終戦直前,特攻隊員の敷島浩一(神木隆之介)は出撃後,機体の不調を訴え,大戸島の不時着場に着陸する。

 整備兵の橘宗作(青木崇高)らがいくら調べても機体に不具合は見つからなかった。

 敷島は,生きて帰れという両親の願いを叶える為,嘘の故障で特攻を忌避したのだ。

 整備兵の中には,それを察知した者もいたが,敷島を責めることはなかった。

 

 その夜,海岸に多数の深海魚が浮かぶのを見た敷島が不審に思っていると,警報が鳴り響く。

 米軍の攻撃ではなく,大戸島で「ゴジラ」と呼ばれている怪物が海から上がってきたのだった。

 大型の恐竜程度の大きさだったが,小銃では歯が立たなかった。

 橘は敷島に零戦の20ミリ機関砲を撃つように命じ,敷島は操縦席に忍び込む。

 しかし,ゴジラの姿を目前に見た敷島は怖じ気づいてしまい,せっかくゴジラが射線上に入ったのに操縦席から逃げ出してしまう。

 

 翌日,敷島が意識を取り戻すと,橘以外の整備兵はすべて死んでいた。

 終戦になり日本に帰る船の中で,橘は,亡くなった整備兵たちが持っていた家族の写真を敷島に押しつける。

 

 敷島が自宅に戻ると,家は焼け両親は亡くなっており,隣家の太田澄子(安藤サクラ)は子どもたちを全員亡くしていた。

 特攻隊員なのに帰ってきた敷島を見て,澄子は彼を激しくなじる。

 

 

 敷島が腑抜けたように暮らしていると,泥棒と呼ばれて逃げ回っていた女から赤ん坊を押しつけられる。

 彼女は大石典子(浜辺美波)と名乗り,明子という赤ん坊は,彼女が空襲のさなかに母親から預けられたという。

 典子と明子はズルズルと敷島の家に居着いてしまう。

 事情を知った澄子も明子の世話をするようになる。

 

 一方,アメリカとソ連の軍事対立は終戦後も続いており,アメリカは海上で水爆実験を行う。

 

 敷島は,典子と明子を養う為に機雷撤去という危険な仕事に参加する。

 磁気機雷が反応しないという船は,木造のおんぼろ船であった。

 メンバーは船長の秋津清治(佐々木蔵之介),学者風の野田健治(吉岡秀隆)と手伝いの若者水島四郎(山田裕貴)だった。

 同じようなもう一隻の船とペアを組み,二隻の間に渡したワイヤーで機雷を海底から切り離し,浮上したところを機関砲で撃って爆発させるという仕事だった。

 元々,優秀な零戦パイロットだった敷島は射撃が上手く,浮上した機雷を次々に爆破していった。

 

 こうして敷島の家は次第に豊かになり,日本自体も復興を遂げていった。

 典子は,明子を澄子に預けて働きに出るようになるが,これは家計の為とというよりも女性も自立して働くべきだという彼女の考えによるものだった。

 

 

 

 その頃,アメリカの軍艦が謎の生物によって破壊されるという事件が起きた。

 その破壊力や壊れ方からクジラなどの生物によるものとは思えなかった。

 

 

 その生物は海中を日本に向けて進んでいた。

 しかし,アメリカは日本政府に対して,ソ連を刺激する可能性があるため,日本近海での軍事行動は取らないと伝えてきた。

 その代わりに沈没処理予定であった重巡洋艦高雄を日本に引き渡してくれることになった。

 

 秋津と敷島たちの機雷処理船は,高雄到着までその生物を足止めする任務を任された。

 武器は回収した機雷を使うという無茶な任務である。

 

 秋津はその生物のことを軽く見ていたが,いざ実物が現れるとその巨大さに驚き,退却の命令を下す。

 

 

 それは,かつて敷島が見たゴジラに他ならなかったが,水爆実験による放射能を浴びて巨大化した上に口から放射能を帯びた熱線を吐くというとんでもない化け物になっていた。

 秋津たちはゴジラから逃げながら機雷を海に流してゴジラの直前で爆発させたが,ほとんど効果がなかった上に,ゴジラの負った傷は見ている間に治っていった。

 

 

 野田は機雷をゴジラの口の中で爆発させようとしたが,起爆装置が外れてしまう。

 敷島は機関砲で機雷を撃ち爆発させる。

 ゴジラのダメージは前よりも大きかったが,やはりすぐに回復し,もう一隻の機雷処理船は破壊されてしまう。

 

 そのとき重巡洋艦高雄が到着し,ゴジラに砲撃をするがほとんど効果がなかった。

 ゴジラに襲いかかられた高雄は,転覆直前に至近距離から主砲を撃つ。

 ゴジラにはかなりのダメージがあったが,やはり見ている間に回復していった。

 

 気を失った敷島は病院で目を覚ますが,生き残ったのは秋津の船の乗組員だけだった。

 

 日本政府はゴジラの上陸を阻止する為に防衛線を張ったが,いともたやすく突破され,ゴジラは典子の働く銀座に現れる。

 

 

 

 

 典子は助けに来た敷島と一旦は合流できたが,ゴジラの熱線による爆風で吹き飛ばされてしまう。

 

 

 

 

 

 野田たちは,国が当てにならない以上,民間の力でゴジラを退治するほかないと考え,旧海軍の軍人たちを集めて協力を呼びかける。

 

 

 それは,ゴジラの身体に多数のフロンガスボンベを巻き付けてガスの泡で浮力をなくして海溝深くまで沈め,そこでエアバッグを開いて今度は急速に浮上させ,水圧による強烈な圧力差で身体を破壊するという作戦だった。

 しかし,これでも万全とは言えない上,戦闘機などによるゴジラの誘導が必要だった。

 

 戦闘機は終戦の際に米軍によりすべて破壊されていたが,一機だけ破壊を免れた機体が残っていることが分かる。

 敷島たちが,それを見に行くと,倉庫の中に覆いを被された局地戦闘機震電が置かれていた。

 

 震電は,先尾翼を持ち後方にプロペラを設置し,機首には30ミリ機関砲4門を備えた最新鋭機だったが,開発段階で終戦になり実戦投入はされていない機種だった。

 放置されボロボロの機体を改修できるのは,敷島の知る限り橘だけだった。

 しかし,終戦後の混乱で橘の居所はなかなか判明しなかった。

 そこで敷島は,関係者に大戸島部隊の全滅は橘の責任だという噂を流す。

 すると案の定,その噂を聞きつけた橘が現れ,敷島をボコボコに殴る。

 

 

 ようやく橘と再会できた敷島は,震電の復活と改造を依頼する。

 30ミリ機関砲4門の内,2門と燃料タンクの一部を取り外し,そこに爆弾を搭載させる。

 敷島は水圧作戦が失敗したときは,震電でゴジラの口の中に突っ込むつもりだった。

 

 

 上陸してきたゴジラを敷島が震電で海溝付近まで誘導し,旧海軍軍人たちの船でフロンガスボンベとエアバックを縛り付けたワイヤーをゴジラの身体に巻き付ける。

 

 

 ガスボンベが開かれ,ゴジラは海溝の底まで沈んでいく。

 そこでエアバッグが開き,今度は急浮上を始めたが,途中で浮上が止まる。

 

 

 ゴジラがエアバッグを食い破ったのだ。

 

 そこで,ゴジラにワイヤーを巻き付けた2隻の船で左右に引っ張り,ゴジラを浮上させようとするが,力が足りない。

 そのとき,水島が率いる多数の民間船が現れ,牽引を手伝う。

 

 

 水上に現れたゴジラの身体は崩れかけてはいたが,まだ生きており,強烈な熱線を吐く。

 

 

 そのとき敷島が操縦する震電が再び現れ,ゴジラの口の中に突っ込んで爆発する。

 

 

 それによりゴジラの身体は砕け散る。

 

 敷島は橘の作った脱出装置によって爆発直前に脱出していた。

 戻った敷島は,亡くなったと思い葬儀までした典子が生きていたことを知り,再会を喜ぶ。

 海溝に沈んでいったゴジラの肉片の中には,拍動を続けている部分があった。

 

 

 

アカデミー賞受賞の話題作。

 

 時代設定だけではなく,そこかしこに1954年のオリジナルゴジラのオマージュがちりばめられている。

 また,ゴジラと言えばこの曲でしょう,という曲が流れることによってゴジラの世界に引き込まれる。

 

 オリジナルゴジラは世界中で評価された名作であり,ゴジラ-1.0が高く評価される理由のひとつは,その世界を現代の技術で再現したことにあると思う。

 アカデミー賞受賞の特殊効果については,やはり水の表現があまりにも自然でとてもCGとは思えない。

 ミニチュアを水槽に浮かべると,どうしても波が大きくなりすぎて,本物の水なのにリアルさがなくなる。

 かつて円谷英二は,寒天の海にミニチュアの戦艦を乗せて航跡を絵で描いて撮影したが,時代は変わった。

 ミニチュアのビルの代わりにCGで描かれたビルの倒壊も恐ろしくリアルである。

 ただ,これは震災やテロで本物のビルが本当に倒壊する映像を観客である我々が知っているからこそ感じることができるリアルさであり,ちょっと複雑ではある。

 

 又,民間の力でゴジラに対処するというくだりは,シン・ゴジラを思い出させる。

 

 オリジナルゴジラのオキシジェン・デストロイヤーが震電に置き換わっているが,どちらも戦争の遺物という点では共通点がある。

 震電は後方に大きなプロペラがあるため,恐ろしく長い着陸脚を採用しているが,それでも試験飛行でプロペラが滑走路に接触して曲がってしまうという不具合があった。

 また後方プロペラというのは,脱出装置と極めて相性が悪く,プロペラが回っていると,パイロットを吸い込んでしまう。

 この映画では,射出座席のような脱出装置が設定されている。

 ただ,なんだかんだと言っても震電は格好いいので,映画向きではある。

 

 オリジナルゴジラは,極めて陰鬱な映画である。

 ゴジラに破壊された街や,避難する人たちの様子は,その10年ほど前に実際にあった戦争を思い起こさせるし,隻眼の芹沢博士が,自ら開発したものの兵器転用を恐れたオキシジェン・デストロイヤーとともに海底に潜り,水爆実験で蘇ったゴジラと共に死ぬのである。

 怪獣という題材を選びながら,中身は全く子ども向けではない。

 しかもモノクロ映画の時代なので,より一層,恐怖心を煽り,子どもにとってはトラウマ級の怖さである。

 

 ゴジラ-1.0は,オリジナルゴジラから陰鬱さを取り除き,未来に希望が持てるように工夫されている。

 敷島の特攻忌避も肯定的に描かれ,最後も芹沢博士のようにゴジラとともに死ぬということもない。

 死んだと思った典子は生きている。

 アメリカで人気があるのもこういう前向きなところが関係しているのかもしれない。

 

 映画作品としての完成度はオリジナルゴジラの方が上だと思うが,今さらもう一度陰鬱なゴジラを描く必要はないと思うので,これはこれで良いかなとも思う。