彼の遺した『赤影』。




❑今から57年前の1967年、当時『赤影』は、東映京都テレビプロが仕上げたフィルムを関西テレビに運び、映写しながらカラーテレビの生放送で流すと言う形が取られていた。


 ❑赤影公式YouTuber第1話❑















❑その『赤影』の『坂口祐三郎』の20年目の命日を昨年迎えた。










仕事が縁で私と出会い、二人三脚で、『赤影』の新作を映画にしようと語りあった日を本当に懐かしく思う。


私も『赤影』『坂口祐三郎』のファンからスタートした一人である。



遠い昔の幼少期の頃、幼稚園のホールで観た『赤影』『坂口祐三郎』の勇姿に魅了され、自宅の再放送のテレビで観たと思う。





以降、再放送のチェックをしながら時が過ぎ、後年『坂口祐三郎』と会うことになる。








『水を得た魚』正に、それがピッタリの関係が築かれ、エンターテイメント業界の仕事に従事する事になる。

いつの間にか、深い友情が芽生え、寝食を忘れる程、彼との仕事を中心に活動することになる。

彼自身、『赤影』以降、数多くの俳優活動をしたものの、イメージの強い『赤影』が、いつまでも、立ちふさがると嘆いていた。



また彼と会って話す時の私は、何年経っても、『赤影』という『ヒーロー』に会うという感覚があった。

『赤影』撮影時の秘話は、勿論、『彼の生い立ち』『人生』その全てを聞きながら毎日を過ごしていた。



そんな2003年の7月13日。


突然、彼はこの世を去るのだ。

20年前である。


 





前日迄、普通に話をしてた彼が突然、この世を去る。




⭐今も親交のある東映の幹部の1人に、(当時、課長の役職だった)、私が坂口さんの訃報を伝える為、電話をした時、『坂口祐三郎が亡くなりました』という私の言葉に、『えー!』と、社内に響きわたるほどの大声で反応した事が、今も強く記憶に残っている。



普段は冷静な人だっただけに、電話越しで声が裏返る様子に、非常に驚いたからだ。



そう、『赤影』さん、『キラリと光る涼しい目』の『坂口祐三郎』は亡くなったのだ。


電話で彼の反応を受けた瞬間、私も一気に緊張の糸が切れ、大の大人の男であるにも関わらず、大泣きしてしまった事を思い出す。


あまりの自分の大泣きに、私自身驚き、『人は、これほど泣けるのだ』と、時間が過ぎてようやく気付いた程である。


彼の棺を先頭で持つ時、不思議な事に、彼の声が脳裏を走った。

『後は頼んだぞ』………………と。



❑以降、私と彼の約束を果たす旅が始まった。

そして、今も『旅の途中』である。



❑彼の『赤影』を支持する多くの人たちの気持ちや想いが、今日も『私の心を突き動かしている』と思う。








  
 ■赤影の仮面秘話エピソード。