毎週末にアップさせて頂いている
息子の大事故
のブログの続きです 
 
前回は、タトゥーのお話しをさせて頂きましたが、
 
アメブロのニュースにも取り上げて頂き、人気トピックスで1位を頂戴致しました
 
いつも沢山の皆さまに読んでいただき、感謝の気持ちでいっぱいです
 
同じようなご経験がある方からのメッセージやコメントには、私自身、考えさせられて涙目になってしまう事もあり…
皆さまからのお言葉で、元気と学びも得ています、本当にありがとうございます
 
人生いろいろ…良い時も辛い時もありますが、辛かったこと、悲しかった事から何か学び、成長し続けられる人でいたいなぁ
 
と私は思います…
 
 
 
 さて、過去のブログは下記から…
 
①  こちら
②  こちら
③  こちら
④  こちら
④ の続き…  こちら
(何故、息子の大事故の事をブログに書いたか)
⑤  こちら
⑤ の続き… こちら
⑥  こちら
⑦  こちら
⑧  こちら
⑨  こちら
⑩  こちら
⑪  こちら
⑫  こちら
⑬  こちら
 
⑬の続きからです
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やっと喉に付けていた青いチューブが取れ、
 
チューブのために喉に開いた穴が塞がるの待って、スピーチのリハビリが始まりました
 
喉のチューブを外せたことは、息子が植物状態になってしまうかもしれなかったあの不安だった日々と、やっとさよなら出来た証
 
一歩、回復への道を進んだような気持ちになれました
 
ただ、現実は厳しく、
喉の塞がったからといって、いきなり声を出して話せる訳ではなく、また最初は本人も痛く辛いらしく、発声の練習をしないと声が出せないのです
 
スピーチのリハビリの先生は、スパルタでした
でも美人に弱い息子
 
痛いと言いながらも美人の先生のおかげで、頑張ってリハビリをしていました
 
頭を打って脳挫傷で生死の境を彷徨っても
美人さんは認識していたようです
 
 
スピーチのリハビリと同時に、食事も口から食べられる練習をしていきました
 
先ずは飲み物からです
 
喉に穴を開けていたので、
固形物を簡単に食べ出すことはできず、少しずつならしていかないと、食事も出来るようにはなりませんでした
 
それでも、意識不明で生死の境を彷徨っていた日々を思えば、口からジュースを飲める息子をまた見れるなんて、この時の私は本当に嬉しい気持ちでした
 
まだ筆談はよく出来ず、自分が事故に遭って入院していることすら、わかっていない息子
 
入院も長期戦です
 
仕事も家も疎かになった私
 
当時、既にアメリカで起業していた私でしたが、仕事に関しては周りが事故翌日から助けてくれていました
 
家のことはご近所さんと、私たち家族の友人、息子の大学の関係者の皆さんが全員ボランティアで手伝ってくれていました
 
アメリカの我が家の前は、とても大きなフロントヤードがあります
 
そのフロントヤードの雑草を抜いたり、正面玄関前の電気の球が切れていたから替えておいたよ
 
と、家の周りの事は全てご近所さんが率先してやってくれていました
 
私たち家族の食事は、私の友人が当番で作って、病院や自宅に持ってきてくれていました
 
大学は、以前のブログにも書きましたが、私たち家族が看病にだけ専念出来るようにと、金銭面、手続き面は全てやってくださりました
 
治療費、高額なリハビリ、再手術費用、後に親の私たちの休業補償まで大学の保険とアメリカ政府の援助でカバーされました
 
多分、息子はその大学に入っていなければ、命は助かっても大きな障害を残す事になっていただろうと思います
私たち家族の周りの、赤の他人の人たちが
息子や私たち家族を助けるために、ものすごいチームワークで、一丸となり助けて下さっていたおかげで、治療や看病に長い間、専念することが出来たのです
 
いくつかの乗り越えられないかもしれない辛い試練がやってくるとは、まだこの時には私たち家族は知る由もありませんでした
 
ただ、周りの皆さんに助けてられ、いつか元気になって退院して恩返し出来るように頑張ろう・・・
 
そんな事だけを毎日考えながら、息子のそばにいた日々でした・・・
 
 
 
 
to be continue ・・・
 
 
Have a good 3day weekend