「許す」ってとても難しいと思っていた。



頑張ることが正義で

他人に迷惑をかけないように生きていた

数年前の私には、


いつも周りに許せない人がいた。



ケアレスミスの多い同僚。

気分次第で不機嫌を撒き散らす上司。


私がいつも必死で頑張っているのに

毎日マイペースに

のほほんと生きてるようにしか見えない夫。






どんなことも受け入れましょう

そうすれば楽になる



この言葉を信じて

楽になりたい一心で頑張っていた。




受け入れなきゃ。

受け入れたい。



そう思っているのにできない。

できない自分を責める。



でも受け入れたい。

受け入れようと頑張る。



だけどやっぱりできない。

そしてまた自分を責める。



何度も何度もこの繰り返しで

ずっとずっと苦しかった。




そしてある日、


もう無理!

私にはできない!!


諦める!!!



………………………。



諦めたら

楽になった笑




あれ?もしかして

諦めるって許すの第一歩

なんじゃない?て思った。



考えてみたらさ、

諦めるって執着を手放すこと。




それから私は

色々と前向きに諦めてきた。



できない自分を。

すぐに飽きる自分を。

イライラする自分を。



(以下、引用)


気づきたくなかった自分に気づき、

認めたくない自分を認め、

そんなダメダメな自分を許したら、

 

一生許せないと思ってた

あの人のことも許せて、

 

そしたら

 

誰かを「許せない」とか

「許す」とか言ってる

自分のおこがましさに気づいて、

 

恥じて、謝って、

自分の小ささに気づいて、

 

そしたら笑えてきて

 

そんな自分のこと

少しずつ好きになって

 

気づいたら自分のことも

自分の周りの人のことも

大好きになってた。






そして毎日「ある」をみるようになって

もうすぐ5ヶ月。




「ある」をみつけるためには観察が必要。



5ヶ月間毎日観察して

「ある」ものを見続けて分かったこと。



「ある」ものって

全て存在がゆるされている。


感情も事象も。



その存在がゆるされているから

今ここに存在している。




だから、

観察することは許すことに繋がる。




思い返せば

「許せない」を抱えていたときって、


許せないことや許せない人のことを

「悪いこと」や「ダメな人」と

心の中で裁いていた。



だけど違う。



この世にいいも悪いもない。





さっき

諦めるのは許すことの第一歩って書いたけど、


諦めるの語源は

明らめる(明らかにする)。



これってまさに観察!!




「許す」って


すごく高尚で前向きで

慈悲に溢れてるようなイメージだけど、


そうじゃない。



ただ観察するだけ。




観察して

その存在に気づいて

否定せずに認めるだけ。