⭐テレビ東京系の「開運!何でも鑑定団」のスタジオ収録に出演して司会の今田耕司さん、福澤朗さんに「赤影の仮面」と坂口さんの撮影秘話を伝え当時の過酷な撮影のエピソードを全国の多くの方にご理解頂けたと思います。

❏私が坂口祐三郎から譲り受けた赤影の仮面は表面の赤い皮が撮影の度に傷む為、修理しながら残った貴重な仮面なのです。
当時この仮面は『主演俳優』自らの手で作成されていたのです。
早朝から深夜迄続く撮影環境の中、深夜2時過ぎに帰宅してボロボロの身体の中、ビール一本だけ空けてその日に傷んだ仮面の手直しをして床につく。
そんな日々を過ごしていた。
■坂口祐三郎から託された本物の赤い仮面。
ある時は明け方迄の撮影が続き、仮眠無しで、撮影のピアノ線に宙吊りになりながら、ドラマ、特撮の両方に参加して満身創痍の彼の生きざまを、一緒に過ごした仮面。
私はこの仮面を手にしながら彼が果たせ無かった約束を実行する為、毎日を懸命に過ごしている。
昨年彼の没後21年を迎えた。
彼が挑んだ、前例の無い、仮面の忍者と言うキャラクターは、その全てを注ぎ込んだ命の結晶と思う。
❏私はこの託された仮面と共に彼の活躍を伝承していく活動を続けていこうと思う。
なぜなら、それこそが彼の願いであり想いと感じる。
遠い昔、同級生から貴方は映画スターになる。
私達とは違うと言われ戸惑う彼の気持ちとウラハラに1枚の写真が東映のニューフェイスの選考者の目に留まる。
映画の登竜門と言われた東映ニューフェイスは、高倉健、里見浩太朗、千葉真一等、そうそうたる人が活躍。
自分には無理と思うのが普通である。
しかし彼は翌年、ニューフェイスに合格。
並みいるライバルを蹴落とし、当時最も映画に影響力のある東映京都撮影所のトップスター中村錦之助(後の萬屋錦之介)の吹き替え俳優と映画スターとして配属され見事にデビューを飾る。
その彼と後年二人三脚で駆け抜けた、私に出来る事は彼の偉業を後世に伝える事。
そう言う変わらぬ想いである。
■赤影公式YouTuber第1話■
