彼の声 2005.10.19 | 彼の声

彼の声 2005.10.19

それはどのような成り行きなのだろう。
意味不明なストレスに煽られて、
何もできずに誰かはふさぎ込んでいるようだが、
そこに何か希望の光を見出すことができないのだろうか。
そんな話の内容では、
確かにわけがわからない。
誰かの眠りの中に立ち現れる偽りの夢の中では、
見渡す限り何かが広がっているようだが、
風に吹かれて何がうごめいているのか。
よく見ればそれはただの枯れ草かも知れない。
うごめいているのではなくそよいでいるだけか。
ところでいったいそこはどこなのだろう。
所々に人家も点在しているし、
別にそこは無人の荒野などではないはずだろうが、
そこで空っぽの意識は何を思っているのだろうか。
誰が何を思っているわけでもなく、
君もそれらの風景を眺めても何も思わないようだ。
ただ黙ってそんな言葉を記しているだけなのか。
それで何か不都合でもあるのだろうか。
これからどんな出来事が起ころうと、
それにどんなわけがあるとも思わないが、
そこで誰が何をどう思っても、
状況的に何がどうなるわけでもないようだ。
いったいこの世の中にどれほどの人間がいるというのか。
そこにいるのは人間以下の生物だけか。
どのように創意工夫を凝らそうと、
人間は人間を超えることはできないのかも知れない。
それは人間を超えてしまっては、
人間ではなくなってしまうからか。
しかしそんな抽象的な物言いでは、
何を述べていることにもならないか。
君はすでに人間のレベルを超えていて、
まともな人間には君が何を述べていることを
理解することはできないのだろうか。
誇大妄想もときには冗談で済むこともあるだろうか。
なぜ唐突にそんなことを述べてしまうのだろうか。
それは今までに多くの人間を見てきた経験から生じた感想か何かか。
それほどの経験でもないだろう。
人一人の経験などたかが知れているかも知れないが、
たかが知れていない経験などどこにもありはしないか。
君波にその意味が理解できないだろう。
君はそんな経験を求めて、
どこをほっつき歩いているつもりなのか。
やはり意味のないことを述べているらしいが、
そこで何を理解すればいいのだろう。
どこかに何かを考える場所でも用意されているのだろうか。
そんな場所がどこにあるのか。
だがいつまで経っても何もありはしないでは済まないのではないか。
何が済まないのかがわからない。
ではそれで済んでしまうとはどういうことなのか。
そこにどんな真実が宿っているのだろうか。
苦し紛れに導き出されたそれは真実などではないか。
やはり確かなことは何もありはしないのであり、
おおよそこの世の中は
受け入れがたい事実と幻想によって
成り立っているものなのだろうか。
そんな穿った見方や考え方が受け入れられるはずがないだろう。
ではそうではないような事象はあり得ないのだろうか。
いったい君はそこで何を見ているのか。
あるいは今までに何を見てきたのだろうか。
それらを見聞してどのような認識に至ったのか。
例えば言葉でそれを示せたとして、
そんな認識ではつまらないのではないか。
それをこれから述べることが可能なのか。
そんなことは誰の知ったことでもないか。
いったい誰がそれを知っているのだろうか。
少なくとも君は何も知らないふりをしている。
それでは知っていることにはならないらしい。
だから何もわかっていないことにしておきたいのか。
そんなこんなで今日もまた何かがずれている。
言葉がずれ視点もずれている。
たぶんそれをネタにしておかしなことを述べているのだろう。
そして誰がそれを操作しているのでもなく、
誰もが状況に操られているのだろう。
言葉を操っているつもりが言葉に操られている。
そしてそれによって何を述べているのでもなく、
何かを述べているつもりになっているだけのようだ。
そこには何かがあるのかも知れないが、
何もありはしないのかも知れない。
そこから感じられる内容はつまらないことばかりかも知れないが、
それは単なる思い過ごしでしかないのかも知れない。
何を勘違いしているのでもなく、
すべてを勘違いしているのかも知れない。
そしてそれで何の問題もないと思い込んでいるのかも知れない。
たぶんそこには何もありはしないのだろう。
それも勘違いの一種かも知れないが、
すぐに誰もがそんな認識を正当化したくなってしまうのかも知れない。
たぶんそんな状況が気にくわないのだろう。
そして何となくそれは馬鹿げているようにも思われる。
そんなことの繰り返しのどこに
そこから変化する可能性があるのだろうか。
都合の良い変化などいつまで経ってもやってくるわけがないか。
そんな現象はあり得ないのではないか。
その状態から何を思ってみても、
意識の中身は変な風に変遷して行ってしまい、
その流転は決して一つの状態にとどまることを知らないだろう。
そんな物言いもかなりおかしいか。
常に思い通りにはいかないわけか。
だがそれで思わしくないわけでもなく、
そんな思いは常に無視される傾向にあるのかも知れない。
誰から無視されているわけでもなく、
それを述べているつもりの意識から無視されているのかも知れず、
述べている内容が意味不明なので、
どうしても自らが述べていることを
無視せざるを得ないような状況に追い込まれてしまい、
そうしないとそこから先に進んで行けないのかも知れない。
そしてそこから先へいくら歩を進めているつもりでも、
どこまで行っても意味不明な状況は変わらないような気もするのだが、
なぜそうなってしまうのかわからないのは当然としても、
本当のところはよくわかっていないふりをしているだけで、
すべてを承知の上でそんな演技をしているだけなのかも知れない。
わざとわかるはずのないことを述べているのだろうか。
そこでどんな考えを巡らせているわけでもないが、
やはりわけのわけのわからないことを述べていることに変わりはないか。
常にそうなのだろうか。
そうだとすればこれから先はどうなるのだろうか。
またいつものようにどうにもならずにどうにかなってしまうわけか。
そのどうにかなってしまう成り行きが気に入らないのか。
誰がそれを気に入らないのだろう。
そしてそんな成り行きから導き出された文章も気に入らないのだろうか。
たぶん気に入らないのかも知れないが、
そんな風にしか述べられないことも確かなようだが、
何をどのように述べようとしても、
結局はそんな風にしかならないわけだから、
そんな成り行きをどうすることもできずに、
それを否応なく認めるしかないのかも知れない。
そんなことではだめなのだろうか。
だめだがそれ以外にやりようがない。
確かにそうなるより他はあり得ないのかも知れないが、
たとえいくらそんな水準で逡巡を繰り返してみても、
どうにもならないことに変わりはないのかも知れず、
どうにもならないからまたそれを繰り返してしまい、
要するにそれはいつもの悪循環でしかないということになるだろうか。
そんなわけでまたひたすら無駄に言葉を連ねてしまっているらしい。
そしていつものようにそれが何を意味するのかはわからないが、
やはりたぶんそれではだめなのだろうが、
それで何を述べていることになるのか。
わかるはずもないことを述べているだけなのかも知れない。