⭐不思議な縁で私と赤影の坂口祐三郎は二人三脚の仕事を始める事になる。
❏政令指定都市/北九州市❏私が大使を拝命している。
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彼は故郷(地方)に住んで都会で仕事したいと常々私に語っていた。
その為、移動は飛行機と新幹線が中心になる。
時間に余裕のある移動は新幹線を指定して私に昔話を伝える旅が始まるようであった。
彼自身が故郷から離れて東映へ向かう高校2年の夏休み。
1957年昭和33年である。
■映画のピークは1950年代頃。
▓最近伯母に聞いた話しであるが当時映画館が各地に数多く現れ私の祖父も絵心の腕を買われ看板制作に従事したと言う。
私の絵心の腕も遺伝と思うと笑ってしまう。
東映ニューフェースの最終面接で新幹線開業前の九州から汽車に乗り、丸1日かけて上京する時と比べて、今は新幹線で、ゆっくり向かえて楽しいと語っていた。
■坂口祐三郎が東映京都撮影所に所属して当時トップスターの中村錦之助さんの吹き替え俳優も兼ねる。

■時代劇トップスターの頃の中村錦之助。
私との移動時には往復の新幹線移動も珍しく無く、その間も遠足気分で彼自身の生い立ちや将来の事を笑顔で話していた。
移動中の彼の語りは、私を黄金時代の映画の世界に誘うそんな感じだった。
❑今も時々、新幹線、飛行機の移動時は、彼が側に居る様な気分の時もある。
❑赤影の知名度はNHKのブラタモリで忍者の代表として放送された。
⭐一昨年末の徹子の部屋に出演のタモリさんが新しい戦前にと話した事が年末の話題になったものの、坂口祐三郎さんと同世代。
終戦すぐに生まれたタモリさん(福岡市出身)と少し前に生まれた坂口祐三郎さんは久留米市出身。
テレビがカラーに変わる成長期に赤影でテレビスターに踊り出た坂口祐三郎。
一方のタモリさんはバラエティーのしかもマニア向けの切り口から才能を発揮。
笑っていいともで飛び出して来たのは誰でも知っている。

その懐かしい彼の笑顔である。
今年二十三回忌を迎えた。
❑更に生誕84年も迎える。
今現在放送中の仮面ライダーシリーズ、戦隊シリーズは元は昭和の時代から始まる。
赤影も含め同作品のプロデューサー平山亨氏とは生前より親交がありライダー戦隊の原点は坂口君の赤影であると力説して頂きいちファンからスタートした私を坂口君赤影のファミリーであり継承者と言われ続けてたのである。
その平山さんは東映京都撮影所の映画監督出身、自身も劇場映画作品を制作、東映銀幕スター大川橋蔵さんの作品に関わった頃から若き坂口祐三郎に注目、僕には坂口君と大川橋蔵さん似て見えると印象を語って頂いた。
赤影抜擢の要因とも言える。
✨時が流れ本当に継承者として活動していると坂口さんはじめ多くの関係者が私に進むべき道を方向付けしてくれた感じがしてならない。
