akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記 -15ページ目

akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

新居宮池は今

穏やかな宮池。

宮池水上展望台と鷲ノ山、宮池水上展望台とだんご山3兄弟。

 

夕陽がうっすらとかかる宮池。

強風に煽られる宮池の水面。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-118 Orignal掲載日:Vol.214(2013.10.05)

考え抜く…。

 

ドラッカーが約40年前に、新しくアメリカ企業の部長に就いた若い人から「今、自分としては、一体どう考えて、この新しい仕事にどう取り組んだらよいでしょうか」と問われた時に答えたのが、「自分はここで何を貢献できるかを考えよ」であった。この「貢献」は英語の原文ではcontribution(コントリビューション)であるが、「貢献」のほかに、「寄与、役に立つこと、一助となること」という意味がある。

 

ドラッカーは、「知識の段階から行動の段階に移るときのテコとしての起爆点となる」のがこの「貢献」だという。

しかも、「自分は何に貢献したいと思うかに基づくものでもないし、何に貢献せよと言われたからでもない」として、自分でとことん真剣に考え抜いて、それぞれの場で自分が何に貢献すべきかをキリキリ絞り出して、それを実行せよと説いているのである。

この「考え抜く」はドラッカーが絶えず繰り返し説いている有名な言葉である。現代のように知識社会になり、働く人々が知識労働者になってくると、上司や組織からの指示を求めて自らの行動を決めることは少なくなってきている。そうした状況の中では、割り当てられたことでもなく、好き放題をやるのでもなく、自ら考え出し、組織に対してもっと付加価値を高めるような自分の強みを投入せよというのである。

 

しかもドラッカーは、どこで、いかに貢献するかについて、もう二つ具体的な注文をつけている。

一つは貢献のためのプランは明確かつ具体的なものであり、あまり先を見ず、長くてもせいぜい一年半か二年をその対象とせよ」というものだ。

そして、もう一つは、「貢献目標は、やさし過ぎず、さりとてギャンブルでもするようなイチかバチかでもなく、少々背伸びをしたもので達成可能なものとせよ」という条件である。

それなりに難しく野心的で大胆なものが良いが、無謀ではダメと言っているのだ。「無責任横行時代」といわれる今日、運命に支配されずに、自らが運命の主人になり、成果を上げるためには、まず「自らの果たすべき貢献は何か」という問いからスタートすべきなのである。

 

そして「自らの果たすべき貢献は何かという問いからスタートするときに、人は初めて自由となる」とは、「責任を持つがゆえに自由となる」というドラッカーの言葉は、今こそ十分に噛み締めるべきではなかろうか。

そして、学習して知るだけに終わらず、それを実行することが今、求められているのである。

 

 

 <高く広がる空間> 

奥谷ハイランドから見る新居新池と奥の城山・猪尻山の上空。

ほたる坂通りから見る新居新池の上空。

ことでん長尾線観光道路踏切(観光通)の上空。

フェリー通り(観光通)と瓦町FLAGの上空。

琴平神社(観光通)の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇ウォーキングコース脇の畑の檀(マユミ)の

 

◇ウォーキングコースのセンニンソウの種

 

◇ウォーキングコース近郊に一本しかない銀杏の木

・銀杏(標高46mの位置)-1

・コース(標高62m)から見る(直線距離580m)、そのズーム景

 

・ほたる坂通りから見る(標高40m)、そのズーム景

 

・銀杏(標高46mの位置)-2

◇ほたる坂通りから銀杏の木(260m)までに出会ったダイアモンドリリトウガラシ

・ダイアモンドリリー

 

・トウガラシ

 

 

<akijii展-(562)

スクラッチアート(美しい日本の祭礼4点)で、

今報は森ねぶた祭で、所要時間は575Mでした。

「ねぶた」と呼ばれる巨大な「人形灯籠」を使って穢れを流し無病息災を祈願する美しい火祭り、中でも青森ねぶた祭は最大幅9mもの山車が練り歩く迫力満点の夏祭りです。スクラッチにしたのは2011年北村蓮明氏作の「水滸伝 洪信、百八の魔王を放つ」。勇猛な武者人形が夏の闇に浮かび上がる風景を想像しながら削ってみましょう。

◇完成作品

次報からは、スクラッチアート(美しき聖地の世界遺産4点)です。

 

引き続き、Vol.1006-2/3をご覧ください。

Vol.1006-1/3に続けてご覧ください。

 

Akijiiままniフォトsketch<上天神町>  

今報は、上天神町の沖ノ池・三条池と大田下町の秋葉権現(立ち寄り)の気ままniフォトSketchをしました。

 

▼所在地、亀池(通称=沖ノ池)改修記念碑

高松市上天神町:〒761-8056

 

▼沖ノ池

▼三条池

▼三条池改修工事記念碑、秋葉権現(太田下町)

 

 

▼バス停「横田」で降車、沖ノ池へ向かう(約0.3km)

 

▼県道172号線を南方向へ進む、次の信号交差点を左折

 

▼上天神町を東方向に進む-1

 

▼上天神町を東方向に進む-2、沖ノ池の南側に着いた
 

 

フォトSketch-沖ノ池

所在地は上天神町西長曽690で、亀池水利組合の管理、堤高:5.0m・堤頂長:750m・貯水量:127.7千立方mである。

▼沖ノ池の南側から北方向を見るパノラマ景

▼沖ノ池を右周りに周回(約0.7km)、沖ノ池の西側へ進む

 

▼沖ノ池の南西端から東北方向を見るパノラマ景

▼沖ノ池の西側を北方向に進む(正面奥は稲荷山)

 

▼沖ノ池の西側中央から東方向を見るパノラマ景

▼沖ノ池の西北端から東南方向を見るパノラマ景

▼沖ノ池の北側を東方向に進む、前方奥に石碑

 

▼沖ノ池の北側中央から東方向を見るパノラマ景

▼亀池(通称=沖ノ池)改修記念碑

 

▼沖ノ池の北から東側を南方向に進む

 

▼沖ノ池の北東端から西南方向を見るパノラマ景

▼沖ノ池の東側を南方向に進む

 

▼沖ノ池の東側中央から西方向を見るパノラマ景

 

▼沖ノ池の東南端から西北方向を見るパノラマ景

 

▼沖ノ池を後にして三条池へ向かう(約0.7km)、東に進み国道193号線へ合流

 

▼国道193号線交点を左折、国道193号線沿いに北へ進む-1

 

▼国道193号線沿いに北へ進む-2

 

▼国道193号線沿いに北へ進む-3

 

▼国道193号線沿いに北へ進む-4(東側へ横断)

 

▼上天神町を東方向に進む-1

 

▼上天神町を東方向に進む-2

 

▼上天神町を東方向に進む-3(正面奥に三条池の堤体が見えて来た)、西側の堤体に着いた

 

 

引き続き、Vol.1006-3/3をご覧ください。

Vol.1006-2/3に続けてご覧ください。

 

フォトSketch-三条池

所在地は上天神町三条863で、三条水利組合の管理、堤高:3.0m・堤頂長:610m・貯水量36.5千立方mである。

▼三条池の西側から東方向を見るパノラマ景

▼三条池の西側を北方向に進む、三条池の西側から北側へ進む

 

▼三条池の西北端から南東方向を見るパノラマ景

▼三条池の北側を東方向に進む、前方奥に石碑

 

▼三条池の北側中央から南方向を見るパノラマ景

▼三条池改修工事記念碑

 

▼三条池の北東端から南西方向を見るパノラマ景

▼三条池の東側を南方向に進む

 

▼三条池の東側中央から西方向を見るパノラマ景

 

▼三条池を後にして太田下町の秋葉権現に寄る(約0.1km)、秋葉権現へ進む-1

 

▼秋葉権現へ進む-2、太田下町に入った

 

▼左(北)方向の奥に高松自動車道の高架橋、秋葉権現へ進む-3

 

▼秋葉権現へ進む-4、右側の建物の裏に標識

 

▼秋葉権現へ進む-5(⇦秋葉権現)、秋葉権現へ進む-6

 

▼秋葉権現へ進む-7、秋葉権現に着いた

 

 

フォトSketch-秋葉権現

秋葉権現(太田下町)の立て看板の説明文

嘉永年間(1848~1854)藍谷地区(今の太田西下所北部)では、毎年、秋から冬にかけて夜ごとに火事が起こった。

「火事といえば藍谷」とまで言われた悪評を何とか無くしたいと、人々はいろいろ試みたが火事は止まなかった。

これは「何かの障り」ではないかと火伏の神「秋葉大権現」(静岡県浜松市)の分社をこの地にお迎えし、「藍谷の守り神」として祀った。以来、藍谷の火事はおさまった。平成27年度 太田南ゆめづくり実行委員会

▼秋葉権現-1

 

▼秋葉権現-2

 

▼秋葉権現を後にして帰路のことでん伏石駅へ向かう(約0.6km)、太田下町を東方向に進む-1

 

▼太田下町を東方向に進む-2

 

▼太田下町を東方向に進む-3、県道280号線交点を左折

 

▼県道280号線を北方向に進む、国道11号線交点を右折

 

▼県道280号線と国道11号線の交差点、国道11号線を東方向に進む-1

 

▼国道11号線を東方向に進む-2

 

▼国道11号線を東方向に進む-3

 

▼ことでん伏石駅が見えて来た、ことでん伏石駅の標識

▼ことでん伏石駅の➀番ホームへ進む-1

 

▼ことでん伏石駅の➀番ホームへ進む-2

 

▼ことでん伏石駅の➀番ホームへ進む-3

 

▼ことでん伏石駅の➀番ホームへ進む-4

 

▼ことでん伏石駅の➀番ホームに着いた、ことでん伏石駅から帰宅の途に就いた

 

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀

新居宮池は今

紅葉のだんご山3兄弟を背景にした宮池。

紅葉の国分台・猪尻山・城山・大平山を背景にした宮池。

紅葉の袋山を背景にした宮池。

西から見る新居宮池親水公園と宮池。

東から見る新居宮池親水公園と宮池。

綺麗な夕陽を映す宮池の水面。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-117 Orignal掲載日:Vol.213 (2013.09.30)

不振のなかで…。

 

弱点を自分で克服するのは難しい。2005年5月、不振のどん底にあった宮里 藍に対し、当時の女王カーリー・ウェブが掛けた言葉は「無理にことを起こそうとしないで、流れのままに」。

これを聞いた宮里は、翌週の大会で久々の復活の優勝を果たした。誰でも、いつも同じようにしているつもりで、スランプに陥ることがある。

青木功は「ゲーム設計は、とうしたら失敗を防ぐかという視点から、たてなければなんない」と言った。

ゲームを考えるとき、上手く展開した場合だけをイメージするのではなく、失敗を想定して、これを防ぐにはどうしたら良いかの視点も大切である。

 

居酒屋のトイレからお寺まで広く愛されている石川 洋氏の「つもりちがい十カ条」を下に記します。

人は意気込み過ぎると、全体が見えなくなるので、立ち止まってこの十カ条を唱えてみると、本来の流れを取り戻せるかもしれない。

 

<追記>石川 洋氏の文尾に<>の中に置き換え言葉を記述しますが、解釈の幅も広がると思います。

つもりちがい十ヶ条

高いつもりで低いのが教養 --<関心>  低いつもりで高いのが気位 --<声> 深いつもりで浅いのが知識 --<感動>   浅いつもりで深いのが欲望 --<落胆>  厚いつもりで薄いのが人情 --<支持> 薄いつもりで厚いのが面皮 --<暗雲>

強いつもりで弱いのが根性 --<効能>  弱いつもりで強いのが自我 --<非難> 多いつもりで少ないのが分別 --<期待>    少ないつもりで多いのが無駄 --<欠点>

そのつもりでがんばりましょう!

 

 

 <高く広がる空間> 

紅葉が綺麗な大禿山・国分台・猪尻山・城山・大平山・袋山の上空パノラマ景。

紅葉が綺麗な国分台・猪尻山・城山・の上空。

高松田町商店街(田町)の南側入口の上空。

高松田町商店街の北側入口の上空。

南新町商店街の南北を横断する菊池寛通りの上空。

 

 

A seasonal flower 

◇宮池の遊歩道脇のイロハモミジ

◇ウォーキングコース脇の溝に咲くイヌホオズキ

 

◇ウォーキングコース横の盆栽神社のカエデ

◇ウォーキングコースの畑に咲く仏の座

 

◇近所のお宅で色付きはじめたアロエの花

 

 

<akijii展-(561)

スクラッチアート(美しい日本の祭礼4点)で、

今報は春の高山祭(山王祭)で、所要時間は580Mでした。

日本三大美祭のひとつ。ユネスコ無形文化遺産にも登録された高山祭は、春の「山王祭」と秋の「八幡祭」の2つがあります。このうち春の「山王祭」は計12台の屋台を曳き、人形からくり奉納などを行う日枝神社の祭礼です。

今回スクラッチにしたのは、崑崗台(こんこうだい)。

「崑崗」が中国随一の金銀の産地であることに由来する豪華絢爛な屋台です。

◇完成作品

 

引き続き、Vol.1005-2/3をご覧ください。

Vol.1005-1/3に続けてご覧ください。

 

Akijii気ままniフォトsketch<松並町西春日町>  

今報は、松並町の㈱カマタマーレ讃岐(旧鶴尾中学校)と卒都婆塚、西春日町の奥の池調整池・清水出水と鶴尾神社を気ままniフォトSketchしました。

 

▼所在地、ふれあいスポーツスクエアつるお

高松市松並町:〒761-8052、高松市西春日町:〒761-8051

 

▼卒都婆塚(伝説)、清水出水にまつわる伝説

 

▼奥の池調整池、野仏さん・山の仏さん

 

▼鶴尾神社、奥の池取水施設

 

 

▼バス停「鶴尾」で降車、旧鶴尾中学校を周回(約0.5km)へ向かう

 

▼左側に鶴尾小学校と時習橋(じしゅうばし)、県道266号線を南西に進む-1

 

 

フォトSketch-旧鶴尾中学校

B2・香川ファイブアローズとJ3・カマタマーレ讃岐が練習場所などとして利用している高松市の鶴尾中学校跡地の愛称が決まりました。高松市が考えた3つの候補から、鶴尾小学校の児童と地元のコミュニティ協議会の投票で「ふれあいスポーツスクエアつるお」が選ばれました。

両チームは2022年、高松市と契約を結び、2021年3月に閉校した鶴尾中学校の施設を練習場所や運営事務所などとして活用しています。

▼県道266号線を南西に進む-2(右に旧鶴尾中が見えて来た)、旧鶴尾中の正門前に着いた(ガンバレ!!カマタマホレの旗)

▼正面の門柱に「ふれあいスポーツスクエアつるお」の縦看板、旧体育館に掛かる「FIVEARROWS TSURUO COURT」看板のズーム

 

 

▼県道266号線を南西に進む-3、次の交点を右折

 

▼松並町を西方向に進む-1

 

▼松並町を西方向に進む-2、右奥に鳥居

 

▼鬼門神社

<由緒記>当神社は 悪鬼をおさえて災厄を払う鎮守の神として古くからここに祀られ 天保年間に奉納せられた幟も今尚保存せられている。

 

▼松並町を西方向に進む-3(次の交点を右折)、松並町を北東方向に進む-1

 

▼松並町を北東方向に進む-2

 

▼「FIVWARROWS TSURUO COURT」の看板

 

 

▼卒都婆塚(伝説)案内板へ向かう(約0.9km)、松並町を北方向に進む-1

 

▼松並町を北方向に進む-2

 

▼松並町を北方向に進む-3

 

▼松並町を北方向に進む-4

 

▼右(東-松並町)の方向、左(西-県営住宅西春日団地と浄願寺山)の方向

▼松並町を北方向に進む-5

 

▼松並町を北方向に進む-6

 

 

フォトSketch-卒都婆塚

卒塔婆(そとば)は死者の供養塔や墓標として作られ、頭部に五輪形を刻み、梵字などを記した板木。卒都婆、率都婆などとも書く。語源的には釈迦仏の遺骨を収めた仏塔であるストゥーパが漢訳されたもので、広義には三重塔、五重塔、十三重塔などの塔や五輪石塔などをも指すが、今日一般に用いる卒塔婆の意は木製の塔婆を指す。

▼松並町を北方向に進む-7(右奥に案内板)、卒都婆塚(伝説)の案内板-1

 

▼卒都婆塚(伝説)の案内板-2

 

 

▼西春日町へ向かう(約0.2km)、松並町を北方向に進む-7

 

▼松並町を北方向に進む-8

 

 

▼西春日町に入った、奥の池調整池へ向かう(約0.6km)

 

▼西春日町を西方向に進む-1、右(北)方向に峰山トンネルへの車道が見える

 

▼西春日町を西方向に進む-2

 

▼西春日町を西方向に進む-3、右側は西春日北部集会場

 

▼西春日町を西方向に進む-4(次の三叉交点を右折)、西春日町を西北方向に進む-1

 

▼西春日町を西北方向に進む-2、西春日町の水路のある交点に着いた

 

 

▼西春日町の水路沿いに北東方向に進む-1

 

▼西春日町の水路沿いに北東方向に進む-2

 

▼右側に石仏、西春日町の水路沿いに北東方向に進む-3

 

 

フォトSketch-清水出水にまつわる伝説

香川県には、水にまつわる伝説がたくさん残っています。いかに人々が水の確保に心をくだき、水を尊いものとしていたのかがしのばれます。こうした言い伝えによって、水の大切さを子供たちに教え諭していたのでしょう。水の流れのように絶えることなく、人から人へと伝えられた水のお話。さぬきの地に暮らし、水を乞い願った人々の思いが、しみこんでいるようです。(香川県HP)

▼西春日町の水路沿いに北東方向に進む-4(左に案内板-右折して奥の池調整池へ進む)、「清水出水にまつわる伝説」の案内板

 

フォトSketch-奥の池調整池

高松市の地下水開発の取り組みについて(高松市長:増田昌三1995~2007年の3期12年にわたり高松市長を務めた)

高松市の水源確保の状況について延べ69日間にも及ぶ時間断水を余儀なくされた平成6年の異常渇水を教訓として、本市では、節水型都市づくりと水源確保を基本とする「高松市水問題に関する基本指針」を策定し、全市を挙げて節水と水の有効利用に取り組み、節水機器や節水意識の定着、また、雨水利用の助成制度や下水再生水の利用などにより、水道使用量は大きく減少しています。また、水源開発についても、椛川ダムの整備促進や地下水源の開発等に取り組み、県営水道用水供給事業(以下県水)との受水比率はほぼ同率となっています。昨年の夏季渇水は、平成6年を上回る規模でありましたが、自己水源の確保や配水コントロールによる減圧給水、そして、何よりも市民の皆様方の節水と水の有効利用の実践等により、断水という非常事態を回避することができました。このような中、本市は昨年度、近隣 6 町との合併により、給水人口42万人、1日最大給水量18万5千立方mを要する都市として、ますます安定した水源開発が不可欠となり、高松地域の地下水調査の結果に基づき、既存井戸を含む地下水開発に取り組む水運用計画を策定しました。

=地下水開発事業の概要について=

事業の概要は、栗林公園の南西に位置する岩清尾山のふもとの西春日町と室新町にまたがる、有効貯留量20万立方mの奥の池を調整池として位置付け、その周辺井戸の地下水を予備水源として、浅井戸および深井戸等の開発を行い、日量最大 5,000立方mを取水し、これに奥の池貯留水の日量最大5,000立方mを併せた日量最大10,000立方mを、現在、計画中の都市計画道路を利用して御殿浄水場へ導水するものです。なお、この計画の実現により、渇水時の安定度が大幅にアップすることから、早期完成を目指し、今後とも、渇水のないまちづくりに努めてまいります。

▼奥の池調整池に着いた、奥の池調整池

 

 

▼奥の池調整池を後にして鶴尾神社へ向かう(約0.7km)、水路沿いの道を東方向に進む-1(石段を上る)

 

▼峰山トンネルへの車道を横断し柵を開け通る、左奥に峰山トンネルが見える

 

▼水路沿いの道を東方向に進む-1

 

▼水路沿いの道を東方向に進む-2

 

▼「野仏さん・山の仏さん」の石仏、水路沿いの道を東方向に進む-3

 

 

引き続き、Vol.1005-3/3をご覧ください。

Vol.1005-2/3に続けてご覧ください。

 

▼水路沿いの道を東方向に進む-4

 

▼水路沿いの道を東方向に進む-5

 

▼水路沿いの道を東方向に進む-6

 

▼水路沿いの道を東方向に進む-7

 

▼県道172号線の交点に着いた、水路沿いの道を振り返る

 

 

フォトSketch-鶴尾神社

鶴尾地区の氏神であり、土居の宮の別称で呼ばれる。大同年間(806-809年)に創祀され879年(元慶3年)、鶴尾八幡宮と呼ばれるようになる。その後、仁和年間(885-888年)に現在地より南東に約1.2kmの地に奉還、社殿が営築され土居之宮と呼ばれるようになる。1691年(元禄4年)、再び現在地に遷座し鶴尾神社と呼ばれるようになった。

1873年(明治6年)、郷社に列格した。

「鶴尾」という名称の由来は、鶴尾地区から見える峰山が「鶴が羽根を広げたよう」に見えたことが起源とされている。その後この地区にあった香川郡鷺田村が高松市に合併すると、かつての鷺田村小学校が高松市立鶴尾尋常小学校(現・高松市立鶴尾小学校)に改名され、高松市内の地区名として「鶴尾」が使用されるようになる。

▼鶴尾神社に着いた、鶴尾神社-1

 

▼鶴尾神社-2

 

▼鶴尾神社-3

 

▼鶴尾神社-4

▼鶴尾神社-5

 

▼鶴尾神社-6

 

▼鶴尾神社-7

 

▼鶴尾神社-8

 

▼鶴尾神社-9

 

▼鶴尾神社-10

 

▼鶴尾神社-11

 

▼鶴尾神社-12

 

▼鶴尾神社-13

 

 

▼鶴尾神社境内を後にして御旅所へ向かう(約0.4km)、鶴尾神社御旅所へ進む-1

 

▼鶴尾神社御旅所へ進む-2、奥の池の右側に御旅所が見えて来た

 

▼左に鶴尾神社の随神門、鶴尾神社御旅所へ進む-3(県道172号線を横断)

 

▼奥の池の南西端の案内板(奥の池と室山城跡)、奥の池の案内板

 

▼奥の池取水施設

 

▼奥の池と奥に室山、鶴尾神社を振り返る

 

▼鶴尾神社創紀1200年記念の大鳥居、鶴尾神社御旅所へ進む-4

 

▼奥の池と県道172号線の風景、奥の池休憩所

 

▼休憩所から見る奥の池のパノラマ景

▼鶴尾神社御旅所へ進む-5、鶴尾神社御旅所に着いた

 

▼鶴尾神社御旅所

 

 

▼鶴尾神社御旅所を後にして帰路のバス停「土居宮」へ向かう(約0.6km)、バス停「土居宮」へ進む-1(西ハゼ町に入った)

 

▼バス停「土居宮」へ進む-2、次の交点を左折

 

▼バス停「土居宮」へ進む-3、次の県道266線交差点を右に横断

 

▼県道266線交差点を横断、バス停「土居宮」に着いた

 

 

▼時間待ちが多いので鹿角線バス停「室北口」へ変更(約1.2km)、鹿角線バス停「室北口」へ進む-1

 

▼鹿角線バス停「室北口」へ進む-2、東ハゼ町に入った

 

▼鹿角線バス停「室北口」へ進む-3

 

▼室新町に入った、鹿角線バス停「室北口」へ進む-4(国道11号線に合流)

 

▼鹿角線バス停「室北口」へ進む-5

 

▼鹿角線バス停「室北口」へ進む-6、鹿角線バス停「室北口」に着き帰宅の途に就いた

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀

今報より構成して載します。

 

新居宮池は今

火ノ山・十瓶山・鷲ノ山と宮池に遮光する夕陽。

蓮光寺山・国分台・猪尻山と穏やかな宮池。

袋山とだんご山3兄弟を背景にした宮池のパノラマ景。

 

 

Akijii-blog巻頭言Repeat-116 Orignal掲載日:Vol.211(2013.09.20)

最悪を想定、怖いものなし。

 

物事に取り組むとき、二つの態度がある。

良い方へ期待して取り組む場合と、悪い方へ予想して取り組む場合である。大概は始める時は良い方へと考え、何か障害が出て来ると悪い方へと考えるようになる。

これは一番悪いやり方である。

どうせするなら最善を期待すればいい途中で何か問題が発生しても、最善の結果を期待する態度を変えない。徹底してプラス思考でいくのだ

成功者は概ねプラス思考の持ち主だから、少々のことでもへこたれないで、最善を期待して努力する。そしてよい結果を得るのだ。

 

ところが性格上それができない人がいる。そういう人はどうしたらよいのだろうか。

女流漫画家の里中満智子氏がよいアドバイスをしてくれている。彼女は雑誌でこう書かれていた。「私は小さい頃から根暗な子で、何をするにも悪い結果ばかり考えてしまうところがありました。

それは今も同じですが、ある時期から、どうせなら最悪を予測してから行動しようと…。

最悪を想定しておくのは、実際には最悪の結果に陥ることはめったにないからです。

考えたよりもうまくいったじゃない』と思えるぶん、いい気持ちになれます」。

 

人間の性格はなかなか変えられない。性格は子どもの頃からの育ち方と経験から形作られるからだ。人生やり直せるならいいが、ずっと過ごしてきて身についたものは、「変えろ」「わかりました」とはいかない。だが、考え方のほうは変えられる。だから自分の性格にあった考え方をすればいいのだ。

里中氏がしたのはそれである。

あなたがもしマイナス思考の持ち主なら、同じようにすればいい。里中氏を見習って思い切り最悪の事態を想定して始めてみるのだ。もし、その通りになっても、予想が的中しただけのことである。

 

 

 <高く広がる空間> 

新居新池の上空。

百十四ビル・香川銀行(亀井町)の上空。

コンフォートホテル高松・三甲高松ビル(中新町)の上空。

旅籠町の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇日課のウォーキングコースの紅葉(落葉)

紅葉(落葉)-1

 

紅葉(落葉)-2

 

ミラーマーキング、Mt氏のバナナの実に寄る

 

Mt氏のバナナの実

◇ウォーキングコースのセイタカアワダチソウの綿毛

 

◇ウォーキングコース脇の畑に咲くクロタラリア

 

◇ウォーキングコース脇に咲くサザンカ(山茶花)

 

 

 

 <akijii展-(560) 

スクラッチアート(美しい日本の祭礼4点)で、

今報は日本ライン夏祭り」で、所要時間は285Mでした。

慰霊や疫病退散を目的とした行事だったと言われる花火は江戸時代の「両国川開き」以降花火大会として全国各地で行われるようになりました。木曽川を挟んだ2つの市が共同開催する「日本ライン夏まつりロングラン花火」は、船上から打ち上げられた花火がライトアップされた犬山城を照らす風情たっぷりな花火大会です。

◇完成作品

 

引き続き、Vol.1004-2/3をご覧ください。

Vol.1004-1/3に続けてご覧ください。

 

Akijii気ままniフォトSketch<東ハゼ町・紙町・西ハゼ町>

今報は、東ハゼ町のハゼ東公園・ハゼ西公園、紙町の南部伊平記念碑、西ハゼ町の観賢僧正と剃刀塚・権現渕・宮屋敷を気ままniフォトSketchしました

 

▼所在地、ハゼ東公園

高松市東ハゼ町:〒761-8054、高松市紙町:〒761-8055、高松市西ハゼ町:〒761-8053

 

▼ハゼ西公園、南部伊平記念碑

 

▼観賢増正と剃刀塚

 

▼権現渕、宮屋敷

 

 

▼バス停「東室新町」で降車、ハゼ東公園へ向かう(約0.4km)

 

▼国道11号線を南東方向へ進む-1、東ハゼ町に入った

 

▼国道11号線を南東方向へ進む-2

 

▼西北方向に室山、国道11号線を南東方向へ進む-3(次の交点を左折)

 

▼コスモ高松南SSの手前を左折、東ハゼ町を東方向に進む-1

  

▼東ハゼ町を東方向に進む-2(右奥にハゼ東公園が見えて来た)、ハゼ東公園へ進む-1

 

▼ハゼ東公園へ進む-2、ハゼ東公園に着いた

 

 

フォトSketch-ハゼ東公園

国道11号線沿い、東ハゼ町にある公園です。 あまり頻繁に手入れはされていませんが、バスケットゴールもあり子どもたちが楽しんでいます。遊具も砂場もありますが、あまり手入れされている様に見えません。

しかしトイレもあり遊ばせやすい公園だと思います。

▼ハゼ東公園-1

 

▼ハゼ東公園-2

 

▼ハゼ東公園-3

 

▼ハゼ東公園-4

 

 

▼ハゼ東公園を後にしてハゼ西公園へ向かう(約0.5km)、東ハゼ町を南方向に進む-1

 

▼東ハゼ町を南方向に進む-2、次の交点を右折

 

▼東ハゼ町を西方向に進む(次の地下道-東出口へ入る)、東ハゼ町交差点(国道11号線)の地下道を通る-1

 

▼東ハゼ町交差点(国道11号線)の地下道を通る-2

 

▼国道11号線沿いに南西へ進み次を右折、東ハゼ町を西方向へ進む-1

 

▼東ハゼ町を西方向へ進む-2(左奥にハゼ西公園)、ハゼ西公園に着いた

 

 

フォトSketch-ハゼ西公園

そんなに多くはないが、南側に遊具(ブランコ・滑り台・バスケットゴール)と北側は広場になっている。自販機及び便所設置。人通りが少ない場所にあるので、広くて綺麗なわりにあまり人を見かける事がない公園。静かなので落ち着く。

▼ハゼ西公園-1

 

▼ハゼ西公園-2

▼ハゼ西公園-3

 

▼ハゼ西公園-4

 

 

▼ハゼ西公園を後にして紙町へ向かう(約0.2km)、東ハゼ町を西方向に進む-1(右奥に鶴尾保育所)

 

▼鶴尾保育所

 

▼東ハゼ町を西方向に進む-2(次のT交点を左折)、紙町に入った

 

 

▼紙町を南方向に進む-1(南部伊平記念碑へ向かう-約0.6km)、紙町を南方向に進む-2(御坊川を渡る)

 

▼御坊川の右(西)方向、左(東)方向

 

▼紙町を西方向に進む-1

 

▼紙町を西方向に進む-2

 

▼紙町を北方向に進む(紙町中央橋を渡る)

 

▼紙町中央橋(御坊川)

 

▼南部伊平記念碑へ進む-1

 

▼南部伊平記念碑へ進む-2

 

▼南部伊平記念碑が見えて来た、南部伊平記念碑に着いた

 

 

フォトSketch-南部伊平君記念碑

紙町の墓地の端っこに立っている。

南部伊平は武士の身分を捨てて事業に精を出し、近畿の方まで売り込みに出かけるなどし、高松の製紙業の基礎を築いた人物だそうである。南部伊平は高松藩士で松平頼真(よりざね)が1771(明和8)年に六代藩主になった翌1772年~天明(1781~89年)にかけて、自然災害や火災などが相次いで、庶民はもとより藩財政も窮乏したそうだ。

南部伊平は、この地方の水がきれいなことを知って、これを活かして産業を興せないかと考えました。

高松藩士の南部伊平が安永(1772~80)年間に伊予三島から亀造(亀遠との説もある)なる紙漉きを雇い、この地の出水を利用して紙漉きを始めた。それがもとで昭和15(1940)年に高松市に編入されるまで、同地区は鷺田村紙漉と呼ばれ、編入後は紙町と呼ばれている。南部伊平の起こした紙漉きはその地域に定着・繁栄したので、地元の人たちが紙祖としての頌徳碑と墓を春日神社境内に建てた。しかし、それが、後年、人家が立て込み敷地が狭くなったために移転することになった。

▼南部伊平記念碑-1

 

▼南部伊平記念碑-2

 

引き続き、Vol.1004-3/3をご覧ください。

Vol.1004-2/3に続けてご覧ください。

 

▼南部伊平記念碑を後にして観賢増正と剃刀塚(西ハゼ町)へ向かう(約0.5km)、坂田墓地を進む-1

 

▼坂田墓地を進む-2

 

▼坂田墓地を進む-3

 

▼観賢増正と剃刀塚(西ハゼ町)へ進む-1

 

▼観賢増正と剃刀塚(西ハゼ町)へ進む-2

 

▼金毘羅街道(高松街道)に合流(西ハゼ町に入った)し西に進む、観賢増正と剃刀塚が見えて来た

 

 

フォトSketch-紫雲山観賢寺(観賢山久米寺)

高松市西ハゼ町の金毘羅参詣道高松街道にある「空海」所縁のお寺です。
観賢(かんげん)僧正は、平安時代に坂田の土地に生まれ若くして宗教界に入り大きな足跡を残した偉人です。

延長3年6月、72歳で死去までに僧正の履歴を残し、数多くの業績をも残しています。
僧正は讃岐の国坂田の郷旧鷺田村(現高松市西ハゼ町)の人で文徳天皇の仁壽3年(853年)に生まれた。
空海大和尚に弘法大師の謚を賜った時、観賢僧正は勅命を伝える使となる、御下賜の紫衣を着せ大師の御髪を剃り大任を果たした。母に逢うため故郷に帰った時、大師の御髪を剃った剃刀をこの地に埋めたので、ここを剃刀塚と言います。
昭和4年、当時の村長「内井市太郎」氏等有志により、ここに僧正の遺品を納められ、頌徳碑と供養所へ建立しました。

剃刀塚(かみそりつか)は、醍醐天皇の延喜21年10月2日、天皇は空海上人が破れた法衣を着て、「高野の山にこけむす庵に袖朽ちて苔の下にぞ有明の月」と歌って立ち去られる夢をご覧になりました。
そこで、天皇は上人に弘法大師の称号と桧皮の色の衣を送る事になさいました。その使者を観賢僧正に命じられたので僧正は勅使と共に高野山にのぼり、廟中の空海が着ていた朽ち果てた衣を着替えさせ頭髪を新しい剃刀で剃りました。(空海死後90年)翌年その剃刀をこの地に埋めたといわれます。以上の記事は、現地説明案内板等より転載しました。

 

▼観賢増正と剃刀塚に着いた、観賢増正と剃刀塚-1

 

▼観賢増正と剃刀塚-2

 

▼観賢増正と剃刀塚-3

 

▼観賢増正と剃刀塚-4

 

▼観賢増正と剃刀塚-5

▼観賢増正と剃刀塚-6

 

▼観賢増正と剃刀塚-7

 

▼観賢増正と剃刀塚を後にして権現渕へ向かう(約0.1km)、西ハゼ町を西方向に進む-1

 

▼県道266線を渡る、西ハゼ町を西方向に進む-2

 

 

フォトSketch-権現渕・宮屋敷

▼西ハゼ町を西方向に進む-3(右奥に案内板)、「権現渕のいわれ(伝説)」の案内板

▼宮屋敷へ向かう(約0.3Km)、西ハゼ町を東北方向に進む-1

 

▼西ハゼ町を東北方向に進む-2

 

▼西ハゼ町を東北方向に進む-3

 

▼西ハゼ町を東北方向に進む-4(左に案内板)、「宮屋敷」の案内板

 

 

▼帰路のバス停「土居宮」へ向かう(約0.2Km)、県道266号線交点を左折

 

▼県道266号線を東北に進む、バス停「土居宮」が見えて来た

 

▼時間待ちが多く電車に切り替える、琴電琴平線「三条駅」へ向かう(約1.3Km)

 

▼西ハゼ町を東方向に進む-1

 

▼西ハゼ町を東方向に進む-2(東ハゼ町に入る)、東ハゼ町を東方向に進む-1

 

▼東ハゼ町を東方向に進む-2、地下道(国道11号線)を進む-1

 

▼地下道(国道11号線)を進む-2、東ハゼ町を東方向に進む-3

 

▼東ハゼ町を東方向に進む-4(上之町に入る)、上之町を東方向に進む-1

 

▼上之町を東方向に進む-2、左奥にことでん三条駅が見えて来た

 

▼ことでん三条駅へ進む

 

▼ことでん三条駅に着いた、ことでん三条駅から帰宅の途に就いた

 

 

▶▶▶▶▶▶ 今報了◀◀◀◀◀◀

新居宮池は今

西北角から東南方向を見る宮池2景。

西北角から東南方向の宮池パノラマ景。

日の入直前の宮池の水面。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-115  Orignal掲載日:Vol.209 (2013.09.10)

責任を…、手柄を…

 

仕事の場で上司の立場にありながら、常に責任回避をしようとしている人はいないか。

チームとして一緒に仕事をしている限りは上司とか部下とかに関係なく、多かれ少なかれ責任の一端はある。

 

従って、何か問題が起こった時は誰かに非を押しつけることは可能だが、最も重い責任を負うのは上司の「役目」である。上司が主役であり、部下は脇役ないしは端役であるはずだ。好ましくない事態に立ち至った時だけ、上司が主役の座を部下に譲ろうとするのは、どのように考えても間違っている。

そのような上司に限って、輝かしい成果が上がった時は、その手柄を100%自分のものにしようとする。「責任を譲り、手柄を奪う」のは、上司の資格を返上するに等しい行為である。

上司たる者は「責任を奪い、手柄を譲る」のをモットーにすべきで、それが人の上に立つ器量である。

 

兎に角、責任を回避しようとして、しらばくれたり逃げ回ったり、さらには隠れたりするのは、みっともないことこのうえない。皆が上司に責任あることを知っているのであるから、その一挙手一投足を注視している。

自分としては上手に逃げていると思っているかもしれないが、その逃げているところにスポットライトが当てられている状態になっている。頭隠して尻隠さずとなっていることを知らないのは本人だけなのだ。

 

「責任を回避し、手柄を奪う」最低の上司は貴方の周りにいませんか。

真正面を向いた「頭」の部分を人目にさらせば、せめてその真摯な姿勢に免じて、人々は「刑の軽減」を図ってくれるはずだから、そこから再出発だ。

 

 

<高くがる空間>

ウォーキングコースから見る国分寺町新居の上空。

通町の上空。

井口町の上空。

塩屋町の上空。

築地町の上空。

末広町の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇町並巡りで出会ったストレリチア(極楽鳥花)

 

◇町並巡りで出会ったツワブキ

 

◇ウォーキングコースに咲いていたノジギク(野路菊)

 

◇近所の庭先に咲くコエビソウ

 

 

 

<akijii展-(559)

今報から「スクラッチアート(美しい日本の祭礼4点)」です。

今報は「富士河口湖燈籠流し」で、所要時間は235Mでした。

お盆の時期にお迎えした先祖の霊を再び送る「送り火」のひとつである灯籠流しは、日本各地で様々な風習をもとに行われています。「富士河口湖灯籠流し」は、昭和56年に真如苑が開催したのが始まりです。1,200艘を超える灯籠が浮かべられ、富士山を背景に湖を彩る情景が幻想的です。

◇完成作品

 

引き続き、Vol.1003-2/4をご覧ください。