赤影と自分は同じに見えても決して同じでは無い。






しかし明らかに『赤影』の中に『坂口祐三郎』は散りばめられている。



私に語る彼の『赤影評』である。






現在と異なり、テレビの役割の大きい55年前は『一家団らん』『お茶の間』と言う時代。



1967年昭和42年である。







『新聞』『ラジオ』『テレビ』しかも、テレビは白黒テレビが主流。



『カラーテレビ』は高嶺の華の時代。



映画『ALWAYSオールウエイズ三丁目の夕日64』の3年後である。



娯楽の中心が『映画』。


その映画が斜陽になり映画会社が倒産、規模縮小、再編の中、来るべき『カラーテレビ』の時代を睨み『赤影』は放送される。



余りにもヒットした赤影。


坂口祐三郎と言う俳優の『その後が決まる作品』になったのだ。

彼は俳優になって数多くの役を演じ、自身の可能性を試したい。



そして自分を捨てた母親に会いたい、そう言う信念で赤影に打ち込んだと言う。




私も幼少期より赤影を繰り返し鑑賞しているものの、ドラマでは赤影の『存在理由』『生い立ち』等は全て謎のまま。



『類い稀な忍法者』の説明だけである。




唯一『キラリと光る涼しい目』以外、深い設定は描かれず、当時、三洋電機のプロモーション予算獲得の為、製作現場先行で企画が進み、後付けの主演者として坂口は参加する事になる。




前年の映画『ワタリ』のテレビ化と踏んでた彼は正義の味方だが、青影を助けるサブキャラと思っていたというのだ。



衣装合わせの際、『君が主役』と監督に言われて、ようやく初主演と気付いたと言う。


以降、彼は赤影を背負い、俳優業に取り組む事になる。



しかし映画会社の映画スター候補の坂口に取って一段も二段も低いテレビに移行する事に抵抗が無かった訳では無いとも語った。


当時、白黒テレビからカラーテレビに移行する時代。


赤い仮面は正にカラーテレビの象徴である。






彼は『赤影』と同時に『カラーテレビの躍進』と言う『大きな十字架』を背負い、後の俳優業は苦戦する。



現在のように『キャラクターショー』も無い時代である。



しかもテレビ、映画と演じた赤影役で見せ物には、なりたく無いと関係者からの誘いを拒み続け、苦悩、迷走の渦に引き込まれた。




今、時が流れ、当時10歳以下の子供達も、50代を越え中には60代になっている人がいる。


坂口祐三郎の赤影は今鑑賞しても尚、新たな発見が出来ると私は思う。




子供の頃の『自分自身と向き合う事の出来る』




赤影を今一度鑑賞する事を勧めたいと私は思う。


そこにはきっと昔の思い出と違う満身創痍で演じる『赤影』と、そこに散りばめられた本物の『坂口祐三郎』の心に魅せられるはずだから…。





 ❑東映オフシャルYouTube第1話❑↓↓↓↓↓