彼の声 2024.6.9 「公正なやり方」 | 彼の声

彼の声 2024.6.9 「公正なやり方」

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 行政がやらなければならないことは公正で
なければならないと思いたいが、公正とは何
かというと、特定の人や団体を利するような
ことをやってはならないという理由を持ち出
してそれを説明できるかというと、すでに社
会の中で不利な扱いや境遇となっている人や
団体が存在するなら、積極的に行政がそうい
う人や団体を助けるための制度を設けたり法
整備して優遇すべきなのだろうが、それを不
公正だと糾弾するようなことをやるのが、そ
ういう人や団体を実際に不当に差別したり迫
害して社会の中で不利な立場へと追い込んで
いる一般的には差別主義者と言われる人たち
だが、そういう差別主義者をやっつけること
によって正義の味方を装えるとしても、果た
してそんな正義の味方的な立場が社会の中で
恒常的に成り立つかというと、成り立つとし
てもそんなやり方だけでは主流派にも多数派
にもなれないし、主流派からも多数派からも
全面的な支持や賛同を得られないが、では主
流派や多数派から支持や賛同を得られている
勢力とはどんな勢力かというと、結果的には
支持や賛同を得られていることになるだろう
が、支持や賛同を得ることが主な目的ではな
く、主流派や多数派を利用してあるいは客と
して取り込んで、商売を行うことが直接の目
的になるなら、少なくともそういうことをや
っている人や団体が正義の味方である必要は
なく、ただの営利目的の企業であっても何の
不都合も不思議もないだろうが、そういう営
利目的の企業と行政が天下りや贈収賄などに
よって癒着しているとなると、そんな行政は
著しく公正さを欠いていると言わざるを得な
いが、もちろん差別主義者と言われる人たち
がそんな行政や企業を糾弾するわけがなく、
どちらかと言えばそんな差別主義者をやっつ
けようとしている人たちが、同じようにして
そんな行政や企業も糾弾するわけで、そうな
ってくれば敵対関係や協力関係がはっきりす
るだろうが、実際には単純にそうなっている
わけではなく、差別主義者の側でもわかりや
すい単純な差別主義者の他にもそうは見えな
い差別主義者とは言えないようなわかりにく
い人たちまでいるわけで、中には単純な差別
主義者を糾弾する差別主義者までいるわけだ
から、どういう基準で差別主義者とそうでな
い人たちを区別するかで、はっきりした納得
できる基準を設定できないようなところで、
何やらもっともらしい主張を持ち出してくる
人までいるから、それらの人たちを差別主義
者だと一概に決めつけること自体が逆に差別
を助長していると主張して、差別主義者をや
っつけると称して正義の味方を気取る人こそ
が逆説的な意味で差別主義者だと糾弾されて
しまうかも知れないから、そんなふうに事態
がこじれてくるところでは、あまり差別主義
者であるかないかで正義の有無を判断するの
は得策ではないことにもなりかねないが、他
にも様々な価値基準やそれに基づいた判断が
ある中で、何を優先させればやっていること
の公正さを保てるかとなると、やっているこ
とに関わってくる人たちがそういうやり方に
納得できるか否かということにもなってくる
だろうが、それがずるいやり方とか悪どいや
り方のように感じられるなら納得できないと
いうことになるはずだが、果たして誰もが納
得できるような公正なやり方によって利益が
得られるかというと、直接そこに関わってい
る関係者の間では誰もが納得できるとしても、
直接関係のない部外者から見ると著しく公正
さを欠いたやり方というのが談合的なやり方
になるのは確かだろうが、放っておくとそう
いうやり方が横行してしまうのが行政の欠陥
と言えるかどうかも、社会の中で民主的な価
値観がどれほど行き渡っていて、そこに制度
的な裏付けもあるかどうかがものを言うのか
も知れず、そういうところからその地域を統
治する行政の体質に応じた社会の成熟度が測
られるというと、誰がそれを測っているわけ
でもなさそうだが、ただ漠然とその地域に暮
らしている民衆の実感となって返ってくるだ
けかも知れないが、それもメディアがそうい
う実感を民衆に向けて返してくるようなら、
そういうメディアは良心的なメディアだと言
えそうだが、そういうメディア上で糾弾され
るのが果たして特定の個人や企業に利益供与
してその見返りを受ける政治家や官僚になる
かというと、そんな不公正なことが横行して
いる中では、そういうことを積極的に報道す
るのがメディアの使命であってほしいだろう
が、それだけがメディアの使命ではないとい
うなら、別に使命と言えるようなものがあろ
うとなかろうとメディアが成り立っている範
囲内で、行政や癒着している企業や政治家や
官僚がメディア上で糾弾される必要はないと
は言えないにしても、不公正なやり方が社会
の中で横行していようとそれが無視されても
構わないかも知れないが、それによって不利
益を被る人や団体などが当然の権利として裁
判に訴えたり行政に対して不服を申し立てて、
そういう成り行きをメディアが報道すること
になるならそれで構わないはずだが、それを
意図的に無視して報道しないメディアがある
とすれば、そんなメディアの報道の仕方が不
公正だと思われるだろうし、そういうことか
らそれが不公正だと感じられるやり方なら誰
もが明らかになる限りでそれとすぐに気づく
はずだが、それとは逆にそれが公正なやり方
だと誰もが気づくかというと、不公正なやり
方がメディア上で糾弾されれば、そうではな
いやり方であれば公正なやり方だと見なして
も構わないかといっても、ただ単に世の中で
まかり通っているやり方が果たして公正なの
かどうかということについては、それほど意
識できないのかも知れないし、とりあえず許
容されているやり方の中には、時と場合によ
っては不快感をもたらしたり納得できなかっ
たりするやり方も結構あるわけだが、それを
どう判断するのかといっても、すぐにもっと
もらしい理屈や論理や理論を持ち出してきて
やり方の公正さを強引に主張するのもちょっ
と違うような気がするわけだ。

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