▓私には赤影のイメージが強い彼だが、共に仕事を進めていた頃、彼の華々しいキャリアを聞いた事がある。





私の質問に彼が答える形式ではあったが、その後、時代の寵児となった彼の人生を多くの関係者の取材を経て、今考えて見ると小説『仮面と生きた男』に到達したと思う。






 ▓仮面と生きた男(扶桑社)
↓↓↓↓↓



ここでは、その補足を少しずつ多くの方に伝えていきたいと思う。


赤影に関わらず、彼の作品ライブラリーを鑑賞する参考にして頂ければと思う。



▓彼が高校2年の時、同級生の女子生徒が校庭に呼び出し、彼にこう告げる。




「貴方は、この田舎で終わる人じゃない。

必ず映画スターになる東映に写真を送ったから、必ず合格通知いくからね」と。




すでに学校は勿論、彼の噂は各方面に伝わり、他校の女子が中心となって、ファンクラブが続々と出現していた。




今から60年以上昔の話である。



翌年、東映の面接に合格。


数千人の応募者の中から、彼女の写真が選考を通過。



東映ニューフェイスの8期生として当時、時代劇主流の京都撮影所に配属。



❑当時の東映京都撮影所。


時代劇若手トップスターの旗手、中村錦之助(後の萬屋錦之介)の撮影吹き替えを皮切りに人気映画シリーズ『新諸国物語 』でデビュー。












また映画『源氏九郎/颯風記』(1962年/東映)では、全編、主役の吹き替え俳優として登板。



■アップシーン以外、坂口の出番が中心となった映画。



最初の坂口配属は東映京都の中村錦之助(萬屋錦之介)さんの吹き替えも兼ねる。




※中村錦之助さんの若い頃に、坂口さんの顔も似て見える。



👏その後、映画の斜陽の影響もあり、活躍の場をテレビドラマに移行して活動を続ける。


■彼の当たり役である、『赤影』は、1967年、日本初のカラーテレビ特撮時代劇として、テレビスターとして踊り出る事になる。


おそらく、当時の彼の中には、ようやく認められた作品と出会い自身のキャリアを磨く旅が始まると思っていたに違い無い。





▓今こうして私を含めて多くの人達が彼の面影を追ってる様に感じる。

彼の人生の後半期、不思議な縁で巡り会い共に過ごした彼の本当の正体。



正に赤影、そしてその正体は坂口祐三郎。

その人であった。

私も含め多くの人が信じてると思う。








 ⭐赤影/公式You Tube第1話⭐↓↓↓