彼の声 2005.10.21 | 彼の声

彼の声 2005.10.21

理由も動機も定かでないのに、
なぜそんなことをやっているのか。
たぶんこれからもつまらないことを
やりざるを得ないのかも知れないが、
そのつまらないことの内容が今ひとつはっきりしないようだ。
いつものように何を述べているのかわからないだろう。
それではだめなのだろうか。
だめなことはわかりきっているのではないか。
それをわかっていながら、
そんなことしか述べられないのだから、
もはやどうにもならない状況に追い込まれているのではないだろうか。
しかしそれでも何とも思わないのはどうしてなのか。
もうそんな状況には慣れきってしまったのだろうか。
とっくに深刻ぶる態度でいることを通り越してしまったのかも知れない。
語る糸口をまったくつかめないままに語り続けているようだ。
自らがそこでもがき苦しんでいるとは思えなくなってしまったらしい。
到底そんな状況とは思えない。
しかしそれで何かが吹っ切れたとは思わないか。
何を思っているのでも何を求めているのでも
何を目指しているのでもないらしい。
本当にそうなのだろうか。
またつまらない嘘でもついているのだろうか。
気休めにもう少し建設的なことを述べた方がいいのではないか。
なぜそんなことを述べてしまうのかわからないのは
いつものパターンだろう。
何がどうなってそうなってしまうのかもわからない。
要するに外はまたいつもの夜なのかも知れない。
それではますます意味不明になってしまうだろう。
それ以上の継続は困難なのかも知れないが、
そんな状況を無視しながらも、
相変わらず何も出てこないようだ。
それに代わる言葉が見当たらないのだろう。
まったくできもしないことをやろうとしていることの典型だろうか。
何がどうなってそうなってしまうのだろう。
それは違うような気がしてくる。
まったくわからなくなってきたように思われる。
何がわからないのかわからない。
それについて何をどう語ればいいのだろう。
すでに語っているそれではだめなのだろうか。
確かなことは何も述べられない。
そうではないのかも知れない。
微かに昔の感覚を思い出す。
思い出したついでに、
そんな風に語ってみたらどうなのか。
戯れにそれ以下の内容にしてみないか。
無理を承知で何を述べているのだろうか。
まだ何も述べていないのではないか。
では何をためらっているのだろう。
それはどのような話なのだろうか。
なぜそれについて語ろうとしないのか。
君はそれを避けて通ろうとしている。
誰がどこで何をしていようと君には関係のないことだ。
なぜそう断言できるのか。
誰が何を断言しているのか。
やはり何も述べられていないのだろうか。
少し耳が遠くなっているらしい。
風景が遠すぎてそれを眺めていることにはならないようだ。
だがカフェインの作用で
次第に頭がはっきりしてくるように感じられる。
そんな場所に心があるわけではない。
おそらく何もないのかも知れないが、
それではいつもと何ら変わったところはないのではないか。
それらの空洞には虚無以外に何が生じているのだろうか。
また虚無について語らなければならないのか。
それの何が気に入らないのだろうか。
そこから何がどうなればまともなことを語れるのか。
それらの停滞の何が愛おしいのだろう。
何が停滞していると感じられるのか。
それ以外に何も述べる必要はなさそうだが、
それ以外のそれがわからない。
まだ正気に戻るにはだいぶ時間がかかりそうに思われる。
たぶん常軌を逸して言葉が連なっているのだろう。
まだその辺でうごめいていなければならないようだが、
そこでうろついているのは君だけではなさそうに思われる。
君以外に存在しているつもりなのは、
君の影とそれに誰なのか。
誰でもなくてもかまわないだろうか。
何かにかまっていられるような余裕がどこにあるのだろうか。
それがどこかにあったら何を思うのだろう。
どこにもないような事物に出会えるだろうか。
たぶんそれは事物ではなく、
幻影か何かなのではないか。
気まぐれに繰り出された言葉の束から
どんな幻影が生じているのだろう。
そこから何を生じさせようとしているのか。
何もできないくせに、
何かをやっているつもりになりたいのか。
しかしそう述べているのは誰なのだろう。
それは君ではあり得ないような意識の持ち主になるだろうか。
フィクションでもない限り、
そんな事態はあり得ないか。
そう述べているうちに何があり得ないのかわからなくなる。
わからないのはそんなことではあり得ないか。
しかし執拗にあり得ないことを列挙しても
意味不明な状況は変わりようがない。
さっきから執拗に無内容を装っているのかも知れない。
しかしいくら言葉を弄しても
何も思わない状況が変化することはあり得ないか。
それらのフィクションの中では確かにそうなのかも知れない。
しかしそれがフィクションである根拠がどこにあるのだろう。
何をもってフィクションだと見なせば気が済むのか。
例えばどこにも存在しないような事物を言葉で示せるだろうか。
そしてそれは何かの冗談にでもなるだろうか。
なぜそれが冗談にならなければ気が済まないのだろうか。
まったく何を述べたいのかわけがわからなくなってしまうようだ。
話がどこにも通じていないのかも知れない。
いったいどこまでつまらないことを述べ続けるつもりなのか。
誰かに見捨てられるまで
そんなことをやり続けているのかも知れない。
いったいそれらの言葉は何のためにあるのだろうか。
それらの文章はなぜ理解を拒絶するかのように装うのだろう。
わざとそんな風に述べているわけではないようだが、
それがどこまでも他人事に思われるのはなぜなのか。
もはや内容がそれを述べているつもりの誰かには
あずかり知らない領域に逸れていってしまっているのか。
では君は実質的には何の関与もしていないと言い張れるだろうか。
言い張るような立場にはなさそうだ。
誰もいないのに君だけその場に存在しているのは不自然だろうか。
それではおかしいのなら、
何とか工夫を凝らして、
それをわかりやすい文章にしなければならないのかも知れないが、
それらの言葉をどのように修正すれば
まともな文章を導き出すことができるのだろう。
今のままではどうしようもないのか。
少なくともそこからは
意味不明以外の何が導き出されるわけもないか。
しかしそれで何の不都合があるのだろう。
それでいいのならそのまま語り続ければいいだろう。
ほつれてこんがらがった言葉の束を
より分けることは不可能かも知れない。
だからいつまでも
無理なことをやろうとしているように思われるのか。
どうにもならないことをどうにかしようとして、
結果的には予定調和気味に挫折を繰り返しているらしい。
そんなどうでもいいような繰り返しからしか
文章は生まれないのだろうか。
そうではないと誰が反論できるのだろう。
そしてそんな反論がどこで通用するのか。
案外君の意識以外ではいくらでも通用するのかも知れない。
では君の頭がおかしいだけなのか。