが繰り出す嘘やデマや言い
がかりや誹謗中傷などの否定的で攻撃的な言
動の中身が、世間の一般大衆の本音とも重な
る部分でもあるから、普通に世間を味方につ
けてそういう言動が繰り出されていると見て
おくしかなく、もちろん同時にそういう世間
から絶えず批判や非難を浴びせられているは
ずなのだが、その辺がどちらの面も同時並行
して進行中だと事態を捉えるしかないが、そ
れが今回の東京都知事選挙に立候補予定の蓮
舫にもそれらの人たちと同じ匂いを嗅ぎ取っ
ているのに、蓮舫がいかにも清廉潔白な正義
の味方のような立ち位置も占めようとしてい
るように見えてしまうから、世間の一般大衆
の中の悪どい役割分担の人たちにとっては許
せないと感じられる面でもあるのかも知れな
いが、それも間違った意味での穿った見方や
成り行きの捉え方でもあるから、もっとビジ
ネスライクにというか、否定的な感情を排し
て政策提言の類いや現職の都知事が何をやっ
てきたかで判断すればいいことではあるにし
ても、一般の大衆がそういうことには一向に
興味が向かない代わりに、いつもながらの嘘
やデマや言いがかりや誹謗中傷の類いを聞い
ておもしろがっているようなら、いつもなが
らの結果に落ち着いてしまうような気がする
ものの、さすがに今回ばかりは馬鹿の一つ覚
えでは済まないような情勢だとは思いたいの
だが、それに関して何か危機感のような切羽
詰まった感触にとらわれているわけでもない
から、情勢を楽観視してしまいそうになって
いて、そこに油断が潜んでいるといっても、
いつものように投票に行くだけの存在でしか
なく、どういう結果になろうと何でもないと
は思わないが、そういう役職には悪どい人し
か就けない現状を変えて欲しいとは思うにし
ても、別に見るからに清廉潔白で正義の味方
のように見える人など現状の世の中には誰も
いないとも思っていて、蓮舫という存在が感
情的に許せないと思っている人も世の中には
いくらでもいるとは思うが、それもたぶんそ
う思っている人にとっての都合の良い結果に
なるのは何としても避けた方が良さそうな気
はするわけだ。

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彼の声 2024.6.6 「少子高齢化の効用」

voice-163

 あえて巷で言われているのとは逆のことを
述べたくなるのは、そんな気がするからとい
ういい加減な理由からだが、例えば少子高齢
化という現象が否定すべきことでも政治や行
政への批判に利用されるべきことでもないと
すれば何なのかというと、そんな世の中の傾
向を肯定せざるを得ないと思うなら、肯定で
きる理由をあれこれと考えたくなってしまう
わけだが、人が贅沢になったと思うなら世の
中で蔓延しているらしい貧困を無視している
ことになるかというと、富裕と貧困が表裏一
体の現象と捉えるなら、人が贅沢になったか
ら少子高齢化が促進されたわけではなく、人
の贅沢化と少子高齢化が一体となった現象と
して把握した方がしっくりくるかも知れず、
それらが一体化して進行している中で政治的
な目的となると、否定的に捉えられる少子化
と貧困化だけ何とか解決したいわけだから、
それでは虫のいい話になってしまうわけだが、
一般の人たちが少子高齢化に対応しなければ
ならないのはもちろんのこと、対応するだけ
ではなく、少子高齢化を利用しなければなら
ないというと老人を騙して資産をむしり取る
行為を連想させるが、老人自身が少子高齢化
を楽しまなければならないと言われる以前に
楽しんでいる人もそれなりにいるだろうが、
それが社会主義や共産主義なら、結婚して子
供を産むのが大人の義務だと決めて、結婚や
出産を人々に強要できるかも知れないが、そ
うするには政府による制度的なサポートが必
要となってくるから、行政的に少子化を解決
するには社会主義化や共産主義化が必要にな
ってくるだろうが、現状の世界情勢から推測
されることは、そういう傾向とは真逆へと進
行中らしく、そういうのは政府のやることで
はないと責任を放棄した方が無難な気もする
わけだが、それでは政治的な目的とは合致し
ないどころか、そういう姿勢が批判されてし
まう傾向にあるから、例えば立憲民主党の政
策的な傾向となると、それをマイルドな社会
主義というと語弊があるだろうし、まだ政権
を取ってもいないうちから立憲民主党の政策
を批判するのはまずいし、意外と今後立憲民
主党が政権を取ってそれなりにうまく行く可
能性も高そうだから、批判するならそうなっ
てから批判するしかないにしても、それも世
界的な傾向なのかも知れないから、政治的に
はマイルドな社会主義のような方向が目指さ
れてはいるものの、果たしてそれが20世紀
の社民主義に似ているのかというと、すでに
社民主義自体が時代遅れとなっていて、もち
ろん20世紀の新自由主義も同じように時代
遅れなのかも知れないが、世界の中で比較的
平和な地域では少子高齢化と富裕化と貧困化
が同時進行で進んで行く傾向に歯止めがかか
らないのかも知れず、政府がそれに対してそ
れなりに対処や対策を施すのも行政的な傾向
としてはそうなるのも当然だろうが、それ以
前に保守派の政治家の嘘やごまかしや詭弁や
デマや煽動や誘導や脅し文句を受け流し過ぎ
ているから、そういう苦し紛れの悪あがきに
慣れてしまっていて、政治的にはどうにもな
らないことを多くの人々が悟っているのかも
知れず、だから妥協的に導き出される選択肢
として否応なく行政的な傾向としてマイルド
な社会主義的な政策をとらざるを得ず、もち
ろんそれと同時に資本主義市場経済が機能し
ていて、市場経済がもたらす弊害に嫌でも行
政が対処することになるのだが、それがうま
く行こうが行くまいが継続的に対処し続ける
ことになるのだろうが、そうなっている限り
でそれなりに世の中の平和が保たれるわけで、
束の間の均衡が崩れると平和が戦争状態へと
移行するのかも知れないが、とりあえずまだ
そうなっていない地域では束の間の均衡状態
をできるだけ長引かせるように政府が焼け石
に水的な政策や対策を施すと解釈しておけば
いいか否かはよくわからないが、それなりに
行政を制御しようとする政治家の欺瞞や偽善
を一般の民衆も共有しているだろうから、あ
まりにも正義の味方のように振る舞うのもち
ょっと勘違いのような兆候を感じてしまうな
ら、許容できる限度を良識が許す範囲内にと
どめようとするのも当然だが、それもたぶん
行政的な強制力を伴って直接市場に働きかけ
たり少子化を改善しようとすると、一般の民
衆からの反発を招いて失敗するだろうから、
働きかけるならあくまでも間接的に働きかけ
るより方法がなく、それも回りくどくわかり
にくいと民衆からの支持を得られないから、
補助金や交付金などのあからさまに金で解決
しようとする傾向もちょっと違うような気も
するわけで、そういうところで微妙に政治的
な思惑からも民衆の意識からもずれてくるや
り方が求められているというと、誰もそんな
ことは求めていないと言われそうだが、結局
は誰も求めていないようなそれと気づかれな
いようなやり方でやらないとうまく行かない
というか、必ずしもうまく行かなくても構わ
ないなら、いったい何の思惑があってこんな
意味や意図のよくわからないことを述べてい
るのか自分でもわからなくなるが、それとは
逆にわかりやすく単刀直入なことを主張する
なら山本太郎やれいわの政治家たちが主張す
るようなことを述べればいいわけで、それで
はまずいとも思えないだけに、その辺も自分
でもよくわからないのだが、ただ単に彼らと
は立場が違うというと身も蓋もなく、さらに
意味不明になってきてしまうから、なるべく
そういうことは言わないように配慮したいの
だが、それでも自らの置かれた状況を見誤り
ながらも何か適当でいい加減なことを述べる
必要に迫られていると勘違いしているなら、
結果的にそうはならないかも知れないが、要
するにさらに少子高齢化を助長するようなこ
とをそれに反対する人々を押し切ってやらな
ければならないのかも知れず、それが逆説的
に問題の解決をもたらすとは思えないところ
が微妙に肯定し難いのだが、それでも人々の
生き方や暮らし方の自由を最大限にもたらす
ように配慮しなければならないとは思ってい
るわけだ。

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彼の声 2024.6.5 「迷走する原因」

voice-163

 迷走というと何が迷走しているのかはわか
っているつもりだが、迷走せざるを得ない成
り行きなのだから、仕方がないのかも知れな
いし、迷走していると批判するのも、批判に
なっていないような気がするわけでもないが、
そもそもデマを言いふらすことしかできない
人たちなのだから、まともな中身が伴ってお
らず、そんな人たちを支持している人たちも
頭がおかしいと言わざるを得ないとしら、彼
らの自業自得なのだから、迷走しているのも
当然の成り行きだと思うだけで、それ以上に
何がどうなっているわけでもないのだが、そ
ういう意味では迷走していることについては
何の問題もないと認識しておいても構わない
のかというと、中にはそんな迷走状態を批判
する物好きな人もいるらしく、そんな物好き
な人を支持するわけにも行かない理由がある
わけでも、どちらを批判するとかどちらの味
方にもなれないわけではなく、どちらかとい
えば迷走している人たちとは距離を置いて、
それを批判する人たちとも距離を置いて、で
は何を言いたいわけでもないのかというとそ
うでもなく、できれば迷走している原因を指
摘したいのだが、その原因が迷走している人
たちにはないとは言えないだろうが、他に原
因があるかというと、それらの人たちを迷走
させている成り行きがありそうで、彼らが迷
走せざるを得ないような成り行きになってい
るのはどういうわけなのかといえば、他の誰
が彼らを操作しているわけでも導いているわ
けでもないとすれば、彼らがそうなるように
仕向けているのは誰でもなく、彼らが勝手に
そうなっているに過ぎないと見ておいても構
わないが、彼らがそうなるように材料やきっ
かけを提供している人たちも他にいるかも知
れないと思うなら、当然それが彼らがデマを
言いふらす対象となる人や団体だと思ってお
けばいいことになるだろうが、たぶんそれが
日本だけでなく、世界的にそうなろうとして
いる傾向の中に身を置いている人や団体なの
かも知れず、しかもそれらの人や団体も彼ら
と同じような傾向も持ち合わせているから、
というかまるで近親憎悪のようにいがみ合う
兄弟のような存在だとも言えるわけで、どち
らにもそれなりに批判できる面があるからど
っちもどっちというわけではなく、それもど
ちらかというと世界的にそうなろうとする傾
向に導かれている側の方に分があるから、そ
ちらの方が有利というか、そもそも有利不利
という情勢判断が歴史的な時間経過に従って
次第にそちらの方へと有利さの度合いが増加
傾向にあると現状を捉えておくのが無難かも
知れないが、なぜそうなって行くのかという
と、現状で不利に傾いている側が苦し紛れに
繰り出すデマや嘘の類いが次第に世の中で通
用しなくなりつつあると認識できそうで、そ
の程度のことなら簡単に理解できるのだが、
そうしたデマや嘘や言いがかりの類いをスル
ーしながら彼らを許容して受け入れてきた人
人の立場というのも、現状が変わりつつある
成り行きの中では次第に形骸化しつつあるこ
とを世の中のどれほどの割合の人が理解して
いるかというと、まだほとんどの人たちが理
解していないどころか、理解しなくても構わ
ないような心理状態になっている可能性もあ
るから、そういう面まで考慮に入れるなら、
世界的にそうなろうとしている傾向に導かれ
ている人たちの方が有利だとは言い難いかも
知れず、そんな現状の中で次第に不利になろ
うとしている側の人たちがそういう成り行き
の中で激しく抵抗しているのかというとそう
でもなく、特に目立って激しい抵抗活動が繰
り広げられているわけでもなく、それもどち
らかというと無駄で無意味な悪あがきの類い
だと楽観したくなるのだが、油断は禁物で、
別に誰が油断しているわけでもないのだが、
次第に有利になろうとしている人たちがやろ
うとしていることも、現状の世の中では必ず
しもうまく行くわけでもないと予想されるか
ら楽観できないどころか、お先真っ暗という
わけでもないにしても、それなりにひどい結
果を招くことも想定しておかなければならな
いとは思うが、それも別に覚悟ができている
わけでもないから、うまく行かなければ落胆
すればいいのかも知れないが、そうなってか
らそら見たことかと言い放つ人もいくらでも
現れるだろうが、そんなことをこれ見よがし
に言い放ってしまう人たちもうまく行く方法
を知っているわけでもないから、お互い様だ
と思うしかないにしても、たぶんそれで構わ
ないわけで、現状の成り行き自体がそれで構
わないような成り行きになりつつあるわけで、
そうなる方向に沿ったことをやって行けばそ
れで構わないようなうまく行かない結果がも
たらされて多くの人々の落胆をもたらすのか
も知れず、そういう経過の中で今も多くの人
人がうまく立ち回ろうとして、あれやこれや
と試行錯誤の最中にあるから、それを高みの
見物するような立場などあり得ないし、誰も
がうまく行かない成り行きにとらわれながら
も、各々がそれなりの生活や活動に心身を費
やしているわけで、それがうまく行かないか
ら迷走と見えてしまうとしても、その全てを
否定的に捉える必要もないのかも知れず、大
抵は誤解に基づいているから、それを二者択
一問題だと誤解していると思っておけばよく、
例えばそれが保守と革新のどちらを選ぶとか
ハードウェアとソフトウェアのどちらを選ぶ
とか、両者が混ざり合っていることを考慮で
きない人が一方を強調する傾向となってしま
って、結果的に選べないものを選んだつもり
になるから誤解が生じるわけで、それに関し
て最近のわかりやすい事例を持ち出すなら、
トヨタとテスラが同じ土俵の上で競争してい
ると誤解している人がとらわれている傾向と
いうのが、保守的でハードウェアな方面を強
調する傾向にあるわけだが、それが彼らの頭
の中では二者択一問題を構成しているから結
果的に誤った方向へと他の多くの人々を誘導
するような成り行きをもたらしているわけだ。

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彼の声 2024.6.4 「転換点という安易さ」

voice-163

 何かそれらしいことを語るきっかけを求め
て、現状が何かの転換点に差し掛かっている
らしいと指摘するのも毎度のことのようにも
思われて、それが何の転換点なのかがわから
ないわけではないところもいい加減な指摘に
結びつきそうで、何でもいいなら転換点でも
何でもないことになってしまうが、結果的に
何かそれらしいことを指摘できるならそれで
も構わないようなことだとしても、無理やり
そう思い込むのもちょっと違うような気もし
てくるから、まずはそれが何の転換点なのか
を明らかにしなければならないとは思うのだ
が、それも安易に政治の転換点なのか経済の
転換点なのかがわからないというわけでもな
く、結局それもどちらの転換点にもなるから、
それも安易な指摘になるのもわかりきったこ
とだが、実際には転換点でも何でもなく、政
治も経済もこれまでの延長上で物事が動いて
いるに過ぎないし、そこに転換点という気休
めを持ち込んで、何かそれらしいことを述べ
たい気持ちもわからないではないが、果たし
てそういう安易な発想を戒める必要があるか
というと、その必要もないのに戒めるような
ことでもなく、では戒めない方がいいかとい
うと、戒めるというよりは咎めるというわけ
でもないとすれば何なのかと問われてもよく
わからないようなことなのかも知れず、少な
くとも今が転換点だと思い込まないと積極的
に動けないなら、それが焦っている証拠かも
知れないが、状況を無視して恣意的に転換点
を定めるのもおかしいなら、何かはっきりそ
れとわかる根拠がほしいわけだが、それがわ
かったら苦労はしないし、誰もがわかるよう
な兆候があるとすれば、すでに誰もが動いて
いるはずで、誰もが動いていることがその兆
候だと思うなら、すでにその時点で出遅れて
いるわけだが、誰もそれを察知していない時
点で動き出さなければならないなら、実際に
他の誰よりも先んじて動き出そうものなら、
それ自体がフライングでしかなく、ただの勘
違いに過ぎなかったことが後からわかるかも
知れないが、それでもその場でまかり通って
いるらしい理屈や論理や理論の類いを無視す
るわけにも行かないから、それらを念頭に置
いて理由づけや裏づけが後付け的に可能な範
囲内で動くしかないだろうから、何やら多く
の人や団体がその場の成り行きにとらわれな
がら動いている中で、そういう成り行きの裏
をかくとか、それらの人や団体を出し抜くと
か、やろうとしているのがそんなことでしか
ないなら、それも何やら志が低すぎるような
感じがしないでもなく、もっと何か自己犠牲
的な姿勢や態度で世のために人のためにして
やれることがあるはずだと思いたいわけでも
なく、それが自己中心的で傲慢な思い込みだ
と逆説的に理解したいわけでもないし、自然
と心理的にも経済的にもその場の成り行き的
にも、そういうことをやろうとしてしまう人
や団体が登場してくるような理屈や論理や理
論が状況的にも時代的にも語られるような雰
囲気や兆候を感じとっているわけでもないの
だが、もっと浅はかで思慮が足りないことに
ついては、いつものように批判しやすい傾向
の範囲内では批判されているにしても、果た
してそれで間に合っているのかというと、た
ぶんそうではないとは思いたいのだが、実際
には間に合っていて、他に何が批判されてい
るわけでもなく、誰もがわかりやすい範囲内
でわかりやすい批判がまかり通っているのだ
から、それで構わないと思うしかなく、何も
そこで事を荒立てる必要も感じないし、そう
いう方面ではそれで構わないことにしておき
たいのだが、では本当に今が何かの転換点で
あるなら、今後それではまかり通らないこと
になるのかというと、そんなことは現時点で
わかるはずもないが、たぶん今後はそれでは
通用しないような状況へと持って行きたいと
誰かが考えているわけではないとしても、自
然とそうなってしまうようなら、そうなって
しまった時点から振り返れば、今がまさに転
換点だったことが後からわかるような結果に
なると今ここで予想したいわけだが、誰もそ
んなふうには持って行けないところで、それ
も自然の成り行きでそうなってしまうとすれ
ば、そこに介入してくる人や団体がそうなる
ように状況を持って行こうとしているのとは、
ちょっとずれた感じでそうなってしまうと思
っておいても構わないだろうが、そのそうな
ってしまう結果というのが、そこに介入して
くる人や団体の意図や思惑や意向とはちょっ
と違う感じになってしまうところが現状から
は予想も予測もできない結果なのかも知れず、
要するに誰もが予想も予測も予言もしなかっ
たような思いがけない結果がもたらされるこ
とを期待してしまうのだが、そんな期待も外
れるような結果がもたらされるとすれば、そ
れが現状の延長線上でもたらされる結果であ
り、何やらそれがありふれたつまらない結果
だと思ってがっかりしてしまうと、それがな
ぜか思い違いの勘違いであるかも知れず、そ
こから微妙にずれていて、そうではない傾向
があることに気づけないわけで、それが今も
誰も気づいていない現状の傾向だというなら、
何となく納得できないような気もしてくるが、
誰もがそこで安心して気を抜いたところで突
然の予期せぬ状況の急変や激変や成り行きの
どんでん返しが起こると予想できるわけでも
ないが、それを期待している時には起こらず、
忘れた頃に何の前触れもなく起こるから驚き
唖然とするわけだが、そうなることを期待す
ると期待外れに終わってしまうから、そんな
ことは期待しないで、あくまでも現状の延長
上で起こりそうなことを予想したり予測して
おけば、そんな予想や予測から微妙に外れて、
外れたことの言い訳もそれなりにもっともら
しく思えるような結果がもたらされたと思っ
ていれば、気づかないところで別の何かが起
こっていて、それが思いがけず忘れた頃に意
外と深刻な作用や影響を世の中に及ぼしてく
るわけだ。

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彼の声 2024.6.3 「臆病風に吹かれて」

voice-163

 マジックの種明かしというと、なるほどと
思う反面、仕組みや動作がわかってしまうと
ちょっとがっかりするような反応を想像して
しまうが、それと同じことだとは思えないに
しても、これ見よがしにネタばらしをする人
が得意になっている心理状態もちょっと嫌味
な感じがしないでもなく、その場の状況やそ
れをやる事情やそこに至る経緯にもよるだろ
うが、その手の行為を嬉々としてやってみせ
る人には謙虚さが欠けているような気がする
のだが、それに関連して何か気になったこと
を思い出そうとして、いつものようにもう少
しというところで思い出せなくて焦ったくな
りながらも、そこから思考の方向を変えて、
嫌味な人とは違う傾向の何かを語ろうとして
いるのかも知れず、それもいつものように何
を述べているのか述べている途中の段階では
意図がよくわからないから、何を意図して述
べているいるわけでもないのかも知れないが、
そこで気になったことというのが、現実に起
こっていることがフィクションの中で語られ
ていることに先行しているのは当然と言えば
当然で、それがフィクションの種明かしやネ
タばらしに結びついても何の不思議もないわ
けだが、どんなにフィクションの中で荒唐無
稽なことが語られていても、そんなフィクシ
ョンを思いつくに至った原因となる現実の出
来事が特定されれば、興醒めとなるわけでも
ないにしても、なるほどと思う反面、ちょっ
とがっかりするような気分となるかならない
かは、そのネタばらしの内容にもよるだろう
が、逆にこれ見よがしとは感じられないよう
な現実に起こったちょっとした出来事の方が
興味深く感じられるかも知れず、そこからデ
コレーションケーキのようにして大げさな嘘
をてんこ盛りにして構成されたフィクション
の荒唐無稽さが際立たせる作者の誇大妄想が、
結構ありふれた陰謀論を連想させるようなら、
張子の虎というか、かえってみすぼらしい印
象を伴ってくるかも知れないが、しかもそれ
を利用して人々の関心を物事の本質から遠ざ
けるような意図が感じられるとしたら、その
物事とは何なのかについて興味が向いてくる
が、そこに興味や関心を向けさせたい側とし
ては、それによって世の中の常識をひっくり
返したいと意図するようなことかも知れない
が、どうしてもそれが何なのかがよくわから
ないわけで、そこに示されている物事をそれ
として認識できないとしたら、なぜそうなっ
てしまうのかについても説明しなければなら
なくなるかも知れないし、その説明が嘘っぽ
く思われるなら、それ自体を信用していない
ことになってしまうが、そんな不信感を抱か
せるような物事とは何なのかというところで
疑念が募ってきて、どうしてもそこから先へ
と一歩が踏み出せないわけだが、自分がその
先へと向かうのを躊躇しているとしても、そ
んな臆病風に吹かれて引っ込み思案の自分と
は違って、その先へと踏み込んでしまった人
が今後どうなるかにも興味があるから、否応
なく関心がそこへと向かってしまうわけだが、
それがそんなに大げさなことかと言えばそう
でもないようにも思われてくるから、何がそ
うでもないのかというと、実際に多くの人々
がそうなってしまっていることで、そうなっ
たからといって取り立てて何がどうなったわ
けでもないようにも思われるから、そうなっ
てしまった人々を悪く言う気にはなれないし、
逆にそうなるのを躊躇している自分の方がま
ずいのではないかとも思われるから、なぜ自
分がそうなれないのかについては原因も理由
もわかっているつもりだが、そんなことより
は優先すべきことがあるというと、そうなっ
てしまった人々を馬鹿にしていることになる
かというとそうでもなく、人それぞれでやる
べきことが異なるといっても、やるべきこと
をやらない理由もそれを躊躇する原因も違う
のも確かだが、やろうとしているのになぜか
それをやるのを思いとどまっている分だけ、
そこから一歩も先へと進めないと思っている
のが勘違いであるなら、たぶんそれとは別の
方向へと向かっていることに気づかないのか
も知れず、気づいてしまうと向かうのをため
らってしまうから、わざと気づかないように
しているわけではなく、むしろ一刻も早くそ
れに気づきたいのに、一向に気づかないのは
どういうわけなのかというと、意外と他の多
くの人々もそれに気づいていないのかも知れ
ず、気づいていないからこそ、多くの人々が
そこから先へと踏み込んでしまって、まさか
踏み込んだところが入ったら最後抜け出すこ
とができない底なし沼というわけでもないは
ずだが、とりあえず自分は頭の中で警告音が
鳴り響いているから、そこから先に踏み込む
のを躊躇せざるを得ないわけで、それが何に
気づいているのか自分ではよくわからないと
しても、そこで自分の勘を信じてしまい、実
際にその先へと踏み込むことを躊躇している
わけだが、果たしてこのままでも構わないの
かというと、たぶんその時期が来たらその機
会を捉えて直接の行動に出るような気もする
わけで、それが今ではないのかと絶えず自ら
に問いただしているわけでもないが、そうな
れば自然に動き出すような気がするから、今
はその時が来るのを待っていればいいような
気もして、それが勘違いである可能性も高そ
うで、本当に臆病風に吹かれてその機会を逃
しているのかも知れないし、そうかといって
それほど焦っているわけでもないというのも
嘘には違いないのだが、そんなことを思って
いるわけではなくても、気がつかないところ
で心身が何かに反応して、それなりの行動が
伴っているから今の状態があるような気もす
るだろうし、そういう面では極めて順調に事
が運んでいると思っておけばいいような状況
なのかも知れないが、それも実際にそうなっ
てみないことにはよくわからないわけだ。

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彼の声 2024.6.2 「血迷った実感」

voice-163

 単純に世間で信じられているらしいことを
そのまま肯定してみたり、あるいは逆説的に
皮肉な結果がもたらされるのを否定的に捉え
てみたりしても、本当のところはよくわかっ
ていないのだが、たぶん何となく確率的にそ
うなってしまう可能性が高そうに感じられる
から、それが確からしいとしか思えないよう
なことなのに、それに基づいてそうだと断言
してしまうと、何かそれが違うような感じが
してしまうのだが、そうだと断言してしまっ
て後には引けなくなってしまう成り行きもあ
りそうで、そうなってからしまったと悔やん
でも後の祭りで、後悔先に立たずな結果を招
いてしまうから、それが何かの罠なのではな
いかと、あくまでも不用意な断言をしてしま
った自分は悪くないと言い訳したくなってし
まうのかも知れないが、何を断言してしまっ
たのかといっても、今さらそれがわからない
では話にならないが、ごまかしようのないこ
とを不用意に言い放つのはまずいと思うが、
そういう不用意な断言をしそうなのが蓮舫と
いう人に絡みついて離れない世間的なイメー
ジなのかも知れないし、だからといって蓮舫
が馬鹿なのかというと、蓮舫の取り巻きやブ
レーンや神輿に担いでいる人たちの中にもそ
れなりに知恵者の助言者がいるかも知れない
し、人望がないわけではないだろうし、蓮舫
本人も過去に犯した過ちからそれなりに学ん
でいるだろうから、そうやって上から目線で
蓮舫を軽く見るのもちょっと違うような気が
してしまうのだが、そういうことよりは誰が
都知事になったところで、それなりにやれる
こととやれないことがあって、それは石原慎
太郎にも猪瀬直樹にも小池百合子にも同じよ
うにやれることとやれないことがあったのだ
ろうが、その延長上で蓮舫のやれることとや
れないことが他の保守的な支持層をバックに
つけて知事職を勤めてきた人たちや官僚あが
りの秀才馬鹿たちとは違うのかというと、少
なくとも蓮舫を支持している人たちはそれら
の人たちとは違うことができると期待してい
るだろうし、蓮舫自身もそういうことをやろ
うとするだろうから、何かと軋轢が生じるこ
とは目に見えているが、それが蓮舫が知事に
なっただけではそうなることが目に見えてい
るとしても、政権交代も同時進行で起これば、
だいぶ世の中の状況が変わる可能性が出てき
そうに思われるだろうし、そうなることも期
待して多くの人々が蓮舫を支持するのだろう
が、もちろんそれでも大多数の有権者は投票
にも行かないだろうし、表向きは無関心を装
うことも目に見えているだろうが、その程度
のことと言ってしまうと、他の個々の市民が
関心を持っていることもその程度のことに過
ぎないわけで、だからといって選挙を無視す
るわけにも行かないし、それよりは蓮舫が知
事になっては困る人たちの嫌がらせのいちゃ
もんつけに過敏に反応して、それらの人たち
を罵倒したくなってしまうから、そんな成り
行きにとらわれてしまう自らを愚かだと思う
反面、今はその程度の愚かさに塗れていても
構わないとも思ってしまうのだから、なぜそ
う思ってしまうのかもよくわかっていないの
ではなく、わかってはいるがそれを言わない
方が無難なような気もするから、それを言語
化するのはこれから起こるだろうことが一通
り起こって様々な物事が一段落ついてからで
もいいような感じなのかも知れず、そんな一
連の過程の中で今起こっていることもその出
来事の一部として進行中だと思うしかなく、
だから取り立てて蓮舫がどうだとか言いたい
わけでもないのだが、それを肯定も否定もし
たくはない代わりに、それに関連して何が起
こるかに関心がないわけでもないが、もうす
でに起こりつつあることとしてそれが起こっ
ている最中だから、それに関心を持っている
のかも知れず、それもうまく言語化できない
ようなことであるから、無理にそれについて
述べようとすれば、否応なく的外れなことを
述べてしまうかも知れないし、それでも構わ
ないのかも知れず、そうならざるを得ないこ
ととして適当に勘違いなことを述べるなら、
ネトウヨや統一教会をはじめとするクズでゴ
ミな人たちが世の中から一掃されて、世界が
良心的な左翼やリベラル一色に塗りつぶされ
るわけではないが、それを左翼だともリベラ
ルだとも思わない人たちが主流な層を構成す
るような世の中が到来しかかっていると言え
るのかも知れず、では現状で主流な層を構成
している保守的な傾向の人たちがどうなるの
かというと、すでに跡形もなく消失しつつあ
る最中だと認識できるかというと、誰もそう
は思っていないだろうしメディア上でも相変
わらず保守派が幅を利かせているように装わ
れているのだろうが、それが装われていると
も思っていない人たちが世の中の多数派を構
成しているようにも感じられるだろうし、そ
う感じられること自体が意識の空洞化に気づ
いていない証拠であり、もちろん空洞化して
いるのはそれらの人たちの意識であると共に、
それらの人たちの生活そのものでもあるから、
そんな生活に十分に慣らされているから何と
も感じないのだが、たぶんそれが二千二十年
代から顕著になったことでもあり、世界的な
流行現象の中でそんな傾向が顕著になってい
るのに、それに気づかせないように、どちら
かと言えばそちらの方へと大半の人々の関心
が集中する成り行きになったからこそ気づか
ないような都合の良い結果をもたらしたのか
も知れず、だからそのおかげでネトウヨや統
一教会のアホな野望や目論見が脆くも崩れ去
ったと見るのもまだ早計だが、果たして本当
にこれから左翼やリベラルの天下になるかと
いうと、まだ誰も信じないし、本当にこれか
らそうなっても誰も信じないだろうが、それ
を信じさせないようにしているのが蓮舫如き
に目くじらを立てるメディアやそこに登場す
るクズでゴミな人たちの馬鹿さ加減や頭の悪
さだと言い放つ勇気も愚かさも持ち合わせて
いないが、そんな気がしてしまうのも一時的
な気の迷いが招いた自らの無神経さだとも思
えないわけだ。

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彼の声 2024.6.1 「資本主義と経済成長」

voice-163

 それについて現状でわかっていることが自
分にどう絡んでくるとも思えないなら、自分
が当事者ではなく第三者的な立場になってい
るのかというと、何をわかっているかにもよ
るだろうが、少なくとも自分がその件につい
ては当事者ではないとしたら、もしかしたら
第三者的な立場でもないのかも知れず、それ
でも何を傍観しているとも思えないし、少し
はそれについて言及しているのだから、ちょ
っとだけ関わりがありそうな気もするのだが、
当事者でも第三者でもなければ傍観者でも野
次馬でもないのかも知れないし、無関係なの
にそれについて語るのかというと、たぶんそ
れについては語らずに他の何かについて語っ
ているのであり、それが資本主義だとか経済
成長だとかとは無関係なら、では何について
ちょっとだけ語っているのかというと、例え
ば人の心理状態について語っているとしたら、
それがちょっとだけ気になるから何となく語
っているつもりなら、それとこれとを強引に
結びつけようとすれば、例えばAI機能を伴
った人の心理状態を読むような会話システム
があると想像して、果たしてそれがどうやっ
て経済成長をもたらすのかと問うなら、何や
ら荒唐無稽なことを妄想しているような気も
するわけで、それだけでは何の経済効果も期
待できず、もちろんそれだけでは効果が期待
できないから、わざわざAI機能がどうたら
こうたらと詐欺的な人を騙すようなことを述
べようとしているのかも知れず、それが経済
成長とどう関係してくるのかといっても、そ
れが売買や貸借などの経済活動に結びついて
くれば、結果的に経済成長をもたらすかも知
れないし、果たしてそれらの経済活動が活発
化する必要があるのかといっても、他人が何
を買おうが売ろうが貸そうが借りようが、そ
んなことにはそれほど関心がないというか、
それが自分に直接関係してくることなら、嫌
でも場合によっては関心を向けざるを得ない
だろうが、たぶん人の事情や経緯が許す限り
で必要に応じて経済行為や経済活動が行われ
ればいいことであって、経済成長そのものが
必要というわけではなく、結果的に経済活動
が活発化して経済成長がもたらされるならそ
れでも構わないだろうが、必要もないのに人
為的に経済成長を促すようなことをやらざる
を得ないのかといっても、それは本末転倒の
ようなことなのかも知れず、だとしても政治
宣伝としては人気取り目的でそんな構想をぶ
ち上げてみたりしながら、何かやっているよ
うに装わざるを得ないだろうから、そういう
ところを見透かされている面もありそうなの
だが、では本当のところは何をやればいいの
かといっても、そこに参加する人や団体が納
得できるようなルールを設けて、そんなルー
ルから逸脱することをやっている人や団体を
取り締まればいいだけのような気がするのだ
が、それも言うのは簡単で、ルールを設ける
のもルールを破った人や団体を取り締まるの
は簡単ではないわけだから、そういうことを
ちゃんと実行できるかどうかで良し悪しを判
断してほしいわけで、政治や行政などができ
るのはその程度のことだと思うが、それも政
治宣伝がしたい側としてはできないことまで
できるかのようなことを言わないと宣伝にな
らないわけだから、あることないこと織り交
ぜて勝手にできるかのように宣伝するだろう
が、確か十年近く前にピケティが自著の中で
述べていたことを思い出すなら、資本主義経
済が進展して行って成熟するにつれて、国民
総生産などの経済成長から得られる収入より
も、利子や家賃や株配当などの金融的な収入
の方が上回ってしまい、そこに資本主義経済
の限界があるというようなことを述べていた
ような気がするのだが、それに関してはアメ
リカなどは勝手に移民が流入してきてしまう
から、それによって持続的な経済成長が実現
するような皮肉な結果がもたらされている一
方で、そうやってアメリカに人口を奪われ続
けるグローバルサウスの国々では、なかなか
貧困から抜け出せないような不条理に直面す
ることになるのだろうが、それらの貧困国が
絶えず移民を出す政情不安の原因が何かと言
えば、民主主義が根付かないことにあると同
時に、資本主義経済が汚職の蔓延や貧富の格
差をもたらすから、そうなるのも当然の事態
なのだろうが、では日本の現状はどうなって
いるのかといえば、移民の流入が少ないから
人口減が続いていて、資本主義経済も成熟し
ているから経済成長から得られる収入よりも
金融的な収入の方が上回っているのかという
と、その辺の詳しいところはよくわからない
のだが、政府が新NISAなどを活用して投
資を煽っている方面では、金融的な収入を得
ようとするように仕向けていることは確かな
のかも知れないが、実際に一般の民衆が株式
投資などによって収入を得られるかというと、
持続的に右肩上がりに株価が上がって行けば
得られないこともないのだろうが、少なくと
も投資するだけの資金がない人には無理なこ
とかも知れないし、借金をしてまで投資しな
ければならないかというと、大抵は破滅や破
産が待ち受けているのかも知れないし、その
辺のところも今ひとつ政府の煽り立てを信用
できない人も多いかも知れないが、そういう
意味では無理をしてまでやらなくてもいいこ
との部類に入ると思っておけばいいようなこ
とでしかないし、狙って経済成長を目指した
り少子高齢化を食い止めるために何やら無駄
な悪あがきのようなこともやるしかないのだ
ろうが、やっていることの大半は人気取りの
政治宣伝の一環に過ぎないと思っておいても
差し支えなく、実効性の不確かなことしかで
きないと政治や行政の限界を織り込んでおけ
ばいいことかも知れないが、その一方で最低
限の選択肢としては金権腐敗政治をなくそう
と努力する勢力に選挙の際には投票しておく
のも無難なところなのかも知れない。

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彼の声 2024.5.31 「差別の温床」

voice-162

 たぶんそれがおかしいことは誰もが気づい
ていて、彼らが述べている内容の中で何かが
間違っているのは確かなのだが、その全てが
間違っているわけではなく、少しは正しいこ
とも述べられているのは確かだとしても、な
ぜそういうことを言わなければならないのか
が謎ではなく、わかっていることを正々堂々
と述べるのが憚られるわけでもなく、実際に
正々堂々と述べている人の態度が正しいかと
いうと、それが間違っているとは言えないが、
それもたぶん正々堂々と述べるのをためらっ
ている人たちが述べていることの中に、誰も
が知っている嘘があって、それを言うのをた
めらう理由が間違っているわけではなく、そ
れらの人たちにそれを言わせないようにして
いる何かについて正々堂々と述べなければな
らないとは思えない理由ともなっていて、そ
れを誰かに見透かされていることも確かなの
だが、その誰かというのがはっきりと名指し
されているかというと、それが誰もが知って
いる名前であって、実際にその人をあからさ
まに差別することが憚られるにしても、それ
をためらっている人たちもその人を実質的に
は差別しているのであり、立場上差別せざる
を得ないというか、そんな立場など世の中の
どこにもないとは言えないものの、それもあ
からさまにそんな立場から差別していること
を公言するわけには行かないだろうから、直
接には差別に結びつかないようなことを述べ
ているのだろうが、何だかそれがそんなこと
を述べている理由がよくわからない話の内容
になっていて、わからない人や興味のない人
にはそれでも構わないような話の内容だから、
それで済んでしまうようなことであるにして
も、本当にそれで構わないのかというと、中
にはそれに対して正々堂々と正論のようなこ
とをこれ見よがしに言い放つ人も現れるから、
それがメディア的な著名人なら、その人の支
持者のような人たちがそんな正論の類いを支
持したり賛同したり同調するわけだが、それ
で一件落着とはならないし、執拗に差別的な
嫌がらせのような内容を延々と述べ続ける人
もそれなりにいて、そういう人の中にもメデ
ィア的な著名人の類いが含まれてくるから、
何か嫌な感じがつきまとってくるわけだが、
そういう立場にその人をとどまらせているの
が、そういう人を何かと重宝して起用してい
るメディアそのものでもあるから、メディア
そのものがその種の差別の温床となっている
ことも誰もが承知していることでもあるから、
そんなメディアは信用していないし、信頼し
ていない人もいくらでもいそうなものだが、
そんなことにしかこだわる対象がないのも、
それも誰もがわかっていることではあるわけ
で、要するにそこで語られている内容を真に
受けてはならないと誰もが認識しているとい
うか、一応は理解してはいるのだろうが、特
にそれを気にするようなことでもないから、
そんな差別的な話題など受け流しておけばい
いわけだが、気にしないし何でもないことだ
と思っていても、メディアの事情としてはそ
れをやめないわけには行かないというか、意
識してやめようとしないわけではなく、それ
どころかいつやめても構わない程度のことと
して継続しているような成り行きにとらわれ
ているとしか感じられないようなことでもあ
るから、惰性で続けていることでしかないに
しても、少なくとも商品の宣伝の合間に無駄
話をやっているようなことでしかないのだろ
うが、果たしてそんな無駄話や世間話程度の
内容がそれほど世の中に無視できない影響を
及ぼしているのかといっても、誰もそんな影
響など感じていないような気はするが、そん
な暗黙の差別を前提とした無駄話や世間話の
類いが許されているのだから、そこに多くの
人々が共有している共通の価値観というか良
識という名の差別意識のようなものが反映し
ていると見るしかないし、そんな内容を嬉々
として語っている著名人の良識が問われてい
ると正義感丸出しで言い放ちたくなってしま
うのを思いとどまりながらも、そんなふうに
語ってしまっては相手に真意が伝わらないわ
けではないにしても、それを思いとどまって
しまう真意が何なのかも自分にはよくわから
ないのだが、何かそういうところで正々堂々
とあからさまに真正面から差別は良くないと
は主張できないし、それとは別の方面から差
別以外のことを問題視したくなってしまうし、
それが何なのかといっても、相変わらず政治
的な内容や経済的な事情などが含まれてくる
のだろうが、少なくとも行政的なシステムの
中で動いている案件や業務の一環として、公
園の樹木や街路樹を切ったり植え替えたりす
る作業が民間の業者に委託されているのだろ
うが、それが公共の土地ではなくても民間の
私有地でも、景観を保全する法律が施行され
ていて、歴史的に長期間にわたって維持され
てきたのを再開発のためになくしてしまうこ
とには付近の住民でなくても抵抗感を伴うよ
うなことだから、そういうところへと行政が
介入して景観を保全するような成り行きに持
って行きたくて、開発を容認するような事の
進行や進展に待ったをかけたいということな
のだろうが、それだけが政治的な争点なのか
というと、それとは違う方面から何やら色々
と差別を暗黙のうちに含んでいるようなこと
を言いたい人たちが、開発を推し進めたい勢
力の味方をするような傾向を示しているから
それを問題視したいのだろうが、もちろんそ
の他にもそれとは別の方面からも、一見きれ
いごとを主張している人に対して、その人の
実態がそうではないことを言いたい人もそれ
なりに絡んでくるから、結果的には面倒でや
やこしい事態がもたらされているわけだ。

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