彼の声 -690ページ目
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彼の声 2005.10.23

なぜそれが嘘だとわかるのか。
自らが偽りの存在であることを好む意識は
何に拘束されているのか。
何を見ているわけでもない。
事物が虚構の存在のままに甘んじているはずがない。
この世界のどこかに出現する機会を絶えず狙っているのだろうか。
君にどんなねらいがあるわけもないだろう。
君とは誰のことなのか。
誰がそこにいるわけでもないか。
不在の誰かに何を託そうとしているのか。
君の代わりに影は何をやればいいのだろう。
フィクションの中ではどこに何が存在するはずもなく、
何となく言葉だけが認識を可能としているようだ。
しかしその何となくとは誰がそう思っているのだろうか。
その場の空気に意識が宿っているわけもないか。
それでもそこに不在の作者は、
それらの言葉の並びから何かを見出そうとしている。
ではそこから何が物語れようとしているのだろう。
誰かの身の上話でもする気なのだろうか。
できるはずのないことを述べてどうしようというのか。
どうもしないからそんなことを述べているのだろうか。
案外どうにかできると思い込んでいるのかも知れない。
それでどうにかしているつもりなのか。
現実にどうにかなっているのだろうか。
外には光があふれている。
晴れているのだからそれは当たり前だろう。
晴れていればどうにかなるのだろうか。
いったい何がどうになれば気が済むのか。
誰かの気が狂えば一応は満足するのかも知れない。
しかしそう思っているのは誰の意識なのだろうか。
フィクションの中ではそんな意識はあり得ないか。
それはどのような作り話を構成するかによって異なるだろう。
ではこれから何を語ればいいのだろう。
案外何も語らなければおもしろいか。
だがそういうわけにはいかないのではないか。
そこから何かを導き出したいのだろう。
そしてそれが空疎な内容になるとしても、
何となく文章の体をなしていれば、
それでかまわないのではないか。
しかしそこはいつもの迷路となっている。
ではただ迷っていればそれでかまわないのか。
そのような状況からは何も導き出せない。
だから空疎な内容になってしまうのだろう。
それでもいいのだろうか。
それでよければ苦労はないか。
苦労があろうとなかろうと、
何となく文章になっていればそれでいいのだろうか。
まだ外は晴れているらしく、
そのまぶしすぎる明るさに目がくらんでいるのかも知れない。
そのついでにおかしな表現になっているかも知れない。
真昼の世界に何を求めているのでもないが、
真夜中の世界がどうだというわけでもないだろう。
そこに何か事件が起こらなければ何の話も生じないだろうか。
君は何もない世界で何を顕揚したいのか。
そこで何かおもしろそうな文章表現でも見出したのか。
いったいそこに何があるというのか。
語りたいことはそれだけなのか。
あるいは語りたいことなど特にないのだろうか。
それで何を問いかけているのか。
問いかける対象がどこにあるのだろう。
この世界のどこかにあるのかも知れない。
何もないようでいて何かがあるのかも知れない。
誰かはそれを探し出してみたいのだろうか。
何を探しているわけでもないか。
向こうからやってこない限り、
何も見つからないような気がするのはどういうわけなのか。
君はこの世界で起こっているすべての現象や出来事から
隔離されているのだろうか。
その意識がそれを見出すことはないだろう。
それは意識とはいえないような、
それ以外の何ものでもない精神作用なのだろうか。
しかし精神がどこにあるというのか。
どこに何があるわけでもないのかも知れない。
そしてたぶんそれは嘘だろう。
何がないわけでもないだろう。
必ずそこには何かがあるに決まっているか。
しかしそこにあるものを認識できないのはどういうわけなのか。
なぜそれが言葉を伴わないのか。
まだフィクションの中では何も出現していないのではないか。
何の兆しも見出せない。
それで何かよくなることがあるのだろうか。
雲一つない空の下で、
何やら適当に人々がうごめいている。
テレビをつけてみれば、
ありふれた言葉と映像が視覚と聴覚を汚染する。
そんな表現はないだろう。
もう少しそれらの現象を肯定的に捉えてみないか。
何か夢のある話に結びつけられないものか。
球打ちの競技で誰かが活躍しているようだ。
それがどうしたのだろう。
世の中には国会という議論の場があるらしい。
君は何を無視しているのだろう。
それらは無視されるような話ではないはずか。
それを無視できない精神は周囲から馬鹿にされてしまうのか。
この国の行く末について誰かが憂いを発している。
この世界について誰かが危機感を抱いている。
馬鹿らしいとはそういう話の内容だろうか。
君は気が狂っているのではないか。
冗談にも程があるだろうか。
もし程がなければそれは際限がないということか。
それらの状況は何を呈しているのでもなさそうだ。
きっと何もないから何かがあるのだろう。
その何かを探し求めるのは愚かなことか。
何もなければそれでかまわないのだろうか。
何がかまわないのかがわからないか。
たぶん何かしらかまわないような状況になっているのかも知れない。
そこに何の歯止めもなければ、
誰もが暴走したいのだろうか。
暴走すれば何がもたらされるのか。
ではどこに満たされるべき欲望が立ち現れているのだろう。
現実に何を求めているのか。
それを言葉で表現してもかまわないのか。
何もないのに何を表現できるのか。
きっと何かしら表現しているのだろう。
何もなくてもそこには虚無が存在しているはずだ。
それが文章を構成する上で欠かせない要素なのだろうか。
しかしそれだけでは生きられないだろう。
だが虚構の中では何もなくても生きていけるはずか。
別に生きていなくても死んでいなくてもかまわないのではないか。
そのどちらでもない状態があり得るだろうか。
あるとすればそれは無生物の一種か。
その辺に転がっている石ころに精神が宿っているわけか。
フィクションとしてはそんなのもありだろう。
何でもありというわけでもないが、
つまらぬ制限ばかりではつまらないだろう。
そんなところしか救いを見出せないのだろうか。
別に救われなくてもかまわないか。
そこで何が救われないのかがわからない。
すべての事物は神によって救われるのかも知れないが、
ではその神は誰によって救われるのか。
君の冗談によって神が救われたりするわけか。
何が君の冗談なのだろうか。
君はこの世界のどこに存在しているつもりなのか。
別にその精神が神に支配されているわけでもないだろう。
それを信じていなければそんなことは起こらない。
では神を信じなければ救われないのだろうか。
神の代わりに救ってくれる存在を定めれば済むことか。
何が済むのか不明だが、
冗談も休み休みに述べてほしいか。
たぶん世界のどこかに君が存在しているのだろう。
それがどのようなフィクションなのかわからないが、
虚構の中では誰が存在していてもかまわないのではないか。

彼の声 2005.10.22

何となく話がかみ合っていないような気がする。
本当にそれは冗談や酔狂で述べていることなのか。
しかしなぜ伊達や酔狂と述べないのか。
ただ単に言葉の使い方を間違っているだけなのだろうか。
いったいその言葉に何を感じているのだろう。
そこで感知したり見聞したりするすべての出来事が
意味のわからないことだらけに思われるのはなぜだろう。
そしてそれらの出来事に意味があるとは思えないことに
理由や原因を見出せないようだ。
それらに意味があったりなかったりすることが
信じられないのかも知れない。
あるいは意味そのものの意味が
わからなくなってしまったのかも知れない。
しかしそうやってわけのわからないことを述べ続けることに
何の意味があるのだろうか。
君に理解できるような意味があるとは到底思えないか。
意味はもとからあるものではなく、
誰かの意識が後から付け加えるようなものなのではないか。
だが誰がそれらの文章に意味を付け加えるのか。
そんなことは無理に決まっているだろう。
誰がそんなことを思っているのだろうか。
誰がそれらの文章の読者であるわけがないだろう。
誰もそんなものを読もうとはしないし、
読めるわけがないだろうか。
それらは読む必要から見放された文章なのかも知れない。
ただ書き記すためだけの文章なのではないか。
それを書く者が自己満足を得るためだけに
存在する文章なのだろうか。
今のところはそんな用途しか思い浮かばない。
たぶん今の君にはそんなことしか述べられないのかも知れない。
しかしそれで満足するはずがないだろう。
何となくそれだけでは馬鹿げているだろうか。
どこかの画面の中にやる気を吸い取られているのだろうか。
そんな被害妄想はどこにも通じないだろう。
何をどこに通じさせようとしているのかわからない。
しかし別に誰に何をわからせようとしているわけでもないだろう。
誰かの意識はそんな話に
取り込まれようとしているのかも知れないが、
そんな話がどんな話なのかもわからないか。
だからそこには何一つ理解可能なことは示されていないようだ。
もとから何もないのだからそこから何が生じるわけもないか。
では何を語っても何の理解も得られないのだろうか。
そんなことは語ってみなければわからないだろう。
しかしすでに語られているそれらの文章は何なのか。
そこからどんな理解が生じるというのだろう。
何を理解してほしいのかわからない。
それに関して誰かは臆病風にでも吹かれたのか。
いつの間にか何の主張も見当たらなくなってしまったようだ。
誰が何を主張しなければならないのかわからない。
しかしいくらそんな嘘をついてみても
何がどうなるわけもないだろう。
何もどうにもならないからそんなことを
述べ続けているのではないか。
そんなわけでますますわけがわからなくなってしまう。
いったいいつまでそんな馬鹿げたことを
述べていなければならないのか。
もういい加減にお終いにしたくなるか。
それで終われるはずがないだろう。
今までの経緯を無視することはできないはずか。
無視できないから否応なくそんなことを
続けてしまっているのではないか。
何を無視しようとしているわけでもないだろう。
では何も無視できなくなってしまうのか。
そんなことを述べようとしているわけではなく、
そんなことしか述べられなくなっているのかも知れないが、
だからどうだというわけでもないか。
どうでもいいようなことを述べているからおかしくなるらしい。
しかし何がおかしいわけがなく、
まったくつまらないことを述べているような気もしてくる。
おかしくておもしろいのではなく、
つまらない内容が頭のおかしさを連想させるのだろうか。
だがそれで何を述べているつもりなのか。
何がどうなっているわけでもないような気もしてくる。
その頭のおかしさは何を装っているのだろうか。
言説のくだらなさでも主張したいのか。
それの何がくだらないと思われるのだろう。
それについて何をどう述べればいいのだろうか。
どうも納得のいく説明からは遠ざかっているらしい。
かなり遠く離れてしまったように思われる。
離れすぎて何を見ているのか判別できなくなるが、
それで何を述べているつもりなのか。
何も述べていないのではないか。
何も述べていないから
言葉がそんな風に連なっているのだろうか。
ではそこから何がわかるのか。
ただ何かが継続されているように思われるだけなのか。
空虚と空疎と虚無が続いている。
だがそれでは自虐的すぎるだろう。
もう少し肯定的な言葉を導き出せないものか。
君はそれらの何を肯定したいのか。
何も肯定できないからそれを続けようとしているらしいが、
なぜそれが矛盾していることをわかろうとしないのだろう。
それの何が矛盾しているというのか。
矛盾していると思われる箇所を特定できないか。
何が矛盾していようとそんなことはどうでもいいことで、
いちいちそんなことを説明する気にはならないか。
本当はわかっていないのだろう。
わかりようのないことを
無理にわかる必要はないのかも知れないが、
それ以外にやることがなければ、
暇にまかせて何かを
わかろうと努力する気になるのかも知れない。
しかしそれ以外に何をやればいいのだろうか。
そこから何をわからなければならないのか。
君はその場の空気をつかんでいない。
しかしその場がどこにあるのか、
君には何を述べる場も残されてはいないのだろうか。
空気さえ残されていないのかも知れないが、
それでは呼吸すらできないだろうか。
だが架空の話の中で誰が呼吸を必要としているのか。
それは誰が呼吸を繰り返す話でもないはずか。
そんなことを述べているわけではない。
また意味から遠ざかってしまうらしい。
何を述べているのでもなくなってしまうようだ。
いったい何を述べているつもりなのだろう。
そこには何が存在しているのか。
言葉以外に何があるのだろうか。
しかし意味が通じていないはずだ。
相変わらずわけのわからないことを述べている。
それで何がわかるのだろうか。
何も述べていないことがわかるか。
やはりただ内容の希薄な言葉が連なっているだけなのか。
意味が空っぽのままの文章が形成されつつある。
それ以外は何もわからないらしい。
そこで述べられるのはそんな内容でしかなく、
それ以外は何もわからないようだ。
それでも何かがわかりかけていると思えるのか。
そこであえて嘘をつく必要があるのだろうか。
この期に及んでどんな嘘をつきたいのだろうか。
これからどこへ向かおうとしているのか。
まさか死出の旅路ではあるまい。
もう少し気の利いたことを述べられないものか。
安易に死という言葉を使ってはならない。
しかしそれが何の戒めなのかわからない。
必要以上に必要から見放されているように思えるが、
本当にそこでは何が必要とされているのか。
それは何らかの意味を伴った文章だろうか。
だがそんな期待に応えてくれるような
精神状態ではないのかも知れない。
思い出されるすべては忘れ去られる運命なのか。
何を思い出そうとしているのだろう。

彼の声 2005.10.21

理由も動機も定かでないのに、
なぜそんなことをやっているのか。
たぶんこれからもつまらないことを
やりざるを得ないのかも知れないが、
そのつまらないことの内容が今ひとつはっきりしないようだ。
いつものように何を述べているのかわからないだろう。
それではだめなのだろうか。
だめなことはわかりきっているのではないか。
それをわかっていながら、
そんなことしか述べられないのだから、
もはやどうにもならない状況に追い込まれているのではないだろうか。
しかしそれでも何とも思わないのはどうしてなのか。
もうそんな状況には慣れきってしまったのだろうか。
とっくに深刻ぶる態度でいることを通り越してしまったのかも知れない。
語る糸口をまったくつかめないままに語り続けているようだ。
自らがそこでもがき苦しんでいるとは思えなくなってしまったらしい。
到底そんな状況とは思えない。
しかしそれで何かが吹っ切れたとは思わないか。
何を思っているのでも何を求めているのでも
何を目指しているのでもないらしい。
本当にそうなのだろうか。
またつまらない嘘でもついているのだろうか。
気休めにもう少し建設的なことを述べた方がいいのではないか。
なぜそんなことを述べてしまうのかわからないのは
いつものパターンだろう。
何がどうなってそうなってしまうのかもわからない。
要するに外はまたいつもの夜なのかも知れない。
それではますます意味不明になってしまうだろう。
それ以上の継続は困難なのかも知れないが、
そんな状況を無視しながらも、
相変わらず何も出てこないようだ。
それに代わる言葉が見当たらないのだろう。
まったくできもしないことをやろうとしていることの典型だろうか。
何がどうなってそうなってしまうのだろう。
それは違うような気がしてくる。
まったくわからなくなってきたように思われる。
何がわからないのかわからない。
それについて何をどう語ればいいのだろう。
すでに語っているそれではだめなのだろうか。
確かなことは何も述べられない。
そうではないのかも知れない。
微かに昔の感覚を思い出す。
思い出したついでに、
そんな風に語ってみたらどうなのか。
戯れにそれ以下の内容にしてみないか。
無理を承知で何を述べているのだろうか。
まだ何も述べていないのではないか。
では何をためらっているのだろう。
それはどのような話なのだろうか。
なぜそれについて語ろうとしないのか。
君はそれを避けて通ろうとしている。
誰がどこで何をしていようと君には関係のないことだ。
なぜそう断言できるのか。
誰が何を断言しているのか。
やはり何も述べられていないのだろうか。
少し耳が遠くなっているらしい。
風景が遠すぎてそれを眺めていることにはならないようだ。
だがカフェインの作用で
次第に頭がはっきりしてくるように感じられる。
そんな場所に心があるわけではない。
おそらく何もないのかも知れないが、
それではいつもと何ら変わったところはないのではないか。
それらの空洞には虚無以外に何が生じているのだろうか。
また虚無について語らなければならないのか。
それの何が気に入らないのだろうか。
そこから何がどうなればまともなことを語れるのか。
それらの停滞の何が愛おしいのだろう。
何が停滞していると感じられるのか。
それ以外に何も述べる必要はなさそうだが、
それ以外のそれがわからない。
まだ正気に戻るにはだいぶ時間がかかりそうに思われる。
たぶん常軌を逸して言葉が連なっているのだろう。
まだその辺でうごめいていなければならないようだが、
そこでうろついているのは君だけではなさそうに思われる。
君以外に存在しているつもりなのは、
君の影とそれに誰なのか。
誰でもなくてもかまわないだろうか。
何かにかまっていられるような余裕がどこにあるのだろうか。
それがどこかにあったら何を思うのだろう。
どこにもないような事物に出会えるだろうか。
たぶんそれは事物ではなく、
幻影か何かなのではないか。
気まぐれに繰り出された言葉の束から
どんな幻影が生じているのだろう。
そこから何を生じさせようとしているのか。
何もできないくせに、
何かをやっているつもりになりたいのか。
しかしそう述べているのは誰なのだろう。
それは君ではあり得ないような意識の持ち主になるだろうか。
フィクションでもない限り、
そんな事態はあり得ないか。
そう述べているうちに何があり得ないのかわからなくなる。
わからないのはそんなことではあり得ないか。
しかし執拗にあり得ないことを列挙しても
意味不明な状況は変わりようがない。
さっきから執拗に無内容を装っているのかも知れない。
しかしいくら言葉を弄しても
何も思わない状況が変化することはあり得ないか。
それらのフィクションの中では確かにそうなのかも知れない。
しかしそれがフィクションである根拠がどこにあるのだろう。
何をもってフィクションだと見なせば気が済むのか。
例えばどこにも存在しないような事物を言葉で示せるだろうか。
そしてそれは何かの冗談にでもなるだろうか。
なぜそれが冗談にならなければ気が済まないのだろうか。
まったく何を述べたいのかわけがわからなくなってしまうようだ。
話がどこにも通じていないのかも知れない。
いったいどこまでつまらないことを述べ続けるつもりなのか。
誰かに見捨てられるまで
そんなことをやり続けているのかも知れない。
いったいそれらの言葉は何のためにあるのだろうか。
それらの文章はなぜ理解を拒絶するかのように装うのだろう。
わざとそんな風に述べているわけではないようだが、
それがどこまでも他人事に思われるのはなぜなのか。
もはや内容がそれを述べているつもりの誰かには
あずかり知らない領域に逸れていってしまっているのか。
では君は実質的には何の関与もしていないと言い張れるだろうか。
言い張るような立場にはなさそうだ。
誰もいないのに君だけその場に存在しているのは不自然だろうか。
それではおかしいのなら、
何とか工夫を凝らして、
それをわかりやすい文章にしなければならないのかも知れないが、
それらの言葉をどのように修正すれば
まともな文章を導き出すことができるのだろう。
今のままではどうしようもないのか。
少なくともそこからは
意味不明以外の何が導き出されるわけもないか。
しかしそれで何の不都合があるのだろう。
それでいいのならそのまま語り続ければいいだろう。
ほつれてこんがらがった言葉の束を
より分けることは不可能かも知れない。
だからいつまでも
無理なことをやろうとしているように思われるのか。
どうにもならないことをどうにかしようとして、
結果的には予定調和気味に挫折を繰り返しているらしい。
そんなどうでもいいような繰り返しからしか
文章は生まれないのだろうか。
そうではないと誰が反論できるのだろう。
そしてそんな反論がどこで通用するのか。
案外君の意識以外ではいくらでも通用するのかも知れない。
では君の頭がおかしいだけなのか。

彼の声 2005.10.20

何も見出せないのはいつものことだろう。
何も思いつかないのもいつものことか。
意識がどこにも存在しないのもいつものことだ。
そこから逸脱したいのかも知れない。
だがもう逃げ隠れもできはしないか。
いったい何のことを述べているのか。
頭がおかしいのではなく心が病んでいるのかも知れない。
たぶんそれは嘘に違いないが、
なぜすぐばれるような嘘をつくのか。
ただ無駄に時間を浪費したいだけなのか。
時間を浪費してどうするのだろう。
時間とともに言葉も浪費している。
時間と言葉はどこでつながっているのだろうか。
それは単なる曲の題名に過ぎないのかも知れない。
君は相変わらず何を述べているわけでもない。
それを自ら認めているのもいつものことでしかない。
以前から何の進歩もありはしない。
そんな風に思ってはいけないのだろうか。
取り立てて何を思っているわけでもないもいつものことだろうか。
たぶんそこには何もありはしないのだろう。
何もありはしないが、
そこには空疎な言葉が連なっている。
すべてが偽りなのかも知れない。
すべてとはどれほどまでにすべてなのだろうか。
すべてがすべてであるはずがないか。
それ以外に何もないのに、
それがすべてだとは思いたくないか。
そんなすべてはあり得ないか。
何がすべてなのか忘れてしまったのかも知れない。
そんな見え透いた嘘は安易だろうか。
それの何が見え透いていると思うのだろう。
たぶん言葉の用法を誤っているのかも知れない。
それ以上につまらないことを述べているようだ。
述べている趣旨を導き出せずにいる。
それが違っていると思われるわけか。
何が違っていると思うのだろう。
何も思わないから違っているのかも知れない。
そして何も違っていないから、
それが違っていると感じられるのだろう。
だが突然の雷鳴に驚くこともないか。
君が驚いているのはそんなことではない。
ではなぜそんなことを述べているのか。
それは何かの冗談だろうか。
それはいつの記憶でもありはしない。
いつから君は頭がおかしくなってしまったのだろう。
冗談でならまだしも、
本気でそんなことを述べているとしたら、
それは取り返しのつかないことにでもなるのかも知れない。
別に過去を取り返そうとは思わない。
だがそれは過去ではないのかも知れない。
しかし未来はこれからやってくる時間だろう。
過去でも未来でもないとすると、
それは時間的にどのような範囲になるのだろうか。
そんなことにまで考えを巡らせて
何かを述べているわけでもないのではないか。
ではそれは単なるその場の思いつきが
それらの文章に反映しているに過ぎないのだろうか。
はたしてそれのどこまでが本気で、
どこまでが冗談なのだろうか。
何が冗談で何が本気なのか、
そんな区別などあるわけもないか。
そのすべてが馬鹿げているのかも知れないが、
やはりすべてがすべてであるはずもなく、
そんなことをいくら述べてみても、
決してそれらのすべてに到達することはないだろう。
しかし別にすべてに到達しようなんて思ってもいないのに、
なぜその場の成り行きでそんなことを述べてしまうのか。
ただ調子に乗っているだけかも知れない。
調子に乗って冗談にもならないようなことまで述べているらしい。
そんな調子でいいのだろうか。
どうも調子が芳しくないように感じられる。
だがそれが何の調子なのかはっきりしない。
精神が参っているのかも知れず、
同時にそれはいつものことだとも思われる。
まったく精神も何もありはしないだろう。
そんなことを述べるはずではなかったのか。
文章の意味がどこにも見当たらず、
そんなことを述べている意味も見出せないようだ。
何を述べているのでもなく、
どこかで何かがこだましているだけなのかも知れない。
しかしそれは何に対する反響なのだろうか。
どこで何が響き渡っているのか。
どこからか波が打ち寄せているような気がしてくる。
それが何の波なのかわからないが、
夢の中ではなぜ君は塩田から塩を取りだしているのだろうか。
いきなりそんな作り話では唐突すぎるだろうか。
何がそれを唐突な内容に引き込んでいるのだろうか。
それとは何なのだろうか。
何もないのにそれはないだろう。
それ以上は何も述べようとしてない。
だからわからなくなってしまうのだろうか。
何がわからないのかをわかろうとしているらしいが、
そこから何かがわかった例しはない。
要するにそのふりをしているだけなのかも知れない。
ふりをしながらふりをしていると述べることで、
それがどうでもいいことであるのをわかってほしいわけか。
誰にわからせようとしているのだろうか。
そこには誰もいはしない。
わからせる対象などまったく想定せずに、
ただひたすらわかってほしいと思っている。
何もわからないのにわかったふりでもしてほしいわけか。
どうせわからないのだから、
それでもかまわないのではないか。
別に適当にかまってもらってもかまわないが、
放っておいてほしいのが本音かも知れず、
無視されていたいのに、
無視されながらも認めてほしいのかも知れない。
そんなことを思っているとすれば、
そう思っている人格は分裂していることにでもなるのだろうか。
だが分裂しているからといって、
その先で何がどうなるわけでもないだろう。
何が人格を形成しているわけでもなく、
それはただの言葉の連なりに過ぎないだろう。
要するにいつまでもつまらないことを述べている現状があるだけだ。
そんな現状から誰かの意識や人格が形成されているのかも知れないが、
仮にそうだとしてもそれで何がどうなるわけでもない。
誰もそこにはいないのだから、
それは誰の意識でも人格でもなく、
ただの言葉の連なりに過ぎない。
それの何が不満なのだろうか。
そこでは何がどうなっているのか。
目眩がしてきて頭がくらくらしてくるだけか。
その辺でもはややっていられなくなってしまうのか。
なぜそこで疲れて寝てしまうのか。
それが誰かの実態なのだろうか。
できないことをやり遂げようとしているだけかも知れない。
そんなことができるはずもなく、
できもしないからさらにやり遂げようとする思いが強くなる。
なぜそうなってしまうのだろうか。
君は自らの思いと実際の行為が
矛盾していることがおもしろくてたまらないのか。
何となくそれは馬鹿げているように思われてくる。
それをいつまで続けようとしているのだろう。
いつまでも続けられるわけがないか。
では適当なところでお終いにしなければならないのだろうか。
それではつまらないか。
たとえつまらなくてもその辺が潮時なのかも知れず、
そのまま続けていたら
波にさらわれてすべてを失うことになってしまうか。
しかしそれは何の波なのだろうか。
別に水面上に漂っているわけでもないだろう。
何が漂っているかも認識できないのではないか。
要するにこの期にいたってまだ何もわかっていないわけか。
何もわかろうとしていないのかも知れず、
わからないのにわかるわけもないだろう。

彼の声 2005.10.19

それはどのような成り行きなのだろう。
意味不明なストレスに煽られて、
何もできずに誰かはふさぎ込んでいるようだが、
そこに何か希望の光を見出すことができないのだろうか。
そんな話の内容では、
確かにわけがわからない。
誰かの眠りの中に立ち現れる偽りの夢の中では、
見渡す限り何かが広がっているようだが、
風に吹かれて何がうごめいているのか。
よく見ればそれはただの枯れ草かも知れない。
うごめいているのではなくそよいでいるだけか。
ところでいったいそこはどこなのだろう。
所々に人家も点在しているし、
別にそこは無人の荒野などではないはずだろうが、
そこで空っぽの意識は何を思っているのだろうか。
誰が何を思っているわけでもなく、
君もそれらの風景を眺めても何も思わないようだ。
ただ黙ってそんな言葉を記しているだけなのか。
それで何か不都合でもあるのだろうか。
これからどんな出来事が起ころうと、
それにどんなわけがあるとも思わないが、
そこで誰が何をどう思っても、
状況的に何がどうなるわけでもないようだ。
いったいこの世の中にどれほどの人間がいるというのか。
そこにいるのは人間以下の生物だけか。
どのように創意工夫を凝らそうと、
人間は人間を超えることはできないのかも知れない。
それは人間を超えてしまっては、
人間ではなくなってしまうからか。
しかしそんな抽象的な物言いでは、
何を述べていることにもならないか。
君はすでに人間のレベルを超えていて、
まともな人間には君が何を述べていることを
理解することはできないのだろうか。
誇大妄想もときには冗談で済むこともあるだろうか。
なぜ唐突にそんなことを述べてしまうのだろうか。
それは今までに多くの人間を見てきた経験から生じた感想か何かか。
それほどの経験でもないだろう。
人一人の経験などたかが知れているかも知れないが、
たかが知れていない経験などどこにもありはしないか。
君波にその意味が理解できないだろう。
君はそんな経験を求めて、
どこをほっつき歩いているつもりなのか。
やはり意味のないことを述べているらしいが、
そこで何を理解すればいいのだろう。
どこかに何かを考える場所でも用意されているのだろうか。
そんな場所がどこにあるのか。
だがいつまで経っても何もありはしないでは済まないのではないか。
何が済まないのかがわからない。
ではそれで済んでしまうとはどういうことなのか。
そこにどんな真実が宿っているのだろうか。
苦し紛れに導き出されたそれは真実などではないか。
やはり確かなことは何もありはしないのであり、
おおよそこの世の中は
受け入れがたい事実と幻想によって
成り立っているものなのだろうか。
そんな穿った見方や考え方が受け入れられるはずがないだろう。
ではそうではないような事象はあり得ないのだろうか。
いったい君はそこで何を見ているのか。
あるいは今までに何を見てきたのだろうか。
それらを見聞してどのような認識に至ったのか。
例えば言葉でそれを示せたとして、
そんな認識ではつまらないのではないか。
それをこれから述べることが可能なのか。
そんなことは誰の知ったことでもないか。
いったい誰がそれを知っているのだろうか。
少なくとも君は何も知らないふりをしている。
それでは知っていることにはならないらしい。
だから何もわかっていないことにしておきたいのか。
そんなこんなで今日もまた何かがずれている。
言葉がずれ視点もずれている。
たぶんそれをネタにしておかしなことを述べているのだろう。
そして誰がそれを操作しているのでもなく、
誰もが状況に操られているのだろう。
言葉を操っているつもりが言葉に操られている。
そしてそれによって何を述べているのでもなく、
何かを述べているつもりになっているだけのようだ。
そこには何かがあるのかも知れないが、
何もありはしないのかも知れない。
そこから感じられる内容はつまらないことばかりかも知れないが、
それは単なる思い過ごしでしかないのかも知れない。
何を勘違いしているのでもなく、
すべてを勘違いしているのかも知れない。
そしてそれで何の問題もないと思い込んでいるのかも知れない。
たぶんそこには何もありはしないのだろう。
それも勘違いの一種かも知れないが、
すぐに誰もがそんな認識を正当化したくなってしまうのかも知れない。
たぶんそんな状況が気にくわないのだろう。
そして何となくそれは馬鹿げているようにも思われる。
そんなことの繰り返しのどこに
そこから変化する可能性があるのだろうか。
都合の良い変化などいつまで経ってもやってくるわけがないか。
そんな現象はあり得ないのではないか。
その状態から何を思ってみても、
意識の中身は変な風に変遷して行ってしまい、
その流転は決して一つの状態にとどまることを知らないだろう。
そんな物言いもかなりおかしいか。
常に思い通りにはいかないわけか。
だがそれで思わしくないわけでもなく、
そんな思いは常に無視される傾向にあるのかも知れない。
誰から無視されているわけでもなく、
それを述べているつもりの意識から無視されているのかも知れず、
述べている内容が意味不明なので、
どうしても自らが述べていることを
無視せざるを得ないような状況に追い込まれてしまい、
そうしないとそこから先に進んで行けないのかも知れない。
そしてそこから先へいくら歩を進めているつもりでも、
どこまで行っても意味不明な状況は変わらないような気もするのだが、
なぜそうなってしまうのかわからないのは当然としても、
本当のところはよくわかっていないふりをしているだけで、
すべてを承知の上でそんな演技をしているだけなのかも知れない。
わざとわかるはずのないことを述べているのだろうか。
そこでどんな考えを巡らせているわけでもないが、
やはりわけのわけのわからないことを述べていることに変わりはないか。
常にそうなのだろうか。
そうだとすればこれから先はどうなるのだろうか。
またいつものようにどうにもならずにどうにかなってしまうわけか。
そのどうにかなってしまう成り行きが気に入らないのか。
誰がそれを気に入らないのだろう。
そしてそんな成り行きから導き出された文章も気に入らないのだろうか。
たぶん気に入らないのかも知れないが、
そんな風にしか述べられないことも確かなようだが、
何をどのように述べようとしても、
結局はそんな風にしかならないわけだから、
そんな成り行きをどうすることもできずに、
それを否応なく認めるしかないのかも知れない。
そんなことではだめなのだろうか。
だめだがそれ以外にやりようがない。
確かにそうなるより他はあり得ないのかも知れないが、
たとえいくらそんな水準で逡巡を繰り返してみても、
どうにもならないことに変わりはないのかも知れず、
どうにもならないからまたそれを繰り返してしまい、
要するにそれはいつもの悪循環でしかないということになるだろうか。
そんなわけでまたひたすら無駄に言葉を連ねてしまっているらしい。
そしていつものようにそれが何を意味するのかはわからないが、
やはりたぶんそれではだめなのだろうが、
それで何を述べていることになるのか。
わかるはずもないことを述べているだけなのかも知れない。

彼の声 2005.10.18

いったいこれから何をやろうとしているのだろうか。
何をやろうとしても結局は何もできないのではないか。
何かをやるきっかけを奪われているのは相変わらずのことなのか。
だが何が相変わらずなのかわからない。
たぶん何もできないのというのは、
誰かの勝手な思い込み過ぎなのかも知れず、
そんな思い込みはすぐに忘れてしまいたくなるが、
ではそこからどう述べたら、
以前とは違うことを述べていることになるのか。
その辺で何やらややこしいことを述べているように思われる。
それがややこしいと感じるのは、
心に余裕がない証拠だろうか。
何を焦っているのだろう。
何をそんなに急いでいるのだろうか。
何となく誰かはそんなせわしない心理状態でいたいらしいが、
それで何を述べられるというのか。
何も述べたくはないのかも知れないが、
現に何かしら述べているではないか。
それでは不満だからそういうことを述べているのではないか。
要するにそのような現状では気に入らないのだろう。
その状況は何となくいつものように馬鹿げていると思われるが、
それ以上に差し迫った事情でもあるのだろうか。
何もありはしないだろう。
しかし君にはそれをやり遂げる決意などありはしない。
だが何かやり遂げなければならないことでもあるのか。
何事にもどん欲になれる人は幸福なのだろうか。
そういう人が社会的に成功するケースは多いのかも知れない。
では成功したければ何事もどん欲に吸収した方がいいのだろうか。
たぶんその通りなのかも知れないが、
しかし何事とは何なのか。
その何事について何か具体的な内容を述べられるわけもないか。
君が記している文章においては、
そんな内容までは用意されていないのかも知れない。
ただそのときの気まぐれで、
どん欲という言葉を使ってみたかっただけか。
たぶんそんなやり方ではだめなのだろう。
それは十分に承知しているが、
そんな風になってしまうのだから、
それは仕方のないことかも知れない。
しかし本当になぜそうなってしまうのか。
述べていることが嘘だからそうなってしまうのだろうか。
それが本当か嘘か以前に、
そこで起こっている事態そのものを把握していないのかも知れない。
結局そんなことを述べているうちに、
次第に何を述べているのかわからなくなってくる。
そこに居座ってわけのわからないことをほざいているのは誰なのか。
何をやろうとしようと君にはどだい無理なのだ。
君はそれがおかしくてたまらないようだが、
それは世の中が狂っているのではなく、
被害妄想気味の君自身が狂っているのだとしたら、
そんなにわかりやすいことはないか。
ただそんな風にしてつまらないことを述べているだけなのだろう。
そしてそこからさらにおかしくなってしまうのかも知れない。
単にわけがわからないだけでなく、
それを誰が述べているのかわからない。
まるで変な夢を見ているような気がしてくる。
今見えている暗闇の向こう側には何があるのだろうか。
そこから意味を見出せないように思われる。
感覚が麻痺しているわけか。
意識がどこかへ飛んでいるのかも知れない。
まったく述べていることがわからず、
何がどうなってしまったのかもわからない。
何もかもが上の空になってしまったのか。
そんな精神状態で何を述べられるのか。
いくら画面を見つめても何も出てこないだろう。
あるのは画面上に映っている模様が刻々と変化している現実だけか。
それ以外の現実を感知できないのか。
この世界にはそれ以外の何もかもがあるのに、
それをわかっていないだけなのか。
わざとわからない風を装っているだけなのかも知れない。
あるいはそこに醸し出されている状況が、
君の意識を受けつけてくれないのかも知れない。
何かしら意味のあることを語らせてもらえないのか。
君は何を感じ取ろうとしているのか。
意識や感覚はそこからどうなってしまうのだろう。
すでにどうにかなっているのだろうか。
しかしどうになろうとも何とも思わないのではないか。
また何をどう思ってみても、
まともな内容を見出せないのだろうか。
もはやそれは技術や感性の問題なのではなく、
構造的な不具合なのか。
何かを転換しなければどうにもならないのだろうか。
では文章の構築に取り組む意識の転換以外に、
何を転換しなければいけないのか。
なぜそんなことにこだわっているのか。
そこにいたって、
未だに何かを述べようとしているのは、
どういうことなのか。
それはどういうことでもなく、
何をどう述べても無駄なのに、
その無駄なことにひたすらこだわっているらしい。
執拗に何かを述べようとしているのだが、
何を述べているのかはわからない。
皆目見当もつかないような状況に突入してしまっているのだろうか。
見当などいくらでもついているだろう。
なぜそうなってしまうのか。
いったい何を語りたいのか。
何かが狂っていることは確かだが、
その狂いを修正することは不可能なのか。
このままではこの世界で起こっていることのすべての出来事が、
君から離れていってしまうのかも知れない。
それは何かの思い過ごしだろうか。
ただそれを感知できなくなっているだけか。
あるいはそれを感知しているのに、
文章に反映することができなくなっているだけか。
だからおまえはいつまで経ってもわけがわからないままになるだろう。
しかしそれの何がおもしろいのか。
別にそれほどおもしろくはないが、
成り行き的にはそうなってしまうのだから、
それはそれで仕方がないと思いたいのか。
やはりいつものように何を述べているわけではないらしく、
それでも自然と言葉は連なっているようだ。
何も述べられないのに何かしら述べている現状はおかしいか。
おかしいがそれ以外には何もできないのだから、
そんな現状を認めざるを得ない。
そんな風に意識している感覚が狂っているのかも知れないが、
今は感覚が狂ったままでもいいような気もしている。
どういうわけかそんな風に思われてしまうらしく、
それで当面の危機を乗り切ろうとしているのかも知れない。
しかしその状況の何が危機なのかわからない。
現に何も困ってはいないではないか。
困るどころか何もできずにかえって気楽になってさえいる。
だがなぜ何も述べられないような成り行きになってしまったのだろうか。
それについて何をどう考えればいいのだろうか。
何をどう考えたらいいのかわからないから
そんな状況になってしまっているのか。
たぶん何かが狂っていることは確かかも知れない。
周りの環境が意識に合わないのかも知れないが、
そこがどんな環境になっているのか、
それさえもよくわかっていないのかも知れない。
いったい何を述べているのだろうか。
そんなことはいくらでも述べられるのだろうか。
そしていくら述べても無駄なのだろうか。
たぶん無駄でないように述べるのは無理なのかも知れず、
それが無理だと思えているうちは、
そんな成り行きを感受している以外には状況はあり得ないのかも知れない。
黙示録
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