彼の声 -687ページ目

彼の声 2006.1.2

人は誰でも歳月を過ごすことによって、
何か適当な幻想を抱くようだ。
老いの自覚を否定すべきではないが、
誰にも一応はプライドというものがあるらしい。
くだらぬこだわりを心のうちに秘めながら、
必死でつまらぬ言葉を並べている。
今はある日の夜で、
そこで君はある文章を読んでいる。
それは自らが記しつつある文章で、
言葉を連ねながらそれを読んでいる。
そんな当たり前のことが不可思議に思われる。
それからしばらくして眠たくなり、
気がつけばまたいつもの現実に引き戻されている。
さっきまで何を説明していたのだろうか。
それはいつもの冗談かも知れないが、
それらの文章では現状を説明しきれていないような気がする。
今ひとつわからないことがあるようだ。
なし崩し的に現在の日付に近づこうとしているらしい。
最終的に何を望んでいるのか知らないが、
そんな見通しは甘すぎる。では何をうろたえているのだろう。
言葉は何の効力も発揮しない。
そこで何をあきらめているのだろうか。
試みは無駄であることを自覚している。
君は何によって鍛えられているのか。
無駄な試みを繰り返すことによって何を得ているのか。
わかっているのにわからない風を装い、
疲れていないのに疲れた風を装い、
何を述べているかもわかっているはずか。
そうする意図がわからない。
自らの存在を否定すること以外に、
まともな主張を述べたことがあるだろうか。
それがまともでないことはわかっている。
今日は何曜日なのか。
今年は西暦で何年になるのだろう。
この世のすべてが滅び去るのはいつになるのか。
その時が来るまで死は待ってくれない。
今から何十年か後に誰がその死を迎えるのだろうか。
明日は誰が死ぬのだろう。
誰も死ぬつもりはないらしい。
君はまだ生きようとしている。
生きようとしているから
言葉の連なりの中に自らの名を探し続けている。
しかしそんな嘘が文章のどこに記されているのだろうか。
それで何を否定しているわけでもなく、
否定できないことを否定しているわけでもないらしい。
君は何を否定できないのかを知らないから、
平気でその手の嘘を見過ごしてしまう。
それがどんな嘘であろうと、
つまらない嘘をわざわざ記すほど面倒なことはない。
そしてさらに気分的にはどうでもよくなってくる。
今はもう夢の中かも知れないが、
明日の天気を占うつもりはない。
投げやりな言葉が連なっているだけか。
それでも馬鹿げた幻想に浸りながら、
前向きな人生を歩んでいる。
たぶん冗談で皮肉交じりに
そんなことを述べているのかも知れない。
何がそこで衰えているのだろうか。
若くして獲得されたアイデンティティは、
年月の経過にともなく摩耗作用によって、
次第にそれを保持するのが困難になってきて、
何となくそういう状況に危機感を抱くようになるらしく、
それを紛らすために
時として突飛な行動に出る者もいるようだ。
それが今この時なのだろうか。
それが冗談でないとすると、
何を本気になって今からやろうとしているのだろう。
誰もが好き勝手なことをやりたいらしいが、
それが本当にやりたいことだったかどうかは、
当人の思い込み次第だ。
君はそこで思いがけない効果が発動することを
期待している。
やりたいことがやりたくなったことだ
という真実を認めがたいようだが、
どこで心変わりしたかは、
誰の知るところでもないらしい。
本当にやりたかったことなどどこにもありはしない。
夢を叶えようとする傲慢さがもてはやされている今、
それが思いがけない軋轢を生じさせていることを
知っておかなければならない。
たぶんそういうごり押しによって迷惑を被り、
嫌な思いをしている人が多数存在していることが
忘れられていて、
他人の夢によって
好き勝手に生きることを断念されられている人が
大多数を占めている現状が、
社会を荒んだ状態にしているのかも知れない。
ひとにぎりの成功者を崇め奉るような風潮が
続いてゆく限り、
人々は自らの夢を追い求めて
好き勝手に振る舞おうとするだろう。
そして夢に破れ挫折した者たちが、
ひねくれたり復讐心をたぎらせたりして、
他人に対する嫌がらせのようなことをやりたがるわけだ。
しかしそんな単純な論理だけで生きて行けるのだろうか。

彼の声 2006.1.1

それらの試みには計画性がない。
なぜいい加減に言葉を求めるのだろう。
それはおかしな状況ではなく、
通常ではありもしない状況だろう。
どんなに文章を記してみても、
君が気に入るような言葉はどこにも見当たらないようだ。
言葉のゴミが大量に廃棄されている。
あともう少しでやり遂げられるのに、
そこでまるで図ったかのようにいつもの邪魔が入る。
少しタイミングがよすぎるようだ。
だが見えているのはそんなことではない。
そこに何か適当な意味がもたらさせるが、
物語は始まる前から終わっている。
何かを語り始めようとする意欲に欠けている。
君では役不足なのか。
そういうことを主張したいのではない。
今から数時間前には何を眺めていたのだろう。
樫の木に絡まっていた蔦は、
根元から切られて枯れてしまったようだが、
窓際の雑草はまだ枯れずに残っている。
文字がどこかに記されているらしい。
影はそこからどんな展開を望んでいるのか。
無意識をどう活用できるだろうか。
そこで何を予知していたのか。
そんなことはどうでもいいことだろう。
いつどこで地震が起ころうと、
過去の時空に存在している限り、
君にはまったく関係のないことだ。
自意識と何も関係を築けないのは
虚しいことかも知れないが、
そこから未来の時空に移動して、
誰の気持ちを推し量ろうとしているのか。
年が明けても何の展望も開けない。
去年の段階でまだやり残したことがある。
だが今さらそれを未練がましく蒸し返すつもりはなく、
そんな成り行きを無視して、
真昼の空を見上げれば、
相変わらず雲は西から東へ流れ、
日の光が作る陰影を刻々と変化させている。
たぶん君は何かを語りたいのだろうが、
思いつくことは何もなく、
退屈な日常に埋もれながら怠惰に流され、
そんな状況を無理矢理肯定しようとして、
もう何も思うまいと心に固く誓っている。
そんな虚無的な日々も終わりが近いようだ。
そんな根拠のない予感が思い違いであることを肯定できず、
苦し紛れの助け船も出てこないようで、
結局どうにもならない現状を悲観して、
どこか遠くへ行ってしまいたくなる。
そこから逃げられるわけがないだろう。
逃げるつもりもないのに、
逃げるふりをするのは欺瞞もいいところか。
逃げ込むあてなどどこにもありはしない。
相変わらずの退屈なテレビ画面の中へ、
気晴らしの意識を向けさせるのにも飽きてしまったらしい。
言葉を連ねるのが嫌になってしまったのだろうか。
気を取り直してそこから逸脱しようと試みるが、
壊れたままの頭脳が回復する兆しは見えず、
それでも強がり痩せ我慢的に振る舞うのにも
疲れたらしいが、
また同じようなことを述べている自らを
見放すことができず、
なぜそこまでやる必要があるのかわからないが、
結果的に何をやっているわけでもないことにしたいらしい。
それで何を打ち消そうとしているわけでもなく、
ただ何かしらつまらないことを述べているようだが、
やはり何を述べているわけでもないような気がするだけだ。
だがそこから何も述べられないわけでもないだろう。
何となくそんなことを述べているのであり、
そんな君は意味不明に毒されているといえるだろうか。
たまには意味のある文章を構成してみたいか。
だが依然として何を述べたいのかが明らかになっていない。
それは無理だろう。
何も述べたくないのかも知れないが、
何かしら述べている事実を受け止めなければならない。
なぜ君はそんな風に述べてしまうのか。
何となくそこからわけがわからなくなってくる。
つまらないことを述べているのだろう。
つまらないから嫌気が差す。
やりたくもないことをやっているのではないか。
やりたいことが見つからないのか。
そんなことを述べている場合ではない。
では老いて朽ち果てるのがそんなに嫌なのか。
当たり前の現象に逆らうのは馬鹿げている。
それは誰の興味を惹くような現象ではない。
それが無理なことはわかっている。
何をどうすれば無理ではなくなるのだろうか。
黙っていては何もわからないが、
沈黙に支配された状況の中で、
言葉を発することが苦痛であるのは当然だ。
だからそこで沈黙せざるを得ない。
どうも何も変わっていないらしい。
何か不具合でも発生したのだろうか。
ようやく今年になったのに、
また足止めを食っている。
そこからいくらでも語りたいのなら、
さっさと語ればいいだろうが、
語れないのに語れるわけがないだろう。

彼の声 2005.12.31

どこかで泡を食っているらしい。
蟹ではあるまいに、
そんなに泡を吹いても
てんかん発作を装うこともできず、
ただ洗濯機のふたを開けてのぞき込んでいるだけか。
別にそこから遠ざかろうとしているわけでもない。
精神状態が危ぶまれるかも知れないが、
どうあってもそれをやり遂げなければならないらしい。
それは馬鹿げたこだわりだろうか。
何となく割り切っているようだが、
その程度のものなのだろうか。
何に目覚めたのかわからない。
やる気とはそういうものではないはずか。
そういうものではないとすると、
どういうものなのか。
そんなことを知ろうとは思わない。
なりふり構わずに言葉を記しているつもりらしいが、
そこにどんな計算が働いているのか。
どうせ忘れ去られてしまうのなら、
せいぜい適当に現実と戯れた方がいいわけか。
君はそんな現実を知らないのだろうか。
わけのわからないふりをするのもわざとらしい。
寝たふりをしているわけでもなかったようだ。
影はまだ長い。
それが何を意味するかは誰の想像にまかせればいいのか。
君は本当に何もわかっていないようだ。
わかりようのないことを知ろうとしているわけでもない。
冗談からは程遠いそれらの言い回しを、
どのように受け止めればいいのだろう。
感性はとうに擦り切れて、
何の出がらしでもなく、
残滓さえ残っていないような気がしたのだが、
まだ紅茶でも飲むつもりらしい。
君にはそれがわからない。
どこで語り方を間違えてしまったのか。
そんなわけにはいかないだろう。
初心を忘れべからずといっても、
何を忘れてしまったのか覚えていないではないか。
他に何を思い出そうとしているわけでもなく、
それはそのときの成り行きと運命が定めるところのものか。
ただわけがわからない。
そこから遠ざかりすぎているのかも知れず、
そこへ近づきすぎているのかも知れない。
しかしそんな矛盾はありふれている。
いわんとしていることが不明確だ。
それで一通り何かを述べたつもりになっているようだが、
まだ何も述べていないような気がするのはどういうわけか。
それが実感なのだから仕方がない。
決して紛れもない嘘だとは思わない。
ほんの少しでも事実の欠片を感じ取ったら、
それを限りなく膨らませて、
ありふれたフィクションでも構成してみたいのか。
しかしそこからどうやって戻ってきたのだろうか。
まだ夢の中でもがいている最中ではなかったのか。
誰がそうしているのか。
誰も見当たらないのは君が闇の中にいる証拠だろうか。
まだそんなことを述べている。
いい加減にまともなふりをしてみたらどうか。
正気を取り戻したことを高らかに宣言してみたらどうか。
それこそ狂気の沙汰か。
言葉遊びに限りはないようだ。
有限の言葉を使って
無限であるように見せかけているつもりらしい。
何がそこでの無限なのか。
冗談も有限の範囲内にとどまっている。
君の愚かさが無限大だと自身を卑下してみたいか。
つまらない冗談はやめにしよう。
どうやってもそれを超えることは不可能だ。
言葉を超えて文章を構成することはできない。
それは何かの勘違いに違いない。
そんな言い草はないだろう。
誰と誰が対話しているのかわからない。
本気にならなくてもその程度のことは可能だ。
君は本気という状態を知らないだけか。
そんなことを述べているうちにもう飽きてきた。
次第に眠たくなってくる。
ではそれで今回はお終いになってしまうのだろうか。
わけのわからないことを述べすぎている。
いい加減に振る舞いすぎている。
馬鹿げたことを述べすぎている。
だがそれがおもしろいのだから仕方がないだろう。
そういうやり方は好ましくないが、
それでもまだ嫌気が差していないとすれば、
それは恐ろしい忍耐力を想像させる。
たぶんそれらの精神は狂っているのかも知れない。
君はそう述べて誰を脅しているつもりなのか。
それともまだ先が長いことを暗示させたいわけか。
そんな嘘は聞き飽きたか。
まだ何も聞いていないような気もするが、
そのとき何を思い浮かべていたのか忘れてしまったらしい。
意識のどこかがおかしいのかも知れないが、
それでもそれを利用しない手はないと思いつつも、
それらの文章が誰に利用されているのかは、
君には知りようのないことかも知れない。
たぶん知らない方が身のためだろう。

彼の声 2005.12.30

無理してかなり粗雑なことを述べているようだ。
馬鹿げていることに変わりはない。
冗談にも程があるが、
本気で冗談を述べるほど野暮でもないつもりらしい。
本当のところはわからない。
よみがえってくるのはゾンビなどでなく、
不死身の肉体でもない。
何がそこでよみがえっているのか。
本当のところはよくわからない。
どうでもいいことをわかっても仕方がない。
肝心なことを忘れてもらっては困るらしい。
はたして君の目的は何なのか。
知りたいのはそんなことではない。
それは何なのだろうか。
忘れた頃に過去の記憶がよみがえるが、
それはゾンビなどではない。
同じことを何度述べれば気が済むのだろう。
もったいぶらずに君に教えてほしい。
それは君ではない。
何かがこんがらがっているのかも知れない。
もう二度と過ちは犯すまい、
と心に誓ってもそんなことはすぐに忘れてしまう。
それは誰のための犯罪でもない。
フィクションの中でつまらぬ出来事が繰り返されているだけだ。
しかし本当に知りたいのはそんなことではない。
わざと間違えているのだろう。
そんなに過ちが続くはずがない。
誰に脅しをかけてくるのだろうか。
電話の主を知りたいわけではないが、
そこでにやけているのは君ではないらしい。
無言電話は執拗に繰り返され、
やがてそれが直接的な暴力にでも発展するのだろうか。
現代人の行動パターンにはそういう傾向があるようだ。
それでも君の匿名性は保たれる。
やはり冗談ではないのだろうか。
今こそ目を覚ますべきなのか。
目を覚まして何をすればいいのだろう。
夢でも見てみたらいいのか。
そんな冗談が誰に通用するはずもなく、
伝達すべき言葉をなおざりにしてしまう。
だからまともな文章が必要なのか。
だが今さらそんなことを述べても無駄だろう。
予定調和を目指して言葉を構成することに、
えもいわれぬ快楽を見出そうとすれば、
それは自らが正気でない証になるだろうか。
それこそ言葉の無駄だろう。
何を出し惜しみする必要があるのか。
まさかそこであきらめてしまうわけにもいかないか。
だからこうして言葉を連ねているのだろう。
だがそんなわかりきったことを今さら述べないでほしい。
また背中が痒くなるだろう。
それこそ意味不明の最たる表現だ。
言葉の単調さを何で紛らわせばいいのか。
次第に虚無が重さを増してきて、
支えきれなくなって発狂したらおもしろいか。
誰のことを述べているのでもないらしい。
何をおもしろがっているわけでもなく、
それらの言葉を誰に捧げようとしているのでもない。
ただそこには何もないだけか。
何もないからつまらなくなり、
たぶんその辺で苦しくなってしまうのだろう。
何かがスピンしているらしく、
そこから正気がはじき出され、
残っているものを認識できなくなり、
要するに何も述べられなくなるというわけだ。
かなり馬鹿げているだろうか。
君にはそれが認めがたい。
そんな成り行きは嫌いだ。
だがそこで空虚な爆発を繰り返しても仕方がない。
わざとらしすぎることはやるべきではない。
しかしやるべきことをやってきたわけでもない。
ならその先にどんな展開を用意すればいいのか。
夢見る瞳に虚無を垂れ流すわけにもいかない。
夢想の妨げになるようなことは述べるべきでない。
幻想の丘から転げ落ちるように駆け下りてくるのは、
誰のリアリズムでもなく、
その逃走の道筋を示しているのもリアリズムではない。
誰が指し示しているのでもない領域へ飛翔できるはずもなく、
説明に値するような現象のただ中に存在するわけでもない。
やはりそれはどうでもいいような出来事なのか。
骰子を転がして、
それをどんなきっかけにしたいのか。
見えているものを違う見方に従わせようとしているようだが、
そんなことがはたして可能だろうか。
単なる言葉の言い換えになってしまうような気がする。
成功という邪念を振り払い、
結果的に何が見出されるわけでもない領域に
踏みとどまることができるだろうか。
誰がそれをやろうとしているのか。
ため息交じりに暗澹とした未来を想像する。
来年の今頃はどうなっているのだろう。
まだ正気に戻っていないかも知れない。
そんなのは嘘だとは思っているようだが、
どんな精神状態が正気を体現しているのか疑問に思う。
君はそこから何を導き出そうとしているのだろう。

彼の声 2005.12.29

何がそうさせるわけでもなく、
ただ言葉を連ねているだけだ。
言葉は無限にあるらしい。
根拠など何もない。
見つめている先にはブラインドが降りているだけだ。
偽りの暗闇は蛍光灯の明かりに滅ぼされる。
そんなはずがない。
足もとがおぼつかないのは老いた証拠かも知れないが、
それは誰のことを述べているのでもない。
何を承知しないのか。
そうなってしまうことを認められないようだ。
禁止薬物の力を借りているわけでもない。
正気のふりをするのに疲れただけだろう。
君の意識からはまともな言葉を見出せない。
そうなってしまうことに
嫌悪感を抱いているのかも知れない。
他人は何を糧として生きているのだろうか。
別に他人の心配をしているわけでもなく、
自分の心配を怠っているわけでもない。
そんな言葉がどこにあるのか。
基本的な構文を忘れている。
ただ怠けているだけだろう。
意味不明な怠惰に流され、
ろくでもない他人のこだわりに振り回され、
それが何かの妨害工作であるような気もしてくるが、
本気になれるわけがない。
それはあり得ないことかも知れない。
先を急いでいるつもりが後戻りをしている。
わざとそうしているのだから救いようがない。
なぜそんなことにこだわるのか。
そうまでして続けたいのだろうか。
君はまだそのときのことを覚えているのだろうか。
いきなり過去に戻ってどうするのだろう。
何の感慨もないのに、
何か適当な感想でも求められているらしい。
まだそこから話をつなげようとしている。
もうその辺でその話はやめた方がいいだろう。
まだ何も話していないではないか。
様々な色が押し寄せる。
それはどんな夢なのだろう。
そこで想像力が尽きている。
正気に戻ろうとしているのは君ではない。
精神の集中を保っていたいらしいが、
何かに邪魔されて、
言葉を記している感覚を一瞬失う。
その感激をついて様々な色が押し寄せる。
まさかそこから絵を描かなければならないのか。
切り立った断崖から落ちてゆくような感覚を味わう。
唐突に不連続なのかも知れない。
文章の不連続を利用して
話の転調を図っているつもりのようだ。
意味がない無駄な試みに思われる。
無意味な試みは嫌いだろうか。
無駄だから魅力があると勘違いするのではないか。
すべてが機能的なら無味乾燥になってしまう。
要するにそこでのおもしろさは
わけのわからない思い込みから生じているわけだ。
だが何をおもしろがっているわけでもない。
本気で語りかけるには間が空きすぎている。
その気もないのに本気も何もあってものではない。
はじめから本気で語ることを断念しているような節もある。
言葉の使い方がぎこちない。
ただ無駄なことばかり述べているだけのようだ。
過ぎ去った文章からは何ももたらされない。
今さら何を読み返そうとしているのか。
無理に遅れを取り戻そうとすれば、
何か馬鹿げた成り行きでももたらされるだろうか。
しかしそこから遠ざかっても何もない。
君は虚無に近づきすぎているのだろうか。
それを虚無だと思うこと自体が大きな勘違いか。
それはそれでしかなく、
それという言葉でしかない。
そんなわかりきったことに疑問を差し挟むのはおかしい。
それともわざとおかしなことを述べようとしているだけか。
そこで何か忘れているとすれば、
それは皮肉を述べることだろうか。
それの何が皮肉な成り行きなのか。
それでしかないそれについて何を述べているつもりなのか。
画面に映る自らの姿を見たことがあるだろうか。
何も映っていない画面に日の光が反射している。
謎解きには飽きているはずだ。
うんざりするような推理ゲームにも
飽き飽きしているようだが、
何がそこでの紋切り型なのか。
みんな刑事コロンボのような台詞を多用している。
知能犯気取りは死んだ方がいい。
現に死んでしまったことになっている。
それが暇つぶしの感想だとは思えない。
とても脚本が粗雑だなんて夢にも思っていないのだろう。
尽きかけたやる気をかろうじてつなぎ止めているのは、
そんな馬鹿げた話でしかない。
やはりそこで死んだ方がいいかも知れないが、
そんな偽りの演技のうちでしかなく、
他に何も思うところはなく、
役者のわざとらしい言い回しに辟易しながら、
それでも文章のネタを提供してくれたことに
感謝しなければならない。
しかしふぬけた人格はさらにすかすかになっているようだ。

彼の声 2005.12.28

述べたいことは冗談ではないのか。
手抜き工事もいい加減にしてほしいか。
わざとそうしているのだから呆れてものもいえない。
そんな題名の曲が過去にあったかも知れない。
まだ君は笑っているのだろうか。
どこからどこまでが君の領分なのだろう。
領域を区切る境界線がどこに引かれているのか。
冷たい視線を感じるのは
どこまで踏み込んだ瞬間なのだろう。
踏み入るべき地域を取り違えている。
山奥深く分け入って遭難したいのか。
今は冬だろう。
冬山で遭難するほどの蛮勇は持ち合わせていない。
それらの無鉄砲さは別人のものだろう。
だから中途半端なままなのかも知れない。
何をどう表現したらいいのかわからない。
何も言い表せないとしたら、
それらの言葉はどこから生じてくるのか。
足下から忍び寄る寒さに負けてしまいそうだ。
だからその辺で妥協しなければならないのか。
真昼の空は何も語らない。
真空ではないから
何かしら物質が漂っているのかも知れないが、
意識の中に入り込んでくるような執拗さはない。
冬の日差しを浴びて何を思うでもなく、
流れる雲にどんな感慨を抱くこともない。
すべては君には関係のないことだ。
それがすべてでないと思うなら、
いったい何がもたらされているのだろう。
見え透いた嘘をつかないでほしい。
状況を見誤っている。
まだそこまでいっていないだろう。
感じているのはそんなことではない。
失われた感性は二度とこの身には戻らないが、
そこからさらに何とかしようとしている。
何を覆そうとしているのか。
何か斬新なアイディアでも思いついたのか。
見透かされた魂胆を
どういう具合に変更しようというのだろう。
それほど思いを遂げようとは思わない。
無理に言葉を求めているわけではない。
思いの強さは挫折を味わうためにある。
それが方便だとは思わない。
何が自然と湧き上がってくるわけでもないらしい。
雲は風に流されて視界から消え去ってしまう。
はるか遠くに見えているのは蜃気楼であるわけがない。
どうも現実を把握できないようだ。
事態は悪い方向へ推移しつつあるのだろうか。
まとまりを欠いた言葉の群れに埋もれて、
いつものように何を述べているのか
わからなくなっているようだ。
君はそこで自らの限界を悟り、
どうにもならない現状に疲れて自暴自棄になり、
戻るべき大地から遠ざかり、
宙に浮き頓挫した計画を懐かしむばかりか。
本当に何を述べているのかわからなくなる。
戻る術を知らぬ意識は夢遊病のように辺りを徘徊し続け、
ひたすら意味不明かつ複雑怪奇なことを述べようとしている。
そんな意識がどこから生じてくるのか。
それでもまだ正気に戻った時のことでも
心配しているのだろうか。
可能性はまだ残されているような気がするが、
それがどのようになる可能性なのかわからない。
変化の度合いが想定外の値を示している。
だからそこからさらに違うことを述べようとしているわけか。
そんなはずがあるわけがない。
どこまで行ったらあきらめがつくのだろうか。
文章の内容が正気に戻るには、
何らかの生け贄などが必要かも知れないが、
そんな思い違いにも笑ってしまえるだろうか。
明らかに常軌を逸して何かを述べているらしい。
思い描いていた結末を見失う。
暗闇の中で指をかみ続け、
何か適当なことを考えているふりをし続けているようだが、
考えがまとまることはあり得ない。
今は真昼ではない。
いったいいつからそんなことを述べていたのだろうか。
途中で何度か中断したようだが、
気がついてみれば、
またいつもの闇の中だ。
暗中模索ばかりで、
誰かはそんな成り行きの単調さを呪っているらしい。
何をどう考えてみてもおかしいと思われる。
現実に経験している状況は、
どこかで言葉を纏うことを夢見ているのかも知れないが、
忘却の彼方から妄想が襲来してきて、
つまらぬ現実などすべて流し去ってしまうらしい。
今はそんなおかしな言葉遣いを容認しなければならない。
これが貧窮の時を形成しているわけだ。
言葉の連なりに肯定的な意義を見出せず、
何もかもを否定した衝動に駆られつつも、
かろうじてそんな現状の中に
自らの意識があることを認めなければならない。
それが君自身を構成しているのだ。
文章はこれからもそんな君を活用しながら、
適当にいい加減に記されてゆくだろう。
君がどこまで耐えられるだろうか。

彼の声 2005.12.27

ねじがねじ切れて使い物にならなくなってしまった。
錆びついているのを無理矢理力ませにねじれば
そうなって当然だろう。
だがそれで何を述べているわけでもない。
それでも何かしら述べていることになるのだろうか。
偶然に生じた空白の時を利用できない。
言葉は何も語らない。
身体が言葉についてこない。
要するに身動きが取れないということか。
冬に鳥がさえずることもあるだろう。
うまくかみ合っていないようだ。
地面が揺れ動いているように感じられるのは、
地震のせいではなく、
足下から何かが突き出る前兆だろうか。
何を述べているつもりなのか。
這いつくばって誰かがにらんでいる。
にらんでいる対象をにらんでいるのではなく、
画面の向こう側から誰もいない部屋の隅をにらんでいる。
そんな嘘を信じられるはずもなく、
嘘を信じるには言葉が足りないようだ。
まだカレンダーを貼るタイミングではないだろう。
それは何かのポスターだったかも知れない。
そこで何が矛盾しているのか。
壊れかけた精神を立て直すつもりはなく、
言葉も意味不明のままに連なっても
かまわないような気がする。
それが冗談だと思うなら、
たぶんそれは何かの勘違いなのだろう。
勘違いであってもかまわないだろうか。
誰に許しを請うわけもなく、
ただ勝手に壊れたままの文章をそのまま放置し続けている。
それで何がわかるわけもなく、
何を知ろうとしているわけでもない。
それらの無責任を放任するしか、
その先に続ける方法はないのだろう。
それが馬鹿げていることは確かだが、
真面目になるのはさらに愚かなことか。
何となく文章がよろけている。
足下ばかり見ていても視界が開けるわけもない。
何かの感覚がなおざりにされているのかも知れない。
君はここから何かについて語らなければならない。
唐突に何を述べようとしているのか。
何を微笑んでいるのか。
要するに何もないのだろう。
そんな意味のない言葉につられて髭面の男も笑っている。
君が見ている画面上には何が映っているのか。
聴いている音楽が楽しそうなのか。
まだ足下が揺れている。
まるでトランポリンの上を歩いているようだ。
まだ何も意味を見出せない。
顔をしかめて困ったふりをしている。
無理に遅れを取り戻すのは気が進まないようだが、
今はそれを実行する時なのかも知れない。
これから消化試合をやろうというのか。
相手は誰なのだろう。
相手もいないのに試合も何もあったものではないか。
わざと間違えているつもりなのか。
そんな簡単に事が運ぶわけもない。
手許が狂っているのかも知れない。
だが修正など利くわけもない。
何か肝心なことを忘れていないか。
まだ時間稼ぎが足りないらしいが、
それも計算のうちか。
何の計算なのかわからない。
それはこれからほざく冗談の数でも
計算しているのかも知れない。
それとは君のことなのだろうか。
成り行きまかせの言葉もそろそろ尽きかけている。
もっと簡単にきっかけをつかめないものか。
それは何のきっかけだったのか。
無理なことを述べている。
無理をしなければ時間の経過に追いつけない。
何かそこで矛盾していないか。
笑っていられるのも今のうちか。
誰がそんな冗談にもならない言葉で笑えるのか。
運もつきもないのだろう。
どちらも同じ意味を有しているが、
そんな意味に用はない。
用があるのは無意味だけか。
それで用を足せるだろうか。
そこからどうするつもりなのか。
何をどうするつもりなのか。
今さら策を弄するわけもない。
何が幸運を呼ぶことになるのか。
それらの文章の馬鹿らしさに呆れてくれるだろうか。
それで何がわかるのだろう。
気が抜けてやる気も失せている。
それほど本気になっているわけでもなく、
無理に何を語ろうとしているわけでもない。
ではもう終わりなのだろうか。
あきらめるのはまだ早いか。
あきらめてもかまわないが、
どうやったらあきらめたことになるのか。
言葉を連ねるのをやめたらいい。
無駄な悪あがきをやめたらいい。
だがそんな言葉を吐いたとたんに足下の床が揺れ始める。
それは目眩の一種かも知れない。
たぶんそれらの言葉をなかったことにしたいのだろう。
もうそんなことは忘れてしまっている。
ただ馬鹿げた感覚だけが微かに残っているようだ。
そこから何をどうしたら気が済むのか。
そんなことを誰が知り得るだろうか。
君はさらにろくでもないことを述べている。

彼の声 2005.12.26

わざとらしく驚いてみせるのは馬鹿げているだろうか。
これはいったいどういうことなのか。
どういうことでもなく、
そういうことでもないのだろう。
ただ意味のない言葉が連なっているに過ぎない。
他に何もありはしない。
どうでもいいような情報に溺れているのかも知れない。
まともなことを述べるのは無理そうだ。
そんな馬鹿げた思いのままに、
何を述べているわけでもないらしい。
冷静でいられるはずがない。
そんな風に述べている意味がわからない。
他がないのだから
そんな成り行きでもかまわないのではないか。
君には先を見通す能力が欠けている。
ただ成り行きまかせに
おかしなことを述べているだけだろうか。
おかしいとは思わない。
つまらないと思っているだけのようだ。
何かの暗示にかかっているのかも知れない。
話の筋が見え透いている。
勘違いにも程があるだろうか。
できるはずのないことをやろうとしているだけか。
そんな言葉は使い飽きたかもしれない。
何かはっとするような台詞がひらめかないものか。
またいつもの無い物ねだりに陥っている。
こうなったらさらに馬鹿げたことでも述べるしかないようだ。
君の思い通りの成り行きになるわけがない。
すべてはお見通しのはずだ。
何を見通しているわけでもないのに、
そんなことを述べてみる。
無駄に言葉を弄さなければその先へ進めない。
日付は去年のままではやる気がしない。
そこに言葉をねじ込まなければ道は開けない。
それは怪物などではない。
単なるゴム人形の類か。
見ているものが情けない。
もっと別の興味が湧くようなものをねつ造しなければ、
何とも述べようがない。
馬鹿げているのお互い様か。
誰と誰がそこで見つめ合っているのか。
化け物だとか妖怪の類では画面に封印する価値もない。
それは何かの反則技だろうか。
道を切り開いているつもりが、
藪の中でめくらめっぽうに鉈を振り回しているに過ぎない。
篠ごやでかすり傷を負い、
破傷風になって死んだ人もいる。
それは誰のなせる業でもない。
過去に息づいている亡霊は、
誰を惑わしているわけでもない。
そこから何らかの話が生まれて、
その話がつまらなければ忘れ去られてしまうだけか。
誰がそこから去ってゆくのだろう。
立ち去る者を引き留める理由を見出せず、
去りゆく心を懐かしむ間もなく、
わけがわからず言葉を連ねるばかりのようだ。
誰もそれ以上を望まないのかも知れない。
まだそんなところでうろついている。
うろつく理由など何もありはせず、
うろつけなければ消え去るのみだということを
知らないわけでもない。
だからそこから何をしようと思ってみても、
結果的に何をしていることにもならないことは承知している。
それでは文章にならないだろう。
どうにもならないから今がある。
今もすぐに過ぎ去ってしまい、
かといって未来を先取りするわけにも行かず、
何も見出せぬままに、
どこかに取り残されているらしい。
それが去年の時空なのだろうか。
何を語っても何も理由になっていないだろう。
説明にすらなっていないような気がする。
誰がどこでどうなったのかよくわからない。
もういい加減にあきらめたらどうなのか。
きらめきともひらめきとも無縁の状態で、
何をどう語ったらいいのか。
それが今の心境なのだろうか。
いくら思い悩んでも無駄なようだ。
だから何かを探さなければならない。
何も見当たらないのに言葉を探している。
窓際の枯れ草ばかり眺めていても、
脳裏に何が浮かんでくるわけもなく、
そんな言葉遣いそのものが誤りとしか思えなくなる。
だからそこから語り出さなければならないのだ。
だからではなくしかしなのではないか。
この際そんなことはどうでもいいことか。
そんな破れかぶれの闇雲な言葉の連なりは見苦しい。
わけがわからないのなら何も考えなければいい。
そこから何を思い出すでもなく、
他に取るべき道もありはしない。
君はやるべきことをやっていないようだ。
さらに虚無的な響きを纏わなければ、
何事に対しても興味を抱けなくなるだろう。
そんなでたらめは通用しないだろうか。
通用しないのなら、
他に新たな逃げ口上でも探さなければならないのか。
それはどういうことなのだろうか。
どういうことでもなくそういうことなのだろう。
要するにどこまで行っても意味不明なのだ。

彼の声 2005.12.25

その手の思想には飽きている。
美的造形を褒め称えることにも興味を持てないか。
それを持続させることに意義があるのかも知れない。
そこから何をわかろうとしているのだろうか。
それに興味があるのだろうか。
興味がなければわかろうとするわけがないか。
君は自分自身を見損なっていないか。
具体的に何がどうなっているのか。
歴史とはそういうものなのだろう。
過ぎ去った時を後から愛でるものなのか。
しかしなぜ去年のままなのか。
見出された時はそのような時ではない。
何も見えはしない。
何らかの工夫が必要なようだ。
すべてが幻想であるはずがない。
何が見出されているわけでもなく、
否定する対象などどこにもありはしない。
何もないのでいつも笑っているわけか。
それで意味不明をもてあそんでいることになるのだろうか。
窓際の雑草はまだ枯れずに残っている。
まったくやる気にならないようだ。
冗談で何を述べているのか。
どこまで行っても何も見当たらない。
そんな道があるわけがない。
やはり何かについて述べなければならないのだろうか。
切ない望みとは何なのか。
求められている広い見地とは何だろう。
目的があって結果がついてくる。
それが運命なのだろうか。
当たり前のことだろう。
君はそういう成り行きから逃れられなのだ。
それは馬鹿らしいことかも知れないが、
君が運命を引き受けなければ、
他の誰かに役割が回っていくだけだ。
そんな風に思えば少しは気休めになるだろうか。
それが何の気休めなのか不明だが、
何となく何かをわかりかけているような気がしてくる。
つまらない役割があったものだ。
誰かはそれが不満らしいが、
いつか真実が明らかになる時もくるだろう。
君には知り得ないところで何かが進行中のようだ。
眠たいのなら寝てしまえばいいだろう。
明日の朝になればまた同じような一日が待っている。
何を述べようとそれは変わらない。
無理なものは無理でしかない。
枯れて萎れてしまった雑草に何がわかるというのか。
転がる石のように何が転がってゆくのだろう。
そういうことを述べているのではないのかも知れない。
意味などわかりはしない。
言わんとしていることなどとうに忘れてしまったようだ。
君は誰に向かって何を語ろうとしていたのか。
たぶんまだ何も述べていないのだろう。
述べるべきことがどこにも見当たらない。
たぶん君はどこにもいなくなるだろう。
つまらないこだわりが墓穴を掘ってしまったのだろう。
しかしそんなのがありだろうか。
君は何もしないうちから消え去る運命なのか。
その程度では話にならないということか。
人はみんな使い捨てられる運命なのかも知れない。
しかし君のつまらないこだわりとは何のことなのか。
続けることに意地になっているということか。
だが意志の力だけではどうにもならないこともある。
どうにもならないから
こういうどうしようもない事態に陥っているわけか。
今度ばかりは年貢の納め時か。
誰かに忠誠を誓って策謀を巡らせていることが
身の危険をまねく。
君は何からそれを学んだのか。
時代遅れと思われてもかまわない。
用無しになったら忠誠を誓った誰かから見捨てられるだけか。
それが裏切りといえるだろうか。
みんなそこで勘違いをしているわけだ。
そういう組織形態そのものが
幻想の共同体を形成しているだけだろう。
そんな話はいつの時代でも
どこにも散見される現象に過ぎない。
そういうのを避けるにはどうしたらいいのだろうか。
戦国武将のような真似を
本気で受け止めないことが肝心だろうか。
フィクションの中では
そんなことがおもしろおかしく語られているだろうが、
それを現実の世界に当てはめるのは幼稚すぎる。
真に受けてそれのまねごとでもやろうものなら、
周囲から笑われるだけだろうか。
そこには誰の意向が働いているというのか。
何となくその辺からやばい匂いが漂ってきている。
本気になってはならないと思いつつ、
何やらその手の権力争いを端から眺める気にはなれない。
あまりにも見え透いていて、
今さらそんなことに
血道を上げる必要もないような気がしてくる。
たぶんやめた方がいいのかも知れない。
馬鹿らしい考えはさっさと捨てるべきのようだ。
それが身のためであり、
みっともない真似をやらないために
平常心でも装っていた方がいいだろう。

彼の声 2005.12.24

何も述べていないのかも知れない。
今は今日の今ではないらしい。
何の構想もありはしない。
それらに関しては共同作業をしているわけでもない。
誰かの戦略について何を思っているわけでもなく、
それについて何を述べているわけでもない。
何もなければつまらないだけだろう。
そこから何を提言するつもりなのか。
国際的な枠組みとは何のことなのか。
中には国家間の枠組みについて
あれこれ述べている人もいるらしいが、
人のやっていることが
国家が行うべきことに直結するとは思えない。
誰が国家を動かしているわけではないように思える。
国家という組織的な枠組みの中で、
何らかの役割や立場を有する人がいて、
それぞれに割り当てられた仕事を
淡々とこなしているに過ぎない。
そこに何か魅力的な内容があるのだろうか。
やれアメリカがどうしたの、
今度は中国がどうしたのと述べてみても、
そのような言説に幻想を抱けないような
時代になってしまったのではないか。
国家について一つの筋道を立てて
それに沿ったことを述べづらくなっているのかも知れない。
国家の役割がなくなってしまったわけではないが、
例えば昔ながらの富国強兵路線を踏襲することについて、
アメリカや中国や北朝鮮あたりなら
もっともらしい理由が導き出されるかも知れないが、
日本ではどうなのだろう。
まずは財政再建が最優先課題であり、
あまり国家そのものを軍事的に強くする、
とかいう考えには至らないような気がする。
現状では経済的な利益を
軍備増強に注ぎ込む必然性がないのかも知れない。
とりあえず資本主義で市場経済なのだから、
公務員の特殊法人への天下りなどの、
不平等な権益などをなくして、
誰もが公平に金儲けできる機会が
あるように思われる制度に改変したら、
それでいいということだろうか。
これまでどおりマスメディアなどが
一部の不当に甘い汁を吸っている輩を暴き立て、
政治家や政党が尽力して、
そういうことができないような制度に改変していったら、
それで国民の信任を得られるような国家になるのだろう。
それ以外に何か足りないものがあるだろうか。
好景気になり、
失業者が減り、
犯罪が減り、
治安がよくなり、
近隣諸国との外交関係も良好になり、
国内外の困っている地域には援助を惜しまず、
そんなきれいごとを達成できたらすごいことだろうか。
そうなるためにはどうしたらいいのだろうか。
やり方はいくらでもあるだろうし、
答えはいくらでもあるのだろう。
しかし本当にそうなるかどうかは
やってみなければわからない。
そんなことを述べているうちに
何となく馬鹿らしくなってくるらしい。
現状ではそんなわけにはいかないことは
わかりきったことか。
個人が何をどうしたらいいかなんて考えるのは
無駄なのかも知れない。
そうなるためのビジョンやら提言やらを
誰が述べているのだろうか。
テレビや新聞や雑誌で誰かが述べているかも知れない。
どこかの政党の勉強会で誰かが述べているかも知れない。
著書の中で著者が述べているかも知れない。
インターネット上でその手の書き込みが
流布されているかも知れない。
たぶんそれらが世の中には行き渡っていて、
なおかつこんな現状があるわけだ。
これは当たり前のことだが、
恐ろしいことかも知れない。
何がどのように恐ろしいのだろうか。
答えがいくらでも出ているのに、
現状はそれらの答えからは程遠いということだ。
何をどうすればいいかなんて
いくらでも述べることができそうだ。
述べるだけならいくらでも述べられる。
無責任にいい加減なことをどんどん述べられる。
それがその手の言説がはまる落とし穴だろうか。
言説などいくら説得力があろうと
無視されたらそれでお終いなのか。
述べた後には何も残らない。
言葉は中身のない空虚から構成されていて、
いくらまともなことを述べても、
意図的に無視されたら、
どこにも伝わらないものなのかも知れない。
気に入らなければ真に受けなければいいだけで、
文章が言わんとしていることを理解しなければいいわけだ。
理屈では人は動かない。
では何で人は動くのだろうか。
くだらぬしがらみとか、
金銭的な欲望とかで人を動かすことが可能だろうか。