❑ここに一枚の写真がある。
私の生まれた頃の写真である。

こうして良く見ると私の父は写真に写らず、中央に白黒テレビがある。
今考えると私の父、母、兄、姉の様な存在がテレビの様な気がするのだ。
何故なら、いつからテレビを観るようになった記憶は無い。
恐らく私世代の人は同じでは無いかと思う。
生前の坂口とテレビの話しは本当に良くした。
彼は私より二回り上、戦時下の中で生まれ食うか食われるかの話しを良くしたからだ。

テレビより映画館で映画を観る時代。
家に帰ってもラジオしか無い。

そもそも家庭にテレビの無い子供時代が普通と言っていた。
彼の子供時代はラジオが家庭の中心であり、映画は高嶺の花と言っていた。

その私が生まれた頃はすでに映画スターの旗手のスターとして銀幕で活躍していたと言う。
しかしテレビの普及で映画業界は押され彼もテレビに移行する。
数々の『映画作品』から『テレビ映画』へ舵を切る。
1967年昭和42年日本初のカラーテレビ時代劇として彼の代表作『赤影』が放送される。
私自身、赤影の本放送は記憶に無く、後に幼稚園ホールで鑑賞したテレビ版のダイジェストの作品と再放送の何れかの中で観た記憶が混在している。
幼稚園ホールで上映のダイジェスト版は他にも、ディズニーの『シンデレラ』『眠れる森の美女』等もあった。

当時、友達と赤影の話題が出た頃、『本物の忍者』の世界をテレビが映し出し、その世界の一員の気分だった事も良く覚えている。
テレビに映る赤影の活躍に夢中で観ている子供時代。
ハラハラドキドキの連続で友達と声を上げて赤影!と叫んでいたと思う。
一方の坂口は赤影の成功を願い、自身の仮面で視界が遮られ苦しい中、カメラの向こうにいる視聴者。
つまり私の様な人間に向けて『満身創痍の赤影』を演じ続けたのだ。
思えば、世代間のある私と坂口が馬が合い、意気投合したのは、テレビと言う世代間を結ぶメディアが存在し夢中になった赤影を彼が演じたからと思う。

⭐きっとこの記事を読んでる人も同じ想いと思う。
おそらく多くの人の心にある大事な想いの中に坂口の赤影が生きていて世代間の溝を埋め続けている。
そんな気がする。

❑2023年3月、庵野秀明さんの『シン・仮面ライダー』が公開された。
このシン・仮面ライダーの原点は赤影の成功を受けた平山亨プロデューサーによる制作である。
当時、赤影はカラーテレビのプロモーション予算が獲得出来、映画規模のテレビ映画で大成功したものの、単年度予算で赤字になる。
しかし再放送のリピートが続き番組の知名度は再上昇しテレビから映画へと駆け上る。
ところがテレビ局も予算編成を組み直し、仮面ライダーの企画の頃には最初から予算不足と嘆いていたと平山亨さん自身が語っていた。
赤影の脚本家、伊上勝さんと共に自身が好きな江戸川乱歩の少年探偵団的描写を目指し仮面ライダーは制作するも藤岡さんの事故も重なり、ギリギリのタイミングでライダー2号と商品化が重なり制作費回収の目処が立ったと言う。
私世代の先輩、庵野秀明さんが織りなす『シン・仮面ライダー』にも赤影、仮面ライダー等伝説のプロデューサー平山亨さんのスピリッツが盛り込まれた映画である。









































































































