■天空仮面プロモーション動画。





 ❏仮面と生きた男(扶桑社)
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 ■椎名桔平さん記事。
『仮面と生きた男』語る。




❑赤影東映公式YouTuber❑



⭐北九州市の全国に向けたニュース。

⭐私も北九州市のひまわり大使を拝命している。


 

私と共に活動した坂口祐三郎/赤影の東映時代の先輩であり数多くの作品で活躍した、高倉健さん、俳優千葉真一さん。

不思議な事ではあるが私の故郷北九州市を軸に考えると運命的な出会いを思う事がある。
何故なら私の生まれるずっと昔、後に共にエンターテイメント業界を駆け抜ける名優/坂口祐三郎は当時の銀幕スターの登竜門、東映ニューフェイス8期生としてデビュー、2期生には高倉健さん6期生には千葉真一さんがいち早くデビュー、映画、テレビで活躍していた。
特に高倉健さんはお隣の中間市出身、高校は北九州市の進学校、東筑高校から明大に進み東映ニューフェイスでデビューする。
そう言う銀幕スターから活躍した人達との接点が坂口祐三郎を通して繋がる不思議な出来事を経験した様でならないと思う。


★私に取っても、数多くの作品が思い出されるものの、『キイハンター』は特に思い出深い作品である。








懐かしい、となりの晩ごはんに出演した坂口さんと私。






❑私が7月10日に誕生日を迎えた。


ウルトラマンの日でもあった。

幼少期にウルトラマンの存在は当然知ってて逆に本放送の記憶を無い位である。

後年、赤影のプロデューサー平山亨氏に聞いた話は斜陽に苦しむ東映がテレビ放送に活路を求めるエピソード。

ウルトラマンの成功は映画業界のカラー技術導入の入口企画、予算アップの千載一遇のチャンスでもある。

ウルトラマン制作のTBS含め、各キー局への売り込む中、赤影の制作が叶ったと言う。

スポンサーには家電大手の三洋電機。
フジテレビ系の放送で大ヒットする。

後年、TBSの予算があれば、坂口君にも苦労させなかったと平山さん。

それほどウルトラマン制作に力を入れたTBSに映画会社大手の東映プロデューサーが魅力を感じたと言う。

ウルトラマンには主演の黒部さん。
スーツアクターに古谷敏さん。

更に声は声優を充て万全体制。

一方の赤影は事実上の坂口祐三郎1人。
現在は分業でドラマ、特撮は主演者が演じる事は無いが、当時は全部、坂口祐三郎任せ、仮面からポーズ、決めセリフ迄、酷使を越えたハードな撮影であった。
❑桜井浩子さん新年メッセージ。



❏放送開始日を記念したと言う事である。


▓余談であるがシン・ウルトラマンの斉藤工さん。
父親がウルトラマンタロウの特撮現場の爆破担当だったと言う。

これも又興味深いエピソードである。
またシンウルトラマンは鑑賞中涙が溢れる作品であった。

ウルトラマンに関しては数多くの作品が世に出たものの恐らく最高峰の作品と思う。






■北九州市の小倉城の前で赤影の仮面(撮影時の本物の仮面)を持って撮影。


 ✡️西日本新聞掲載記事


 








■以前テレビ東京系『開運!何でも鑑定団』にスタジオ出演した時。



幼少期にウルトラマン、赤影、ウルトラセブンに心を奪われた事を思い出す。






 ❏ウルトラマンの人気は凄くリアルタイムの記憶の無い私に取っても幼少期の大きな思い出である。
その後追いの赤影とのカップリングブック。


▓赤影/仮面ライダー/スーパー戦隊シリーズのプロデューサーで私と親交深い元東映の平山亨氏は当時映画監督から斜陽の煽りを受けテレビ番組企画者ヘと転身する。
鳴り物入りの大型予算を獲得したウルトラマンの後放送枠獲得ヘ向けて果敢に営業活動を続ける。

運良く後放送枠の獲得に成功するがライバル局の赤影放送枠も完成度の高さと運命のいたずらで放送バッティングの危機を迎えるものの不思議な運命で乗り越える事になる。
世の中は円谷プロのウルトラマンと東映の赤影に俄然注目が集まる。
ゴジラを東宝で成功した円谷英二晩年のテレビヒーローウルトラマン。
そして東映の若きプロデューサーで元は映画監督の平山亨氏の赤影。

❑左/平山亨さん右/汐路章さん悪役怪演俳優❑


一方は地球外生命体が襲って来るSF番組。

胸を借りる東映の赤影は映画時代劇の若手スター坂口祐三郎が自作の仮面を纏い妖術的怪忍者軍と忍法術を越えたスーパー忍者が活躍。

映画会社の代理戦争がカラーテレビと言うニューメディアで織り成される事になったのだ。





▓当時は現在と異なり、人気キャラクターがそれほど多く無い時代である。


□ウルトラセブンの最終回は特に好きな番組でビデオ録画を繰り返し鑑賞する事になる。


後年、ダンの森次晃嗣さんハヤタの黒部さんと出版社の紹介でお会いする事になる。



特に森次晃嗣さんは坂口さんとの共演が多く懐かしい話に華を咲かせる事になった。


幼稚園の頃の遠い記憶にテレビ、当時の世相等が今も時々私の心に去来する事もある。



❏私の故郷は北九州市である。


1963年昭和38年に当時珍しい五市合併として誕生する事になる。


■現在の北九州市小倉駅。


私は北九州市門司区で誕生する。


故郷が同年誕生と言う不思議な関係である。


私が小倉のデパート、井筒屋、玉屋を訪れるのは記憶の無い頃。


幼少期の写真の数々が伝える。


ごく普通の家庭のごく普通の子供だった私が様々な情報にアクセス出来たのは、当時新興のテレビであった。






■写真中央の右下の赤ん坊が私である。




特にカラーテレビの出現は衝撃的で、ウルトラマンの活躍は放送の中、熱心にテレビにかじりついたと思う。



赤影の活躍はウルトラマンと異なり等身大のヒーローと言う事もあり、強く惹き付けられた。


 





時が流れ、私はその赤影で一世風靡した、テレビスター、坂口祐三郎の語り部として作家活動に従事している。





私の記憶に残る北九州市は子供時代、そして成長期、何より今現在に至る迄、まるで両親のように私を見守ってくれているようにも思える。


■松本清張先生は北九州市出身。
最も尊敬する作家である。




■椎名桔平さんは私の小説『仮面と生きた男』で、坂口さんの役を映画化の際は演じたいと語って頂いている。





こうして運良く、私が毎日を過ごす故郷とその仲間達と新しい活動を取り入れていこうと思う。


私はその故郷北九州市のひまわり大使も昨年、拝命。


❑つまり故郷の北九州市と同年誕生の私は『ウルトラマンの日』が誕生日で、後追いで現れた『赤影の坂口祐三郎』の継承者と言う作家と別の肩書きもある(笑)。

高校の恩師の甥が漫画家の北条司先生。
地元北九州市出身。
アシスタントに誘われ世が世なら違う道に進んだかも知れない(笑)。


巨匠漫画家の松本零士先生も坂口さんと同じ久留米市出身。
少年時代を北九州市で過ごし上京。


奥さんの牧さんは私がキャラクターライセンスを数多く展開した横山光輝のアシスタント出身者である。
高校生の時鑑賞した銀河鉄道999の感動を昨日の様に覚えている。
同時期、角川映画も映画で話題になる。
草刈正雄さんも北九州市出身。
伯母が住んでいた小倉の地元出身のスターであり、幼少期母と東映の映画館に連れて行かれ銀幕のスターに胸を踊らされたと語る。


スクリーンの向こうには若き坂口祐三郎の活劇シーンがあったかも知れない。







❑坂口自身が作成して撮影に挑んだ赤影の仮面。不思議な縁で生前彼から『赤い仮面』を託される事になる。


 





コロナ後を見据えた活動を故郷と共に更に躍進出来ればと願っている。







■サリーのcm。


 ⭐赤影公式You Tube↓↓


 ■赤影の仮面秘話エピソード。