彼の声 -688ページ目

彼の声 2005.12.23

時流に合わせられない。
そんな嘘は嫌いだろうか。
信念は何もない。
それが君の信念か。
何かに追いつめられているのだろうか。
何ものにも代え難い貴重な体験というものを与えてほしいか。
神がそれをもたらしてくれる。
そんな冗談はつまらない。
すべてが時々刻々と変化している。
たぶんいくら言葉を弄しても、
何を知ることにもならないだろう。
簡単に言葉の数を増やしたいだけだ。
今より容易に言葉を連ねたい。
無理を言わないでほしい。
本当にそれが君の望みなのだろうか。
他にどんな望みがあるというのか。
それについて何とも思わないのはどういうことなのか。
誰が何とも思わないのか。
文章が干からびてミイラ化しているかも知れないが、
そんなのは嘘に決まっている。
どうもそういうのは違うようだ。
それでは何を意図しているのかわからない。
枯れかけの雑草はなかなか枯れきらないようだ。
小さな花が次々と咲き続け、
毎日大量の種を床にまき散らす。
これが地面だったら
春になれば辺り一面が雑草だらけになるわけか。
思いついたのはそんなことか。
想像力が貧困だろうか。
それを君はどうするつもりなのか。
無理にありもしないことを想像してみる必要はない。
必要もないのに述べているそれらの文章の方はどうなのか。
今はなくとも後から必要になってくるはずだ。
そんな思い込みに何の根拠があるのか。
後からそれが必要であったか否かがわかる時がくるだろう。
だが明日になればそんなことは忘れているはずだ。
だからそんなことはわからなくてもかまわない。
もう少し思考対象を広げてみたらどうだろう。
誰がそれを提案しているのか。
内なる神が何か助け船でも出しているのだろうか。
たぶんそれも嘘に違いないが、
初めの嘘は何だったのか。
それを探り出すには手間がかかりすぎる。
また嘘をついているらしい。
君は何をそんなに嘘を用いて否定しているのか。
話があらぬ方向へ逸れてしまうのを
嘘という言葉で防いでいるのだろうか。
そんな説明が本当だとは思えない。
別にそれも嘘でもかまわないだろう。
嘘か本当かの判断を下すのが面倒になってきた。
どちらと判断してみても、
その判断自体が誤りのような気もしてくる。
もちろんそのときの判断が誤りであってもかまわない。
それが正しい判断であるはずがないか。
判断しなくてもかまわないだろうか。
誰がそれを了承してくれるのだろう。
誰の了承を得るつもりもないのだろう。
何を述べてもかまわないのなら、
逆に何も述べなくてもかまわないのだろうか。
そこで何を決断することになっていたのか。
すでに決断は下されているのではないか。
それは終わっているのにまだ続けるという決断だろうか。
そうであってほしいと誰が願っているのか。
誰の願いが叶えられるわけでもない。
叶える対象がどこにいるのかもわからないのに、
他力本願もいい加減にあきらめてほしいような気がする。
少なくともそこで
精神の集中が持続しなくなっているのはわかっている。
気持ちが散漫なままでは、
何を述べても間が抜けているような感じになる。
何もないのだから仕方がないだろう。
誰かがそんな状態を言葉中毒とでも揶揄するだろうか。
いつの間にか他人にからかわれるような内容を
獲得しているかも知れない。
それはそれで願ったり叶ったりだろうか。
本気でそんな風に思っているわけでもなく、
文章の流れ的には、
そんな風に述べてみるのも
しっくり来るかも知れないと思っているだけか。
後からそんな言葉を付け足しているだけで、
その時点ではそんなことを思ったりしないはずだ。
しかし何を思っていたのか忘れている。
もうあれから何日が経過したのか忘れてしまっている。
まさかそこからまだやる気になっているわけでもないだろう。
過ぎゆく時間に言葉が対応できていない。
だからそこでやめなければならない。
答えはもはやそこに提示されているはずだ。
それに逆らうことはできない。
やめたければいつやめてもかまわない。
だがそうまでしてやめなければならないのだろうか。
ではさらに長引かせなければならないのか。
それは君自身がそこで判断することだろう。
それ以上続けても無駄だと判断するならそこでやめればいい。

彼の声 2005.12.22

行き先を変更できずに、
何か得体の知れぬ場所へ連れて行かれてしまうらしい。
それに関しては何の情報も知らされず、
何をどうしたらいいのかわからない。
対処不能な事態に陥っているのか。
かなり遠くから馬鹿騒ぎの気配が伝わってくるが、
何がそれらを冗談に駆り立てるのか。
たぶんそんなことはどうでもいいことなのだろう。
君はそこで何を見せつけられているのか。
そこにはどんな世界が広がっているように感じられるのか。
それに関して何か真剣になって考えさせられるような出来事が
もたらされているのだろうか。
意味不明な嘘をつくならば、
この世はあの世からもたらされている。
だからこの世から何を批判しても無駄だろう。
何をどのように述べても終わりは終わりであって、
そこにどんな言葉が付け足されているわけでもない。
たぶんいつものように何を語っているわけでもないのだろう。
ところで何が終わっているのだろうか。
どうも今年中には遅れを取り戻せそうにないらしく、
それどころかさらに遅れてしまいそうな気配だ。
もう完全に壊れてしまったのかも知れない。
頭の中で何かが壊れている。
だがそんな言葉はありふれている。
ありふれているからこそ安心して使える言葉なのであり、
本当に壊れていたら、
君は何も語れなくなってしまうだろう。
それの何が気に入らないのだろうか。
何もないのに何かを語れてしまうことが
気に入らないのかも知れない。
気に入らないからといって、
他に何ができるわけでもないだろう。
調子に乗っていないことは確かなようだが、
何を偉そうに述べているわけでもなく、
頭ごなしに他人を批判しているわけでもない。
要するに人畜無害なことを述べているに過ぎず、
いくら述べても何の感慨にも至らない。
それで精神的に追いつめられているわけか。
まだそこまで状況が進展していないのではないか。
ここにある現実のすべてを否定していいわけではないが、
それでも何かしら気に入るような言葉を模索しているうちは、
それなりの積極性を有していて、
前向きに生きている証拠なのではないだろうか。
だがいくらせかしても出てこない言葉は出てこないだろう。
性急に結果を求めても無駄である。
世の中には生き急いでいる人々が多すぎるのかも知れない。
だがそこで本気になるとはどういうことなのか。
生き急ぐことが本気である証拠となるわけか。
その辺の意味がよくわからないのだが、
その通りのことを述べてしまうと誰かが頭に来るらしい。
それでは何のための冗談なのかわからない。
君は冗談を用いて誰に攻撃を加えているつもりなのか。
他人の文章に説得力を見出せず、
自らの述べていることとは
何の関係もないように思えてしまう。
後から思えば、
それは単なる思い過ごしだったのかも知れない。
そんな精神状態で何ができるというのか。
何もできないから何かを語ろうとするのは、
卑怯なやり方だが、
それでも世の中の不満のガス抜きになっているのかも知れず、
そんな冗談が誰からも認められないことは
わかっているつもりだ。
それどころか冗談とは思われていないような気もしてくる。
だがなぜそんな冗談に
本気で反論する必要がどこにあるのだろう。
そんなことがわかるわけもなく、
何を述べても推測の域を出ないことでしかない。
またそんなわけのわからない文脈を察知して、
誰かが反発しているらしいが、
それに対してわかりやすいことを述べるために
努力していることも確かで、
これまでにも幾度となく文章に修正を施しているはずだが、
結果的にはさらにわけがわからなくなってしまうらしく、
そんな過ちを繰り返すのがそこでの成り行きとなっていて、
そんなことをやっているうちに、
次第に時間の経過について行けなくなり、
それによって君の心は傷ついている。
それこそが意味不明だろう。
努力が徒労に終わっている現状に
嫌気が差しているのだろうか。
だがそれが君のスタイルなのだから、
それはそれで仕方のないことなのではないか。
しかしそう述べることが
何の慰めになっているのかわからない。
そんなありきたりな嘘ではつまらないだろう。
それでもわけがわからないようだが、
いったいそれらの何が謎なのか。
この世界はクイズで成り立っているのだろうか。
そうである証拠がどこにあるというのか。
それこそが見え透いた嘘に違いないが、
もはや何を見せられても納得するわけがない。
すべての反応が期待外れであることに変わりはなく、
誰もその場の空気を読めていないことは
わかりきっている。
その証拠に何を突きつけられても、
誰も何の動作も引き起こさない。
そして誰もがその場の静けさに逆らうことはできない。
まるでそこから急ブレーキがかかったかのように
突然動かなくなり、
何もできなくなってしまう。
そのような事態に至ったことについて
何か原因があるのだろうか。
心当たりは誰にもなく、
何も思いつかないのだからわかるわけがないだろう。
今さらそんな嘘をついてどうしようというのだ。
何が嘘なのかわからないか、
あるいはどうもできないということか。
急速に何もできなくなっているのかも知れない。
すべての事象が身の回りから
遠くへ退いていってしまうように思われ、
そうなってから
なおのこと何かを述べようとするらしい。
何も思いつかないのに言葉が連なってくる。
もうそこからの挽回は不可能だと思えるのに、
まだその無内容の続きを記そうとしてしまう。
何かが常軌を逸していることは確からしいが、
それを制御できないようで、
なすがままにしておくしかやりようがないみたいだ。
そして今や記している日付も文章も
君の所有物ではなくなってしまった。
誰がそんなことを記しているわけでもなくなっている。
それは今感じていることでさえなく、
それらの文章に何が記されているのかもわからない。
だがそんなまわりくどいことを述べなくとも、
何もないことはすでにわかっているはずだろう。
そしてどこにも逃げ道がないこともわかっているはずだ。
言葉がまったく響いてこない。
何もかもが静けさに飲み込まれてしまったのか。
それはあり得ない文章だ。
そこには何かが省略されているらしく、
意図的に肝心なことは
何も述べられていないかのよう装われている。
もはや何かを語る精神状態にはないらしい。
しかしそれは誰の精神なのだろう。
認識することのすべてが馬鹿らしく思われる。
そんな嘘も聞き飽きたはずだ。
それはもはや精神とは呼べない代物なのではないか。
ただ惰性が何かを述べさせている。
そんなわけで答えはすでに出てしまったらしい。
答えが出た後に何を付け加えようとしても無駄だ。
それ以上は何を述べても空疎に思われてしまう。
だが無理を承知でそこまでやってきたのではなかったか。
その無理がようやく今になって効力を発揮し始めてきて、
本当に何を述べるのも無理になってしまったのか。
これ以上無理を重ねても
無駄であることがわかってしまったらしい。
だからそこであきらめようとしている。
ならばいったんあきらめてみることだ。
誰が誰に向かって指図しているのか。
自らに何を言い聞かせているのだろうか。
できるはずのないことを命じるのはやめてほしい。
虚構の中でそんなことを言っても無駄か。

彼の声 2005.12.21

なぜか一通りたまっていた膿は出尽くしたような気はする。
しかしそれで誰かの本性をわかったつもりになれるだろうか。
わかっているのはそんなことではない。
そんなことはわかっているはずだ。
誰かはさらに老け込んでしまったようだ。
その場にはさらなる停滞の時が到来しているらしい。
自らいかにどうでもいいことに関わっていたのかを
思い知らされたような気になる。
それらのすべては否定されるべき結果なのだろうか。
それでも気持ちの中では、
何かがこんがらがっているようで、
それに関する思い通りの言葉が見つからずに、
相変わらずの文章にはまともな意味を見出せず、
ただ自らが何を述べているのかわからなくなる。
だがそういう認識がそもそも間違っているのかも知れず、
述べている内容はそこに示されているとおりの内容でしかなく、
それの何がわからないのかわからないのはいつものことだが、
どうもわからないと述べているだけでは、
そのわからなさを正確には表現できないような気がする。
だがそれで何を述べているとも思えないことも確かだ。
これからそれらの文章はどうなってしまうのだろうか。
どうにもならずに最終的には
継続をあきらめるしかないのかも知れない。
だからこれ以上いくら皮肉を述べても無駄だろう。
それらの何が皮肉に思われるのか。
それは何に対する皮肉なのか。
皮肉な対象などどこにもありはしない。
何もないのに皮肉はないだろう。
それは皮肉な巡り合わせだ。
そこに巡ってきたものが皮肉でないとすると何なのか。
ただ文章の内容がつまらないと思っていて、
しかも君には何がつまらないのかわからない。
今さら何を改めようもないのかも知れないが、
そんな言葉遊びでは気がひけるらしい。
だが他のどこから言葉が降ってくるわけもなく、
新たに見出された時空にも何があるわけでもなく、
そんな状況に誰が落胆している風も感じられず、
どんな意識のねつ造をもはね除ける空虚に対して、
どんな言葉を用いて挑み続けているとは思えず、
挫折を装う君の文章に興味があるわけでもなく、
うなだれている生身の体が、
窓際の枯れ草に励まされているわけでもないらしい。
要するに意味不明なのだろうか。
わざとそうしているだけだろう。
少し耳が遠くなってしまったのかも知れず、
微かに聞こえてくる床の軋みに鈍感なのかも知れない。
なぜそこから遠ざかれないのか。
いつものように理由など何もない。
どこから遠ざかろうとしているかもわからないのに、
なぜそんな風に思うのか理由がわからない。
いつまで経っても話は始まりもせず、
始まっていないので終わりもしないだけか。
ついでに具体的な進展も何もなさそうだ。
誰かが何かを進展させようとしている形跡がない。
そこに何らかの意図を感じていることは確からしいが、
眠気に阻まれてそこから先が出てこない。
目の前を通り過ぎる何に対してもリアリティを感じない。
目の前には画面しかないだろう。
冗談でそんなことを述べているのだろうか。
冗談がおもしろいとは限らない。
そんな冗談にもならないことが
おもしろいわけがないだろう。
少し前にそれらの言葉を冗談と感じたのは
気のせいだったかも知れない。
そこで認識していることに興味はないが、
闇夜に紛れて新たに何をやろうとしているのか。
そこに人影など見出せるはずもない。
画面上では誰かがうごめいているではないか。
やることも何もありはしないが、
それでも何も思いつかないわけではないらしく、
たぶんそれに関してあまりにも何も語らないので、
呆れているのだろう。
単に言葉遣いが間違っているのかも知れない。
そこで奪い去られているのは時間なのか場所なのか。
あるいはそれ以外の何なのだろうか。
誰に何を奪い去られているのかはっきりしないが、
どうせそんなのは嘘に決まっているだろう。
またつまらないことを考えているらしい。
これから何もない現状をどうしようというのか。
現状に折れて、
安易でわかりやすいことを述べようとしているのだろうか。
しかしなぜそこで殺されてしまうのだろう。
どうして笑いながら死んでゆくのか。
はたして死や笑いは文章のわかりやすさに結びつくだろうか。
それだけでは何ともいえない。
それについて何を語っているのでもない。
それどころか何についても何も語っていないような気がする。
そんなことはわかりきっていることか。
わからないからそんな風に述べているのではないか。
物事を単純に解釈しすぎているのではないか。
だから何も残らない。
言葉を差し挟む隙さえない。
少なくとも時間が過ぎ去った空洞の中には、
何かの影や痕跡でも残っていそうなものだが、
それを探している手間をかけられないのか。
意識が何かに取り憑かれているのかも知れない。
それは君の時間でも場所でもない。
何かを根気よく並べているつもりらしいが、
その並べている当のものは君を必要としていないようだ。
しかし君の他に誰がいるのか。
君は何に裏切られているのだろうか。
君から何を引き出すこともできない。
やる気も努力もその対象ではないらしい。
君は誰の存在を認めようとしているのか。
君以外の存在を認識できないから今がある。
しかしそれで何がわかるというのか。
何もわからないからそんなことを述べているのだろう。
それはどのようなことでもなく、
ただのつまらない無内容に過ぎない。
眠気と共に他人のことなどどうでもよくなってくる。
それも過ちの一つだろうか。
何かがそこで過ぎ去っているらしい。
馬鹿げたゲームにはまっているのだろうか。
人はいつ何時でも
自らが生きていることを実感していたいようだ。
だがもう使い物にならなくなってしまった者たちは
どうすればいいのか。
話が飛んでいる。
わざと飛ばしているのだろう。
使用済みになってしまったら、
墓石の下で永眠するより他はあり得ない。
何となく結論は初めから定まっているような気がする。
しかしそれが言葉で示されるまでには、
多大な時間を要するのかも知れず、
途中で何を述べているのかわからなくなりつつも、
未だに君は破滅に向かって歩んでいることになるらしい。
やはりそれで何を述べているのでもなく、
空虚に覆われた頭の存在が鬱陶しく感じている。
まだそんなところで何かを述べていることに対して、
何をどう述べてゆけばいいのだろう。
そういうことではない。
何を否定していることにもなりはしない。
仰向けに転がって天井をいくら見つめ続けても、
わずかに生じている心の隙間がさらに広がることもなく、
隙間から何が浸みだしてくるわけでもない。
何となくそんなことを述べながらも、
何を述べているのかわかっていないようだ。
たぶん今はいつでもなく、
そこはどんな場所でもないのだろう。
虚構の中で何を述べているわけでもないようなことを
述べているだけのようだ。
それはただの矛盾を含んだ内容でしかなく、
他に何もないので
わざとそんな風に語るしかやりようがないのかも知れない。
要するに現状は馬鹿げている。

彼の声 2005.12.20

内なる声に従っているつもりらしいが、
やはりわからない。
それは誰の未来でもない。
どんな出来事についてどんな見解を示そうと、
未来を変えることはできない。
そういう見解には何の根拠もないはずだが、
過去の時間に属している君には、
そこでどのような嘘をつこうと関係のないことだ。
這い出ることの叶わぬ奈落の底で、
天井を見上げる毎日が続いている。
それが何を意味しているのかわからない。
馬鹿げた思いを抱きすぎなのか。
だが何が馬鹿げているのかわからない。
人々は何を追求しているのだろう。
ローンや保険や資産運用で踊らされて、
誰もがぎりぎりのことをやっているのだろうか。
それが虚栄だなんて間違っても思わないだろうが、
繁栄を謳歌するということは
そういうことなのかも知れない。
そういうやり方を推し進めた結果として、
今の世の中があり、
これからもさらなる深化が待ち受けているのだろう。
豊かな生活という幻想にすがる人々が増え続けるわけだ。
だがそれを本気で批判してはならないような気もする。
その対極に田舎で畑でも耕して、
質素ながらものんびり暮らす自給自足の生活がある。
老人はそこから癒しを得たいのかも知れず、
それもある意味では豊かな生活といえるだろうか。
物質的な豊かではなく心の豊かさというヤツか。
しかしなぜ君にはそういう生活が馬鹿らしく思えるのか。
それはまるで絵に描いた餅というヤツか。
安易にそんな風に思うのもどうか。
たぶんそれだけではないのかも知れず、
そういう現象をメディアが大げさに伝えているだけで、
そういうことをやっているのは、
ほんのひとにぎりの人々に過ぎないのかも知れない。
何よりもそういう話には現実感を伴わない。
どんなにリアリティを伴っていようと、
何らかの思惑を持って、
それを伝えようとする意図が感じられる限りにおいて、
今ある現実からは程遠い内容になってしまうようだ。
要するにそれらの内容は
メディアが作り上げた物語の中の現実でしかなく、
恣意的な情報操作から生まれた
ご都合主義の産物なのだろう。
しかし実際に自らが体験しつつある現実とは
どのようなものなのだろうか。
まったくとりとめがないように思われ、
一つの物語などにまとまるはずのない複数の現実が、
相互に干渉を及ぼしながら、
わけのわからない成り行きのただ中に
放り出されているような感覚だ。
過ぎ去る時間に追いつこうとして、
必死に努力しているつもりが、
気がついてみればすべては遅れに遅れ、
結局述べているのは数日前のことになってしまい、
述べていることと述べようとしていることがずれてしまい、
まったく何をやっているのかわからなくなって、
無駄で無意味なことばかり述べているように思われてくる。
そうは思いたくないのだが、
そんな思いなど述べている内容からは
完全に無視されているように思われ、
自らの意図や思惑とはまったく無関係に、
ただどうでもいいような言葉が延々と連なり、
それは上空を流れ去る雲のように、
次から次へと意識を素通りして、
誰かの気持ちや感情などまったく意に介さず、
ほとんど記憶に残ることもなく、
痕跡として画面上に空疎な文字だけ残して、
その場をさっさと立ち去るだけのようだ。
いったいそれはどういうことなのか。
たぶんどういうことでもなく、
そういうことでしかないのだろう。
やはりそんなわけのわからない成り行きを伴った現実は
とりとめがないだけで、
何か一定の方向性があるわけでもなく、
まとまった内容があるわけでもない。
もちろん意識がそれを拒絶していることは確かなようで、
それらの現実の中から、
恣意的な取捨選択を施して、
ご都合主義的な物語を作り上げようとするのは、
避けられない人の弱さなのかも知れず、
そんな独りよがり物語の中の主人公となって、
それで何となく自己実現を図っているような
気になりたいのかも知れない、
それが自らの達成すべき夢や目標となってしまうことも、
ありがちな精神作用からもたらされた結果なのだろうか。
しかし人がそうしないとするならば、
他に何かやるべきことがあるのだろうか。
自らの努力によって実現すべきことが何もなければ、
その先には何が待ち受けているのか。
まともな答えなどあるわけもないか。
生きていることに意味などありはせず、
それでも意味があるとするなら、
それは強引なこじつけによって
ねつ造された意味に違いない。
だが意味がないからといって、
死ねばいいわけでもない。
生きているなら少なくとも死ぬまでは生き続けるしかない。
だからといって生きていること自体に、
大げさな意味など見出す必要もないのではないか。
それでもそこに意味が見出されるとすれば、
それは思い違いや勘違いからもたらされる意味に違いない。
そして生きていることに意味などないということ自体が、
人にとっては間違った主張になる。
思い違いや勘違いでもかまわないから、
生きていることに意味を見出さなければ、
多くの人は生きて行けないだろうからだ。
人々は自らが体験しつつあるとりとめのない現実の中に、
心の支えを見出したいのであり、
そんな自らが達成すべき事柄を自分勝手に設定して、
それに向かって努力している間は、
生きていると実感できるだけなのかも知れず、
それが独りよがりの幻想でしかなかった
と気づいてしまったら、
そこで人生が終わってしまうだろう。
もちろんそこからさらに生き続けたいなら、
新たな目標設定が必要であり、
それに成功すれば、
そこからさらなる努力の日々が続いてゆくのだろう。
まったくご苦労なことかも知れないが、
もちろん実際にはそんなに単線的な歩みであるはずがなく、
様々な紆余曲折と
わけのわからない回り道や停滞が途中に待ち受けていて、
誰もがありふれた波瀾万丈を経験するのだろうが、
そのような成り行きに何の意味があるというのか。
そこに肯定的あるいは否定的な意味を当てはめようとすれば、
何らかの意味が導き出されるのかも知れないが、
それについて何をどう思ってみても
仕方がないような気がする。
どうも意識はその辺で
何とも思わないような状態に行き着いてしまったらしく、
そこがそのような方向での思考の限界点なのかも知れない。
そこから先は思考の及ぶ範囲ではないのだろうか。
そこから先に何があるというのか。
はたしてそんな作り話でおもしろいだろうか。
何となく話が逸れていってしまうらしい。
これ以上馬鹿げたことを述べられないように思われてくる。
またどうでもいいようなことを述べていたのだろうか。
自らが述べていたことに関してあまり本気にはなれない。
しかしそんなことはどうでもいいで
終わってしまっていいのだろうか。
たぶんどんな風に思っているのでもないのだろう。
どうでもいいことと思えば
どうでもいいことになってしまい、
何かそれらの言説の中でこだわる箇所があるとすれば、
それについて何らかの見解が導き出されるかも知れない。
それはそういうことでしかないらしい。

彼の声 2005.12.19

不毛の大地で精神が干からびている。
それは意味不明な比喩を装っているが、
さらなる高みがどこにあるわけでもない。
見下ろしているのは最も低い地点だ。
足下には地面があるしかない。
どうやら地に足がついているらしい。
飛翔していたのは夢の中での出来事か。
それ以外の何が出来事となっているのだろう。
まるで雲の上を歩いているような気がする。
夢と現実が重なり合うわけがないだろう。
そんな事態を求めていたわけではない。
風邪を引いてから
言葉の並びがおかしくなってしまったようだ。
意識がどこかで途切れている。
これから薬の効き目が長持ちしてくれるだろうか。
たぶん苦悩にはまだその先があるのだろう。
そこで引き裂かれているのは何なのか。
そんな大げさな表現は好まないはずだ。
誰が何を求めているのだろうか。
さえない表情を浮かべながら、
画面から目を背ける。
そこで鏡が砕け散る。
ガラスの欠片が足裏に突き刺さる。
想像力の貧困がそんな言葉の並びを許している。
肩で息をしながら階段を駆け上がろうとするが、
それの何が間違っているのかわからない。
曇っているのはどこの空なのか。
すべてはなかったことにしたいらしい。
絶望の中にわずかな希望の欠片が残っているのかも知れない。
それは反則だろう。
どこまで歩めばそれがわかるだろうか。
気が済むまで歩いてゆけば、
どこまでも続く道の上にいることを知るだろう。
雪に混じって砂が飛び散っている。
枯れかけの雑草が何かを言いたげだ。
そんな場所で何をやっているのか。
わけのわからない世の中だ。
君はそうやって嘘をついている。
どこによくなるきっかけがのぞいているのか。
もっとわけがわかるようなことを述べてみたらどうか。
それらの言葉の連なりに
君の意識が刷り込まれているのだろう。
言葉だけで体がない。
意識だけが画面に貼り付いている。
急にサボテンに刺されたくなってくる。
架空の人物が何を考えているわけではなく、
ただ得体の知れないことが記されているらしい。
何を説明しようとしていたのか忘れてしまったようだ。
だが忘れてしまいたいことははっきりと覚えている。
そんな文章には興味が湧かないだろうか。
観測気球などという代物が今さら役に立つわけもない。
とどめを刺されてどこかの道ばたに散らばっている。
それは投げ捨てられたゴミかも知れない。
映画のスクリーンには影が映っている。
誰がそれを取り除けるわけもない。
砂利石が跳ねてこめかみに当たったのが致命傷なのか。
そんなはずがないと思いながらも、
そこからそう遠くへは行けないはずだとふんでいるらしい。
どのような物語の中に迷い込んでいるのだろうか。
追跡者は残忍な笑いでも浮かべているのが定番だろう。
批評の対象が定まらずにいるが、
何となく皮肉の一つも述べて、
その場はお開きにしたいような気になってくる。
とりあえず無知を装う君には何もわからない。
断片だけで何を想像すればいいのか。
なぜ話にならないようなことを述べているのだろうか。
宿命とはそういうものだ。
導かれていった先が虚無だったのだから、
そこには何もありはしない。
だからそこから後戻りしたくなるのだろう。
目覚めているのはどの意識なのか。
誰がどちらの方角を向いているのだろう。
君は頼りにならない。
誰かの声が静かに響く。
これから何をやればいいのだろう。
やりたいことをやっているわけではない。
では誰にそれをやらされているのか。
この期に及んで気の利いた皮肉を発することができるだろうか。
結果はいつも期待外れに終わるだろう。
誰かの思い通りに状況が推移するわけがない。
君はそれ以上遠ざかることはない。
安易な寄り道のしすぎだろう。
いったい何を上達させようとしているのか。
嘘のつき方がうまくなっているわけもなく、
何を語ろうとしているわけでもない。
何となく胃もたれがしてくる。
その代わりに何を考えているのか。
不連続と非連続の間にどんな差異があるというのか。
言葉の断片の寄せ集めでは何を述べていることにもならない。
それではますます虚無に近づいてしまうのではないか。
水増しされた意味不明に手こずりながら、
何を見失っているのだろうか。
すべてを見失っているわけでもなく、
それは今ではもう忘れてしまった記憶の中にあるのかも知れず、
それを知ろうとすれば、
代わりにありふれた出来事がよみがえるだろう。
忘れられない想い出に浸っている暇はない。
それらの出来事とは忘却によって逸れることはできても、
その意味をつかみ取ることは叶わぬ代物なのではないか。
いい加減に偽りの解釈を施すなら、
そこにあるのは愛であり、
すべてを肯定する力なのかも知れない。
しかしそれで何かわかったような気になるだろうか。
何かに取り憑かれているような気がするだけか。
だが誰も君を守ってはくれないだろう。
君は絶えず読まれる対象となっているに過ぎない。
そこからどのような心境の変化を期待できるのだろうか。
それとこれとはまったくつながらない話だ。
誰かがどこかでうめいている。
腹でも痛いのか、
笑いすぎて筋肉痛なのかも知れないが、
たぶん笑う対象を間違えているのだろう。
笑える状況にはまったくなっていない。
風邪薬を飲んでいくらか楽になったのだろうか。
風邪になってもならなくても、
先が見えない状況に変わりはない。
どこかで迷っているらしく、
彷徨っているふりをしているのかも知れない。
時間は見直す隙を与えてくれない。
考えられないことを考えようとしているだけか。
見上げれば天井に蛍光灯が光っている。
殺虫剤の先には夜の闇が広がっている。
わざとそんなことを述べている。
それでは何を考えているのかわからない。
まだ完全には神経回路が修復してないのかも知れない。
沈黙を強いるような言葉の並びになっていて、
君はそこから逃げられない。
それでもまだ読むつもりなのか。
それは何かの罠かも知れず、
その罠にはまってもがき苦しんでいるのは誰なのか。
君自身は常にただの傍観者に過ぎない。
もがき苦しんでいる当人にとって見れば、
そんな傍観者の存在が目障りで仕方がないのだろうが、
そこから手を出せるはずもなく、
傍観者気取りの亡霊たちに周りを取り囲まれて、
その気になって演じている姿が滑稽に映るようだ。
それはクサイ演技なのかも知れない。
愚か者を演じる意図など何もないのだろう。
わざとそうしているわけでもなく、
誰かの本能に従った結果が
それらの演技となって立ち現れているようだ。
誰かはそこで誰のふりをしているのか。
それは何かの事件の真犯人であったりするわけか。
テレビはそれを見ている君たちに
何を伝えているつもりなのか。
事件の解決の仕方が、
事件ごとに千差万別を装っているようでおもしろそうだ。
たぶんそれが勘違いのもとなのだろう。
時間がすべてを解決に導いてくれるだろう。
時間の経過こそが
すべての事件をありふれた現象に変えてしまう。
解決を目指している限りそうなるより他はあり得ない。

彼の声 2005.12.18

何の進展も期待できない。
認識が甘すぎるのかも知れない。
もはや手遅れなのに、
まだその先に言葉を連ねようとしている。
部屋の隅に埃がたまっているようだ。
電卓の液晶画面には細かな傷が付いている。
昔斜め後ろから見下ろされていたのは誰だったのか。
それに何の意味があるのかわからない。
すばらしいということの意味を取り違えているようだ。
すべてがうまくいくとはそういうことなのかも知れないが、
何もないことのすばらしさに感動している。
たぶんまた間違ったことを述べているのだろう。
書く苦しみの中に誰かの精神が息づいている。
それは過去の話なのか。
誰がそれを求めているのだろうか。
まだそこから遠ざかっていないような気がする。
かえって以前より近づいているのかも知れない。
それが死期でないことを祈ろう。
おびえたふりをするのもわざとらしい。
画面が暗くなってくる。
季節感がないのは冬が嫌いだからか。
君の意識には興味を感じられない。
小手先のごまかしは通用しないようだ。
要するに期待を裏切っているのだろう。
流行り廃りの渦に巻き込まれて、
くだらぬ主張を精一杯叫んでいる。
そんな人生もあるらしい。
首が曲がっているのはどういうわけなのか。
どこに理解できる解答が潜んでいるのか。
すべてはその場で思いついたアドリブ的な言説に違いない。
それの何が気に入らないのだろう。
まともに語ろうとすれば長くなる。
むやみやたらと感情に訴えかける。
自らのやっていることに意味があるとは思えない。
人は死ねば静かになり、
無口な者はさらに無口になる。
それが気に入らないのなら、
早くこの世から消えてほしい。
だが何をせかしているわけでもない。
生き急ぐには暴飲暴食でもしていれば、
それで早めに片がつくだろう。
君は今も過去ばかり見つめている。
未来に対する視線が失われているようだ。
それ以外の出会いなどあり得ない。
それらの意識はどこかへ飛ばされてしまったのかも知れない。
何も見出せないのには理由などありはしない。
そう思い込んでいるだけなのだろう。
そこには数多くの意味の不確かな言葉が見出されているはずだ。
だがそれについて何を思ってみても違うような気がしてくる。
常にそうではないと思っている。
そうなっていることを否定し続けたいらしい。
行き詰まりの現状を無視している。
のんきにテレビなど見ている場合ではない。
では何をやっている場合なのだろう。
何もやらずに寝ている場合かも知れない。
今はそんな風にしかやっていられない場合なのかも知れない。
そうなる理由は何なのだろうか。
ただ何もできないだけなのか。
たぶん何をやっている場合でもないのかも知れない。
現に何も思いつかないのだから仕方がない。
風邪でも引いてしまったわけか。
寝ていると寒気がしてくる。
ついでに背中のかゆみは何とかならないものか。
まだ正気に戻っていないのかも知れない。
そこまでやる必要はないのだろう。
何となく意味不明気味に弱音を吐きたくなってくる。
体調の変化に言葉がついてこない。
そんなことがあり得るだろうか。
たぶん現状がつまらないだけなのかも知れないが、
何とかそこから話を進めなければ話にならないだろう。
君は何の話をしたいのか。
それは真夜中に何かを思いつくという話なのか。
何か適当なことでも思い出したのか。
窓際の植木には雑草が伸びすぎている。
それが何の反映なのかわからない。
怠惰であればそうなってしまうのだろうか。
まだそれ特有の症状が現れていないようだ。
そこから何かを見出すつもりらしいが、
目の前にある画面にはつまらなそうに文字が連なっている。
なぜこの状態からその先が考えられるのだろうか。
暗闇の中で星空めがけて
どうでもいいような気分が何かを叫ぼうとしている。
何を必死になってこらえているのだろう。
まだすべてが終わったわけではない。
これから終わらせようと画策しているらしいが、
やっていることはそれとはまったく無関係に思われる。
何かを思い出さなければ何もできはしない。
妄想を繰り返した果てに
何か新しい言葉でも発見できるだろうか。
それは誰の期待でもなく、
そんなことはすぐに忘れ去りたいのかも知れない。
いつまでも話が続いていくわけでもない。
その時点で君が目指しているのは、
早くその話を終わらせたいということでしかない。
だから焦りながらも先を急いでいるのか。
その一方で無理を承知で話を引き延ばしている。
なぜそこで速やかに終わらせられないのか。
いったいその先に何を期待しているのだろう。
何かそれとは違うことを
語る時が到来するとでも思っているのか。
それは期待外れもいいところだろう。
過剰な期待はすでに忘却に変わりつつある。
気がつけばつまらない内容が続いていて、
そして気づいた時には風邪を引いているわけだ。
それは冬特有の日常なのかも知れず、
毎年そんな嫌な思いをしつつ、
次第に年老いていってしまうのだろう。
放っておいても死期が近づいてくるのだから、
今さら焦ることもないだろう。
だからそんな状況の中でもがき苦しんでいるわけか。
何がだからなのか
言葉がつながらないような気がするのだが、
何となくその場はそれでかまわないのだろう。
それ以外に何も導き出せないのだから、
そこはそんな処理で開き直るしかやりようがない。
そんなことを述べながらも
次第に正気が戻ってくるような気もしてくるのだが、
それは気のせいかも知れない。
歯が痛いのだがどの部分が痛いのかわからない。
思い出したのはそんなことらしい。
やはりそれは期待外れもいいところか。
初めから何を期待していたわけでもないはずだ。
期待外れになることを期待していたのかも知れない。
だがそれの何が予定調和なのだろうか。
そこに提示されているどのような文章が
見え透いているのか。
そんなことがわかるわけもなく、
ただ今は眠たいだけなのかも知れず、
眠気に耐えかねて
眠ってしまいそうになりたいだけなのかも知れない。
おかしいことはわかっているが、
それの何がおかしいのか説明できずにいる。
何かがそうつぶやかせるらしいのだが、
何がつぶやかせているのかわからない。
見出された時を有効利用していないのかも知れない。
何をどうすればそれを我がものとすることができるのだろう。
ただ闇雲に言葉を弄しているだけでは
だめなことはわかっているつもりだが、
それ以外のやり方をまったく思いつかないようで、
悩み苦しみながらも、
気がつけば何かを述べているらしいが、
それは以前から述べていることと
それほど変わらないような気がして、
それが期待外れの感を生じさせているようだ。
それではだめだということをわかっていながら、
さらにそのだめなことを述べ続けている現状を
どうすることもできない。
やはりそんなことがありうるだろうか、
と続けて述べざるを得ない。
冗談ではないと思いながらも
冗談で満足していなければならないのだろうか。
それともそんなはずがないと思い続けることが肝心なのか。

彼の声 2005.12.17

たまに陰惨な光景を思い出す。
それが嘘をつく理由にはならない。
ストレスがたまっているらしい。
いつもの感覚がわからなくなる。
さっきまで何を述べようとしていたのか。
誰かが何かを見ているようだ。
何かが一向に見えてこない。
完全に首が折れている。
人はそうやって死ぬらしい。
丘の上から転げ落ちる。
それは誰のための自由なのだろうか。
何を見ているわけでもない。
見えてこない現象を想像している。
足が磨り減ってしまったのだろうか。
この世界はどこまでも続いているらしい。
見よう見まねで何ができるのか。
自らが張り巡らした罠だ。
死んだ者は二度と戻ってこないが、
それがどうしたわけでもない。
自然が何を決めているわけでもない。
君には何が見えているのだろう。
何ら受け止めるべき現実を感じられない。
苦悩の原因は別のところにあるようだが、
別の場所がどこにあるのか。
経験に差が出ている。
ありふれたことは述べたくないらしい。
そこに見出されている言葉の何がありふれているわけでもない。
気の利いた意見はゴミ箱めがけて一目散に走り去る。
転げ回っているのはダニの類か。
掃除機が騒音と共に何かを濾し取っているらしい。
難しい言葉は文章には適さない。
君にはそれが見えているはずだが、
見えているものについて語っているわけではない。
まだ疲れていないのなら、
つまらない話を中断して、
コーヒーでも飲んだらどうか。
それは何かの用意なのだろうか。
まさか死ぬための準備などではあるまい。
簡単に死という言葉が使われることに
理由などありはしないだろうが、
何か不吉な兆しでも感じているのかも知れない。
それを頑なに認めたがらない理由も知らない。
文章がそこで不連続を形作る。
君は笑いの欠如した人間だ。
馬鹿だから死ぬわけでもないだろう。
要するに呆れているわけだ。
この世から消え去るのは滑稽きわまりない。
それによって何を狙っているわけでもない。
文章がまったくつながっていないような気がする。
それは以前に感じた味だろう。
数日前に紅茶を飲んだかも知れない。
灼熱の地獄には雪が降り続いている。
頭の中で二つの場面が重なり合っているらしい。
見失っている言葉はどの場面にも出てこない。
わざとわかりにくいことを述べているだけのようだ。
何かにかき回されていて、
何だかわからないことにこだわっている。
それらのどこに折衷主義を感じることができるだろうか。
何が混入しているのかを探り当てることができるだろうか。
わかっていることがなおざりにされている。
人の心はどこから降ってくるのか。
何が降臨すれば畏怖の対象となるのか。
戯れ言のどこに何かが到来する兆しが感じられるのだろうか。
酔っているわけではない。
その何かにかけているわけでもない。
ばくちを打つには愚かさが足りなすぎる。
勇気が出てくる源泉のありかを知りたい。
わかりすぎるくらいにわかっていることを
なぜ隠そうとしているのか。
探しているものを見つけることができただろうか。
まだ修行が足りないのは誰でもなく、
それらの修行はみな愚かな行為に違いない。
何が返ってくるのだろう。
他人を傷つけるのがそんなに楽しいか。
ドラマの中ではそんな台詞が繰り返される。
乾いた笑いを誘うために四苦八苦しているようだ。
ぎこちないことばかり述べている。
そこから遠く離れているのは何なのか。
それでも何かしら言葉が連なっているように見えるのは
目の錯覚だろうか。
だが適当なことはいい加減なことではないだろう。
次第に堕落の兆しがはっきりした輪郭を纏うようになる。
そこから逃げているのは意識などではなく、
そこから先が思いつかない君自身の身体そのものだ。
堕落が許されるような状況にはいない。
甘えの対象がどこにあるのだろうか。
今さら幼稚園児のふりをするわけにはいかないようだ。
いつまでも無理を押し通そうとしているわけでもないらしい。
だが瀕死の重傷を負っているわけでもない。
傷口がぱっくり開いて、
血が噴き出している。
どこかの映画の中ではそんな場面があったはずだ。
わざと意味不明を装っているのだろうか。
冬の寒さで雑草が枯れ始めている。
落ち葉の下で虫が冬眠しているらしい。
昆虫の死骸をカビが蝕んでいる。
そう述べていることに意図も他意もありはしない。
何を訝しく思っているのだろう。
混じり合うことのない言葉の束は何を形作っているのか。
無惨な屍をどこにさらしているのだろう。
何かの香りを感じているらしい。
微かな感触がどこからともなく到来している。
見出されていると思われるものを感じ取っているのかも知れない。
あるいはそれらの文章の欠陥があらわになっているのだろうか。
見えているのはそんなものではないか。
それらの眼は何を見ようとしているのか。
何を勘違いしたいのか。
誰がそこを通り過ぎているわけではなく、
誰もが勘違いを犯したいらしい。
思いがけない出来事に遭遇してしまうのが怖いのだ。
だから判断をメディアに頼りきっているわけか。
自らが決断を下す機会など永久に訪れないだろう。
そこにはどんな言葉が省略されているのだろうか。
誰かの傷口に辛子を塗り込んでいる。
何がそこで灰燼に帰しているのだろうか。
なぜ舞台の上から見下しているのだろう。
そこでは被害妄想が育まれ、
犯罪の温床になっているのかも知れないが、
何を述べてもどこに突き当たるわけでもないらしい。
そこからどうなるにしろ、
さらに言葉を弄さなければ、
何の風景にも出くわさないだろう。
愛でているのはそれらの風景ではなく、
絶えず移り変わり行く時間的な流れに他ならない。
固定した視点を持ち合わせていない出来事の連なりが、
あり得ない主張を繰り返している。
限られた時間の中で何かを獲得することなど不可能に近い。
そこには場所がない。
何か適当な行為をするための場所がどこにも見当たらない。
そこで思っていることのすべてが幻想になり、
時が経てばそんな状況に幻滅するだけだろう。
誰も君の精神的な成長など期待していない。
君は常にそのままで朽ち果てるべきなのだ。
朽ちぬ身体がどこにあるのだろう。
意味を伴わない言葉がどこにあるというのか。
君は老いながら、
そこでどんな幻想を抱いているのか。
浅はかさを追求しようとしているのかも知れず、
何の実りももたらされない行為を
やり続けていたいのかも知れない。
それが誰の幻想に結びつくのだろうか。
そこで何かが語られているように思わせたいだけなのか。
ではどうすれば無関係な言葉を
すべて一つの文章の中に融合させることができるだろうか。
そういうつまらぬことを考えているわけでもないだろう。
たぶんそれは誰の考えでもなく、
その場しのぎのいい加減な疑念に違いなく、
本気で答えを見出すつもりのない、
浅はかな疑問でしかない。
ただ何かを述べているように装いたいだけか。
しかしそれでもまだそれらの困惑を払拭すべく、
何やら気の利いたことを述べようとしているらしいが、
それも幻想の類なのだろうか。

彼の声 2005.12.16

つぎはぎだらけの文章にはまったく魅力を感じないが、
話の核のようなものが一向に見えてこない。
見えているのはそんなものではない。
視覚が何かに遮られ、
また文章のどこかに不具合が生じているらしいが、
全体のバランスを考えて、
それを考慮しながら何かを述べなければならないそうだ。
それで何がわかるのだろうか。
出てくるのはあくびだけで、
脈絡のない成り行きから、
不確かなことを述べてみたくなる。
述べていることはそんな風にしかならない。
病は気から生じるらしいが、
気休めはどこから生じるのだろう。
気休めのアドバイスらしき意見はどこから生じてくるのか。
夜の雪を眺めつつ、
また性懲りもなくいい加減なことを記そうとしている。
調子に乗っていくつもの過ちを犯し続ける。
そんな美しき日々がいつまで続くのだろうか。
少なくともそれは君の日々ではない。
霊柩車がどこかの火葬場に到着する。
さて今日の獲物は何なのか。
気力が萎えて何かがたわんでいる。
そこで光が屈折しているらしい。
屈折しているのではなく、
ねじ曲がっているのではないか。
それは光ではなく意味のない文章だ。
仮想空間の中で賽が振られ、
出た目の数だけ何をすればいいのか。
頭の中に架空の骰子が転がっている。
空っぽの頭の中からカラカラと乾いた音が聞こえてくる。
完全に壊れてしまっているらしい。
そんな故障続きの機械は余命幾ばくもないが、
まだいくらか時間がありそうだ。
それは何をやるための時間でもないが、
とりあえず気に入らないことはさっさと忘れて、
そこで見出された時から遠く離れ、
君の身体はその場所からも遠ざかり、
身体に付属している意識は、
遠ざかりつつある風景の中で、
見たこともない現象に遭遇する。
見たこともないので言葉では表現不可能だが、
それは君の都合でしかない。
何を簡単にあきらめているのか。
軟弱な君に反抗している影は、
そんな成り行きに逆らいつつも、
そこから何かを構成しようとしている。
何をそんなに軽蔑しているのだろう。
虚無の言葉がさらに増殖していく。
そこに風穴が開いているのかも知れない。
何かがそこから漏れ出ているのか。
思考がまったく働かずに、
いつものように何を述べているのかわからなくなる。
未来を先取りするわけにはいかないが、
雪はいつまで降り続くのだろうか。
それは未来の出来事などではない。
たぶん雪はいつまでも降り続いているのかも知れず、
それがどんな状況をもたらすわけでもないのだろう。
誰かは本気でそう思っているらしい。
本気で語りたかったのは、
雪に関することではなかったはずか。
ではそこで何かを忘れていたことに気づくわけか。
意味不明かも知れないが、
戯れに記憶喪失のふりでもしてみたいようだ。
話の成り行き的には、
そんな風に展開していってほしいか。
さらに意味不明になりたいのかも知れず、
それは気休めの行為を超えて、
誰の意識をも消し去って、
架空の身体もどこかに行ってしまうらしい。
ついでに君の意識もどこかに四散する。
そんな風にしてすべての事象が過ぎ去った後に残るものは、
いつもの空虚に違いない。
ここにとどまるのがそんなに嫌なのか。
そこから走り去るのは時間だけではなさそうだ。
出来事が心の内側に折りたたまれて、
誰かが祈りの最中に倒れる。
遠くから僧侶の読経が聞こえてくるようだが、
それでもまだ君は死なないのだろうか。
往生際の悪さは天下一品だ。
何もやらずにそんなことができるわけがない。
雪の中で誰かの思いが散り散りになっていくように思えて、
床にしたたり落ちた水のように、
心の中で動揺が広がってゆく。
たぶんわけがわからないだろう。
それでもまだ君という言葉を使い続けるつもりなのか。
今さら人間などという主語を使うつもりはない。
君は見えているものを見ようとしない。
そしてまともなことは何も述べたくはない。
そこで何もかもをあきらめてしまいたくなるらしい。
それでは何となく辛くなってしまうような気がするのだが、
根を詰めれば詰めるほどさらに何かがおかしくなってしまう。
それで嫌気が差してくるわけか。
ではそんなに嫌なら、
何かさっきまでとは別のことを語る気になっただろうか。
それでも安易に時事問題的な内容には逃げたくないようだ。
今世間では何が流行っているのだろうか。
ただ気持ちが寒さに負けているだけか。
誰かはそこで馬鹿らしいことを述べているようだ。
なぜそれでも人は生き続けるのだろうか。
何か他にやりたいことでもあるわけか。
やり残したことをどこかで思い出すが、
そのどこかがどこにあるわけでもなく、
それはここではないどこかになるのだろう。
それでは思い出したことにはならないではないか。
まだ戯れ言に終止符を打てないようだ。
そんな風にして、
どこまでもそれを続けてしまいそうな予感がする。
たぶんそれが本気で語りたかった内容なのだろう。
そしてそれはどのような態度に基づいて
語られているわけでもなく、
誰の本音を反映しているわけでもない。
誰かはもうやめてほしいと思っている。
無理な話をどこまでも推し進めないでほしい。
それ以前の段階で話になっていないのではないか。
昼の日差しにやられて、
何かの残像が夜になっても意識に残っているようだ。
そこからどのように
言葉をつなげようとしているわけでもなく、
まるででたらめなことを記しているだけかも知れず、
それはどんな文章表現にも至らない。
そうなってしまった原因は
昼の日差しの度を超したまぶしさなどではなく、
網膜が雪の白さに焼かれてしまったわけでもない。
それ以外に何が見出されているのだろうか。
何をわかろうとしていないのか。
理由を求めているわけでもないのに、
必死にそうなってしまった理由を探し回っている。
意味がないのはそのような行為そのものなのだろうか。
そんなことを述べていること自体に意味はない。
ただそこで適当に言葉が連なっていれば
それでかまわないのかも知れず、
そんなわかりきったことを
いちいち述べていること自体にも、
何の意味もありはしないのだろう。
それ以外の部分に何か意味があるとすれば、
それはそこに醸し出されている無意味以外にはあり得ない。
要するにそれらのすべてが意味不明に思われるということか。
そのすべてがどれほどの範囲を網羅しているかは知らないが、
それは誰にとっても知ったことではなく、
何を知り得る対象としているのでもないのかも知れず、
ただ何となくそこに醸し出されている無知を利用して、
知っていることに意味などありはしないことを、
他の誰かにわからせたいだけなのかも知れない。
しかしそれでどうしたわけでもないだろう。
たぶん何の足しにもならないことを述べているのだ。
何のためにそんなことを述べているわけでもないことが、
そこでの自由を構成しているのであり、
もちろんそんな自由は何でもないことであって、
何でもないからこそ、
それが自由でいられる理由となっているのかも知れず、
また理由など何もないからこそ、
そんな矛盾を介して語る自由を夢想できるのかも知れない。
何がそうする理由となりうるのか。

彼の声 2005.12.15

何か鬱陶しいことを述べている。
君はできるはずもないことやろうとしている。
そんなことを述べるのが君のはったりにでもなるだろうか。
そんなことは語り飽きているはずだ。
何かをわかろうとすることは、
何もわからないことに絶望することにつながる。
そんな結果はありふれているだろう。
まだ結果を得るには早すぎるだろうか。
何かが始まったばかりだというのに、
結果も何もあったものではない。
何を語っているのでもない。
そこまで行かないうちに終わってしまいそうだ。
それとは違うことを述べようとしている。
そんなはずがないか。
否定できないことを肯定できるだろうか。
まだまともな内容に至らないようだ。
いつものパターンとしては、
そこで夜に気づくはずだ。
何もやらないうちに、
もう夜になってしまったらしい。
夜半を過ぎて、
深夜に何を述べているのだろう。
何か難しいことを述べられるだろうか。
とっさに何を思いつくのだろうか。
外に出てみれば、
まだ月明かりを感じることができるかも知れない。
そこで何を眺めているのだろう。
そんなつまらない成り行きに飽きてくる。
それは成り行き以前の問題かも知れない。
わざとそんなことを述べている。
そこで何も思わないわけがない。
そんな決めつけが気に入らないので、
いつものようにありもしない思いを
ねつ造しなければならなくなる。
理由になっていないだろう。
何かを述べるには理由が必要かも知れない。
現状はそんなところか。
またそんなことを述べている現状があるようだ。
暗闇の中で何を見ているつもりになれるのか。
まだ何も思い至らないように思われる。
たぶんそんな風に思っているのだろう。
そこに何かがあるらしい。
そういうことになっているのだ。
そういう風に語らなければ、
何の現実感も感じられない。
しかしそれでは虚無感が現実感そのものだ。
またもやそんなことを述べている。
何をどう述べてもそうなってしまうらしい。
それに飽きて他に何をしようというのか。
できるはずもないことを夢想しているだけか。
耳を澄ませば何かの雑音でも聞こえてくるだろうか。
まだある種の人々は仕事の最中なのか。
車で深夜の道路を行き来するのは運送業者の類だろうか。
あくびと共に居眠り運転でもしたくなるのか。
なぜ人は自らの死に近づきたくなるのだろうか。
そういうことではないだろう。
たぶんこの世界に終わりはない。
なぜそこからそんな結論に導かれるのか。
何かの酔狂でも感じているらしい。
では酔っぱらいは車を運転しない方がいいだろう。
わざと意味不明なことを述べるのもおかしい。
急激にわけがわからなくなってきたようだ。
毎度同じパターンでは腹の虫が治まらない。
ただ単に腹が減ってきただけだろう。
それでやけくそ気味になれるかも知れない。
そんな偽りの言葉では心に響いてこない。
だからいい加減のなすがままになってしまうのか。
それとは逆のことを述べようとするが、
現状がそれを許さない。
たぶんそこでは修正が利かないのだろう。
語り出したら止まらない。
止まってしまえばそこで終わりか。
ならば今すぐ終わりたくなるか。
そんなわけで終わりにしたいらしい。
そこで途切れてしまいそうになるが、
本当に途切れるのだろうか。
冗談がそこから始まるのかも知れない。
そして納得がいかなくなる。
さらに続けてしまうことに虚しさを感じる。
どうせうまくいかないはずだ。
誰を笑わせようとしているのでもない。
笑いたいのに笑えない状況なのかも知れず、
そんな状況の中で
本気になっている人々が馬鹿らしく思えてくる。
本当に馬鹿なのだろうか。実際に馬鹿になれるだろうか。
その辺が今ひとつはっきりしないようだが、
何となく馬鹿なのかも知れない。
人々はそこで何をやっているのか。
君こそそこで何をやっているのだ。
ただテレビのお笑い番組を見ながら笑っているだけか。
それで馬鹿になれたら本当におめでたいか。
そこから誰が何を目指すことができるだろうか。
君なら何を目指せるのか。
馬鹿になったついでに幸せになりたいか。
それともわざと不幸になりたいのだろうか。
そういう簡単な話ではないはずか。
馬鹿になれといわれて、
はいそうですかとはならない。
本物の馬鹿は生まれつきなのかも知れず、
それはある種の天才かも知れない。
エジソンやアインシュタインは馬鹿の天才か。
そんなつまらない述べ方では嫌か。
そこには何かが省かれていて、
天才になるには努力が必要となるわけだ。
それも馬鹿な話に属するかも知れない。
何かそこから適当な続きでも用意しているのか。
何もないからそんな話になってしまう。
お笑い番組にはその手の飛躍はつきものだ。
わざと馬鹿な話を語り続けるのがその本質なのだろう。
だがそれではまったく笑えない。
文章にしているから笑えないだけか。
別に笑わそうとして何を述べているのでもない。
ただ辻褄が合っていないだけだろう。
はじめからやけくそ気味なのだから、
そういう内容になってしまうだけか。
君は疲れているのだろうか。
だがなぜそこで眠らなければならないのか。
眠たいから眠ってしまいたいだけか。
はたしてそれが君の意思になるだろうか。
今はただ本能の赴くままに振る舞いたいのかも知れないが、
たかが眠たいだけのことで何を述べているのだろうか。
たぶんそこでわからなくなってしまうのだろう。
わからないと苛ついてくるか。
そんなことを述べたいわけでもないのに、
実際にそんなことを述べている現状に、
ますます苛立ちの感が強くなってくる。
だがそれでも言葉はその先へ連なってしまうらしい。
それが嫌気が差している現状そのものになっているようだ。
君はそこでそんなことしか感じられないらしい。
たぶんそれでかまわないのだろう。
そうしなければ、
また何も述べられなくなってしまうだけか。
そうやって無理に述べているうちに、
また何か適当なことを思いつくことがあるかも知れず、
だから今は無駄なことを述べることも必要なのか。
それで納得するわけにはいかないが、
そういう現状を通過しないと、
その先の言葉をつかめないのかも知れない。
たぶん未来の時空には
来たるべき言葉と文章が待ちかまえているのだろう。
そんな風に思っていないとやっていられないか。
やっていられないのならやめてしまえばいいだろうが、
なぜかそれは受け入れがたいようだ。
無駄でつまらぬことを述べながらも、
ここは少しでも前進しなければならないらしい。
まったく難儀な成り行きにうんざりしてくるが、
それが君の定めらしく、
そんな定めであるように思い込んでいることこそが、
勘違い以外の何ものでもないのかも知れないが、
やはりここは勘違いを抱き続けるべきなのかも知れない。
勘違いや思い違いがないと、
ここまでは続けられないだろう。
正気に戻って冷静になってしまえば、
たぶんこんな馬鹿げたことは語れないだろう。
そういう意味では語れないことを語っている現状があるらしく、
君はここで不可能に挑戦していることになるのだろう。

彼の声 2005.12.14

それらのどこに言葉が見出されているのか。
何もないのに言葉が詰まっている。
そんな文章はまやかしだろう。
しかしまやかし以外にどんな文章が存在し得るだろうか。
例えばこんな文章もあるだろう。
限りのない夢に終わりはない。
夢想の終着点がどこにも見当たらない。
それが悪夢だと思うなら、
悪夢の内容を示してほしい。
なぜそこから本文に入らないのだろう。
何がそれらの序文で、
それがどのような本文への橋渡しになるのか。
そんな文章はどこにも見当たらない。
君にはそれが納得できないかも知れないが、
まだ何を述べているのでもなく、
これから何を述べようとしているのでもない。
語りたいことは特に何もなさそうに思えるが、
それでも文章を記そうとしている者が、
この世のどこかにいるらしい。
君にはそれが理解できない。
要するにその者は詐欺師の類なのかも知れない。
それでも他に何も見出されないのだから、
仕方がないだろうか。
そこから何か適当な内容を導き出したければ、
何をどうすれば何が見出されるのだろうか。
たぶん冗談でも述べれば誰かが笑ってくれるかも知れない。
そんないい加減なことを述べていていいのだろうか。
突然こめかみに鋭い痛みが走る。
たぶん現実に見出されているのはそんな言葉ではないはずだ。
君には君のやり方があり、
君はそこで何かを思っている。
君はそこで何かを記している。
ただそれだけのことなのか。
それ以外に何もないのだから、
たぶんそれだけのことなのだろう。
それ以外に何をごまかしているというのか。
どのような言葉を持ってしても、
何もないことに変わりはない。
ここには何もないと述べる以外に適切な言葉は見当たらない。
それでもそれ以外の言葉を連ねようとするならば、
それらの文章の始まりには、
いかなる言葉がふさわしいだろうか。
ふさわしい言葉がどこにも見当たらないが、
何もないのにそれなりに言葉を繰り出しながら、
何とか挫折を避けている。
だが避けているつもりが、
それこそが挫折そのものなのかも知れず、
自らが書き記している言葉にまったく心当たりがない。
過去の君が知っているのはそんな内容ではない。
それはどういうことなのか。
たぶんそれではないということだろう。
それはまるで身動きが取れずに
縛られた椅子の上で夢想を続けているようなものか。
そんな夢想が何を意味するのか。
ただ何もできないから夢想を繰り返しているだけなのだろうか。
もっと何かを肯定するような内容にならないものか。
実際にはかなりの距離を移動してきたはずだが、
それでもまだそんなところでうろついている自らが
情けなくなってくる。
それはどういうことなのか。
距離の長さに幻想があるのだろうか。
いくら移動を繰り返しても、
虚無の深みにはまっていることに変わりはないだろう。
そしてそんな無駄で無意味なことを述べているうちに
年が暮れてしまうだろう。
終わりの月に至っても躓いたままで、
挫折したまま年を越してしまうわけか。
このままでは終われないと思いつつも、
しかしこのままでもかまわないとも思ってしまう。
それはかまうかまわないの問題ではないだろう。
どのような問題でさえないのかも知れず、
何やら頭の中で無駄に言葉が錯綜しているようだが、
そんな見え透いた嘘をつきながら、
わざと混乱を招いているだけなのだろうか。
その混乱に乗じて何を考えているわけでもないが、
どうも語れば語るほど考えがまとまらず、
語りにも支障を来しているようで、
まともなタイミングで言葉が出てこないらしく、
またそれと別の時間帯では、
何となくそれは違うような気もしてくる。
たぶんそんな気がするだけで、
違うと思われる根拠は何も思いつかないのだから、
それも嘘に違いない。
あるいはそんなことはどうでもいいことか。
要するにどうでもいいような嘘をついているつもりなのだろう。
かなりそれらの無内容に焦りを感じているようだ。
ところでそれらの文章を書き始める前に
どんな思いがあったのだろう。
いきなり思い出せるわけもなく、
今さらそんなところまで記憶をさかのぼれないか。
まだ気持ちの整理がついていないうちに、
結果がそんな風になってしまっていることに、
かなり動揺しているらしい。
確かにそんなことはどうでもいいことかも知れないが、
すべてがどうでもいいことに思えてしまうことに、
君は驚いているのかも知れない。
いったい君はそこで何を述べているのだろうか。
まともなことは何も述べていないと思いたい。
状況が切羽詰まっていることに変わりはないが、
そんな無内容を述べているようでは、
まだ心に余裕があるらしい。
しかしその余裕がどんな言葉をもたらすわけでもなさそうだ。
まともな言葉は何も思い浮かばない。
その代わりにもたらされるのは、
何も思いつかないことに対する言い訳の言葉だけか。
そしてそれらの言葉によって、
何をわかろうとしているわけでもなく、
もちろんわからないことには答えようがない。
しかし何に対して答えなければならないのだろうか。
そんな嘘はありふれているだろうか。
君にはそれの何が嘘なのかわからないだろう。
たぶんそれは言い訳ではなく、
言い逃れの言葉なのかも知れない。
その後に君がどんな言い逃れを用意しているにしろ、
とりあえず今ある現状を改めて見つめ直さなければならない。
しかし見直すべき現状がどこにあるのだろう。
まるで廃墟のような文章がどこにあるかは、
君自身が一番よくわかっているはずだ。
ここにあるのが現状そのものなのではないか。
だがここにあるのはここにある現状だけなのか。
それはどのような現状なのだろう。
現状の中のどの現状に関心があるのだろう。
それはどういうことなのか。
あるいはすべての現状に対して
無関心を装うことができるだろうか。
また無理なことを述べようとしているらしいが、
ここにある確からしい現状の一つとして、
ここにある内容は、
この現状が属している時間に追いつけないということらしい。
要するにまただいぶ遅れてしまっていることに
改めて気づいたわけだ。
またそんなわかりきったことに
わざとらしく気づいたふりをしていて、
その現状を深刻に受け止めているふりをする。
そんな台詞も嘘のバリエーションの一つかも知れないが、
実際には精神的にかなりきついのかも知れない。
それが嫌なら、
そんなどうでもいいような現状に終止符を打つべきか。
どうやって終止符を打てるのだろう。
何となくその辺で迷いがあるのかも知れないが、
そこからどうやって抜け出るつもりなのか。
あるいはもうあきらめてしまったのか。
そんなことばかり考えていても一向に埒が明かない。
何もない現状についてどんなに不満を抱いていても、
現状はただ現状のままあり続けている。
いつまでそんな状態が続いてゆくのだろう。
そんなことを知りたいわけもなく、
何を知ろうとしているのかも知らず、
ただやる気がしないのなら、
さっさとやめてしまえばいい。
しかしそんなことばかり述べていても仕方がない。