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坂口祐三郎/赤影俳優である。




 





❑私と赤影/関係者❑
❑左上の私から右周りで坂口祐三郎(東映ニューフェイス8期出身)天津敏さん(甲賀幻妖斎/演者)左/牧冬吉さん(白影)左下/平山亨さん(東映プロデューサー)右/倉田準二さん(メイン監督)脚本家/伊上勝さん(全話執筆と主題歌)音楽家/小川寛興さん(音楽全般)1部ですが皆さんの情熱を注いだ赤影は今尚多くの人の心に残ってます。

 




❑赤影で一世風靡した名優/天津敏さん。








彼はテレビ映画の俳優から映画俳優へとシフトする事に成功した1人である。



元はテレビ映画『隠密剣士』の敵キャラで人気を集め、そのまま赤影の敵ボス、甲賀幻妖斎として最初にキャスティングされた。



つまり赤影は坂口祐三郎主演であるものの天津敏さん主演説も面白い説である。

あれほど凄みのある仇役を見事に演じた天津敏さんは1979年58歳でこの世を去る事になる。







そして白影の牧冬吉さん。
彼もまた1998年67歳でこの世を去る。




主演の坂口祐三郎さんも2003年61歳で去り柱の名優が現在は誰も残らない事になる。





私は放送当時の記憶は無いものの後年の再放送の中で実際に日本の何処かに忍者の世界があり赤影、幻妖斎等妖術使いの忍者が存在してると本気で思った程である。


❑名作を越え金字塔を打ち立てた作品の立役者が主演の坂口祐三郎であれば助演の天津敏さん、牧冬吉さんも大きく貢献している。

放送開始の1967年は殆どの家庭が白黒テレビ。
製作プロデューサーの平山亨さんとの話しでは三洋電機のカラーテレビ予算を獲得。

❑平山亨/東映プロデューサー

劇場映画を越える意気込みで製作に挑んだと語っていた。
当時、映画業界は白黒テレビに押され動員数が毎年落ち込みテレビに飲み込まれる不安の中、平山さん自身映画監督からテレビプロデューサーヘとシフト。

運良く生き延びたと言う程映画業界は危機であったと言う。


起死回生を狙う一手はテレビより早くカラー技術を駆使した映画業界がテレビにカラー技術を売り込む逆転の発想。




大手家電メーカーの参入で赤影は大ヒットを飛ばし、カラーテレビの参入の旗手として坂口祐三郎の赤影は再放送を繰り返し知名度を上げる事になった。


❑その流れは後の仮面ライダー戦隊シリーズヘと受け継がれ玩具ビジネスと合体した完成形ヘと発展する。

坂口祐三郎以下演者、製作陣の命懸けの作品を私はこれからも多くの人ヘ伝えていこうと思う。

それこそが作家/プロデューサー/講演家として活動する私の使命であり坂口祐三郎以下関係者の方々との約束と信じている。


❑坂口祐三郎さんと生前一緒に仕事をした時間が長く『赤影参上ポーズ』の話しになった。構え方から決め台詞迄考案、私も手取り足取り伝授頂いた。今後は同世代から若い世代迄ポーズに私からも広く伝えていきたいと思う。

⭐坂口祐三郎からの赤影参上ポーズを披露した時。










以前放送のNHK朝ドラ、おちよやんの主人公のモデルは『浪花千栄子さん』。



個人的なイメージとしては、オロナインのCM。


優しいイメージの俳優さんだが、『赤影』の坂口祐三郎との接点があった。



坂口は東映ニューフェイス8期生として、東映京都撮影所に配属される。


彼が東映ニューフェイスとして入社してデビュー後も、当時の東映看板スター中村錦之助(後の萬屋錦之介)の吹き替え俳優としても活躍する。


1961年公開の『宮本武蔵』(東映)で、中村錦之助は主演、監督の内田吐夢氏の元、武蔵の成長期を演ずる。




母親役でスクリーンで圧巻の芝居を演じるのが『おちょやん』モデルの浪花千栄子さんである。


まず、主演の中村錦之助は当時大スターで、時代劇映画のピークを過ぎたとは言え、多忙な毎日を送り、その吹き替えを務める、坂口も更に多忙な毎日だったと語っていた。



『宮本武蔵』の史実は、巌流島の決闘、私の故郷、北九州市の門司と山口県の下関を結ぶ位置にある。






坂口は東映京都の撮影所から帰省する際、必然的に、関門海峡を越える為、北九州市の小倉に立ち寄り、『小倉城』を眺めていた。





その頃の話は良く覚えている。

彼曰く、『錦之助さんの宮本武蔵の映画を撮ってた頃は、まだまだ駆け出しの頃、何が何だかわからない毎日だったと…。』


また、映画『宮本武蔵』の監督、内田吐夢氏を師事した当時の若き助監督、倉田準二氏は、後年『赤影』のメイン監督として、坂口と二人三脚で『赤影』を金字塔作品へと押し上げる事になる。



『坂口祐三郎』の『赤影』は、放送後も変わらぬ人気を保ち、何度も再放送を続け、多くのファンを魅了する。



その『おちょやん』のモデル役、浪花千栄子さんが、『赤影』『坂口祐三郎』と、勿論直接の関わりが無いものの、恐らく当時の撮影所の多忙な状況を考えると、主演の吹き替えで活躍する『坂口祐三郎』と接点は多くあったと思う。



映画『宮本武蔵』は大ヒット、シリーズ化していくものの当初の大型予算も削られる事になる。



斜陽を迎える映画業界が、任侠路線に切り替える事になるからだ。



テレビに押され、映画業界は、製作費の低い作品へ向かう事になる。




その後『赤影』坂口祐三郎の作品は、日本初の特撮時代劇カラーテレビ作品として注目される、映画『宮本武蔵』公開の6年後。


1967年昭和42年の事である。