彼の声 2024.8.8 「慣れた感覚」 | 彼の声

彼の声 2024.8.8 「慣れた感覚」

voice-164

 現状がこうなったからといって何が裏切ら
れたわけでもないし、こうなることはある程
度は事前に予想していたわけだから、予想の
範囲内で何とでも言えるようなことなのだが、
ではこうなった状態の中で何か対処できるこ
とがあるのかというと、今が対処している最
中だから今後もそれを続けて行くしかなく、
実際にどうなったのかといっても、誰もが知
っている範疇に入ること以外で、これといっ
て誰も知らない秘密などあるわけでもなく、
知らないことを知ろうとしているのは、いつ
もの想像力が作用して勝手に妄想しているに
過ぎないが、何を今さら悔やんでみても、後
悔先に立たずな成り行きの範囲内でそう思っ
ているわけだから、それが自然の成り行きだ
と思っていればいいようなことでしかないが、
何も不思議には感じられない程度で、確かに
ちょっと驚くようなことが起こったのに、そ
れが起こった後の状況の中ではそれほど深刻
には思われない程度の状態を保っているわけ
で、まさか感覚が麻痺しているからそう感じ
るのかと自らの実感を疑っているわけでもな
く、信じるしかないと頑なに思い込むような
信念などないから、それに関連して信仰の類
いを軽んじている限りで、どっちつかずな状
況なのかも知れず、自分の失敗を失敗だとは
思っていないのは、ある程度失敗は避けよう
がなく、避けられないことだからそれを頑な
に認めないわけにもいかず、そう思われるよ
うなことではなくても、それもある程度は失
敗を前提として物事が推移していて、結果的
にそれを成功に持って行くつもりで活動して
いるから、しかもそれも失敗に終わっても構
わないようなことなのかも知れず、そういう
意味では絶えず失敗していないと活動が持続
しないような失敗中毒に陥っているわけでも
ないのだが、普通は失敗すればそこで活動が
終わってしまうと思いたいのだが、逆に失敗
していないと困るわけでもないのだが、失敗
に対処することが活動そのものとなっていて、
まずは失敗してそれに対処することによって
活動が成り立つようなことなのかも知れず、
それに関して例えばアベノミクスが失敗に終
わったと主張したい人などいくらでもいる世
の中になっていること自体が、なぜかアベノ
ミクスの成功を物語っているとも思えないだ
ろうが、狙いとしてはそういうことなのであ
り、何かアベノミクスが失敗に終わったこと
を前提として活動が成り立っているようなら、
そういう活動そのものが間違っているような
気がしてしまうこと自体が、自分の勘がそう
思わせることの真実なのであり、それで構わ
ないようなことなのだが、結局はうまく行か
ないから何とかしなければならないと思いな
がら活動しているわけで、それが人の活動の
本質であり実態なのだとしても、果たしてう
まく行かないことが何かのきっかけからうま
く行き始めて、それが成功だと言えるような
成果を伴ってくれば、確かに満足感を得るに
至るのだろうが、それではまずいと思うなら、
ではどうなればいいのかと自らの感性を疑っ
てみるわけにも行かず、ない物ねだりになら
ない程度で、現状の傾向とは違う方向で模索
しなければならないことが出てくるとも思え
ないが、たぶんそういうところで自らの感性
が試されていると思うしかなく、それが具体
的に何なのかといっても、今のところはよく
わからないし、死ぬまでわからないかも知れ
ないが、真に模索すべきだと思っているのは
経済的な何かという面では、そこからちょっ
とずれるようなことかも知れず、その辺のと
ころで思うように思考が定まらないから、何
も導き出せずに終わってしまう可能性もなき
にしもあらずだが、終わるということがどう
いうことなのかといっても、単に自らの死以
外に何かそれなりの結果がもたらされるとし
ても、それが何に結びつくわけでもなく、そ
れで構わないようなことなのかも知れないが、
それなりの形態を伴ったことにでも結びつけ
ば儲け物なのだろうが、今のところはそんな
兆候は微塵も感じられないから、今後とも何
がどうなって行くわけでもないのかも知れな
いし、気が向いた方面へと言語作用を働かせ
ていれば、それなりの分量の言葉の連なりが
もたらされて、それをどう解釈してみてもこ
れといって肯定できそうな意味や意義が伴っ
てくるわけでもなさそうだが、人の有り様と
いうのが、その場の情勢や状況に合わせて肯
定的に感じられたり否定的に感じられたりす
るのを、何かその中で普遍的な価値観を幻想
してみたところで、それが何を示していると
も思えないなら、何かのまやかしに過ぎない
ことかも知れないが、まやかしを導き出すた
めに文章を構成しているとも思えないなら、
何やら現状の中でもっともらしく思われる理
屈や理論に基づいた考えや認識や解釈の類い
を提示したいのかも知れず、それがどんな状
況や情勢の中でも恒常的に成り立つようなこ
とでもないとすれば何なのかといっても、ど
うにも答えようのないことになってしまうの
だが、誰もが試されていることが危機的な状
況や情勢の中でどう行動したりどのような言
動を繰り出すかだとすれば、たぶんそんなこ
とにはお構いなくそうではないような方面へ
と逃げ出したくなってしまい、逃げ足の速さ
が競われるような状況や情勢が果たして危機
的な事態なのかというと、たぶんそれもそう
ではないと思われて、成り行き的にはそこに
踏みとどまっていることが逃げ遅れたと判断
されるかどうかも怪しいところで、どう考え
ても理性的に振る舞うことが求められている
のに、それがどういうことなのかわからない
人たちがいくらでもいて、それがわかってし
まっては困るような状況や情勢なのかも知れ
ず、それがわからない人が大勢いることを前
提として世の中で多くの様々な活動が成り立
っているわけで、それをこれだと特定できな
いような成り行きがもたらされているから、
その中で多くの人々が右往左往しているよう
な状態なのかも知れないが、そうなっていな
いと活動が成り立たないのかというと、では
これといって理性的に振る舞っている実態が
あるのかというと、それもよくわからないか
ら、あれこれと振る舞い方を試しながらも、
実際にはぎくしゃくしたみっともない動作と
なっているとしても、そういうことの範疇で
人の振る舞いが一応はそれなりに成り立って
いるように見えるわけで、それで構わないわ
けではないのだろうが、構うも構わないもそ
んなふうにしか振る舞えないわけだから、他
人の振る舞いを見てそれを妥当な振る舞いだ
とは感じらない限りは批判や非難の対象とな
ってしまうわけだ。

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