⭐『西城秀樹さん』の命日に『ちびまる子ちゃん』のエンディングに『走れ正直者』が流れ、今は亡き西城秀樹さんを、偲ぶニュース、コメントがあふれていた。


もはや、西城秀樹さんと言う存在は言葉に表せない大きく神聖な感じがしてならないと思う。


私が初めて西城秀樹さんの存在を、耳にしたのは、1973年、小学5年生の時、クラスの女子が大騒ぎした『情熱の嵐』からである。


新御三家の中でも、西城秀樹さんが頭1つ抜けた人気だった記憶も蘇る。



遠い記憶ではあるものの、センセーショナルに覚えているのは、それほど印象深かったと思うのだ。



以降、私の成長期に数多くのヒット曲を、量産続ける事になる。


当時私がプロデュースするメディアの取材で西城秀樹さんにお会いして色々お話を聞かせて頂いたのだが、本当に親切丁寧に受け答え頂き有り難かった事を覚えている。


歌手から俳優、バラエティー等、ウイングを広げる話から西城秀樹さん自身、当時30代後半の頃、将来的な話迄、様々なエピソードを聞かせて頂いたのだ。



私はエンターテイメントのジャンル違いではあるものの、赤影で一世風靡した坂口祐三郎の総合マネージメントに従事する事になるのだが、西城秀樹さんとの業界の様々な情報が考えてみれば、かなり役にたった思い出深い出会いである。



それだけに、大病を患い、若くして世を去る無念さを当時、特別な思いで感じた事を思い出す。


赤影の坂口祐三郎も最初の西城秀樹さんの病気のニュースが流れた2003年7月に亡くなり、その後、私自身は彼の語り部として、作家として活動する事になる。


一世風靡した俳優と言うカテゴリーの坂口に、本当に良く、西城秀樹さんの話を、した事を思い出すのだ。


坂口が赤影で活躍した1960年代後半、彼は25歳。


映画スターの旗手として活躍しながら、新興のカラーテレビの初主演が赤影である。



西城秀樹さんが地元の広島で坂口演じる赤影を観たかどうかは聞いて無いものの、当時の赤影のブームの勢いを聞く限り、音楽は勿論、様々な情報を求めてた若き少年西城秀樹さんが赤影を観て話題になっていたのかも知れない。


そう思うとまた不思議な接点を感じる気分である。


数多くのヒット曲の中で、坂口と西城秀樹さんの話題になった事は数知れない。


もしかしたら、西城秀樹さんと赤影の坂口祐三郎が私の話題で、天国で会って話ているかも知れない。