Vol.1005-2/3 R巻頭-117。気ままniフォトSketch<松並町・西春日町> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.1005-1/3に続けてご覧ください。

 

Akijii気ままniフォトsketch<松並町西春日町>  

今報は、松並町の㈱カマタマーレ讃岐(旧鶴尾中学校)と卒都婆塚、西春日町の奥の池調整池・清水出水と鶴尾神社を気ままniフォトSketchしました。

 

▼所在地、ふれあいスポーツスクエアつるお

高松市松並町:〒761-8052、高松市西春日町:〒761-8051

 

▼卒都婆塚(伝説)、清水出水にまつわる伝説

 

▼奥の池調整池、野仏さん・山の仏さん

 

▼鶴尾神社、奥の池取水施設

 

 

▼バス停「鶴尾」で降車、旧鶴尾中学校を周回(約0.5km)へ向かう

 

▼左側に鶴尾小学校と時習橋(じしゅうばし)、県道266号線を南西に進む-1

 

 

フォトSketch-旧鶴尾中学校

B2・香川ファイブアローズとJ3・カマタマーレ讃岐が練習場所などとして利用している高松市の鶴尾中学校跡地の愛称が決まりました。高松市が考えた3つの候補から、鶴尾小学校の児童と地元のコミュニティ協議会の投票で「ふれあいスポーツスクエアつるお」が選ばれました。

両チームは2022年、高松市と契約を結び、2021年3月に閉校した鶴尾中学校の施設を練習場所や運営事務所などとして活用しています。

▼県道266号線を南西に進む-2(右に旧鶴尾中が見えて来た)、旧鶴尾中の正門前に着いた(ガンバレ!!カマタマホレの旗)

▼正面の門柱に「ふれあいスポーツスクエアつるお」の縦看板、旧体育館に掛かる「FIVEARROWS TSURUO COURT」看板のズーム

 

 

▼県道266号線を南西に進む-3、次の交点を右折

 

▼松並町を西方向に進む-1

 

▼松並町を西方向に進む-2、右奥に鳥居

 

▼鬼門神社

<由緒記>当神社は 悪鬼をおさえて災厄を払う鎮守の神として古くからここに祀られ 天保年間に奉納せられた幟も今尚保存せられている。

 

▼松並町を西方向に進む-3(次の交点を右折)、松並町を北東方向に進む-1

 

▼松並町を北東方向に進む-2

 

▼「FIVWARROWS TSURUO COURT」の看板

 

 

▼卒都婆塚(伝説)案内板へ向かう(約0.9km)、松並町を北方向に進む-1

 

▼松並町を北方向に進む-2

 

▼松並町を北方向に進む-3

 

▼松並町を北方向に進む-4

 

▼右(東-松並町)の方向、左(西-県営住宅西春日団地と浄願寺山)の方向

▼松並町を北方向に進む-5

 

▼松並町を北方向に進む-6

 

 

フォトSketch-卒都婆塚

卒塔婆(そとば)は死者の供養塔や墓標として作られ、頭部に五輪形を刻み、梵字などを記した板木。卒都婆、率都婆などとも書く。語源的には釈迦仏の遺骨を収めた仏塔であるストゥーパが漢訳されたもので、広義には三重塔、五重塔、十三重塔などの塔や五輪石塔などをも指すが、今日一般に用いる卒塔婆の意は木製の塔婆を指す。

▼松並町を北方向に進む-7(右奥に案内板)、卒都婆塚(伝説)の案内板-1

 

▼卒都婆塚(伝説)の案内板-2

 

 

▼西春日町へ向かう(約0.2km)、松並町を北方向に進む-7

 

▼松並町を北方向に進む-8

 

 

▼西春日町に入った、奥の池調整池へ向かう(約0.6km)

 

▼西春日町を西方向に進む-1、右(北)方向に峰山トンネルへの車道が見える

 

▼西春日町を西方向に進む-2

 

▼西春日町を西方向に進む-3、右側は西春日北部集会場

 

▼西春日町を西方向に進む-4(次の三叉交点を右折)、西春日町を西北方向に進む-1

 

▼西春日町を西北方向に進む-2、西春日町の水路のある交点に着いた

 

 

▼西春日町の水路沿いに北東方向に進む-1

 

▼西春日町の水路沿いに北東方向に進む-2

 

▼右側に石仏、西春日町の水路沿いに北東方向に進む-3

 

 

フォトSketch-清水出水にまつわる伝説

香川県には、水にまつわる伝説がたくさん残っています。いかに人々が水の確保に心をくだき、水を尊いものとしていたのかがしのばれます。こうした言い伝えによって、水の大切さを子供たちに教え諭していたのでしょう。水の流れのように絶えることなく、人から人へと伝えられた水のお話。さぬきの地に暮らし、水を乞い願った人々の思いが、しみこんでいるようです。(香川県HP)

▼西春日町の水路沿いに北東方向に進む-4(左に案内板-右折して奥の池調整池へ進む)、「清水出水にまつわる伝説」の案内板

 

フォトSketch-奥の池調整池

高松市の地下水開発の取り組みについて(高松市長:増田昌三1995~2007年の3期12年にわたり高松市長を務めた)

高松市の水源確保の状況について延べ69日間にも及ぶ時間断水を余儀なくされた平成6年の異常渇水を教訓として、本市では、節水型都市づくりと水源確保を基本とする「高松市水問題に関する基本指針」を策定し、全市を挙げて節水と水の有効利用に取り組み、節水機器や節水意識の定着、また、雨水利用の助成制度や下水再生水の利用などにより、水道使用量は大きく減少しています。また、水源開発についても、椛川ダムの整備促進や地下水源の開発等に取り組み、県営水道用水供給事業(以下県水)との受水比率はほぼ同率となっています。昨年の夏季渇水は、平成6年を上回る規模でありましたが、自己水源の確保や配水コントロールによる減圧給水、そして、何よりも市民の皆様方の節水と水の有効利用の実践等により、断水という非常事態を回避することができました。このような中、本市は昨年度、近隣 6 町との合併により、給水人口42万人、1日最大給水量18万5千立方mを要する都市として、ますます安定した水源開発が不可欠となり、高松地域の地下水調査の結果に基づき、既存井戸を含む地下水開発に取り組む水運用計画を策定しました。

=地下水開発事業の概要について=

事業の概要は、栗林公園の南西に位置する岩清尾山のふもとの西春日町と室新町にまたがる、有効貯留量20万立方mの奥の池を調整池として位置付け、その周辺井戸の地下水を予備水源として、浅井戸および深井戸等の開発を行い、日量最大 5,000立方mを取水し、これに奥の池貯留水の日量最大5,000立方mを併せた日量最大10,000立方mを、現在、計画中の都市計画道路を利用して御殿浄水場へ導水するものです。なお、この計画の実現により、渇水時の安定度が大幅にアップすることから、早期完成を目指し、今後とも、渇水のないまちづくりに努めてまいります。

▼奥の池調整池に着いた、奥の池調整池

 

 

▼奥の池調整池を後にして鶴尾神社へ向かう(約0.7km)、水路沿いの道を東方向に進む-1(石段を上る)

 

▼峰山トンネルへの車道を横断し柵を開け通る、左奥に峰山トンネルが見える

 

▼水路沿いの道を東方向に進む-1

 

▼水路沿いの道を東方向に進む-2

 

▼「野仏さん・山の仏さん」の石仏、水路沿いの道を東方向に進む-3

 

 

引き続き、Vol.1005-3/3をご覧ください。