✡️坂口祐三郎の代表作『赤影』。



放送から56年が過ぎた今でも、まるで彼が存在しているように感じる程、生き生きと赤影エピソードの反響を頂くのだ。




私自身、赤影のファンと言う事もあって、坂口とは仕事は勿論、様々な話に花を咲かせた事が思い出深いと思う。



彼は元は、映画スター候補の旗手として、東映ニューフェース8期生として映画デビューする。


■左/デビュー時の坂口祐三郎。

また多くの関係者も、当時、映画制作に従事していて、テレビの製作に関わるとは思っていなかったと語っていた。




✡️坂口との『赤影支援会』に動く流れで、東映プロデューサー平山亨氏を、紹介して貰う。




✡️その平山亨さんがこの世を去った命日が訪れた。



2013年7月31日。

今年で10年の時が経つ。


色々な話を頂いた、平山亨さんの話も交えて語ってみたい。

















✡️平山亨さんの偲ぶ会。


私の中で、平山さんの作詞した『ロンリー仮面ライダー』に特別な想いを持っている。
子供の頃、仮面ライダーに夢中になり、熱心に番組を観ながら、哀愁を感じた歌である。
名義を田中守のペンネームで書いている。
同世代の人には懐かしい歌と思う。








■先日都内で開催された『仮面ライダー』イベントに懐かしいメンバーが集った。







『赤影』は勿論、後の『仮面ライダーシリーズ』の生みの親である。




テレビプロデューサーの前は、東映京都撮影所で映画監督をしていた。



坂口との交流が縁で、平山氏を、はじめ、子供時代に胸踊らせた、テレビ番組のプロデューサー、監督、関係者と、新しい親交を、築き上げ、いつの間にか、私自身も送り手側の一員として活動する事になる。



■写真/左・石ノ森章太郎氏/右・平山亨氏



平山氏との会話で、良く覚えている事がある。

映画が斜陽になり、監督になったにも関わらず、プロデューサーに転身。



⭐自身の代表作の1つとして坂口君の赤影が成功した時、『私の逆転人生だと』語って頂いた時である。

もしも赤影の成功が無ければ後に続く仮面ライダー、戦隊シリーズも出来て無いし、何よりプロデューサーも降ろされ東映から解雇されていたと言う。


当時映画監督迄進んでプロデューサーへの転身と言うものの実際の話し劇場映画の監督から格下のテレビ制作の受注業務に滑りこんで命拾いしたと語っていたのだ。




平山氏を含め、製作に関与する先輩諸氏は勿論、同世代、後輩の人達に共通する点は、常に目標を定め、あきらめずに取り組んでいく姿と思う。




いつの世も、投げ出す事は出来ても、積み上げる難しさに悩み苦しむ人は多い。





私が本当に運が良かったと思うのは、そう言う努力を諦めずに前に進む人達に会えた事と感じる。



これからも平山さん、坂口と誓った、彼達との約束を果たす努力を、続けていこうと思う。