ダブルケア中のたねちんです。実母の認知症(62歳発症)遠距離介護8年を経て、グループホームに入居。実母71才、私46歳、子供11歳8歳。子供もちゃんと育てたい、義父母の遠距離支援(病中)始まり、、私にとっては、色んな面で大変な毎日です。
施設入居している認知症の実母、 癌闘病の義父、腎機能低下の義母の遠距離介護中、 40代2児の母「たねちん」の育児と介護記録です。今、農家さんでバイトで雇って頂いてます。私の働き先は沢山の仕事を皆で協力し、何でも一気にやり遂げます。「難しくないよ」ベテランの方が何度も教えてくれても身体が想像以上に動かない、新人とはいえ覚えも良くない私です若い頃は思ったように頭も身体も動きましたが、全くもって思うように行きません。私が1つの作業をする間に5つは終えている大先輩。役に立ててない自分、ミスして手間をかけさせている自分、申し訳なさいっぱいの日もあります。その時、母がよく言う言葉。役に立てないなら、死にたい迷惑かけてるね、死んでしまいたい手間かけてるよね、消えてしまいたい↑こんな言葉を思い出しました。母が認知症になってから…メモを取ってもいくら心に決めても出 来なくなっていく気持ちそれを思い知らされたかの様です。このことに気づけたこと雇ってくれた方や大ベテランの方に感謝でいっぱいです前の仕事では二十代から教える側にいた自分。人に教えて貰える立場で居られるのはこれが最後かもしれません。使えなかったら言って下さい!自分で試用期間を申し入れたのでまずは約束の5月いっぱい、一生懸命、心を込めて働こう!そう思っていますお給料貰ったら母を美容室に連れて行きたいです
施設入居している認知症の実母、 癌闘病の義父、腎機能低下の義母の遠距離介護中、 40代2児の母「たねちん」の育児と介護記録です。お疲れ様です。母の所には週1外出(+週1面会)に行ってますが、変わりありません。私は職探ししてバイトをしていました。派遣会社へイベント派遣へ履歴書、職歴シート記入し面接。派遣会社は紹介をして頂きましたがフルタイムばかりで希望時間がマッチしません。経験ある総務、人事、労務、法務、パソコン講師、その関連のお仕事です。イベント会社はその日の単発のバイトです。2つ行きましたが、派遣会社さんの指示もフォローもしっかり。仕事がしやすかったですが、何せ単発。いつ入るかは不明です。結局、近所の農家のバイトの面接に行き、働いてみたいと思いました。理由は一度もしたことのないことだから。シフト制で家族を優先させてくれること。「やってみる???」後日、副社長から電話を頂きました。トライアル採用です。その副社長!とても魅力的で、どの職種でも上手く行くだろうと思う女性。快活で、迫力あって、若々しい。そっと気遣いしてくれる。もう少しで1ヶ月経ちます。身体はとてもキツイ。身体の使い方からなってない私体調まで考慮してくれていますから、まず約束の日まで、続けられることを目標に頑張ります。そのお金で母の分の貯金も始めたい。娘の手術費の貯金もしたい。身体は疲れて筋肉痛ですが、心は活き活きしてきました。動いてるからだと思います。働けることに感謝。施設で頑張ってくれてる母に感謝。↓この本を読んでチャレンジすることに…最後までお読み下さり有難うございます。たねちんでした
施設入居している認知症の実母、 癌闘病の義父、腎機能低下の義母の遠距離介護中、 40代2児の母「たねちん」の育児と介護記録です。行き正しくなくても、自分なりの介護の形。自分なりの形へ変換する時期。そう思って実行しています。単発アルバイトに行き出してます。週に3日です。母には、週1ペースで 外出し、お菓子届け日は短めで我慢して貰う。弟には、月1の施設の行事ごとに参加して貰う。親戚づきあいにも同行。母のヘルプ☎︎も受けて貰います。夫は週末、1食食事を作って貰い、お礼に週1好きなモノを作ってあげる。義母にはデイで頑張って貰い、義父には入院治療中の週1お見舞い。大きな休みには2人とも家に泊まりに来たいとのこと。その約束で安心した様子。子供に習い事は行きは自力で通って貰い帰りはお迎えにして…遊べる日を週1設けて、友達を呼ぶなり私とお話しや買い物に行くことでOK!週一の皮膚科は今年も継続。私は、アルバイトしながら自分で働いてお金を稼ぎ、母の施設のお金を捻出しつつ、娘の為、来年中学になる娘と皮膚移植にかかる娘のお金を貯めるのが目標。まずやってみます。娘と夫↓具沢山の味噌煮込みうどんを作ってくれました。最後までお読み頂きありがとうございます。お疲れ様でした。たねちんでした
施設入居している認知症の実母、 癌闘病の義父、腎機能低下の義母の遠距離介護中、 40代2児の母「たねちん」の育児と介護記録です。前回の休憩から半月。皆さんのブログだけ見て自分は何も書けずにおりました。あの後館長さん、弟と今の現状を話し合って、いい年をして泣きながら…母の元へは家族と共に向かう様にしています。夫や子供たちが居ると穏やかだし、私も息苦しさが少なくなる。元々、長女である為に子供時代からフォロー役。多少のことで落ち込んだのでなく私への憎悪に近いものを初めて感じてしまい具合が悪くなってしまいました。私へ…というより、病気への理不尽さが母を変えてしまったと思います。その間、薬の変更がありましたが、大きく何かが変わった訳ではない様です病気とは言え、相手の気持ちですから変えることは出来ません。施設にはご迷惑をおかけしてますが電話の取次ぎをせず、その他諸々、代わりになって頂いたり。何より一人で行かないことにとてもホッとしています。そのお陰で当たり前だけど、大切なことに気付きました。台所に立ち家族にご飯を作ること、洗濯も掃除もできること、子供の話を聞くこと、今は母に会わなくても良いという事で私の心も変わりました。生きてる生活しているそう久々に感じます。遠距離は母が62歳の頃から最初は見守りやサポートでした。トラブルが外へ向かったのが64歳認知症診断、介護認定は67歳37歳だった私は46歳になりました。あと10年経てば56歳になります。3歳0歳だった子供は12歳と9歳になります。生活の中心に母をおくことは半分お休み。今、中途半端に顔を出したりして部屋の掃除なんかをすると益々、母が嫌がりますし、こういったことを繰り返すのは優しい気持ちのカケラさえ探せなくなるそして病気の母のせいではなく、友達とも疎遠となり、母を中心にしてあげたいという、私の勝手な想いについても改めてなんだか反省が諸所あります。無償の愛かけてあげられる自分になりたいまた新しい自分で頑張りたいです。↓娘作 太陽とプラタナスの光最後までお読み下さって有難うございます。今日もお疲れ様でした。たねちんでした
施設入居している認知症の実母、 癌闘病の義父、腎機能低下の義母の遠距離介護中、 40代2児の母「たねちん」の育児と介護記録です。情けない話です。施設介護で皆さんに支えられて一年半母からの電話、外出で母と2人になる時、この冬から母からの言葉が凄すぎてたまに弱っていました。(私の娘の前でもしてしまう)弟(2人)のそばに行きたい来ないのは私の やり方が良くないどちらでもいいから頼んで欲しいと。介護士さん達の悪口、母へひどいことをした人を恋しがったり。もう支離滅裂で、ここに書けないようなことも。昔の話なんかもしたくないそうです。母自身、心のやりどころが無いのもあるし本当に息子と会いたい居たい気持ちも募っているんだと思ってます。理性が外れて、思う事を口にしてしまう。望みが母にとっての真実となり腹が立ってしまう。認知症が進み、トイレやら話す言葉で相手の顔色を見てうまく行かないことを感じて身近にいる娘に(私に)腹が立って八つ当たりしてしまうだけ。言った側から母は忘れてしまうのにひどく落ち込んでしまっている自分にビックリガックリです。頭では理解出来るのですが施設長さんに1週間、電話をかけるのを止めてもらいましたそして母の所に一旦、弟に行ってもらう事になりました。(弟に対して不穏はありません)遠距離からの蓄積だと思うけど、と弟、友達にも言われました。どこをどう直せば良いのか?本当に解らない。息が詰まるんです。私にとって本当に難しい。少し離れた立ち位置の冷静な弟と話し合います。今日もお疲れ様でした。ブルーな記事ですみませんでも突破口はあるはず…と思いたい今日