皆さま、おはようございます!
今朝はしなの鉄道の屋代駅の訪問記いかせていただきます。
八代亜紀じゃありませんからね、屋代駅!
自分が屋代駅に訪れたの今から2年前のこと。
この駅を起点としていた長野電鉄屋代線 が廃止になる
平成24年3月のことでした。
中古車の納車の仕事ついでに屋代駅に立ち寄ったのですが、
この月の仕事の出張先は長野市内と十和田市内でして、
長野電鉄屋代線と十和田観光電鉄線という
間もなく廃止になる2線のすぐそば。
自分の人生の幸福度は、この時に絶頂期を迎えたような気がします。
ふんだ!
屋代線だけではなく、しなの鉄道の169系電車の引退もあって、
屋代駅の雰囲気は随分と様変わりしたような気がします。
そんなことで自分が訪れたこの日も、駅の構内には
屋代駅が開業したのは
この地に信越本線が開業した明治21年のことです。
日本で最初の鉄道線(新橋駅-横浜駅)が開業した明治5年より
わずか16年後のことですから、
いかに信越本線が主要幹線だったか、よくわかりますよね。
ちなみに信越本線(高崎駅-直江津駅の区間)は
碓氷峠区間の難工事に苛まれ、
全線が開通したのは更に5年後の明治26年のことでした。
余談ですが、日本で最初に鉄道が開通した起点の新橋駅・横浜駅は、
ともに現在の駅とは場所が違っておりますので念のため。
自動改札機は導入されず、昔ながらのラッチが残っている点も、
しなの鉄道線の駅の魅力のひとつでした。
その奥に見える屋代線ホームには大勢の鉄道ファンの姿が!
ファンの行動力、おそるべし!
そういえば、青春18きっぷシーズンが始まっていたんですよね、この日は。
しなの鉄道線側の屋代駅は、
これに長野電鉄屋代線ホームが1本で屋代駅は完結。
廃止になった屋代線のホームは、こちらのブログ記事をご参照くだされ。
なお、昨年12月に屋代駅を再訪しましたが、
ホームやユニークな木造跨線は残っておりましたけど、
レトロな木造待合室は撤去されてしまったようです。
平成24年の屋代線ホームの様子です。
そしてこちらは平成25年12月の屋代線ホーム。
ホーム上にあった施設は跨線橋を除いてすべて撤去されてしまったようですね。
かつては信越本線、屋代線ともども、貨物輸送が盛んな路線でして、
昭和52年に撮影された航空写真では、
数多くの貨車が留置された屋代駅の姿を見ることが出来ましたの。
駅北側(篠ノ井駅寄り)には貨物ホームがあり、
駅舎も初代の木造駅舎だったりと、
今の屋代駅とは丸っきり雰囲気が違っているようです。
違っていないのは、駅舎の南側にあるこちらの駐輪場だけかしら?
歴史ある駅にノスタルジーを求めるのは、ファンの心情の常。
近代的な駅舎を持つ屋代駅でしたけど、
ホームはおそらくは明治時代のままのはず。
今ではかけることが少なくなったホーム上屋も見ることが出来ますよ。
こんな屋代駅で169系電車を眺めることが出来た2年前は、
自分、冬シーズンしか、しなの鉄道線を訪れたことしかありません。
どうせ自分が訪れる日に限って、大雨になるのでしょうけど。
訪問駅リスト(JR線)
しなの鉄道
軽井沢駅(平成25年12月29日)
中軽井沢駅(平成25年12月29日)
信濃追分駅(平成25年12月29日)
御代田駅(平成25年12月29日) 前編・後編
平原駅(平成25年12月29日)
小諸駅(平成25年12月29日)
滋野駅(平成25年12月29日)
田中駅(平成25年12月29日)
大屋駅(平成25年12月29日)
信濃国分寺駅(平成25年12月29日)
上田駅(平成25年12月29日)
西上田駅(平成25年12月29日)
テクノさかき駅(平成25年12月29日)
坂城駅(平成25年12月29日)
戸倉駅(平成25年12月29日)
千曲駅(平成25年12月30日)
屋代駅(平成24年3月6日)
屋代高校前駅(平成25年12月30日)
↓(JR篠ノ井線・篠ノ井駅)