彼の声 2005.10.20 | 彼の声

彼の声 2005.10.20

何も見出せないのはいつものことだろう。
何も思いつかないのもいつものことか。
意識がどこにも存在しないのもいつものことだ。
そこから逸脱したいのかも知れない。
だがもう逃げ隠れもできはしないか。
いったい何のことを述べているのか。
頭がおかしいのではなく心が病んでいるのかも知れない。
たぶんそれは嘘に違いないが、
なぜすぐばれるような嘘をつくのか。
ただ無駄に時間を浪費したいだけなのか。
時間を浪費してどうするのだろう。
時間とともに言葉も浪費している。
時間と言葉はどこでつながっているのだろうか。
それは単なる曲の題名に過ぎないのかも知れない。
君は相変わらず何を述べているわけでもない。
それを自ら認めているのもいつものことでしかない。
以前から何の進歩もありはしない。
そんな風に思ってはいけないのだろうか。
取り立てて何を思っているわけでもないもいつものことだろうか。
たぶんそこには何もありはしないのだろう。
何もありはしないが、
そこには空疎な言葉が連なっている。
すべてが偽りなのかも知れない。
すべてとはどれほどまでにすべてなのだろうか。
すべてがすべてであるはずがないか。
それ以外に何もないのに、
それがすべてだとは思いたくないか。
そんなすべてはあり得ないか。
何がすべてなのか忘れてしまったのかも知れない。
そんな見え透いた嘘は安易だろうか。
それの何が見え透いていると思うのだろう。
たぶん言葉の用法を誤っているのかも知れない。
それ以上につまらないことを述べているようだ。
述べている趣旨を導き出せずにいる。
それが違っていると思われるわけか。
何が違っていると思うのだろう。
何も思わないから違っているのかも知れない。
そして何も違っていないから、
それが違っていると感じられるのだろう。
だが突然の雷鳴に驚くこともないか。
君が驚いているのはそんなことではない。
ではなぜそんなことを述べているのか。
それは何かの冗談だろうか。
それはいつの記憶でもありはしない。
いつから君は頭がおかしくなってしまったのだろう。
冗談でならまだしも、
本気でそんなことを述べているとしたら、
それは取り返しのつかないことにでもなるのかも知れない。
別に過去を取り返そうとは思わない。
だがそれは過去ではないのかも知れない。
しかし未来はこれからやってくる時間だろう。
過去でも未来でもないとすると、
それは時間的にどのような範囲になるのだろうか。
そんなことにまで考えを巡らせて
何かを述べているわけでもないのではないか。
ではそれは単なるその場の思いつきが
それらの文章に反映しているに過ぎないのだろうか。
はたしてそれのどこまでが本気で、
どこまでが冗談なのだろうか。
何が冗談で何が本気なのか、
そんな区別などあるわけもないか。
そのすべてが馬鹿げているのかも知れないが、
やはりすべてがすべてであるはずもなく、
そんなことをいくら述べてみても、
決してそれらのすべてに到達することはないだろう。
しかし別にすべてに到達しようなんて思ってもいないのに、
なぜその場の成り行きでそんなことを述べてしまうのか。
ただ調子に乗っているだけかも知れない。
調子に乗って冗談にもならないようなことまで述べているらしい。
そんな調子でいいのだろうか。
どうも調子が芳しくないように感じられる。
だがそれが何の調子なのかはっきりしない。
精神が参っているのかも知れず、
同時にそれはいつものことだとも思われる。
まったく精神も何もありはしないだろう。
そんなことを述べるはずではなかったのか。
文章の意味がどこにも見当たらず、
そんなことを述べている意味も見出せないようだ。
何を述べているのでもなく、
どこかで何かがこだましているだけなのかも知れない。
しかしそれは何に対する反響なのだろうか。
どこで何が響き渡っているのか。
どこからか波が打ち寄せているような気がしてくる。
それが何の波なのかわからないが、
夢の中ではなぜ君は塩田から塩を取りだしているのだろうか。
いきなりそんな作り話では唐突すぎるだろうか。
何がそれを唐突な内容に引き込んでいるのだろうか。
それとは何なのだろうか。
何もないのにそれはないだろう。
それ以上は何も述べようとしてない。
だからわからなくなってしまうのだろうか。
何がわからないのかをわかろうとしているらしいが、
そこから何かがわかった例しはない。
要するにそのふりをしているだけなのかも知れない。
ふりをしながらふりをしていると述べることで、
それがどうでもいいことであるのをわかってほしいわけか。
誰にわからせようとしているのだろうか。
そこには誰もいはしない。
わからせる対象などまったく想定せずに、
ただひたすらわかってほしいと思っている。
何もわからないのにわかったふりでもしてほしいわけか。
どうせわからないのだから、
それでもかまわないのではないか。
別に適当にかまってもらってもかまわないが、
放っておいてほしいのが本音かも知れず、
無視されていたいのに、
無視されながらも認めてほしいのかも知れない。
そんなことを思っているとすれば、
そう思っている人格は分裂していることにでもなるのだろうか。
だが分裂しているからといって、
その先で何がどうなるわけでもないだろう。
何が人格を形成しているわけでもなく、
それはただの言葉の連なりに過ぎないだろう。
要するにいつまでもつまらないことを述べている現状があるだけだ。
そんな現状から誰かの意識や人格が形成されているのかも知れないが、
仮にそうだとしてもそれで何がどうなるわけでもない。
誰もそこにはいないのだから、
それは誰の意識でも人格でもなく、
ただの言葉の連なりに過ぎない。
それの何が不満なのだろうか。
そこでは何がどうなっているのか。
目眩がしてきて頭がくらくらしてくるだけか。
その辺でもはややっていられなくなってしまうのか。
なぜそこで疲れて寝てしまうのか。
それが誰かの実態なのだろうか。
できないことをやり遂げようとしているだけかも知れない。
そんなことができるはずもなく、
できもしないからさらにやり遂げようとする思いが強くなる。
なぜそうなってしまうのだろうか。
君は自らの思いと実際の行為が
矛盾していることがおもしろくてたまらないのか。
何となくそれは馬鹿げているように思われてくる。
それをいつまで続けようとしているのだろう。
いつまでも続けられるわけがないか。
では適当なところでお終いにしなければならないのだろうか。
それではつまらないか。
たとえつまらなくてもその辺が潮時なのかも知れず、
そのまま続けていたら
波にさらわれてすべてを失うことになってしまうか。
しかしそれは何の波なのだろうか。
別に水面上に漂っているわけでもないだろう。
何が漂っているかも認識できないのではないか。
要するにこの期にいたってまだ何もわかっていないわけか。
何もわかろうとしていないのかも知れず、
わからないのにわかるわけもないだろう。