彼の声 -689ページ目

彼の声 2005.12.13

一時的にくだらぬ妄想は何も抱けなくなってしまったらしいが、
それほどの困難に直面しているわけでもない。
どうも寒さとそれに付随して到来したらしい怠惰によって、
まったくやる気がしなくなってしまったらしく、
それで何となく楽しい気分になっているようだ。
たぶんそれでかまわないのだろう。
もうほとんどあきらめてしまったらしく、
かえってその方が気が楽になっているような気もしてくる。
しかしそこから何を述べるつもりなのか。
たぶんいつものように結果的には
どうでもいいようなことが記されるだろうが、
記された文字は記そうとする言葉とは無関係になのかも知れない。
そんなことがあり得るだろうか。
やはりつまらぬことを述べているようで、
いつか来た道を引き返しているような気もする。
だがそれで事態を解決できるだろうか。
解決しようとしているのではなく、
解消しようとしているのかも知れない。
何に勝とうとしているのでもなく、
怠惰な雰囲気に負けているだけかも知れない。
それは久しぶりの風景だ。
風景ではなく光景なのではないか。
どちらも似たような言葉に違いないが、
君はその風景の中で何をやっているつもりなのか。
怠惰な雰囲気に流されて、
ただ移り変わる風景を眺めている。
ここ数年で世の中がそれほど変わったとは思えない。
相変わらずの事件や事故や自然現象に囲まれているようで、
それで関してメディア上で誰かが騒ぎ立てているだけだろう。
それでも人々は生き続けているらしく、
どこか適当な場所と時間の中でうごめいているようだ。
それを伝え合う上での何らかの技術的な進展はあったらしく、
それに対応して人々の意識も
少しずつなら変化したのかも知れないが、
その自己主張の形態は何ら変わりがない。
自らの生息領域の保持と拡大に余念がなく、
そのための手段をあれやこれや弄して、
自らが生き述べられるように必死で動き回っているらしい。
だがそんな動物の生態学的な見地から何を述べてみても、
あまり心には響いてこないだろう。
いったいそれ以外にどう現状を言い表せば納得できるだろうか。
文化だの芸術だので文章を飾り立てれば、
何となく文化人類学的な表現に近づくだろうか。
だがそれで何を述べていることになるのか。
別に今さらそんなことを述べたいわけでもないだろう。
述べたいことが何もない。
雲一つ見当たらない青空の下でそんな空虚な思いを抱いている。
何もなくても時は過ぎゆき、
生きている場所も適当に移動していくようだ。
要するに君の言葉はそこで終わっているのだろう。
終わっているのに続けようとすることから、
意識の中で矛盾が生じているのかも知れない。
だが今度はその矛盾を利用して言葉を連ねようとしている。
だからそれがいつもの同じ風景を感じさせているわけだ。
そんな風景が常に存在していて、
その何もない風景の一部とかしている自らを、
必死になってそこから引きはがそうとしているのかも知れない。
まだ必死さが足りないのだろうか。
もう少し本気になってみたらどうか。
誰が本気になればいいのだろう。
本気になれないのなら、
そんなことはやめてしまえば済むことかも知れないが、
誰がそれをやめればいいのだろうか。
言葉がそこで停滞しているようで、
そしてその停滞から抜け出そうとしているわけか。
さっきまで聴いていた曲が過ぎ去ってしまったようだ。
つまらない利害関係に縛られたくはないが、
その利害関係の中から自らの意識が生じている。
自己実現を果たすことと、
曲芸的な言葉の連なり方を提示することが、
誰かの利益になるらしいが、
利益とは何を意味するのか。
金銭的な獲得なら他のところでやっているはずだ。
ではそれをやらなければどのような不利益を被るのか。
それは単なる達成感に過ぎないことではないのか。
浅はかな達成感を得たいがために、
恐ろしい精神的な迂回を経て、
無駄で有害なことを述べ続けているわけか。
それの何が有害に思われるのか。
何の利益ももたらさないことは無害なのではないか。
心の中に思い上がった達成感がたまってゆく。
それが自らの立場を見失わせる原因となっている。
何の立場もありはしないのに、
達成感によって何かを述べたつもりになり、
それによって何らかの立場を獲得した
と勘違いしてしまうことになる。
いったいそこで何が達成されているというのか。
何の現実感もありはしない。
ただの空虚が蓄積されてゆくだけだろう。
さらなる思い上がりを誘発するだけか。
やはりそれで何を述べているわけでもないらしい。
実質的には何も述べられていないのに、
言葉だけが延々と連なっていく。
それが文章を記すことの本質を形成しているようだ。
そこには何もありはしない。
ただあるのは空疎な言葉の連なりだけなのだろう。
それで嫌気が差してしまうわけだが、
そこでやめようとしないのも確かな事実になっている。
さらにそれらの空虚を推し進めてゆかなければならない。
それは限りのない言葉の無駄を形成するような気がするのだが、
やはり一方ではそれでもかまわないと思いたくなってくる。
あたかもそれが架空に存在している君の望みであるかのように、
それらの文章は継続されてゆかなければならない。
それは恐ろしいことだろうか。
しかし人々の営みと似ているのかも知れない。
つまらぬ出来事を引き起こし、
その出来事が大げさに伝わって、
さらなる関心の的となり、
そんな出来事の周りに群がるのが格好の暇つぶしとなる。
そんなどうでもいいような流行り廃りの繰り返しの中で、
世の中の情勢は適当にいい加減に推移し続けているようだが、
そんな世論の動向を真に受けることができるだろうか。
どうでもいいことはどうでもいいことでしかないが、
そのどうでもいいことに意識を支配されているのだから、
そんな意識を共有している人々も
どうでもいいような存在でしかないのかも知れないが、
いったいそれ以外の状況がどこにあるのだろう。
なぜそんなことに真剣に取り組まなければならないのか。
真剣になれなくても、
それが自らの生死にかかわってくれば、
嫌でも真剣にならざるを得ないか。
そんな死活問題に対しても本気になれないならば、
もはや生きている意味がなくなってしまうだろうか。
しかし生きている意味がないということは、
死ぬ意味がないことにもならないか。
生きることも死ぬことも
本気にならなければ成し得ない行為に違いない。
だがそのどちらでもないとすると
どういうことになるのだろうか。
たぶんそれでも生きていることになるのだろう。
惰性で生きているということか。
何となくそれでおもしろいと感じてしまうらしい。
何もやっていないわけでもないが、
とりあえずは生きて呼吸でもしているのだろう。
何となくそんな現状が馬鹿げたことに感じられてしまうのだが、
それでもそれを肯定しながら
未来へ続いてゆく時間を過ごしていく以外はあり得ないようだ。
それが誰かの宿命らしく、
そんな誰かのいい加減な行く末を、
君はいつも苦々しく思っているのだろうか。

彼の声 2005.12.12

今日は疑念以外の何かを示すことができるような気がする。
今日はいつなのだろう。
まだ過去の時間に属しているのだろう。
偏頭痛がしてくるようだ。
確かに虚構の中ではそうなのかも知れない。
頭蓋骨でも歪んでいるのだろう。
まだしばらくは休ませてくれない。
必要な休息が消散する。
そんな表現はおかしい。
休息の中で時が刻まれている。
しばらく時計を眺めていたようだ。
それで何となく動いていることを実感する。
まだ言葉が足りないのではないか。
それはもう少し先まで行ってみなければわからないことだ。
今何かを思案している最中かも知れない。
息つく暇もないわけではない。
夜空の月はどちらを向いているのか。
かなり遠くまで来たような気がするが、
部屋の中で眠たくなっていることに変わりはない。
君はどこから後退してしまったのか。
それで独り立ちしたつもりになっている。
それが自らの言葉でないことはわかりきっているはずだ。
君の思い通りに行くはずのないことをやっている。
しかし批判の矛先が君に向いていないのはどういうわけなのか。
見え透いたレトリックを用いて破滅をかわす魂胆なのか。
すでに破滅しているような気がするのだが、
誰が破滅しているのかわからない。
架空の人物の誰かに破滅を担わせれば、
君は助かったつもりになれるだろうか。
誰か他に破滅したい人間はいないものか。
そこに漂う虚無的な雰囲気に流されて、
何を見失っているのか。
それ以降につながりようのない文章を配置して、
言葉につまって途方に暮れてみる。
それが君の物語になるはずがない。
だがそんなことは些末なことに過ぎないだろう。
だが他の何にこだわっているわけでもなく、
意識の大半を占める空洞を何で埋め合わせることもできない。
何かのモードに支配されているような気もする。
何となく様式美の罠に文章がはまっているのかも知れない。
それは何年前の出来事なのだろう。
とぼけるのもいい加減にしてほしいか。
過去の時空から何を予測しているわけでもない。
何とか罠をふりほどこうとしてもがいているようだ。
言葉尻を捉えてそんな雰囲気を感じ取っているつもりらしい。
たぶんそうではないと思いたいのだろう。
君がやってきたことはすべて無駄だったのか。
そんなことを語りたいわけでもないのだろう。
まだ感性は死んでいないと思っている。
誰がそう思っているわけでもないが、
誰かが過去にそんなことを述べていたかも知れない。
しかし説明が長すぎないか。
説明をしているうちに、
何を説明しているのか忘れてしまったのではないか。
当初においては
何かの支配から逃れるための努力について語っていたはずだが、
次いでそんな努力は勘違い以外の何ものでもない
という結論に至り、
挙げ句の果てにはその支配形態に絡め取られて、
自ら率先してメディアによる精神の支配を
正当化するまでになってしまったのではないか。
そんな物語がどこかにいるらしい老人の脳裏を一瞬かすめ、
その衰えきった精神の中では処理しきれずに、
うやむやのうちに忘れ去られてしまったのだろう。
今もどこかで生きているのだろうか。
それは何年前に聴いた音楽なのか。
さっきまでの話を忘れさせるだけの力が
その音楽に宿っているのだろうか。
いったい何を忘れようとしていたのか。
いくら言葉を弄しても、
まだ何も述べていないような気がする。
馬鹿げた騒ぎの中で、
誰かが押しつぶされてしまったらしい。
そんなフィクションを構成する間もなく、
状況が適当な出来事を伴いながら、
ゆっくり動き出すだろう。
自らの本望を遂げるための活動を開始する。
過去の君が求めていたものは何だったのか。
今となってはそれを思い出すこともできない。
思い描いていた構想とかいうものが、
どこかで提示されていたのかも知れないが、
言葉の森林に分け入って、
それを探し出す手間をかける気にはなれない。
もはや衰えた感性をよみがえらせることは
不可能となってしまったようだ。
だから今ある状況が君の意識を支配している。
そこから逃れることはできそうもない。
それは君がそれ以外の状況の到来を望んでいるのとは
裏腹の関係を成している。
君がそれを望めば望むほど、
それとは違う現状の中に拘束されてしまうわけだ。
そして思いとはかけ離れていることに
悩み苦しみ続けることになるだろう。
現状が気に入らないことの原因は
君の無い物ねだりにあるようだ。
だがそんな思いに至るたびに、
ますます無い物ねだりの感を強めてしまうのかも知れない。
その不満の念は、
いつか思いがけない作用をまねいて、
破滅が決定的となったりするのだろうか。
今はそれでもかまわないと述べておこう。
述べた先からそんなことはすぐに忘れてしまい、
歳月の経過とともに、
一時的な身の破滅など
どうでもいいことの類でしかなくなってしまうのかも知れない。
自らが述べていることを真に受けるわけにはいかないのであり、
本気になれないのはいつもの通りだ。
今日もそれ以上の飛躍には至らない。
思考は一時停止を繰り返しながら、
その都度現状確認に余念がないようだが、
正気を保つためには
そのくだらない思考動作をやめるわけにはいかない。
まだその程度で済んでいるのだから、
それはそれで気楽に振る舞える範囲内なのかも知れない。
そこからある一線を越えて、
根を詰めて何かをやろうとすれば、
必ずそこで挫折してしまうだろう。
そういう意味で多少の時間的な遅れは仕方のないところだ。
あまり厳格にルールを適用してしまえば、
現実と理想の背離がますます加速され、
何か精神的に耐えられなくなってしまうかも知れない。
だからいい加減に語っていないと、
やばい状態を避けられなくなる。
そういう意味では
まだ気休め程度の背離で済んでいるだけでも幸運なのだろう。
現に述べたいことは何もないと述べていれば、
何となくそれで気が休まるような気がしてくる。
現状が終わり得ないことに変わりはないが、
そんな現状の中でしか生きられないことも確かだ。
だからいつまでも悩み苦しんでいるのかも知れないが、
そんな精神的な苦しみが今ある意識を支えているのだろう。
そしてどこまで行ってもそんな現状が待ち受けているようだ。
いったい転機はいつ訪れるのだろう。
そのままで終わってしまうのなら、
そんな運命はつまらなすぎるか。
では何か他におもしろいことはないだろうか。
心はすでにそこから離れているらしい。
それが誰の心なのかはっきりしないが、
では現状に拘束されているつもりの意識は
誰の意識なのだろうか。
面倒なので君の心はそこにはないことにしておくか。
心と共に君の意識もどこか遠くへ飛んでいったしまったらしい。
そんなあり得ない妄想を抱いていると
気分転換にでもなりそうだ。
暗い話はいい加減に終わりにしたくなったのか。
何となくそう思っていると、
そんなことはどうでもいいように思えてきて、
また何が何だかわからないふりをしたくなってきたようだ。
今はそれでかまわないのだろう。

彼の声 2005.12.11

真実に至る道は幾通りもあるらしいが、
無用な自己主張は調和を乱す。
それが予定調和であるわけがない。
実際に何をやっているのかわからない。
どういうわけでそうなってしまうのだろうか。
知っていることを包み隠さず述べればいいだろう。
さらにわからなくなってしまったようだ。
何も見出されないと述べながらも、
実際には何かを見出しつつあるようで、
それは誰かの苦しみに違いない。
だがすかさずそれらの苦悩は嘘かも知れないと述べてみる。
本気になるのが嫌なのか。
何が起こっても不思議ではなさそうだ。
偽りの苦しみが遠ざかり、
風が強くなる。
言葉は未だに見ている光景を描き出していないようだ。
君が語りたいのは風の話ではない。
そこでは誰が何と闘っているのだろうか。
良心の呵責でも感じているのだろうか。
まともな答えを求めているわけではない。
そこにはありふれた言葉しかない。
意識の外に何らかの世界が広がっているようだが、
わざとまぶたを閉じて、
瞳は何を見ようとしているのか。
見えない空気の流れでも感じているつもりなのか。
外の世界には言葉が伝わらない。
その代わりに暗闇が存在する。
それは盲目を装うための闇だ。
何が見えないふりをしているわけでもないが、
めくらのふりしている意図など何もない。
君が盲目ではないのはわかりきったことだ。
やる気がしないのもわかっている。
やる気は目的に振り回されていて、
意識は何もない明日に向かっている。
希望はどこにも存在しないらしい。
だがそれで何がどうなるわけでもない。
虚無の言葉で何を飾り立てているわけでもない。
何かが復活する機会などどこにもありはしない。
復活させる対象が何も思い浮かばないのではないか。
何かに対する思い入れを探しているのかも知れないが、
その対象となりそうな事物が見当たらない。
外の世界はそれについて何も教えてくれそうもない。
行き詰まりの原因はどこにでも転がっているようで、
仕方がないので、
まだそんなところで何かを述べている。
何も述べずに述べているつもりになっているだけだ。
それで何がわかるのだろう。
戯れに不可視の光景を思い描いている。
キザなことを述べると、
何かにかぶれてじんましんでも出るだけか。
そしてアレルギー症状が進行してゆく。
記している文章がつまらない言葉の連なりに思えてくる。
そこから見る間に枝葉が伸びて、
入り組んできて、日差しが遮られ、
それは春の景色に思われるかも知れないが、
それとは無関係な何かを主張しなければならなくなる。
ぎりぎりのところで踏みとどまっているつもりなのか。
いくら言葉を弄して文章を続けても、
わからないことに変わりはないだろう。
内容を何も思いつかないのだから仕方がない。
君はそれらの文章をどこへ導こうとしているのか。
ゴミの集積場へ導いているのかも知れない。
いつまでも続けていると粗大ゴミになってしまうだろう。
それで本望だというのなら、
そんな強がりは早急に打ち砕かれなければならない。
無理を承知でそんなことを述べているのはわかっている。
君が経験する出来事は文章の構築には結びつかない。
それをやめさせるために
出来事が立ちふさがっているわけだ。
それについて
何も述べさせないようにしているのかも知れず、
そんな苦境の前に挫折を促しているのだろうか。
そんなことの連続によって何がおもしろく思われるのか。
おもしろいことなど何もない。
だからそんな状況が君を追いつめているわけだ。
だがそれで何を理解したことになるのだろう。
もうその辺でやめた方がいいだろう。
そこからいくら言葉をつなげてみたところで、
何を述べていることにもならないはずだ。
いつまで意地を張ってみたところで、
何がもたらされるわけでもない。
ならばそこであきらめてしまえばいい。
それでもあきらめきれないのはわかりきったことか。
現に何かしら意味のないことを述べているのではないか。
だが今さらそんなことを確認してみたところで、
何がどうなるわけでもない。
何をどうしようとしているのだろう。
もはや自己実現などというくだらぬ段階ではないだろう。
そこにどんな自己があるというのか。
足下から大地が崩れ去る。
確固とした地表など無意味だ。
気がつけば足場がなくなっている。
身体が宙に浮いているような感覚を得る。
そこに自己の存在を認めないということは、
どのような結果を招くのだろうか。
身体の中に自己が間借りしているわけがない。
切り抜けられるような状況だとは思えない。
それが無理であることは始めからわかっていたことだ。
ではそこから何を始めていたのだろうか。
それはただ単に言葉を先につなげる
という行為以外にどんな意味を担っていたのか。
次第に先細りの不安に打ち勝てなくなってくる。
時間に追い抜かれてしまい、
まったく追いつけなくなり、
取り残されていることに耐えられなくなってくる。
だからその先を求めているのだ。
その先に何かが到来すると思い込み、
それがかろうじてやり続ける支えとなっている。
なぜそんな思いに至ってしまうのか。
そんな内容ではつまらなすぎる。
ただ闇雲に言葉を弄して、
それで終わりに対する不安をかき消しているだけだろう。
そんな精神的な弱さを突いて虚無が進入してくる。
もう何も述べることはないだろう。
早く徒労を終わりにして楽になればいいだろう。
なぜそれをやめようとしないのか。
ただやめられないからやめようとしないだけか。
何の理由にもなっていないような気がしてくるが、
さらに何かを述べなければならない。
思い通りに行かないのには慣れている。
思い通りに行くはずがないだろう。
しかし天命を待つ気にはなれない。
人事などいくらも尽くしてない。
まだこれからやることがあると思っている。
たぶん死の直前までそんなことを思っているのだろう。
何事もあきらめが肝心だが、
不幸になるにはあきらめないことが肝心だ。
そして同じことを繰り返すことも肝心であり、
それをやりすぎることも感じなのだろう。
他人から呆れられるまでやらなければならず、
呆れられてもやり続けなければならない。
そしてやり続けることの目的など何もありはしない。
何のためにやっているのでもないことが、
延々と同じことをやり続ける秘訣なのかも知れないが、
そこまで述べれば気が済むのだろうか。
何となくいつものように馬鹿らしくなってきたか。
そしてわけがわからなくなり、
それでもかまわないと思うようになるわけか。
何という回り道なのだろう。
そんな感慨に至るためにここまで来たわけではないはずだ。
そんな骨折り損のくたびれもうけ状態を
楽しむことができるだろうか。
誰に向かって何を述べているのか。
こうも強がってみせるのには、
何かわけがありそうに思えるのだが、
思い当たる理由が何もなく、
一向に何も見出せない状況の中で、
何をどう述べていいのかわからなくなるだけのようだ。
本当にまだその先があるのだろうか。
その先において何を述べたらいいのか。

彼の声 2005.12.10

どこかで転換点が待ちかまえているのだろうか。
君は長すぎる文章に嫌気が差している。
もっと単刀直入に用件を述べてほしい。
何かの邪魔が入っているのかも知れないが、
とりあえず今は忙しくない。
ならばやる気のでない理由がわからないか。
言葉を繰り出すタイミングが合っていないのかも知れず、
出鼻を挫かれて、
曖昧模糊とした雰囲気に流され、
何を述べているのかわからなくなる。
そこからどんな話に持っていくつもりなのか。
たぶんそれはわざとらしい話の展開になると思われるが、
なぜかそこで黙ってしまうらしい。
そうなってしまう理由など何もありはしない。
それらの沈黙には
どんな意図と思惑が込められているのだろうか。
意図や思惑をねつ造している暇がない。
そして何を疑問に思っているわけでもない。
今は疑念を抱くような雰囲気でない。
ただ話の到達点が遠すぎるのかも知れず、
それに比例して空白の時間が長くなっている。
何もできずに最近はかなり人相が悪くなってきた。
誰かはなぜか気がゆるんでしまったらしい。
それでも何もやっていないわけではないはずだ。
画面上に映っているニュースでは
ありきたりなことばかりが述べられているが、
いつものようにそれの何が気に入らないのかわからない。
誰かが気を利かせて、
もっとマシなことを述べたらいいのだろうか。
しかし何がマシであるかについて確固とした基準はなく、
語ることのすべてが
くだらないことのように思われてくる。
君にはそれが不満に思われるのか。
何事にも心が動かず、
すぐに飽きてしまうだろう。
飽きてしまうからまた新しい何かを求めて、
誰もが気晴らしとしてのニュースに
群がっているのではないか。
だがそれで何を批判したいわけでもなく、
何となくそこでの時流に乗って、
それなりに提供される娯楽を享受するぐらいしか、
人の生きる道はあり得ないのではないか。
もちろんそれで生きている実感が得られるわけもなく、
生きていようと死んでいようと、
人一人に何か決定的な重要性があるわけでもない。
何が重要であるかについて、
人それぞれで重要性に対する認識も違ってくるだろう。
だがそれで何を述べていることになるのか。
君にとっては何が重要なのだろうか。
明確なことは何もわからない。
それが重要であろうとなかろうと、
そんなものは行動の指針にも
判断材料にもならないのかも知れない。
客観的にはやるべきことなど
何もありはしないのではないか。
だがやるべきことばかりやっているわけでもなく、
やらなくてもいいことばかりやっているわけでもない。
やってしまった後から悔やんだりするだけか。
それでは何をやっても
反省の材料にしかならないのかも知れないが、
やっていることのすべてが失敗の連続であるとすれば、
成功とはどういう状況になることなのか。
そんなことは実際に成功してみなければわからない。
そしてそういう意味での成功などあり得ない。
何事にも失敗し続けなければ、
やる気を失ってしまうのではないか。
もちろんそんな心配など杞憂でしかないが、
すでにやる気を失っている今こそが
成功を体験していることになるのではないか。
そんな状態が成功の証なら、
そんな成功など要らないだろうか。
それでも誰かが成功を必要としているのだろう。
言葉としては
自らがやってきた結果が成功だと認められたい。
だが現実にはそんなことはどちらでもかまわない。
何が成功で何が失敗なのかについて、
明確な認識をもてないようだ。
やはりそこでも判断基準の曖昧さが、
何らかの認識に至るのを
邪魔する障害となっているらしく、
判断するには至らずに、
結局そんなことはどうでもよくなってしまい、
何事にも本気になれない原因は
その辺にあるのかも知れない。
いったいそれ以外に何を思えばいいのだろう。
自らが実際に行っていることと、
現実に述べている内容には、
ほとんど関連性がないのかも知れない。
たぶんそれでは
何を述べていることにもならないのだろうが、
何らかの対象についてどう述べてみても、
本気でそんなことを述べているわけではないことに
なってしまう。
それはどういう嘘なのだろうか。
嘘ではないと思いたいようだが、
嘘をついているつもりの当人にとっては、
どちらでもかまわないのだろう。
だがそれがどういうことでもないとすれば、
そこから先にどう述べていいのかわからなくなる。
それはどこまでいっても
どういうことにもならないように思われ、
どうにもならないから途方に暮れてしまい、
ますます困惑の度が深まってくるようだ。
そして困惑すればするほどおもしろくなる。
嫌がらせとはそういうものなのだろう。
どこまでも感情の根が伸びてくる。
何をどこまでやってもきりがないらしい。
すでにそれを止めることができなくなっている。
感情的になればなるほど、
何をやっても満たされなくなってくる。
どこに歯止めを設定すればいいのかわからなくなる。
もはや歯止めが利かないのだから無駄なのかも知れない。
それは恐ろしいことだろうか。
そんな暴走の軌跡を言葉でなぞるのは楽しいか。
言葉がどこにあるわけでもない。
感情を言葉に変換するのを忘れているらしい。
君はそれらの状況のどこにも出現しないだろう。
神が降臨するのは虚無の大地だ。
人間の汚らわしい感情などすべて無視されてしまう。
くだらぬ思い込みはすべてご破算にして、
何もない場所で何も思わない精神が
真空を糧として空間的に膨張し続けている。
それはあたかも妄想を伴わない誇大妄想を
内蔵しているかのように思われてしまう。
たぶん矛盾しているのだろうが、
矛盾していなければ何も生じてこないだろう。
世界の真の姿がそこにあるのかも知れない。
何もないからこの世界は認識の対象となっているのだろう。
何かがあれば、それは利用の対象となってしまう。
そこから利益を出さなければならなくなるだろう。
無から有を生じさせる自信が詐欺師にはあるらしいが、
そんなことを繰り返していて虚しくならないか。
何もなければそれについて何も述べる必要はない。
しかしそれでも君は沈黙の言葉を必要としている。
すべての意識を沈黙させるには、
それに応じた言葉が求められるのだろうか。
言葉で他人を黙らせてどうするのか。
静かな日々を送りたいのだろうか。
だが静けさの支配にどこまで耐えられるのか。
そう述べて誰を心配しているわけでもなく、
何に耐えられないわけでもない。
もはやそんなレベルはとうにクリアしているつもりだ。
その自信がどんな勘違いを呼び込んでいるのかを
知りたいところだが、
やはりそれで何を述べているのでもないことを
確認したいらしい。
ただの言葉には文章としてのまとまりが
求められているようで、
そこから何らかの文章が構成されていなければならず、
そのわけのわからない文章の内容について、
何らかの説明が求められているのだろうが、
はたしてそれで説明になっているのだろうか。
たぶんそこで何かが説明されていて、
少なくとも現時点ではそう思われる。

彼の声 2005.12.9

それがそれほど気になっているわけでもないが、
遠い歌声が近づいてくる気配はない。
そんな耳の遠さと比例して無関心が猛威をふるってくる。
そんなことは無視してしまってかまわないのではないか。
部屋の中が乾きすぎているのかも知れない。
冬になると皮膚が切れてくる。
どこに何があるかはわかっているつもりだ。
だから何をやろうとしているのか。
ただ機会が訪れるのを待っていたら、
老いて死んでしまうだろう。
そんな悠長なことはやっていられないか。
今さら何を焦ってみても始まらない。
何を始めようとしているのかさえはっきりしない状況で、
他に何か思うことでもあるのだろうか。
それがそもそも違っているのではないか。
冗談でそんなことを述べているわけではない。
何が冗談なのかわかって述べているのだろうか。
だからそれを知りたいと思っている。
即興でそんなことを述べてしまう原因を知りたい。
理由がどこから湧いて出るのか。
何かがそこには存在しているはずだ。
そんな風に思い込みたいだけなのだろう。
まさかそこから馬鹿の一つ覚えが発動するわけもあるまい。
どこかでそれらの悪循環を断ち切りたいのは山々だが、
それをどう思っているかは
そのときの話の成り行きにもよるだろう。
わかっていることはわかっていないことだ。
それを知ろうとしてないのかも知れない。
夜はさらに長くなりそうで、
それを知ろうとするための時間は
まだ十分残されているように思えるのだが、
それとは別のことをやるための時間は全くない。
だからひたすら考え続けなければならないようだが、
そんなことを述べているうちに、
何となく馬鹿らしく思えてくる。
たぶんそうではないのだろう。
何よりもこの状況を楽しまなければならない。
この状況とはどんな状況でもなく、
どういう状況でもない。
ただ言葉がそんな風に連なっているだけのことだ。
そんなことは君の知ったことではないはずだ。
何が何だかわからなければ、
それでかまわないのだろうか。
それがどういうことだなんて思わない方が身のためだろう。
誰の身のためでもないことは思わない方がいい。
だからさらにいい加減なことを述べられる。
まるで何かにせかされているかのように語っている。
冬の寒さが身にしみるのは誰のせいでもなく、
ただ単に今が冬だからだ。
そんな返答を期待しながら、
さらにどうでもいいような気分が増してゆく。
誰に嫌われているわけでも、
誰を嫌っているわけでもないが、
それで誰の気分を害しているわけでもないはずだ。
好き嫌いなら食の好みでも述べていれば、
それで何か述べている風を装えるのではないか。
音楽は誰を選り好みしているわけでもなく、
ただそこで音が鳴っているに過ぎない。
それについて何を述べたらいいのだろう。
まだその端緒に着いたばかりではないのか。
聴きたくないのなら、
座っている椅子を回転させて、
目でも回していたら気が散って、
音楽どころの騒ぎではないだろう。
わざと言葉をずらしている。
芸術は軽薄だ。
それの何を軽蔑したらおもしろいだろうか。
そこに意味があるとは思えないから、
何となく無駄なものを見ているようで、
見ているうちに楽しくなってくる。
絵は言葉に毒され、
音楽は感情に毒されている。
脳みそが腐っているのかも知れないが、
そんな見え透いた嘘はありふれているだろう。
そこで何かが二重に否定されているようだが、
文章の中には絵も音楽もあり得ず、
そこでは対象が不在のまま文字に置換されているに過ぎない。
それがフィクションのきっかけとなっている。
要するにあり得ないことを述べているのだ。
それはあり得たかも知れないことではなく、
未だかつて存在せず、
これから先も不在のままに
あり続ける対象について語られている。
だから何を述べても欺瞞を払拭できないわけか。
それを真実などとは思わない方が身のためだ。
嘘で塗り固められた虚無の塊が
文章そのものなのかも知れない。
よくそんな嘘がまかり通るものだ。
それの何が嘘なのか、
君に指摘することが可能だろうか。
だが嘘は指摘するものではなく、
堪能するものなのではないか。
嘘を堪能して虚無を感じ取るのが、
そこでの正しい理解なのかも知れないが、
それで何になるのだろうか。
そんな冗談をどこまで許容できるかが、
そこでの懐の深さにでもなるのだろうか。
何となくそれは間違った解釈のように思える。
いったいどこで過ちを犯してしまったのだろう。
正しい認識が嫌いだから、
わざと誤ったことを述べているように装っているわけか。
そんな芸当を行う必然性がどこにあるのか。
要するに言葉につまって、
何が何だかわからなくなりたいだけなのだろうか。
調子が外れていて、
言葉を虚無で飾り立てているだけなような気がしてくる。
それでも一瞬の間だけ
正しいことを述べていたような気がするのだが、
それについてどのような判断を
下したらいいのかわからなくなる。
たぶんそれは正しいことでも
間違ったことでもないのかも知れない。
ひたすら言葉を弄しすぎて、
不必要なことまで述べていることは確かだが、
一方ではそれでかまわないとも思っている。
誰かの見本となるような文章を記してはならない。
まとまりを著しく欠いて、
焦点がどこにも定まっていないようにしなければならない。
そんな嘘でも気休めぐらいにはなるだろうか。
それでも何も述べないよりは
少しは楽しい気分になるかも知れない。
そしてそこを通り過ぎれば、
いつもの虚無が到来する。
何を述べているのでもないと思うようになり、
それ以外に何も感じないのが
当然のことのように思われてくる。
たぶん誰かはそんな成り行きを求めていたのだろう。
まさにこうして願いが叶ったわけだ。
そんな嘘ではまだ気が休まらないだろうか。
ではこれからどんな嘘をつけばいいのだろうか。
嘘は飽きたから、
その代わりに真実でも述べてほしいか。
それこそ無い物ねだりになってしまう。
フィクションに何か真実があるとすれば、
それは馬鹿な人々が顕揚したがる類のものかもしれない。
要するに自分が感じ取ったつもりの勘違い的な感動を
他人に押しつけたいわけだ。
そこに真実があればそれだけで
その作品が尊いものだとでも思い込みたい。
だがそれで何を批判したいわけでもない。
現に君も虚構の中に真実を求めている当人なのではないか。
感動によって気分を高揚させたいのだろう。
思いがけないことを知って感激したいのではないか。
そんなありふれた思いに至らなければ、
何を感じ取ったことにもならないのではないか。
だから君はそこで何かを発見しなければならなくなる。
いつまでも虚無を言い訳にして
意味不明を装ってばかりいられなくなるはずだ。
言葉の連なりの中で、
何かしら確かな意味を見出さなければならない。
そしてその意味をそれとは別の言葉で
理解する必要が生じてくるだろう。
意味とはそれとは別の言葉で言い換えることだからだ。
そうなって初めて文章を理解したことになるのではないか。
そんな嘘ではつまらないか。

彼の声 2005.12.8

誰かは猜疑心の塊に一言物申したい。
それの何が気に入らないのだろう。
すでに知っていることを述べているつもりだ。
それ以外に何を述べられるだろうか。
音楽はメッセージだそうだ。
そんな不確かなことを述べていると気が楽だ。
感情はただ何かを否定したい。
それは誰の感情でもなく、
他に何を考えているのでもないらしい。
感触が違っている。
また何かいい加減なことでも思いついたのだろうか。
意識はつまらない誘惑に負けそうになっている。
誰かは禁句になっている言葉を探しているようだ。
しかしそんなに苦しいのだろうか。
何を苦しがっているのか。
どこからその状況を入手したのだろう。
怒りがどこから湧き上がることもない。
わけがわからないのは楽しいか。
解けない謎のコレクションが必要だ。
それを理解したくないのかも知れない。
空はどこまでも青い。
まだ外は冬なのだろうか。
枯れ葉の間から何が這い出してくるわけもない。
君の意識はどこでこの世界とつながっているのだろうか。
世界は動かない。
動いていると感じているのは世界ではなく、
この世界でなくて何なのだろう。
言葉がそこで負けている。
自己正当化とはそういうものだ。
過ちを何度も繰り返し、
しかもそれを認めようとしない。
君はどこで現実と折り合いをつけるつもりなのか。
そこから逃げてどうするのか。
不在の誰かとわかりあえるはずがないだろう。
そこで透視術でも用いようとしているのか。
いったい何が透けて見えるだろうか。
見えてくるものに心当たりはない。
それは戯れ言の類だろう。
箴言に至るはずもない。
少し耳が遠いらしい。
変化しようとしているのは君ではない。
急な状況の変化に合わせることができないようだ。
歩調を変えるのは至難の業か。
それは魔法の類かも知れない。
魔法によって君は生まれ変わるだろう。
そんな嘘は唐突すぎる。
批判される筋合いは何もない。
自由は無批判に受容可能なのか。
それが自由だとしたら、
単なる独りよがりでしかない。
根拠を示せと言われても、
すぐにそんな要求を呑めるはずもない。
幻想という言葉は使いたくないようだ。
ただ記憶にないと述べるしかやりようがない。
君はそこから逃げている。
どこまで逃げ切れるだろうか。
逃げ切れなくなったらどうするのか。
逃げているうちに何か妙案でも思いつくだろう。
成り行きまかせに振る舞い続けることしかできはしない。
それが君のやり方なのだから仕方ない。
そんなことを述べているうちに、
さらに本題から逸脱し続け、
藪の中から蛇でも飛び出すかも知れないが、
それで事の真相が明らかになることはないだろう。
君は疲れているのだ。
本来の姿を見失っている。
だがそんな気休めは無視するだけのようだ。
いったい何を励まされているのだろうか。
すぐにでもできるようなことを
やろうとしているわけではない。
いくら強がって見せても無駄だろう。
もう手の内は知れ渡っている。
後はどのように追いつめられていくかが
今後の検討課題となっているに過ぎない。
簡単にあきらめずに、
その先へ言葉をつなげていく以外にやりようはないだろう。
時間的に追いつめられているのに、
まだ何かそれとは違うやり方を
模索し続けているようだが、
たぶん現状をまったく把握していないのだろう。
ではそこで音を上げて、
あきらめてしまえば楽になるだろうか。
やれるはずもないことをやっていられるわけもない。
君はそこで何かの可能性にかけているのかも知れないが、
現状でうまくいくとは到底思えない。
そんなことはもう忘れてしまえばいいのではないか。
嫌なことは忘れて、
何か新たに別のことをやってみたらどうなのか。
たぶんそれも嘘に違いない。
どこへも逃げられない状況から逃げようとしても無駄だ。
もはやそこには言葉しかないのであって、
そこにあると思っている複数の言葉を組み合わせて、
その場の状況に合わせた文章を構成しなければならない。
何もないのに、
言葉があると思い込んでいるようだ。
それは哀れな勘違いかも知れない。
言葉に救いを求めても裏切られるだけだろう。
確実なことは何もなく、
そのことごとくが曖昧なことしか述べられない。
君はそれをどこまで容認できるのか。
何をもって理解したことになるのだろう。
互いに理解し合えないことを前提としながらも、
何を説明しているのだろうか。
説明する前から意味不明になってしまうことは
わかりきっていることなのか。
そんな説明がどこにあるのだろう。
いったいそこで何を説明しているつもりなのか。
説明不可能なことでも説明しているつもりなのか。
そんな無駄な説明が説明といえるのか。
君にはそれがわかっている。
改めて説明を受けなくても、
そんなことはすでに承知しているはずだ。
だからそこから逃げ出そうと画策しているのではないか。
もうだめになることはわかっていて、
沈没しかかった船から一刻も早く逃げ出そうとしている。
しかしそんなたとえが何になるのだろう。
もうすでに遠ざかりすぎるくらいに
遠ざかってしまったのではないか。
時間的にも距離的にも
これ以上は遠ざかれないほど遠ざかっているはずだ。
もはやそこで何が行われているのかもわからないほど
遠くまで来てしまったような気がする。
確かに言葉の上ではいくらでも遠ざかれる。
場合によっては無限の時間と距離を隔てることも可能だ。
だがそんなことをやって何になるのか。
何かそれでメリットでも生ずるのだろうか。
そんなことがわかるはずもなく、
それを理解するには、
危険を顧みずにそこへできるだけ
接近しなければならないのであり、
たとえそれが近視眼的な情景になろうと、
そうしなければ何も得られない。
そこから離れすぎているということは、
それとはまったく無関係になるということでしかない。
それでも君はいいのだろうか。
それで気が済むとは到底思えないだろうが、
なぜそれをそれほどまでに毛嫌いしているのか。
さっきから述べている対象がまったく定まっていない。
何かについて述べることは、
その何かに依存してしまうことになるが、
ではそんな依存関係を断ち切ってしまったら、
他に何を述べることができるだろうか。
対象からどんどん遠ざかってしまったら、
述べている内容が空疎になるだけではないのか。
要するに君は何かにのめり込むことができないのだ。
君には絶えず語る対象との無限の距離が必要となる。
それが何事にも本気になれない原因ではないのか。
だがそんな結論をどこまで信じていいのかわからない。
それで何かを述べたことになるのだろうか。
そんな心配までする必要はないだろう。
君には君のやり方があり、
そのやり方に従うか逆らうかは、
そのときの君の気分次第なのではないか。
そこにどんな嗜好が反映されているわけでもなく、
ただそのときの成り行きから、
それにフィットした言葉が
取捨選択されていると思いたいようで、
それ以外の判断基準は存在しないかのように
語りたいらしいが、
本当にそんなことを信じていいのだろうか。

彼の声 2005.12.7

何かが食い違っているのだろうか。
何もかもすべてが食い違いすぎているのかも知れない。
それで何となく嫌気が差しているような気がする。
だからこれ以上は何を述べても意味がないだろう。
そんなあきらめの境地に至りたいのか。
そしてさらにわざとらしいことを述べている。
たぶん季節は冬なのだろう。
数日後の空は晴れ渡り、
そんな天候以外に他に何も感じることができず、
何となくつまらないことを述べているようだが、
それ以外に何を述べてもあまり気休めにはならないだろう。
翌朝のけだるい雰囲気の中で何を思うだろうか。
それは君が述べていることではない。
述べているのは誰でもない誰かだと思いたいらしく、
その誰かは無駄な言葉とともに
また分けのわからないことを述べようとしている。
さらに意味不明なことを述べるつもりのようだ。
たぶんそれは嘘であって、
そうやって記された文字とは
別のことを思っているのだろうが、
案外それが架空の本音なのかも知れず、
その偽りの本音には中身が伴わないだろう。
確かに意味不明なことを述べているようだ。
しかしそれ以外に何があるのだろう。
例えば世の中で日々起こっている事件や事故によって
何が変わるわけでもなく、
それらの出来事には過去に繰り返されたのと
同じような反応がつきものであり、
それに対する思いも
ほとんどが織り込み済みの内容に違いない。
人々の意識は過去からの連続を保持したいのだろう。
だがそんなわかりきったことを述べないでほしいか。
それの何が気に入らないわけでもないが、
ただ君がわかっている範囲内で
何か適当なことを述べてほしいだけか。
ならばこの際その手の意味不明からは
完全に決別すべきなのだろうか。
しかし君がわかっていることとは具体的に何なのか。
できることならそれらの状況を
誰にでもわかるような言葉で説明してほしいが、
そこには簡単な説明に使用できる言葉が
何一つ見当たらない。
だがそれでは何も述べられないだろう。
何も述べられないのに、
何かわざとらしくもいいわけじみたことを
延々と続けてしまっているのではないか。
やはりそれでは
何を述べているでもないことになるのだろうか。
君はそれでかまわないのか。
現にそうやって
だんだん曖昧なことを述べ始めているようだが、
どうやらそれらの現象を
わかるきっかけがつかめないらしい。
ならばその文章は
またいつもの意味不明になるより仕方ないだろう。
君はそうやって
自身にはできないことを述べようとしている。
そしてすでにそれに対して説明することを
あきらめてしまったらしい。
説明するのが面倒なので、
あきらめたふりをしているだけか。
だがそんな論理のすり替えが通用するわけがない。
通用しなければ無視すれば済むことか。
ではそのときの判断は誤りなのだろうか。
それでもそれで何とか
難局を切り抜けたつもりになっている。
打開できないことを打開したつもりになっている。
だがそれでは
何を述べているのかわけがわからないだろう。
意味不明では何も述べていないのと同じではないか。
やはり何も述べてはいないのだろうか。
たぶん述べたいことが何もないのだろう。
だがそれではそこで終わりなのではないか。
現実には何も終わっていない。
では何か終わりたいのに終われない事情でも
あるのだろうか。
また嘘をついているのかもしれず、
だんだんと話が込み入ってきたような気がするのだが、
一向に何を述べているのかよくわからないことに
変わりはないような気もしてくる。
いったい君はそこで何を述べているつもりなのか。
述べている当人にもわからないようなことを
述べているのだろうか。
要するに精神的に疲弊しきっているのではないか。
何かが擦り切れてしまっているようだ。
この世の中に興味を惹くような出来事が何もない。
なぜ人々はこの地上で
意味もなくうごめいているのだろうか。
彼らにとっては
なにがしかの意味があるのかも知れないが、
君にはそれがわからない。
無意識のうちではわかっているのかも知れないが、
それが意識の表層に昇ってきて、
言葉として文章に結実することがないのだ。
たぶんそんな説明もでまかせに違いない。
ただそんな風にして何かしら語り続けていることに、
内心安心しているのかも知れない。
まだ正気を保っていると思い込んでいる。
語り続けているうちは
何とかなっていると思いたいのだろう。
そういう考えは浅はかきわまりないだろうか。
そんなことをやり続けていることに対する自己嫌悪と、
それでも語りの継続を保っている
と思い込んでいる気休めとの間で、
誰かの意識は絶えず揺れ動き、
両者の間を行ったり来たりしているらしい。
しかしそれで何を述べていることになるのだろうか。
結果としてうんざりするような文章が
構成されているのかも知れない。
何もかもが馬鹿らしく思えてきて、
まったく話にならないようだ。
そんな精神状態のままで
いつまでも生きていくのだろうか。
そんな馬鹿げた話はないだろう。
だからそこから抜け出そうとして、
何やら延々と試行錯誤を
繰り返しているような気もするのだが、
結果は何も出てきていないようで、
いつまで経っても
そんなことの繰り返しが続いているだけのようだ。
そんな風に思っていると次第に気が滅入ってきて、
さらに精神的な鬱状態が長引いてしまうらしい。
君は本気でそんな風に現状を分析しているのだろうか。
やはりそこからそんなことは冗談だと決めつけて、
無理矢理明るく振る舞おうとするわけか。
それがわざとらしく思われてしまうことの
原因かも知れない。
しかし誰がそう思っているのかがわからない。
誰もそんな風には思っていないのかも知れず、
それはただの思い過ごしであり、
そんな勘違いを糧にして
それらの文章を長引かせているだけなのかも知れない。
それでもわざとらしくも浅はかなやり方だろうか。
しかし君はそんな自らの愚かさを、
それらの文章を記すことによって
引き受けているのではないだろうか。
誰か他に
まともな文章に出くわした例しがあっただろうか。
述べる必要のないことばかりが
世間には氾濫しているような気がしないか。
そんなことはわかりきっているだろう、
と思うことばかりのような気がしないか。
なぜそうなるかはわかっているが、
それを文章にして説明するのは困難を極める。
だからさっきからそれを説明しようとして、
結果としてそれがなかなかうまくいかずに
四苦八苦しているのではないか。
要するにそれで意味不明になっているのだろう。
何かを説明し損ねていて、
それで文章のすべてを
台無しにしてしまっているのかも知れない。
そしてそれらの失敗は精神的な苦痛を伴って
自らにダメージを与え続けているのかも知れない。
またおかしな心境になってきたようだ。
何かもがどうでもいいような気になってくる。
いくら失敗を重ねても、
同じ失敗を何度も繰り返しても、
気がつけば意識はまたその場所へ舞い戻ってきている。
そしてまた以前を同じようなことを述べようとして、
いつものように語り損ねて失敗を繰り返すのだろう。
はたしてそれでかまわないのだろうか。

彼の声 2005.12.6

いつか願いが叶うときが訪れるはずだ。
そんな幻想を墓場の下で抱いている死者がいるらしい。
だが気がひけるのはどういうことなのだろうか。
いつものようにやる気がしないということか。
すでに生前の願いは生前に叶ってしまったのだろう。
死者に願いなどありはしない。
何かが文章の中で却下されてしまったらしい。
もはや生きていないのにこの感覚は何だろう。
フィクションの中ではあり得ることかも知れない。
別に見せしめに生け贄にされているわけでない。
そんな風には思えないのだから、
何の影響も及んでいないのだろう。
どこから何が影響を及ぼしているかを
知ろうとしているわけではないが、
何となくそんなことを述べてしまうようだ。
今は今であり、
今年は今年でしかないのだろう。
また来年になっても
同じようなことをやっているのだろうか。
それに関して何の感慨も抱けないようだ。
ただ時間が淡々と経過している。
君はそれで何を述べているつもりなのだろう。
他人のことはわからないが、
自分のこともわからないように思える。
君が他人でないとすると、
自分はどこにいるのだろうか。
存在している時空をどこに設定すれば
しっくり来るだろうか。
誰かはフィクションの中で何を語ろうとしているのか。
その誰かは他人ではないのだろうか。
そんなことをいくら述べても
自分は一向に見えてこないだろう。
自分の姿など見る気も失せるか。
ありふれたその他大勢のどこかに
自分が存在しているのだろうか。
それで本気になれるはずがない。
それでまた語るのが馬鹿らしくなっているのだろうか。
だが他に何もありはしないだろう。
だから行き詰まっているわけだ。
何事も思うようにはいかず、
思わぬところから沈黙の時間が到来する。
それについてあれこれ詮索しても何も得られないだろう。
しかしそこからどのように話を展開させればいいのだろうか。
そんなことを述べていること自体がおかしいのかも知れない。
だから切羽詰まって他人の言葉に頼ろうとしてしまうわけか。
それが苦し紛れの飛躍をもたらしている。
それはただ単に不連続を隠蔽しているだけだが、
何となくそれでもかまわないような気もしてくる。
君はそこで何に甘えているのか。
言葉が足りないことが甘えの理由になるだろうか。
何か見たこともない光景に出くわしてみたい。
聴いたこともない音楽に出くわしてみたい。
そんな思いをいつまで持続できるというのか。
それが生きる目的にでもなりうるだろうか。
君は幻想を求めている。
ならば雪を待つしかないだろう。
雪が降れば少しは気分転換にでもなりそうだが、
雪国に暮らしている人々にしてみれば
理解不能かも知れない。
憂鬱な季節に何を思っているのだろう。
寒さに音を上げてしまったわけか。
そんなことはどうでもいいことだろうか。
それらの文章にあまり思い入れはない。
いい思いをさせてもらっていないのかも知れない。
あるのは苦痛と焦燥だけか。
そしてそんなことならやめたらいいと述べてしまう。
そんなことの繰り返しには
嫌気が差しているはずではなかったのか。
それでも繰り返してしまうわけか。
やはり君の文章は理解できない。
まったく読み返す気になれないらしい。
誰がそんな思いを抱いているのだろう。
それでも何かしら述べなければならないようだ。
不必要なことを語り始めている。
それらの文章は誰にとって必要なのだろうか。
何を笑っているのだろう。
乾いた笑いの後はわざとらしくため息でもつくわけか。
どこかで誰かが真剣な眼差しになっているようだ。
それはいつかの自分の幻影かも知れない。
生きることに真剣になれる時期というものがあるらしい。
それはまだ何かを信じて疑わなかった頃のことだ。
あきらめることを知らずに、
ひたすら何かを思い続けていたときもあったはずだ。
それが今はどうなってしまったのだろうか。
何も信じられずに、
いくらでもあきらめてしまえるらしい。
そんなことが簡単にできてしまう。
もう老いてしまったのだろうか。
誰が老人になってしまったのだろう。
そういう話なら興味が湧くわけか。
そういうことではなく、
どういうことでもない。
ならどうするのだろうか。
どうもせずに、
黙って時流に従うだけか。
それでもどうにかしていることになるのだろうか。
未だに何とかしようとしているらしい。
まだあきらめきれずに、
無駄な努力を繰り返している。
老人なのにご苦労なことだ。
気力が萎えてしまったらそこで終わりだろう。
そんな状態では死んでいるのと同じことか。
だから悪戦苦闘しているふりをしているわけか。
ふりではなく、
本当にあきらめてはいないのではないか。
何かがそこで止まっている。
相変わらず時は過ぎ去りつつあるのに、
何となく意識がそこから時の経過に
合わせることが困難になっているのかも知れない。
まだ去年の心境のままなのだろうか。
それは何年前の心境なのか。
まだ若いと思っているわけか。
その勘違いを手放すことができないようだ。
聴いている音楽も若い頃のままなのではないか。
しかしそれがどうしたのだろう。
そういうことを述べていること自体が
おかしいのかも知れない。
今はいったいいつなのだろうか。
それは今ではなく、
数年前の今なのではないか。
何やら不毛なことを述べ続けている。
だが世紀末はいつ過ぎ去ってしまったのだろうか。
二十一世紀に入ってからは
時間感覚が失われてしまったらしい。
それまでの時間とは明らかに違う時間を
経験しているような気がする。
時間の進み方がまるで違うような気がする。
この五年の間に
何か記憶に残るような出来事があっただろうか。
それは世紀末の失われた十年間
どころの騒ぎではないような気がするのだが、
別に何を騒ぎたいわけでもなく、
ただ沈黙が永久に支配しているような時間が
続いているように感じられる。
すでにこの世界は終わってしまったのではないだろうか。
そして終わった後には何も始まっていないのではないか。
この状況から何が始まることができるだろうか。
何も始まらなければ終わりもありはしない。
だが本当にそんな感慨を抱いているとすれば、
そういうメンタリティは
すでに前の時代に属している証なのではないか。
今進行中の時代について行けずに、
思考も意識も前の時代で止まったままので、
何も感じ取ることができないだけなのかも知れない。
ところでそんなフィクションならおもしろいだろうか。
時代に逆らって何を強がろうとしているのか。
ただ世の中とは相容れない自らの思いを
正当化したいだけか。
別にそういうわけではなく、
それで何かを語っているつもりになれるのだとしたら、
それでその場は丸く収まり、
そういう語り方でよかったことになってしまうだけだ。
そしてそんな付け足し気味の蛇足も、
それなりの迂回路を形成しおり、
そこからさらに違う道を辿ることが可能となるらしい。
それが何かの思い違いないことを祈るが、
それなりに言葉遊びを堪能していただけただろうか。
誰に向かって何を述べているわけでもないが、
何となくいつもとは違うことを
述べているつもりになっているようだ。

彼の声 2005.12.5

何となくやる気になっているらしい。
しかし主張したいことは何もない。
何か矛盾していないか。
別にそれでもかまわないだろう。
ただ寒いだけか。
もう夜になってしまったようだ。
そんなことはわかっているはずだ。
誰にそれをわからせたいのでもない。
何か無駄なことを述べているようだ。
だがそれはいつもの成り行きだろう。
何もないのだから仕方がないだろう。
そこで終わってしまいそうだ。
終わらないためには
忘れていることを思い出さなければならない。
無理なことを述べようとしている。
無駄で無理なら述べない方がマシだろう。
何を述べようとしているのでもないらしい。
世の中の流れに逆らうのはいい加減にやめた方がいい。
そんなことを述べているわけではない。
それどころかどんなことを述べているわけでもない。
たぶんそれは嘘に違いないが、
それでも何を述べているのでもないらしい。
心の中で何かの棲み分けができているのだろうか。
述べていることが意味不明に思われる。
わざとそうしているのだろう。
そうする以外にやりようがないらしい。
しかしそれはそこでお終いになるだろう。
それ以上は続けることが困難になっている。
だからそれとは別のことを述べなければならなくなる。
すでに述べているそれではだめらしい。
そこから何も言葉をつなげられなくなる。
そんな状態では何もできはしないだろう。
そんなことを述べている状況に精神が耐えられなくなる。
それでもまだ君はやり続けるつもりらしい。
まったく往生際が悪い。
なぜそうやっていつまでも意地を張り通すのか。
その理由を知りたくないか。
意味がわからない。
では知りたくないのだろうか。
いつまでも笑っていられるはずがない。
その意味がわからない。
それからそうなった経緯を知りたくないか。
何も知りたくないのなら、
それ以上は何も語らなくてもいいのだろうか。
その状態を超える方法を模索しているらしい。
人はいつまで同じ内容を述べ続けられるのだろうか。
君は本当にそこから遠ざかりたいのか。
その途中で考え直す機会でも訪れているのだろうか。
今さら見え透いた嘘をついてどうするつもりなのか。
それはすでに述べたことだろう。
視野が確実に狭まっている。
なぜか普通に言葉を記せない。
そんなことがあるはずがない。
何を信じられないのかわからなくなるが、
それも嘘かも知れない。
誰と誰が画面上で戦っているわけでもなく、
それは演技でありショーの一部に過ぎない。
そんな見せ物に感動している自分が恥ずかしくなる。
そうではないはずだ。
これまでのところ真実は何も語られていないようだ。
安易な成り行きが
どこまでも繰り広げられているだけのようだ。
それはそれでそういうことでしかないのかも知れない。
だがそこに至って
述べたいことが何もないのはどうしたことだろう。
他人の考えていることがわからない。
たまにはわかるときもあるのではないか。
わかったつもりになれるときがある。
自分の考えていることがわからない。
たまにはわかったつもりになれるときがあるだろうか。
グラスの底に自らの顔が映っている。
画面上でうごめいている人影は別人のものだろう。
君がそれを認めていいのだろうか。
何を認めようとしているのだ。
子供のように話すことはできない。
大人のように語りかけることもできはしない。
君が認めようとしていることは、
そのどちらでもないのだろう。
何となく力がどこからか湧いて出てきたような気がする。
それが嘘だとしたら、
他に何を語ることになるのだろうか。
冗談の隣に空き地が広がっている。
乾いた寒風を受けながら、
晴れた夜空を見上げているわけでもない。
冗談以前に何か述べるべきことがあるのではないか。
素直になれなければ、
何事もうまくはいかないだろう。
だがうまく語ろうとしているのでもないらしい。
とりとめもないように思える。
まだそこまで到達していないのかも知れない。
たぶんそこを通り過ぎてからしばらく経って、
何となくそのことに気づくのかも知れない。
何にしろ君には関係のないことが連続しているようだ。
物語を彩る人々は操り人形の類だろうか。
何かに操られてそこまでやってきたらしいが、
その先に待ち受けている未知の出来事が
誰に何をもたらすわけでもない。
誰も出来事が起こるのを待ってはくれないだけかも知れない。
それを待つだけの精神的な余裕が欠如しているのだろう。
だからがむしゃらに前進しようとする。
その突進した先にどんな罠が仕掛けられているかなんて、
誰も知ろうとはしないだろう。
君が探っているのはそんなことではないようだ。
ただしゃにむに言葉を連ねているわけでもなさそうに見える。
それでも何か考えているのだろうか。
何とか何もない状況に対処しなければならない。
嘘でもいいから何かあるように振る舞いたい。
そんな仕草は見え透いている。
君にはすでに結果がわかってしまっているのかも知れない。
だから済ました顔して黙っていられるのだ。
この世は犯罪者のためにある。
被害者など泣き寝入りしていればいいのかも知れない。
そこから得られるものは虚無だけか。
人は走り去るために生きているのだ。
走り去った先に待ち受けている終着点が死だ。
そんな風に思いたくないのなら、
せいぜい死ぬまでの暇つぶしに
深呼吸でも繰り返していればいい。
健康には深呼吸がいいらしい。
何を深刻ぶっても始まらないが、
始まる前に終わってしまうのかも知れない。
それは何かの予告編のようなものか。
映画など予告編だけで十分なのかも知れない。
本編を見る前に終わっているものが大半だろうが、
そんなことはわかりきっているだろうか。
そこから何が導き出されているのだろう。
俳優が演じる犯罪もどきに感動して、
何となく気分が高揚してくるだろうか。
だがそれで何を述べていることにもならない。
スクリーンの近くに漂っている暗闇の中に、
視覚から逃れ去ろうとする幻影でも捉えているわけか。
そうであり得たかも知れない仮想世界の中に、
誰かの夢が反映されている。
そのとき脳裏を横切る閃光が何を物語るというのか。
恣意的な光によって焼き付けられた影の中に、
何かの刻印でも感じ取れるだろうか。
徴は何も感じられない。
それは何の兆候でもなさそうに思われる。
何かが好転する兆しはまだない。
そこで誰が何を言い放っているのでもない。
何もわからないから言葉がその先につながってゆくのだろう。
それが本当の理由でないことはわかっている。
君はまだそこにとどまり続けるらしい。
その程度で満足すべきなのか。
どの程度で満足すべきかなんてわかるわけがない。
程度の間に差異を感じられないのだから、
満足の尺度となる基準がない。
だからまだそんなところで何かを語り続けられるのだろう。
要するにわけがわからないのだ。
まったく何もないように感じられてしまい、
それでも何かあるとするなら、
それはただの文章でしかない。
そしてその文章の内容に興味を持てないのかも知れない。

彼の声 2005.12.4

気分が優れないようだ。
意識は肉体を離れて、
次第にその後方へと退きながら、
何もする気も起こらない自らをあきらめ、
本当に何も思わなくなってしまったらしい。
空白に記された言葉から意味が遠ざかっていく。
本当にそんな風に感じられるわけもないだろう。
創作には嘘がつきものか。
それが創作といえるのか。
また何を述べているのでもなくなってしまったようだ。
単調な言葉の連なり方に嫌気が差しているようだが、
君はそれをわかっていないのではないか。
たぶんいつまで経ってもわからないだろう。
わかろうとする気がないらしい。
くだらぬことをわかっても仕方ない。
何よりもその抽象的な言葉が理解できない。
誰と誰が同じ夢を見ているわけではない。
荒野に狼の遠吠えが響き渡る。
自己実現の最新形態は醜い。
単に無理を押し通そうとしているだけだ。
それらの音には虚無的な響きが染み込んでいる。
結果として何がどうなろうと、
誰の知ったことではなく、
その場に居合わせるのも憚られるような成り行きに、
どんな感想を漏らしたらいいのかわからない。
それは誰にわかるようなことでもないだろう。
他人の興味は君の興味ではない。
それが何のことやらさっぱりわからない。
それらの文字は何も語っていないのではないか。
強引に空虚な言葉を繰り返し記しても、
意味不明になるしかないようだ。
いったいそこで何がひらめいたのだろう。
文字の形には魅力を感じられない。
何かが分散しているようだ。
気分が乗ってこない。
すでに出遅れてしまったらしい。
君は心身症なのだろうか。
それは何かの嫌がらせなのか。
誰に対して何が為されているのでもない。
静けさに気が散って何もできなくなる。
そういう現象ではないだろう。
それらの状況の中で、
誰かが馬鹿げたことを述べているだけだ。
それについて何かを述べるには
気がひけているのかも知れない。
そこでねじれているのは空間ではなく、
部屋を通り抜ける空気の流れだろう。
そんなごまかしが通用すると思うか。
換気口に蜘蛛の巣が張られている。
墓の中では人の呼吸を感じられないようだ。
みんな死んでしまったのだろうか。
死んで火葬されれば墓の中に入れるだろう。
ではそれらの妄想はどこからもたらされるのか。
気がつかないうちにおかしなことを述べているようだ。
わざとらしく嘘をついている。
その嘘に誰が気づいてほしいのかわからない。
それは違うと思う。
正しいことは何も述べていないだろう。
その辺で虚無の心が揺れ動いているのかも知れないが、
虚無に心などあるはずもない。
君はそこでできないことをやろうとしている。
無理な状況を覆したいようだ。
言葉の切れ端についている妄想を膨らませて、
試しに適当な文章を構成してみたいが、
それが無理だと思うわけか。
無理ならおもしろいだろうか。
誰もそんなことを思っているわけでもない。
今さらながら何を否定しているのかわからなくなる。
さっきまで何を思っていたのか思い出せないようだ。
ただ思い出そうとしてないだけかも知れない。
もう話は終わってしまったのだろうか。
何かを無理矢理終わらせようとしているようだが、
そうする意味を理解しようとしているのは誰だろうか。
何も理由になっていないだろう。
話の辻褄合わせが文章の内容に追いついていないだけだ。
誰もそんなことは述べていない。
この世界が終わろうとしているのは今ではない。
わけのわからないことを述べる暇があったら、
他にやるべきことを思い出してみたらどうか。
思い出そうとして思い出されることには
魅力が欠けている。
思いがけないことを思い出してしまったとき、
そこからありふれた物語でも語り始められるわけか。
そんなことを述べるために
そこまで歩んできたわけではないのだろう。
それでも君は
何かを知っているつもりになりたいらしい。
要するに知ったかぶりを装いたいわけだ。
この世の中について知ったかぶったことを述べて、
何やら気の利いたことを述べたつもりになりたいわけか。
その感性の幼稚さに際限がないようだ。
どこまで愚かなのか底が知れない。
それで何を批判していることになるのだろう。
そこから何がわかるというのだ。
どうやら心がねじれているようだ。
何を批判しているわけでもないらしい。
世の中では誰もが
自らが持っていると信ずる才能を
伸ばしたいと思っている。
自分独自の価値観に基づいた世界を
構築しようとしている。
自分が思い描いている何らかの秩序を
構築したいのだろう。
そんな欲望を減じる権利など
他の誰にもありはしない。
自己主張の機会を奪うことを正当化できるわけもない。
すべてが競争なのかも知れない。
愚かしくも馬鹿げた競争を強いられている。
だがそれについて
どうこう述べてみても始まらないだろう。
やりたければ勝手にやってもらうしかない。
結果がどんなに悲惨なものであろうと、
他の誰に責任があるわけでもない。
彼は自らの夢を食い尽くしているだけだ。
それが老いにつながっていく。
君は君であって君ではないのかも知れない。
そのふやけた脳みそで何を考えているのでもない。
戯れにめいっぱい高望みでもしてみよう。
そんなどうでもいい話はさっさとお仕舞いにして、
夜の星空でも眺めていれば気が済むだろう。
そこに人の感情が入り込む余地はない。
宇宙は人でなければ神でもない。
人の妄想は夜空に星座を当てはめて、
風景を汚しているのかも知れない。
枯れ葉から何を連想すればいいのだろう。
そういう思考が生じてくる理由を知りたいのか。
たぶん何を哀れんでいるのでもないのだろう。
言葉を並べてどこへ至りたいのでもない。
この社会の中で通用させようとは
思わないのかも知れない。
それらの文章が目指している域には
何もありはしない。
それでは何も目指してないのと同じことではないのか。
どこへ向かっているのでもなく、
無意識が何らかの結論が導き出される機会を
阻んでいるようだが、
何の根拠もありはしない。
それが嘘だと思っても差し支えない。
嘘であろうと本当であろうと、
そんなことはどうでもいいことなのかも知れない。
それはいつもの決め台詞なのだろうか。
さっきまでの話はどこへ行ってしまったのだろう。
何か興味が急激に失せてしまったかのように思われる。
潤滑剤が足りないようだ、
まともに機構が動作しないようだが、
そんな嘘もわざとらしすぎる。
おかしな引き延ばし法にかぶれているらしい。
何か特定の決まりがあるわけでもなく、
かといって何の決まりもないわけでもなく、
何となくその辺で終わりにしたいと思うような地点が
あるらしく、
少なくともそこまでは語り続けたいようだが、
そういう無意味な説明が
すべてをぶちこわしにしているのかも知れず、
何を壊しているのかわからないが、
そこに何らかの調和があるとすれば、
その調和はいつもの予定調和なのだろう。
語る必要のないことを語ることから
それらの予定調和が生じているのかも知れない。
はたしてそれで君の気が済むのだろうか。