火田七瀬は,人の心を読む力を持つテレパスである。
 彼女は,「家族八景」で住み込み家政婦として,一見平穏な家庭の裏側をのぞき見ることになるが,美しく育ち過ぎ,家政婦として働くことが,難しくなったところで「家族八景」は終わる。

 そして,その続きが「七瀬ふたたび」である。
 この物語では,前半で七瀬と他の能力者との出会いが描かれ,後半では能力者を抹殺しようとする組織との死闘が描かれる。

 芦屋星主演の映画は,ほぼ原作に忠実に話が進むが,前半のストーリーのほとんどは回想として描かれ,後半の対決シーンにオリジナルストーリーも加えられて時間が割かれる。
 しかし,前半を回想シーンとして省略してまで加えたにしては,あまり感心しないオリジナルストーリーと映像表現である。
 また,原作のエンディングが,悲劇的な結末を余りに淡々と描いている為,映像化にあたっては,エンディングに何らかの希望を持たせたいと言う発想がでてくるが,芦屋星版では「ふたたび」の部分に独自の解釈を加えてこれを果たそうとしている。
 その発想自体は,有りかな,とも思うがやはり映画全体のバランスが悪く,取って付けたような感じになってしまっている。

 原作の七瀬像は,子供の頃から人の心を読んできた為,ある種,老成したようなところがあり,男性経験は無いけども,男性の気持ちや欲望は知り尽くしているというものであるが,芦屋星はこのイメージをうまく演じている。

 一方,蓮佛美沙子主演のテレビ版は,ストーリーの流れ自体は原作を踏襲しているものの,43分10回という時間を使って,大胆にオリジナルストーリーを加えて話をふくらませている。

 七瀬の父親は,電機メーカーの研究者であり,電機製品の開発のために未知能力の研究をしていたが,メーカーの暴走に危機感を感じて自殺を装って姿を隠す。
 又,幼児期の七瀬の能力がずば抜けて高いことにも危険を感じ,能力を使わず,忘れてしまうように告げ,妻に七瀬と隠れて目立たないように暮らすように指示していた。

 この様なオリジナルの設定を前提として,蓮佛美沙子の演じる七瀬は,いわば普通の女の子として描かれ,普通の女の子がこのような能力を持ってしまったことに苦しみ,自らの力に恐怖を感じ,悩むことが,ストーリーの中心に据えられる。
 原作や映画版の七瀬は,自らを守るためであれば,攻撃してくる者を殺してしまうことも厭わないが,テレビ版の七瀬は,自分が殺意を抱いたことに対してすら,恐怖し,罪悪感を感じる。そして,テレビ版では,原作で中盤までに死ぬ設定の人の多くは,重症を負うが,死なない事になっている。

 予知能力者岩淵は,マジックを見せるバーに勤めるマジシャンという設定になっており,念動力者ヘンリーは,そういうニックネームの日本人の見習いマジシャン兼バーテンダーで,岩淵と同じバーに勤めている。七瀬がアルバイトをすることになるのも,このバーであり,原作のように本当の水商売というわけではない。
 前半の物語は,マジックバーを中心的な舞台として,七瀬と色々な人たちとの出会いと未知能力を悪用する者との対決などが描かれる。

 他にも,何人かの未知能力者が現れるが,その多くが,子供の頃,七瀬の父親の研究の被験者であり,その能力を悪用して利益を得ている者達も少なからず存在することが明らかになる。
 漁(すなどり)藤子は,七瀬の父親の後輩研究者であり,電機メーカーを辞めたあとは,大学で研究をしていたが,七瀬の能力に関心を持ち,七瀬の父親の研究内容を検証する内に,自らもタイムトラベラーとしての能力に目覚める。

 物語の中盤では,藤子の協力を得て,未知能力とは何か,元々,人間に備わっていたものなのか,七瀬の父親の研究成果として植え付けられたものなのかを調べる過程が描かれる。しかし,七瀬の希望は,自分たちの能力を無くす方法を見つけて欲しいというものである。
 この調査の過程で,七瀬たちに父親の研究を引継いだという科学者たちのNPO法人が接触してくる。彼らは,表向きは未知能力を世界平和のために利用すると称して,地雷除去などを行っている。

 彼らは,自分たちの研究に七瀬や七瀬の父親を協力させようとするが,七瀬の父親は,身を隠していた間に彼らの実態を調べ上げ,未知能力を使って世界の支配をたくらんでいる者たちであることを突き止めていた。
 原作では,能力者を抹殺しようとする組織の詳細については全く描かれておらず,能力者に対する恐怖心が動機となっているらしいことがうかがえるのみであるが,テレビ版ではこの様な設定になっており,七瀬たちは彼らへの協力を拒んだために追われることになるのである。
 七瀬の父親は,彼らの実態を記したメモリーチップをペンダントに忍ばせて七瀬に託す。

 その後,七瀬たちと彼らの死闘が始まること,その結果が悲劇的なものに終わることは,ほぼ原作と同じである。

 蓮佛美沙子の旧々ブログを読むと,彼女がこの作品にいかに真剣に,そして誠実に取り組んでいたかが良く分かる。彼女は,原作を読み込み,この悲劇をどのように演じるか,どのような意味づけをするかを真剣に考えている。
 そして,物語が中盤を過ぎたあたりから,悲劇的な展開を迎えると,当時,高校生であった彼女は,通学中に七瀬の気持ちになって涙が止まらなくなってしまうような体験をして,このままでは自分自身が壊れてしまうような恐怖まで感じる。
 そして,最終回の台本を読んで号泣したという。

 映画版でも触れたが,原作で淡々と語られる悲劇的な結末は,そのまま映像化するには厳しすぎる。

 テレビ版では,七瀬の能力に人の心を読むだけではなく,人の心に働きかけるアクティブテレパスという能力を付加した。
 そのために七瀬は,更に組織から危険視され,より真剣に追われる結果になる。
 しかし,彼女がアクティブテレパスであるがゆえに,物語の最後の最後で,「人々が心を開いてわかり合える日が来ることを希望している」という,彼女の祈りが,七瀬たちを取り囲んだ警官隊や,その場にいた人たち全員の心に強く響くことになった。
 テレビ版は,こういう形で未来に希望を残そうとしている。

 蓮佛美沙子は,七瀬のこの祈りを大きな母性愛だと感じたと言っている。
 そして,ドラマを見た人にこの祈りが伝わることを心から願っている。

 蓮佛美沙子の七瀬ふたたびは,とても豊かな内容を持った物語になっている。