皆さま、こんにちは!
今日からちょくちょく、しなの鉄道の駅のことを書かせて頂きます。
しなの鉄道・平原(ひらはら)駅です!
もうね、平原駅に着いた瞬間、
うぉ~~っ!
って雄叫びを挙げちゃいましたよ。
車掌車(ヨ・貨物列車の緩急車)を改造したダルマ駅なんですもん。
しなの鉄道にもダルマ駅があったんですね。
そしたらこの待合室の陰に、
3歳くらいの女の子とお父さんがいたみたい。
「おじさんの写真の邪魔になるからアッチいこう」ですって。
雄叫びを挙げてしまい、どうもすみません。
それにしても、平原駅までの道のりがわかりにくいのなんのって。
地図上の国道141号線と平原駅までの小道は
立体交差で繋がっておらず、ぐるっと遠回りしないと辿りつけないのです。
奥に見える架道橋が国道141号線。
最新のナビアプリすらも、平原駅までのガイドを途中で投げ出す始末ですよ。
そんな苦労をして辿りついたのがダルマ駅だったものですから、
3歳の女の子、許してくんろう。
平原駅は大正10年に開業した平原信号所が起源で、
あっ、女の子写ってる。
平原駅は相対式ホーム2面2線構造。
見ての通り、元々は2面3線構造でありまして、
昭和43年の複線化の際にこの構内配線になったのですが、
かつての特急列車の待機線であった中線は無用となり、
現在の姿になったようです。
さて、ここからは待合室になっている車掌車ウォッチングですよ。
まずは正面。
平原駅になったのは昭和27年のことなんですけど、
そんな時代でも、こんな古書体が使われていたんですね。
窓枠や椅子は改造されておりますけど、
それ以外は車掌車時代のままのようでした。
4枚窓にこの車体の大きさ、
貨車ファンの方でしたらすぐにピンときたと思いますが、
これ、ヨ5000を改造した待合室なのです。
ヨ5000と言えば国鉄時代を代表する車掌車で、
1,300両近くもの両数があったために、
貨物列車が走るところであればどこでも見ることが出来た形式でした。
実はこの形式、
大部分は昭和25年から28年にかけて製造(一部改造)された
ヨ3500形車掌車からの編入車で、
編入車は新製車と混合されないように、
原番号+10000の番号が付番されているのです。
ヨ14255という番号のヨ5000ですが、
こちらも元々はヨ3500形式・ヨ4255からの編入車なのですよ。
昭和43年10月のダイヤ改正で、
貨物列車の最高速度は限定運用を除いて75km/hに上げられましたが、
それに合わせ、許容速度75km/hであったヨ3500は
足回りの改造によって85km/hまで向上、
ヨ5000形式への編入となったわけですよ。
ところが碓氷峠を通過する際の後補機からの押し上げによって、
この足回りが坐屈(貨車の台枠等の歪み)を起す原因となり、
信越本線では最後まで、ヨ3500が運用に就いていたのです。
だから、平原駅のこの待合室が、
碓氷峠所縁の、未改造のヨ3500だったりしたら自分、
本当に狂喜乱舞しちゃうだろうな…と思いながら、
貨車時代の番号を探したのです。
あらま、改造車(ヨ5000)だったんですね、残念。
こんなんして、一人でウロウロしていたら…
「おじちゃん、下もぐってたよ」
って、さっきの女の子。
危害は加えませんから、変な報告をお父さんにしないでくだされ。
探せば旧駅舎時代の遺構を見つけ出せそうですけど、
今回はここまでで。
女の子、ゆっくりお父さんと平原駅で遊んでってね。
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