先日、
9歳長女の小学校の遠足があったんだけど。


こういう遠足とかの学校行事って、
ある日突然集金袋を持って帰ってこられる。


私は今まで
こういった支払いのときはいつも

「お金が無くなる」
と感じてしまっていました。


ひどいときは「取られた」とも。


でも、これ違うよね?


遠足休んだならともかく、
長女は遠足行ってるんだから!笑


長女の好きなマイクラのランチピックでお弁当作り頑張ったよ



X(旧Twitter)を始めて2ヶ月。


毎日「ある」をみて
それを文字にして感謝するようになって、

こういう幻想にも
気付けるようになってきました。




当たり前だけど
支払いは何かの対価だし
お金は感謝のエネルギーを具現化したもの。



スーパーで食料品や日用品を買うときなんかは、
目の前に物品があって
支払いと同時に手に入るから分かりやすいけど、

ネットショッピングや、
毎月決まった日に
カードから引き落とされる固定費は

目に見えないから
そこらへんの輪郭がぼやけがち。



私たちがお金を支払うとき、
それと引き換えに何を得ているのか。


私はその支払いに
どういう感謝のエネルギーを乗せているのか。



遠足代は
学校のお友だちと楽しい時間をありがとうだし、

食料品や日用品は
肉体の元を作ってくれて
毎日をより快適にすごす製品を作ってくれてありがとうだし、

スマホの通信料は
ネットワークに繋げてくれてありがとうだ。





私、2年前に一旦パートを辞めて
半年間くらい貯金で生活してたのね。


リモートでゆるーく占いの仕事はしてたんだけど、
まぁがっつりパートしてた頃に比べると収入は激減。



で、その間、
自動車税を払わなきゃいけなかったんだけど、

その時感じたのは
「支払えるお金があってよかった」
だったの。


それまでは、それこそ遠足の集金と同じで
「お金がなくなる」
「取られる」ってずっと思ってたから、

支払えるって
喜びだったんだ!!!

って初めての感覚だった。



それ以来、
銀行口座からお金を引出すときには
「おかえり」

入金するときには
「いってらっしゃい」
って思うようになった。





確かに支払いをすると
お金は私の手元からは無くなるんだけど、
お金自体は無くならない。


違うところへ行くだけ。



支払えるお金がある
という喜び。

感じるべきはこっちじゃない?



そして
支払いが何かや誰かへのありがとうなのと同じように、
収入は私へのありがとう。


だからパートのお給料は、
会社から私への
働いてくれてありがとうだ。





私、物欲と好奇心が旺盛だからさ、
いつももっとお金欲しいなって思ってるんだけど、

なんていうか、
あれ欲しいからこれやってみたいから
っていう理由だけじゃなく、

もっとたくさんの人の役に立ちたいなって
改めて思った。


たくさんの人や物にありがとうって言って
たくさんの人からありがとうと言ってもらえる。


そんな自分になろう。
そんな人生を送ろう。



お金は無くならない。


この世をぐるぐる循環してるだけ。