新・ユートピア数歩手前からの便り -207ページ目

共同体と共働態

私の出発点は実篤ではありません。つまり実篤への心酔から新しき村に来たのではないのです。その意味において、私の「ユートピア追求」は「新しき村」に先立つと言えるでしょう。こんなことを言えば、なにか実篤と新しき村を軽視しているように聞こえるかもしれませんが、決してそうではありません。


心酔こそしていませんが、私は実篤の「新しき村」の構想に深く共鳴しています。実際、私の知る範囲では、様々なユートピアの試みがある中で、「新しき村」が最も「真のユートピア」に近いと思っています。勿論、近いと言っても、未だ随分と距離はありますが、少なくとも私の理想とする「個即全・全即個」の共働態を実現する可能性は充分あるでしょう。その判断の根拠は、「強制はしない」もしくは「個を尊重する」という村の基本的な雰囲気です。


しかし乍ら、その雰囲気が今徐々に失われつつあるように思われます。そして、その代わりに、農本主義という一元的な理念を押し通そうという動きが出てきたような気がします。尤も、私は農本主義という理念自体について批判するつもりはありません。と言うのも、村には様々な理念があっていいと思うからです。それ故、農本主義的な理念によって私を非難する人がいても、私は基本的にそれを甘受してきました。しかし、その理念で一元的に村を支配しようとするなら、話は別です。私は到底黙ってはいられません。


そもそも私が求める「真のユートピア」は一元的な理念を中心とした共同体ではなく、あくまでも多元的な理念が掛け合わされていく共働態なのです。確かに現在の村は一元的な農業共同体だと言わざるを得ません。しかし、それは決して実篤が望んだ「新しき村」の究極的な姿ではないと私は確信しています。その意味において、私は個々の人間がそれぞれの方法で「自己を生かす」ことのできる場を実現したいのです。言うまでもなく、今の村には実に多くの問題が山積していますが、「多元的な共働態」という理念さえ皆に理解されれば、自ずと道は開けてくるように思います。楽観的すぎるでしょうか。

To Be or Not to Be

私に対するY氏の非難があってから一週間が経ちましたが、その間の私はやはり冷静な判断力を欠いていたようです。一見すると図太い人間のように思われるかもしれませんが、私はもともと打たれ弱い人間、英語で言えばvulnerableな人間です。それ故、他者からの意見をひどく気にする面があります。


さて、少なからぬ人から「Y氏のことなど無視すればいい」とのご意見を戴きましたが、たった一人の非難でも、私は尊重すべきだと思っています。そして、それが潜在的に村の総意であるなら、私はこれ以上村にいても何もすることができないと判断しました。


しかし乍ら、この一週間、様々な人の意見を伺っているうちに、どうも「自分が身を引く」という私の判断は間違っているのかもしれないと思い始めています。つまり、Y氏のような非難は村の総意ではないらしい、ということです。


村で40年以上生活されているH氏は私のことを何かと心配して、Y氏とも私の件で話をされたそうですが、「全く話にならない」とのことでした。詳しい内容はY氏の悪口になってしまうので控えますが、要するに「Y氏のような人が村で一方的な意見を通そうとするのは非常に困る」とH氏は言われたのです。


実際、私が離村してしまえば、今後の村はY氏のような人が中心になっていくでしょう。そして、新しき村は農本主義的理想による共同体になると思われます。私は、それが現在の村の総意であるなら、それに異議を唱える資格は自分にはないと判断しました。しかし、どうやらそれは村の総意ではなく、むしろY氏に「危険性」を感じている人が多くいるように見受けられます。それ故、私は今度の定例会にてその点を明らかにしてみる気になりました。離村の決意は、その結果を見てからにしようと思っています。

卒啄同時

農本主義的な需要とは、農業を黙々と行なうことに「生の充実」を見出すことです。それは言わば昌益の直耕主義であり、それ自体に異議を唱えるつもりはありません。しかし、新しき村はそうした需要のみを満たす場ではないと私は思っています。


そもそも今の村の体制では、たとい農本主義的な理想を目指すにしても、黙々と農業生産だけに励む生活はやがてできなくなるでしょう。その意味でも村の根本的な変革は不可欠なのです。しかし、繰り返し申し上げているように、そうしたことがなかなか村の会員(村内、村外を問わず)に理解されません。新しき村には様々な可能性が渦巻いているだけに、返す返すも残念です。


私はこの閉塞状況を何とか打破したいと村内から色々と発言してきましたが、少々疲れました。また発言だけでは駄目で、やはり具体的な行動を起こす必要を痛感しています。しかしその行動を起こすためには今の状況では無理であり、私は村外に出ることを真剣に考え始めています。果して、この選択は逃避を意味するでしょうか。


内部と外部。理想だけを言えば、やはり内部からの変革を目指すべきでしょう。しかし徳川幕府が倒れたのも、黒船という外部からの力があったからこそだという過去の例からすれば、徒に内部に固執することは時間の無駄だとも言えます。こうしたディレンマの中で、私は今「卒啄同時」ということを考えています。


これは元来禅の用語で、「雛が卵の内側から殻をつつく」(卒、正しくは口が左に付く)のと「母鳥が雛を孵そうとして卵の外部から殻をつつく」(啄)のが同時になされる絶妙のタイミングを指しています。この言葉に即して言えば、私はこれまで「卒」の努力をしてきたわけですが、今後は「啄」を試みてみようと思うのです。と言うのも、「卒」の努力はもう他の若い人に任せても大丈夫ではないかと思っているからです。そして私の今後の使命は母鳥の「啄」にこそあると思い始めていますが、如何でしょうか。

歪んだ「需要―供給関係」

昨日の便りで述べた戦いを全うできなかった理由は、私の忍耐不足ということもさること乍ら、その「歪んだ学校」を超える「真の学びの場」をつくる力が私になかったからです。また、私は「高校卒業資格」を金で売るような学校のあり方を批判したわけですが、そういう学校を必要とする人もいたということもあります。つまり、真の意味での「高校卒業資格」に値する学力を身につけさせる教育よりも、単に三年間在籍し、形式だけの試験で言わばトコロテン式に「高校卒業資格」が得られるシステムの方を望む生徒や親が少なからずいたということです。


確かに、進学するにしても就職するにしても、「高校卒業資格」があった方が有利です。その意味では、生徒や親が必要としているのは「高校卒業資格」であって、真の教育ではないと言えるでしょう。そして、その「高校卒業資格」を学力の低い不登校生でも簡単に手に入れることができるならば、それに優ることはありません。そこに「ビジネス」が成立する要因もあるでしょう。すなわち「高校卒業資格」の需要があり、それを簡単に供給するビジネスがある、ということです。


勿論、私はそうしたビジネスを批判し、できれば根絶したいと思っています。しかし、歪んだ需要がある限り、歪んだビジネスは存在し続けるでしょう。ここには、先の便りで述べた「自覚的な消費者」と「自覚的な生産者」の問題があります。言い換えれば、需要と供給は相即しており、その正しい「需要―供給関係」は消費者と生産者のそれぞれの自覚によって成立するということです。


何れにせよ、かつての私は歪んだ「需要―供給関係」を批判するものの、正しい需要に即した正しい供給(真の学びの場)をすることができませんでした。すなわち、単なる「高校卒業資格」ではなく、「人間として真に自立する力」(学力も含む)を求めている生徒と親の需要に対して無力だったのです。そして、そうした「自立する力」を育む道を摸索した結果、私は今、新しき村にいるのです。


しかし乍ら、新しき村にさえ、歪んだ「需要―供給関係」が見出されます。それは言わば農本主義的な「需要―供給関係」です。私はそれを一貫して批判してきましたが、それを必要とし、それこそが正しい「新しき村の生活」だと確信している人もいます。この現実において如何に行動すべきかが今の私の課題に他なりません。

同じ轍を踏む

自分で言うのも何ですが、私は生来器用な人間で、何を始めても大抵平均的なレベルまでは容易に達することができます。しかし、裏を返して言えば、それは何をやっても中途半端だということになるでしょう。つまり、平均的なレベルを突破することができないのです。


例えば、かつて不登校の高校生を対象にした学校(サポート校のようなもの)で教えていた時もそうです。公教育の歪んだ制度の犠牲者とも言うべき彼等は総じて学力が低く、そのために何かを積極的に学ぼうという意欲に欠け、授業中は寝ているかマンガを読んでいるという有様でした。しかし、そうした生徒とよく話してみると、本当は「勉強して、色々なことを理解したい!」という熱い思いを抱いているのです。ただ受験を目的とする学校のペースについて行けず、彼等の「学び」への意志が置き去りにされてきただけにすぎません。それ故、どんなに時間がかかってもいいから、彼等の「学び」のペースに合わせること、例えば小学校レベルの分数計算がわからなければ、そこまで遡って学んでいくことが必要だと私は思いました。それで仲間の教師達とそうした授業を行なうべきだと校長に提案したのですが、彼は教育を「ビジネス」としてしか考えておらず、そんな面倒なことはする必要はないと言ったのです。そのような言わば「高校卒業資格」を金で売るような学校のあり方に我々は反発し、組合を結成して校長と対決しました。親の有志の協力も得て、いいところまで校長を追い込んだのですが、結局決定的な一線を突破することができませんでした。と言うのも、その学校は校長がつくったもの(学校法人ではありませんでした)であり、「自分の方針に異存があるなら、他に行ってくれ」という態度に出たからです。勿論、そう言われても戦い続けることはできたのですが、次第に「こんな校長相手に戦うのは馬鹿馬鹿しい」という気分になってきました。また、仲間の教師達の中に「解雇」に対する不安からラディカルな行動をためらう雰囲気も出てきて、委員長を務めていた私としてもやる気を喪失し、結果的に私だけがその学校を去ることになった次第です。


どうも前置きが長くなって、今日の便りで述べたいと思っていたことを書く時間がなくなってしまいましたが、新しき村における現在の私の状況は上記の状況と似ているような気がしてなりません。私は再び、同じ事を繰り返すのでしょうか。

中途半端な研究者

かつてヘーゲルとキルケゴールの関係を研究していた頃、Was(何)とWie(如何に)の問題について考えたことがあります。すなわち、非常に大雑把に言えば、ヘーゲルの思弁哲学は「真の絶対者(神)とは何か」というWasの問題であり、キルケゴールの実存哲学は「絶対者に如何に主体的に関係するか」というWieの問題だということです。


ヘーゲル的に言えば、WasとWieは論理的につながっています。つまり、先ず「対象が何であるか」ということを把握した後、「その対象に如何に関わるか」ということが問題になるでしょう。これに対してキルケゴールでは、WasとWieは質的に断絶しています。従って、信仰は「神の理解」(哲学)を前提とせず、むしろそうした思弁的な努力からの実存的飛躍だとされるのです。


こうした対比に基いて、様々な場合について考えてみます。例えば、或る商品を購入する場合、普通はその商品について充分調べてから「購入するか否か」の判断をするでしょう。この場合には、Wasが先行しています。しかし、恋愛の場合はどうでしょうか。先ず相手のことを充分知ってから恋におちるでしょうか。私の乏しい経験から言えば、相手のことを客観的に知るよりも先に、すでに恋におちていたような気がします。言わば「アバタもエクボ」の状態です。その場合には、Wieが先行していると言えます。これが結婚となると、また事情が異なってくるでしょう。お見合いや事前調査を充分してから、結婚を決断することになると思われます。この場合にはWasが先行することになりますが、してみると結婚相手と商品は同じだということになるのでしょうか。


何れにせよ、様々な場合があるわけですが、我々のテーマである「ユートピアの実現」の場合はどうでしょうか。私は「真のユートピア」の実現に向けての実践者になろうと思っていますが、そのような実践を可能にするためには先ず「真のユートピアとは何か」という問題に取り組む必要があります。とすれば、私は新しき村で「怠け者!」と罵られているよりも、大学などの研究室で「真のユートピア」について思耕を深めるべきかもしれません。しかし、果して本当にそうでしょうか。


私は確かに中途半端な研究者にすぎません。また、昨日の便りで述べたように、実践者としても中途半端です。しかし乍ら、敢えて開き直って言わせて戴けば、そうした中途半端な情況こそ私の思耕の「現場」だと思っています。

中途半端な実践者

そもそも私は「研究より実践」という思いで新しき村にやって来ました。そして、この約三年間、「ユートピア実現」に向けての実践を私なりに試みてきたつもりです。しかし、結局それは「実践」と見做されないようです。と言うのも、私は事あるごとに「学者の意識が抜けていない」とか「理屈ばかりでは駄目だ」と批判されるからです。では、そのように私を批判する人達の言う「実践」とは何か。それは、どうやら「百姓になりきること」のように思われます。


確かに、私は百姓になりきることができません。それは決して「百姓になること」に意味がないということではなく、端的に私の資質の問題です。尤も安藤昌益の所謂「直耕主義」に影響されていた頃は、私も「百姓になること」が実践の第一歩であると思っていました。しかし、そうした「農本主義的ユートピア」を私はいつしか超えてしまったようです。そして、新しき村で生活しながら、その「真の新しさ」について思耕を深めるにつれて、少なくとも私の求める「ユートピア」は牧歌的な共同体(ちなみにウィリアム・モリスはそれをアルカディアと称して、都会的理想社会のユートピアと区別しています)に尽きるものではないという思いを強くしています。果して、こうした私の生き方は実践の挫折を意味するでしょうか。


明白なことは、現在の新しき村は依然として「農本主義的ユートピア」の理想を求める雰囲気に支配されているということです。この雰囲気の中では、私は永久に「中途半端な実践者」にすぎないでしょう。学問の研究者としても中途半端、農業の実践者としても中途半端――それが今の私の偽らざる現実です。

昨夜の定例会

新しき村には月2回(15日と月末)の定例会があります。昨夜は、その月末の会が行なわれました。


村では今、井戸を掘って水道料金の支出を抑えようというプロジェクトが始まろうとしています。主にH氏が業者の作成した概要に基いて説明し、皆で色々と話し合った結果、「是非進めよう」という方向で更に検討を重ねることになりました。そして、そろそろ散会しようかという頃、Y氏が突然私の批判を始めたのです。


要するに「日比野は新生会などというわけのわからぬことにかまけて、碌な労働もせず、無駄飯を食らっている」というものでした。Y氏がこのような批判をするのは、これが初めてではないのですが、何故か再び私を攻撃し始めたのです。「能力のないくせに」とか「人格が低い」などと言われ、温厚な私でなければ、殴り合いの喧嘩になっていたでしょう。


それにしても、何故Y氏はかくも私を憎むのか。余程私の主張している「新しき村の生活」が気に入らないのでしょう。彼は基本的に真面目で良い青年であるだけに、残念に思います。


何れにせよ、Y氏の非難にも拘らず、他の村人は同調せず、(自分で言うのもなんですが)「日比野さんは日比野さんなりによくやっている」という意見が相次ぎました。また、私が「もしY氏の指摘が正しければ、私は新しき村の人間として失格であり、村を去るしかない」と発言すると、「日比野さんは自分がこれまで主張してきたことを裏切るのか。新生会の活動は誰も反対していない。日比野さんはそれを実現する義務と責任がある」とも言われました。図らずも、私に対する期待が潜在的にあることを確認した次第です。


一方にY氏のような非難があり、他方に私に対する期待がある、という状況の中で、私の「今後の一歩」に関する悩みは深まるばかりです。

生産=芸術という理想

「生き物を殺したくない」というアヒンサーの自覚による米づくりは、一種の芸術活動だと思います。勿論、O氏にそんな意識はないでしょう。彼は「ユートピアの実現」ということに関してはかなり保守的で、その意味では「古き人間」(村の中では比較的若い方ですが)に他なりません。しかし、その素朴な米づくりの姿勢には確かに彼の主体性が伺えます。


ただ問題は、そうした自覚的な米づくりが可能なのは新しき村という比較的ビジネスに呑気でいられる場所だからにすぎない、という点にあります。おそらく村の外でO氏のような農法で米づくりをしていては、生活など到底できないでしょう。ここには先日述べた「自覚的消費者」の問題に通じるものがあります。すなわち自覚的な消費活動を志しても経済的な理由からその意志を貫くことができない場合があるように、自覚的な米づくりに挑戦したくても同じく経済的な理由からそれを果せないでいる人はたくさんいるということです。そもそも米づくりをしたくても、減反政策などで田圃にさえ入れない人もいるでしょう。その意味において、O氏の苦労は実に大変なものではありますが、彼は基本的に幸福だと言えます。


さて、私はここでO氏の米づくりという農業の例について述べましたが、「生産=芸術」という理想はそれ以外の様々な分野において可能だと思います。私は「生産活動」をかなり広い意味で考えていますが、単にお金を稼ぐための手段としてではなく、あくまでも自己の主体性を活かすための創造を目指したいのです。正にそのような創造活動こそ芸術の本質であり、私はそこに「自覚的生産者」の理想を見出します。しかし問題は、そのような「自覚的生産の場」を如何にして実現するか、ということでしょう。


私は先に、O氏の自覚的な米づくりは新しき村だからこそ可能にすぎない、と述べました。しかしこれは、新しき村がすでに「自覚的生産の場」を実現しているからではなく、単に過去の養鶏事業の成功による蓄えが未だあるからにすぎません。あと数十年経って、その蓄えがなくなれば、O氏のような米づくりは自ずとできなくなるでしょう。従って、その生産活動は体力的にも経済的にも持続可能なものとは言えません。


何れにせよ、私は「自覚的生産の場」は「自覚的消費の場」と相即していると思っています。その両者の実現こそが、「主体的生活者」の当面の課題に他なりません。

自覚的生産者

新しき村のO氏は、数年前に村の稲作責任者になって以来、ずっと無農薬・無化学肥料による米づくりに挑んでいます。それ以前の責任者の下では、慣行農法に従って渋々農薬などを撒布していましたが、その前任者が離村したのを機に有機栽培に切り替えたわけです。余談ながら、村では直接の責任者の離村ということでもなければ、なかなか新しい試みを始めることはできないでしょう。おそらく彼も、村の米づくりのヴェテランである前任者の離村ということがなければ、無農薬・無化学肥料栽培に挑戦することはできなかったと思います。


何れにせよ、彼は今、自分の理想とする米づくりの実現を目指して悪戦苦闘しています。それは主に草との戦いで、除草の手段としては水田に糠を撒く程度で後はひたすら草取りの日々が続きます。その労力たるや実に大変なもので、生来怠け者の私にはとてもできないことだと毎年痛感しています。


何故彼は、そんな苦労までして無農薬・無化学肥料栽培に固執するのでしょうか。或る時、彼にその理由を尋ねると、「別に消費者に安心で安全な米を提供しようなどということは考えていない」という応えが返ってきました。彼によれば、「ただ生き物を殺したくないから」というのが農薬を使わぬ主な理由なのです。


この点においては徹底しており、彼は自分が風邪をひいても、決して薬を服用しようとはしません。つまり抗生物質で菌を皆殺しにすることなく、ただ自分の身体の抵抗力を信じて、何日も咳をし続けるのです。また捨て犬の治療に何万円も支払ったり、とにかく生き物を大切にするのです。


こうした姿勢で米づくりに取り組むO氏は間違いなく「自覚的生産者」であると言えるでしょう。しかし、そこには様々な問題があると思います。