本田彩花(南沙良)は高校に入学後,不登校になり,母朋美(渡辺真起子)に北陸にあるもみの家という施設に入れられる。

 

 もみの家は,佐藤泰利(緒形直人)と恵(田中美里)という夫婦が運営しており,早寝早起きと農作業で生活のリズムを取戻すというのがコンセプトだった。

 

 

 そこには様々な理由で社会生活になじめない若者たちが共同生活をしていたが,麗奈(金澤美穂)と萌絵(中田青渚)という女子もいた。

 

 

 彩花にとって初めての農作業のとき,みんなふざけ合って泥まみれになっていたが,彼女はなじめずひとりで作業をしていた。

 

 

 すると空気が読めなかった梶原淳平(中村蒼)が彩花を倒して泥だらけにしてしまい,彼女は帰って行ってしまう。

 彩花が泣きながら歩いていると太見ハナエ(佐々木すみ江)という農家のおばあさんが心配して声をかけてくれた。

 

 彩花は自宅に帰りたいと思い,両親が来て一緒に行う田植え行事の時に連れて帰って欲しいと母親に頼む。

 

 

 だが,母はもう少しがんばりなさいと言って帰っていく。

 

 彩花は次第にもみの家になじんでいき,食べられなかった野菜も自分で育ててみて食べられるようになっていく。

 

 

 ある日,みんなが外出して残っていた彩花は,淳平に誘われてきれいな景色を観に連れて行ってもらう。

 

 

 そこで淳平は自分が中学時代にひどいいじめにあって,教師だった両親の勧めでここに来たことを話す。

 両親の考えは,いじめは逃げるが勝ちというもので,淳平はこちらの中学では全くいじめられず,友だちもできて普通に暮らすことができるようになったという。

 

 淳平は他の仲間たちの事情も教えてくれ,彩花は自分が高校に行けなくなった理由を話す。

 自分が周囲からどう思われているのかが気になり始め,悪く思われているのではないかと考え始めると不安で登校できなくなってしまったという。

 

 彩花は淳平のことを好きになるが,彼はもみの家を卒業することを決め,旅立っていく。

 

 佐藤は彩花に村祭りで獅子舞をやらないかと誘う。

 彼女は挑戦してみようという気になる。

 公民館で練習をしていると,ハナエがおはぎの差入を持って見に来た。

 

 

 彩花はハナエと親しく話すようになり,彼女が体調を崩して見に来なかった日は自宅に様子を見に行くようになった。

 独り暮らしのハナエに,子どもに知らせないのかと聞くと,子どもたちには自分の生活があるから迷惑をかけたくないと言う。

 

 

 それはおかしいという彩花にハナエは,あなたも自分の子どもを持ったら分かるようになると言う。

 彩花は関係が良くない自分の母親の気持ちを考えてみる。

 

 祭にはハナエも参加でき,彩花の獅子舞も観てもらうことができ,彼女はハナエの健康を願って,ハナエの頭を何度も獅子頭で噛むそぶりをした。

 初めて自分で何かをやり遂げ,彩花は自信を持つことができたが,しばらくしてハナエが亡くなったと知らされる。

 死後3日位して発見されたという。

 

 葬儀に行った彩花は,ハナエの息子が弔問の人たちにご迷惑をお掛けしましたとと何度も言っているのを聞いていたたまれなくなり,ついに彼におばあちゃんは誰にも迷惑をかけていなかったと言って葬儀場から出て行ってしまう。

 

 

 しばらく平穏な日々が続いたが,臨月だった恵に予定より早く陣痛が来て病院に運ばれる。

 

 

 以前,恵から出産に立ち会うかと聞かれたとき,怖いからいいと言っていたが彩花だったが,自転車で病院に駆け付け出産に立ち会う。

 

 子どもの誕生を心から喜ぶ恵と岡田の姿を見て,彩花は自分が生まれたときのことを考えて見る。

 

 それまで母親からの連絡をすべて無視していた彩花は,初めて母にありがとうと返信し,こちらで高校に通うことにすると連絡する。

 

 初めての登校日,彩花が玄関を出ると,両親に連れられた不安そうな様子の女の子がもみの家に来ていた。

 

 

 

 「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」で主演した南沙良の主演作。

 役柄としては似たような感じだが,前作は学園内の話が中心で,今回は施設内での話が中心になる。

 

 地方で農作業をしながらの生活の中,身近な人の生と死を現実のものとして感じて成長していくというストーリーが素晴らしい。

 

 南沙良はこの映画の中でも,自然な存在感があって良いのだが,メジャーな青春映画に出たときにどんな感じなるのかはちょっと想像しにくい。

 そういう活躍も観てみたいが

 

 エンドロールで佐々木すみ江への感謝みたいなことが出ていて調べたら,去年,亡くなっていた。

 彼女の死は,この映画の正に核になるエピソードだったので,映画の中で死ぬ人が実際に亡くなっていたというのは,なかなかの衝撃だが,残したものも大きいと感じる。