Vol.1003-1/4 R巻頭-115。歴史(観て歩き)レポ-<県都>総集編 | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

新居宮池は今

西北角から東南方向を見る宮池2景。

西北角から東南方向の宮池パノラマ景。

日の入直前の宮池の水面。

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-115  Orignal掲載日:Vol.209 (2013.09.10)

責任を…、手柄を…

 

仕事の場で上司の立場にありながら、常に責任回避をしようとしている人はいないか。

チームとして一緒に仕事をしている限りは上司とか部下とかに関係なく、多かれ少なかれ責任の一端はある。

 

従って、何か問題が起こった時は誰かに非を押しつけることは可能だが、最も重い責任を負うのは上司の「役目」である。上司が主役であり、部下は脇役ないしは端役であるはずだ。好ましくない事態に立ち至った時だけ、上司が主役の座を部下に譲ろうとするのは、どのように考えても間違っている。

そのような上司に限って、輝かしい成果が上がった時は、その手柄を100%自分のものにしようとする。「責任を譲り、手柄を奪う」のは、上司の資格を返上するに等しい行為である。

上司たる者は「責任を奪い、手柄を譲る」のをモットーにすべきで、それが人の上に立つ器量である。

 

兎に角、責任を回避しようとして、しらばくれたり逃げ回ったり、さらには隠れたりするのは、みっともないことこのうえない。皆が上司に責任あることを知っているのであるから、その一挙手一投足を注視している。

自分としては上手に逃げていると思っているかもしれないが、その逃げているところにスポットライトが当てられている状態になっている。頭隠して尻隠さずとなっていることを知らないのは本人だけなのだ。

 

「責任を回避し、手柄を奪う」最低の上司は貴方の周りにいませんか。

真正面を向いた「頭」の部分を人目にさらせば、せめてその真摯な姿勢に免じて、人々は「刑の軽減」を図ってくれるはずだから、そこから再出発だ。

 

 

<高くがる空間>

ウォーキングコースから見る国分寺町新居の上空。

通町の上空。

井口町の上空。

塩屋町の上空。

築地町の上空。

末広町の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇町並巡りで出会ったストレリチア(極楽鳥花)

 

◇町並巡りで出会ったツワブキ

 

◇ウォーキングコースに咲いていたノジギク(野路菊)

 

◇近所の庭先に咲くコエビソウ

 

 

 

<akijii展-(559)

今報から「スクラッチアート(美しい日本の祭礼4点)」です。

今報は「富士河口湖燈籠流し」で、所要時間は235Mでした。

お盆の時期にお迎えした先祖の霊を再び送る「送り火」のひとつである灯籠流しは、日本各地で様々な風習をもとに行われています。「富士河口湖灯籠流し」は、昭和56年に真如苑が開催したのが始まりです。1,200艘を超える灯籠が浮かべられ、富士山を背景に湖を彩る情景が幻想的です。

◇完成作品

 

引き続き、Vol.1003-2/4をご覧ください。