彼の声 2024.8.2 「見せかけの演技」 | 彼の声

彼の声 2024.8.2 「見せかけの演技」

voice-164

 それが演技なのか何なのかは、自らの勝手
な思い込みを信じるなら演技だと見なしても
構わないし、演技でないなら何なのかと問い
たいわけでもないのだが、そこで何が見せか
けられているとしても、それが起こってから
すかさずそれに対して反応しているのだろう
が、その反応がその人が日頃から唱えている
主義主張にぴったりと一致するようだと、そ
の主義主張に合わせた反応を演じているわけ
で、それでは何か驚きに欠けているというか、
そこで起こったことをそのまま伝えていない
ように感じられてしまい、そういう反応に関
してわかりやすい例として、日本で典型的に
見かけられるのが共産党の人たちの反応とな
るだろうが、共産党の人たちは昔からそうだ
から、何かの風物詩のようなものとして何と
も思わないのだが、共産党の人たちとは主義
主張が正反対とまでは言えないとしても、野
党的な反応というか、こんな人たちまでがこ
んな反応なのかと感じられるような反応が世
の中に蔓延しているわけでもないのだが、そ
れに気づいて軽く驚いてしまって、そういう
反応に感じられてしまうような反応を示す人
たちの述べている内容が信用できないという
か、そうなるとそこから遡ってなるほど昔か
ら共産党の人たちが述べていることを信用し
ていなかったのかと改めて気づいてしまって、
何かそれが逆説的に納得してしまうから、そ
れがおもしろく感じられたわけだが、だから
といって共産党の人たちの主義主張に賛同で
きないわけではなく、いつももっともらしく
も正しい意見を主張しているわけだから、別
にその主義主張の内容に反対したいとも思え
ないが、そういうことに関してはその通りだ
が、それとは別の方面から共産党の人たちが
言わないことから、彼らが絶対に言わないし
主張できないようなことまで含めると、何か
違うような気がするわけで、そこから微妙に
ずれているというよりは、共産党の人たちが
公式の場では絶対に言わない本音のような内
容を石丸伸二やトランプなどが普通に言うか
ら、それを本音だと思い込んでしまう若者た
ちがその種の演技としての本音の吐露や暴露
に騙されてしまうわけでもないのだろうが、
少なくともその種の内容がその人が培ってき
た感性に合うから彼らの支持者になるわけだ
ろうが、演技が悪いとも思えない一方で、果
たしてそれがその人の本音だと思われるよう
なことまで公式の場で言い放っているのかと
いうと、それがどうもそうではないような気
がしてしまうから、何が信用できないのかが、
たとえその内容を信用できないとしても、そ
れがわざとらしい演技だと感じられても、共
産党の人たちが絶対に言わないし言えないこ
とをこれ見よがしに言い放つことが英雄的な
言動なのかというと、たぶんそう思われるか
らそういうことを言い放つ人の支持者がそれ
なりに生じてくるのだろうが、その一方でそ
ういう英雄的な言動の人について行くような
人たちではない部類に入ってくるのが、自分
のような何事にも煮え切らない態度に及んで
しまう優柔不断なひねくれ者なのかというと、
それなりにそうだとも言えないこともないが、
日頃から唱えている主義主張に忠実な言動を
心がけていても、あるいは〇〇反対という公
式的なきれいごとに異を唱えるような本音を
言い放つことが英雄的な行為だと思っても、
絶えず言行不一致な面を考慮に入れるなら、
言うことも行いに含まれるから、その不一致
を強調し過ぎるのもちょっと違うのだろうか
ら、それはそれで一定のもっともらしさが伴
ってくる限りで少しはそんな言動に及んでし
まう人を勇気ある行為だと讃えても構わない
が、その一方で〇〇反対という公式的なきれ
いごとにも一定のもっともらしさが伴ってい
るから、昔からそういうことを主張する共産
党の人たちにもそれなりに支持者がついてい
るのだろうが、たぶんどちらにしても部分的
で一面的なある意味で一方的な主張なのかも
知れず、そんな人たちには言わせておけばい
いのだとしても、果たしてそれを真に受ける
人がどれほどいるのかと疑念を抱いているわ
けではなく、どちらも言い放てないような中
途半端な状況の中で誰もが生きているとも思
えないが、言い放つこと自体は容認できるが、
そういう言い放つ行為を受け流して聞き流し
ている人もいくらでもいる世の中なのかも知
れず、言いたい奴には勝手に言わせておいて、
それ自体を無効化させようとするわけでもな
いし、まるでその種の言い放った声がスポン
ジのように吸収されてしまう防音壁のような
ものがどこに設置されているわけでもないの
だろうが、まともに響いてこない世の中に暮
らしているようにも思われるから、その種の
言動には全く共感も共鳴も起こらないわけで
はなく、彼らも少しは民衆の心に響くような
ことを述べているのだろうから、自分の心に
も全く響かないわけではないとしても、むし
ろそれなりにもっともらしいと感じられて少
しは共感できる面もあるのだが、だからとい
ってそんなことを述べている人を熱烈に支持
する気にはなれないというか、それに関して
自らの言行不一致を認めざるを得ないから、
〇〇反対というきれいごとを主張する人に選
挙で投票しても構わないわけで、逆に功利的
な欲望や感情や損得勘定に心を支配されて、
しかも言行が一致してしまう人たちが公的な
政治に携わってしまってはまずいような気も
するから、そういう人たちの主張にも一定の
説得力があっても、そういう言動に賛同する
人たちを味方につけたくて、パフォーマンス
としてこれ見よがしなことを言い放つわけだ
が、言っていることがそればかりな人が政治
的な実権を握ってしまうと、世の中できれい
ごとが通用しなくなってしまってまずいのだ
としても、それもどうもそういう二項対立に
気を取られてしまうとまずいような気がする
わけで、そういう二項対立自体も世の中の実
態を反映していないし、経済的な弱者を救う
ようなことを主張している人たちの中にも、
〇〇反対というきれいごとを主張する人たち
に憎しみの感情を抱いていたり、そんな主張
を小馬鹿にしたり嘲笑するような人も大勢含
まれている一方で、逆に経済的な強者の富裕
層に含まれるような人たちの方でも、〇〇反
対というきれいごとに傾倒している人もいく
らでもいるから、それを単純に言行不一致だ
と見なすのもちょっと違うわけだ。

https://www.koike-t.org