1967年、昭和42年。
私はこの年を思い返すたびに、「一つの作品が生まれた」という感覚にはならない。
むしろ――
いくつもの意志が、ひとつの“現象”へと収束した瞬間だったと感じる。

その中心にあったのが、仮面の忍者 赤影。
そして、その核に立っていたのが、
盟友でもある 坂口祐三郎だ。
この作品は、ひとりの英雄が作ったものではない。
平山亨が全体を編み上げ、関西テレビという放送の器がそれを受け止め、加藤哲夫が現場を推進していく。
そこに、伊上勝の筆が物語に骨格を与え、倉田準二、小野登らが映像に躍動を刻み込む。
さらに、小川寛興の音が、画面の中の色と動きに“呼吸”を与えていた。

そして――
そのすべてを受け止める“器”として、坂口祐三郎がいた。
私は思う。
どれほど優れた脚本があっても、
どれほど斬新な演出があっても、
それを“信じさせる存在”がいなければ、作品はただの作り物で終わる。
坂口祐三郎の赤影は違った。
仮面をつけながら、なお消えない存在感。

静と動を自在に操る身体。
子供たちが疑いなく受け入れた“本物”。
彼は役を演じていたのではない。
赤影という存在そのものになっていた。
その周囲で、すべてが噛み合っていく。
色は画面を突き破り、
物語は論理を超え、
音は記憶に残り続ける。
気づけば、子供たちは夢中になり、家庭はカラーテレビを求め始める。
ここで、私はひとつの“気配”を感じる。
東映という組織の奥底に流れていた、時代を前へ押し出そうとする意志。
岡田茂のような存在が、その流れを後押ししていたことは間違いない。
だが、それは前面に出るものではない。
あくまで静かに、しかし確実に、
勝負の方向だけを定める力だった。
結果として、仮面の忍者 赤影は大ヒットする。

だが私は、そこに驚きはない。
なぜならこの作品は、ヒットするように作られたのではなく、ヒットせざるを得ない構造で生まれているからだ。
白黒の時代に、色が現れたのではない。
色を必要とする世界が、先に作られたのだ。
その中心に立っていたのが、坂口祐三郎という存在であり、その周囲を、平山亨、加藤哲夫、伊上勝、倉田準二、小野登、小川寛興らが、それぞれの持ち場で支えていた。
私は、この作品をこう捉えている。
あれは成功例ではない。
ましてや懐古でもない。
人と人とが、同じ方向を向いたときにだけ起きる“臨界点”の記録だ。
そして最後に残るのは、やはりあの姿だ。
赤をまとい、静かに立つ一人のヒーロー。
坂口祐三郎。
あの赤は、演出ではない。
時代が選んだ、必然の色だった。
